-330-:ありがとう。ヒューゴ…
ヒューゴとリョーマが例え話として持ち出した“神話”なるワード。
人が暦を生み出す前から語り継がれている話と見るけれど、だとすると、それは相当大昔の話となってしまうのではないだろうか?
「どんな大昔の話だよ…」
ポツリと呟く。
ギリシャ神話やケルト神話など、誰もが架空のお話だからゲームや漫画のキャラクターとして親近感を抱いていると言うのに、それらが、突然現実のモノとして現れたら、パニックになるのは間違いない。
今でこそ萌キャラにしてしまっている者たちが、ある日を境に牙を剥いたら、それはもう地獄絵図に他ならない。
「たぶんクレハさんが思っているような世界にはならないと思います」
今さらココミの言う事など何一つ信用できない。
それ以前にも彼女の言葉は、端々で疑わしい箇所が見られた。
それでも「じゃあ、どんな世界になると言うのよ」
訊ねずにはいられない。
「偉大なる支配者が総括している世界の数は、まさに天文学的数字に及びます。それらに散らばる魔者たち全てが、私の住む亜世界に一同に会したのです。それでも私の世界人口はゼロにはならずに、何とか250年間生き永らえてきました」
確かに『天文学的数字』を持ち出してから250年の歳月を付け加えると、とんでもない話に聞こえる。
だけど、魔者たちもお互いに食い合っているので、そんなに驚くべき話ではない。
「つまり、一つ一つの世界に存在する魔者の数は大した事は無いって言いたい訳でしょう。でもね、それが身の回りに居たら堪ったもんじゃないって私は言いたいの」
理解はしているけれど、万が一という事もある。
ほんの僅かな確率であっても、ゼロでない限り安心はできない。
「まったく…クレハさんは天邪鬼さんですね」
ココミは肩をすくめて見せた。
「ふざけないで!命を賭けてまで貴女に協力したのに、これじゃあ何も報われないじゃないの!答えて!私たちが得られる利益は何なの?」
報酬を受け取った訳でも無いし、好きで命のやり取りをした訳じゃない。
今さらではあるが、ココミがこの世界にもたらす利益とは何なのか?
「利益ですか…」
ココミは顎に手を宛てて一考する。
「この世界にとっての利益を申し上げますと、『下らない事を考える余裕を無くす事』でしょうか」「はぁ?」
この期に及んで何を言い出すのかと思えば、心境の変化を促すだけ?この女…本当にふざけているのかッ!?
「少なくとも金儲けの為だけの武器の流通は無くなるだろうな」
いくら銃器が人口よりも多いと言っても、恐らく数的には足りなくなる見込みだ。
流通的にも武器製造メーカーが大儲けをする構図ではあるけれども、ヒューゴの見込みは違うようだ。
しかも。
「相手は通常の武器では対抗できない魔者たち。果たして、彼ら武器メーカーは今後どのような対抗策を見出すのだろうね」
リョーマの見解は一見して他人事のように聞こえるけれど、彼らには、すでに対抗策が練られているようだ。
だから二人して、ココミが王位継承を望む理由に一切反論しないのだ。
「恐らくこの世界は混乱するだろう。だけど、未知なる敵の存在は、無駄な争いや経済紛争を抑えると俺は見ている。たぶん…」
「君と同じとは心外だけど、僕もそう思うよ。高砂・飛遊午」
二人の発想は、まさに“毒をもって毒を制す”だ。
今現在の世界は放っておいても、そのうちどこかで戦争が起きそうな雲行きだ。
事実、小競り合いは今でも続いている。
だからこそ、ココミたち亜世界からやって来た者たちに協力して盤上戦騎の特性を悪用し他国を貶めようと企んだ国が多く存在したのだ。
事実、ココミたちはその者達に何度も拉致されそうになったが、その都度魔者たちの妨害に遭い失敗に追いやられている。
「これで少しは世界がマシになってくれれば良いけどな」
そこまで考えが及ばなかった。
クレハが見ていたものは、ただ目の前の事だけ。
深く考える事など一切無かった。
「じゃあ、じゃあさ。もしも私が魔者たちに襲われそうになったら、タカサゴは私を助けてくれる?」
今、この状況で問うべき事で無いのは理解している。
だけど、今だからこそ問いたい。彼の気持ちを。
「俺は―」
一呼吸間を置いて、ヒューゴが語り始めた。
「俺は、スズキ。お前のいない世界なんて考えられない。俺がいなくなっても、お前がいない世界にだけは絶対にさせない。だから、相手が魔者だろうとも、俺はきっとお前の前に立つと思う」
“きっと”とか“思う”とか、少し自信無さげな台詞だけど、彼は身を挺してオトギの放った矢から自分を守ってくれた。
彼の言葉は信用に値する。
「ありがとう。ヒューゴ…」
そんな彼に心から感謝する。
「ん?」
初めて自然な流れの中で彼の名を呼んだのに、やはり違和感を抱かれてしまった。
「やっぱり『タカサゴ』って呼ばなきゃダメ?」
できれば気にして欲しくは無かった。
「俺は、やはり」
困惑しているのが良く解る。
「俺は、やはり、いつもの呼び方でいて欲しい。スズキ、他の誰とも違う、お前だけの呼び方でいて欲しいんだ。俺がそうしているように」
言われて初めて気づいた。
そう言えば、苗字だけで呼ばれているのも、高砂・飛遊午が苗字だけで呼ばれているのを聞いた事も共に無い。
苗字だけで呼び合う。
今思えば、二人だけの呼称だったのだ。
「ありがとう…タカサゴ。これからもそうするよ」
「ああ、いつか結婚するまでな」
クレハはヒューゴの背中に強く抱き着いた。
「あ、あの…」
前からの声。
「随分と見せつけてくれるな。お二人さん」
二人は、はたと気づいた。
ここには、あとタツローと女王の駒と化した妲己がいたのを。




