-296-:………
ところで、アンタ誰?
クレハの、茫然とした眼差しに気付いた少女は、自ら名乗りを上げた。
「自己紹介がまだだったね。ボクはジョーカー。オトギの魔者ダヨ」
それはそうと、クレハは急いでスマホの電話帳を開いてベルタを呼び出す。
「えー無視しちゃうのォ?」
残念そうに告げていたものの、魔法陣から現れたベルタの姿を確認すると、小さく手を挙げて、「ちぃーすっ!」笑顔を添えて元気に挨拶。
ベルタは召喚されると共に、足元に倒れ伏すヒューゴの姿、心配そうに付き添うクレハ、そして弓を手に佇むオトギへと目をやって、粗方の状況を把握した。
どうして味方であるはずのオトギが主人に危害を加えているのか?
疑問は後回しに、ベルタは、ヒューゴの脈を取り、顔を近づけて呼吸の有無を確認した。
すでに息はしていないが、まだ微かに脈はある。続けて傷口を確認。
矢はヒューゴの体を貫いてはいるが、抜けてはいない。
心肺停止の状態にはあるが、幸いな事に、おかげで失血死には至っていない。
「蘇生措置に入ります」
クレハに告げると、ベルタは人工呼吸の手順に入った。
「無駄だよォ。そんな事したって。彼、もう死んじゃってるんだよ」
必死になってヒューゴの命を引き戻そうと努力しているベルタに対して、ジョーカーは無駄な努力と笑って見せる。
「クレハ。直接彼の口に息を吹き込んで下さい」「え?」
思いも寄らぬベルタからの人工呼吸要請。
まだ恋人でもないヒューゴと唇を重ねるなんて…。
だけど、戸惑ったのは一瞬だけ。
命がかかっている状況で、恥ずかしがってなんていられない。
手順はベルタが教えてくれる。何の問題も無い。
(これでタカサゴが戻ってきてくれるなら)
祈る願いも込めて、ヒューゴの中へと息を吹き込む。
同時に、人間の体温とは思えないほどに下がっている、今にも消えそうなヒューゴの命の儚さを、その唇を通して感じる事となった。
オトギは、そんな彼らの姿を見届け。
「行くわよ。ジョーカー」
弓を弓立てへと仕舞って、オトギはジョーカーに、弓道場からの退出を促した。
「ねぇねぇオトギ。もう少しだけ、彼らの様子を眺めて行こうよォ。ホラ!もうベルタの姿が薄っすらと透明になりかけているヨ」
ジョーカーの言う通り、ベルタの体が透け始めていた。
ヒューゴからの霊力が供給されなくなり、身体を維持する事ができなくなりつつあるのだ。
「お願いだよ。ベルタ。まだ消えないで」
消え入りそうな声で、クレハが懇願する。
不安に駆られたクレハに、ベルタは柔らかい笑みを返した。
「クレハ。貴女が願いを届けたい相手は、この私ですか?」
優しく問い掛け、ヒューゴへと眼差しを向ける。
クレハを取り巻く不安は、たちまちの内に消え去り、ベルタに首を強く横に振って見せた。
「戻ってきて!タカサゴ」
願いは言葉となって。
「矢は胸を貫いているんだよ。命は片道キップで戻っては来れないのさ」
他人の努力そのものを笑うジョーカーに、オトギはさらに強く退出を促す。
二人が弓道場から立ち去って。
クレハは再び唇を重ねると、ヒューゴに魂を吹き込む思いで息を吹き込んだ。
しばらく経って…。
ヒューゴの口元に、ベルタが耳を近づける。
「とても弱いですが、呼吸を取り戻したようです」
瞬間、クレハが笑みを取り戻した。
「ですが、依然、予断を許さない状態には変わりありません。とにかくアーマーテイカーを呼んで彼の治癒魔法で生存率を上げましょう」
後はアーマーテイカーに任せて、天に祈るしか手立ては無い。
ベルタが連絡を取っている最中、クレハは立ち上がり、オトギたちが立ち去った弓道場の入口へと向いた。
「オトギちゃん…」
彼女を許せない思いで一杯だったが、同じ痛みや苦しみを味あわせてやろうなどといった感情は、一切湧き起こらなかった。
むしろ。
こんな事をして、何になるのか?
ただ、その疑問しか湧いてこない。
「そうだ!」
思い出し、自分のスマホを鞄から取り出すと、早速タツローに電話を掛けた。
「もしもし?タツローくん」「はい…」
電話に出た彼の声のトーンは異様に低かった。
「トラちゃんは無事?」「どうして、それを?」
やはり、オトギが言った通り、トラミの身に何か起こっているようだ。
確か、階段から突き落としたと言っていたのを思い出した。
「クレハさん。どうして姉さんが重傷を負った事を知っているんですか!?」
感情をぶつけるように問い質す。
「重傷?トラちゃんの傷の具合はどうなの?」
とにかくヒューゴと同じく命は取り留めたようだ。安堵するも。
「どうしてなんです!?教えて下さい!」
家族として不安で居たたまれないのだろう。その気持ちは、たった今味わったので、よく解る。
「タツローくん。落ち着いて、よく聞いて」
言ったところで、電話の向こうのタツローは興奮が冷める様子が無い。彼の荒い呼吸が電話で伝わってくる。
「トラちゃんに大怪我を負わせたのは、オトギちゃんなの。今さっき、本人から告白されたわ」
「…」
「……」
「………」
通話障害でも生じているのか?と思えるくらいの長い時間、沈黙が続いた。




