-128-:コイツ…お、鬼や
メディカルスタッフたちがヒューゴの元へと駆け寄る。
リョーマは独り静かに折れた竹刀を腰に戻して礼をし、その場に待機。
会場がざわつく中、ヒューゴは担架に乗せられ運ばれて行った。
そんな彼の姿を見送る事もせず、リョーマは目を閉じて、ひたすら沙汰が下るのを待つ。
審判たちの判定は………下される事は無かった。
草間・涼馬、禁じ手を使用した事により失格。
高砂・飛遊午、対戦相手の反則行為により勝利するも、負傷のため棄権。
結論、試合そのものが無効試合とされた。
後に、リョーマには1年間の公式試合出場禁止の沙汰が下りた。
だが、彼にとって、それはどうでも良い事だった。
これまで通り、街の実戦剣道道場で練習は続けられるし、そもそも安全第一のスポーツ剣道に出られなくなったくらい、まったくダメージにもなっていない。
だが、ただ一つ。
彼が抱く不満。それは。
―どうして高砂・飛遊午は途中で剣を両方とも捨ててしまったのか?―
疑問ではあるが、剣を捨てる行為そのものが、剣士として戦いを放棄した事を意味する。
やがて疑問そのものが変化を遂げる。
―どうして彼は僕との戦いから逃げたのか?―
確かに、試合の流れはリョーマが圧倒していた。
だからと、それで恐れを成して戦いから逃げてしまったのか?
幾月か過ぎて。
道場で、ろくに打ち合い稽古もせずに子供たちに剣道を教え、そして、まかないのために買い出しに行っている高砂・飛遊午の姿を見ていると、彼が“腑抜けている”と感じずにはいられない。
あれが、僕が最強の敵と見た男の姿か…。
心底がっかりした。
あんな男にはもう興味は無い。
そう思っていた。
天文学部の女子にお茶会に誘われるまでは。
そして、リョーマは再び抑えようの無い高揚感を得る。
どこかで見たようなロボットが、高砂・飛遊午の剣技を披露して見せた、あの瞬間。
しかし、彼が戦っている相手は、見るに堪えないド素人ばかり。
そんな相手に長丁場になだれ込んでいる彼の戦いぶりに、やはり“腑抜けている”と感じずにはいられない。
もう少し実戦を積んで、かつての研ぎ澄まされた刃のごとき剣の冴えと、絶対的な自信を取り戻して欲しい。それだけを、ただひたすら願う。
そのためには。
自ら彼の前に姿を現して、彼を挑発して見せること。
諦めない。
彼が奮起して、精進してくれる事を願って。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「僕が彼に助力するだって?」
リョーマの切れ長の目がココミたちに向けられた。瞬間!ココミは背中に氷を入れられたかのような感覚に襲われた。
「僕は決して彼を助けはしない。いや、むしろ彼が助けを求めて来ても、その手を叩き落としてやる」
「コ、コイツ…お、鬼や…」
ルーティは戦慄した。
「で、ですが、ヒューゴさんが貴方の好敵手となり得る前に、他の誰かに倒されてしまっては、それこそ本末転倒ではありませんか?」
さながら強風に立ち向かうべく、ココミはなおも訴えかける。
リョーマはクスクスと笑うと。
「上手く言ってくれる。高砂・飛遊午が“僕の好敵手となり得る前に”、か。確かに一理あるね」
「ご理解頂いて何よりです。では、約束致しましょう。この戦いが終わった後に、貴方様とヒューゴさんが正々堂々戦える場を設けましょう」
当事者であるヒューゴを置き去りにして、ココミはとんでもない提案を持ちかけた。
「あえて君の口車に乗ってやろうじゃないか」
リョーマの言葉に、「ホンマか?」ついルーティは後輪を掴んでいる手を離してしまった。
その一瞬の隙をリョーマが見逃すはずも無かった。
一気に走り出すマウンテンバイク。
「あっ」
手を伸ばして小さく声を上げている間に、リョーマの姿は遥か遠くへと去ってゆくのであった。




