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第四話「ポルノ小説家編(後編)」

エンターキーを強く叩いた拍子に意識を失った私は、気付くと大物ポルノ小説家千田俊樹の持つキーボードのエンターキーに転生していた。

原稿を書く際、やたらと強くエンターキーを叩く千田に苦しめられる私だったが、その苦しみから解放された矢先、女性編集者に枕営業を強要する千田の裏の顔を目撃することになるのだった。

 千田と鈴木がコトを初めてしばらくしてから、「うっ」という声が聞こえ、机の揺れが収まると、千田は「良かったで」と鈴木に声をかけるが、返事は聞こえない。

 ここからは見えないが、どうやら鈴木はコトが済むと原稿データの入ったUSBメモリだけ受け取り、無言で帰っていったようだ。


 鈴木が去った後、しばらく裸でソファーに横になっていた千田だが、こちらにちらりと目をやると「後片付けせなアカンな」とつぶやいて向かってくる。

 裸のままこちらに来るものだから、股にぶら下がる物が丸見えで、キーボードのキー達、特に明美ママが「汚い物見せんじゃないわよ!」などと口々に叫ぶが、相変わらずその声は千田に届かない。


 千田は 床に落ちた物を机の上に並べ直すと、「来週もあの姉ちゃんに来てもらお」とつぶやき、スマートフォンで誰かにメッセージを送る。

 すぐさま相手から返ってきたメッセージを読んで、ニンマリと笑いを浮かべた千田は「来週のためにいっちょがんばるで~!」と声を上げ、肩をブンブンと振り回した後、裸のままデスクチェアの上にドサッと座り込んでPCを立ち上げ、来週に向けて再びポルノ小説の原稿を書き始めた。


 PCで文章を書く以上、当然エンターキーも使われることになるが、キーを押す指使いは、必要以上の強さで叩いていた先程までとは打って変わって、優しいタッチだ。

 鈴木相手に欲望を吐き出したことで、エンターキーを強く叩く快感は必要なくなったというところだろうか。

 しばらくすると千田は「何や今日はもう助平な事思いつかんな」と言ってPCをシャットダウンし、シャワーを浴びて寝室へと向かっていった。


 翌朝、千田は再び原稿を書こうとするが、昨日に引き続きあまり筆が進まないようだ。

 しばらくすると「今日も助平な事思いつかんわ。こないなこともあるわな」と言って外へと出ていき、夜更け頃に泥酔して帰ってくると、ソファーに倒れ込み、そのまま眠る。

 その翌日は酷い二日酔いになったようで、ウンウンとうなりながら一日中横になって、執筆に手を付けることはなかった。

 その翌日、そのまた翌日も”助平な事”は頭に浮かんでこないようで、執筆は遅々として進まない。


 この頃になると千田は焦りを見せ始め「アカン、スランプや」と頭を抱えだす。

 そうこうしているうちに一週間はあっという間に過ぎ、今週の締切日がやってきた。

 先週鈴木が来たのと同じ時間になると、今週もチャイムが鳴る。

 千田は「はいはい」と言いながら玄関に向かい、鈴木を招き入れる。


「千田さん、今週分の原稿書き上げていただけましたか?」


 先週と同じような調子で鈴木が尋ねる。


「それがな、今週でけてへんねん」

「は?」


 先週とは正反対の暗いトーンで今週分の原稿を落としたことを告げる千田に、鈴木は強い軽蔑の視線を向ける。


「千田さん、あなたが原稿を落としたことでどれだけの人に迷惑がかかるかわかりますか?」

「すんまへん」

「私は急いで帰って編集長と対応を話し合います。多少なら締切を延ばせるかもしれないので、今からでも急いで書いてください」

「すんまへん、週に一度のお楽しみは…」

「は?」

「一回させてもろたら助平なアイディアが浮かんできそうな気がしまんねん」

「あなたが何を言っているのか理解できません。とにかく私は編集長のところに急いで帰ります」


 鈴木が足早に編集部へと帰っていくと、自分より一回りも二回りも若い鈴木に叱られた上、お預けを食らった千田はシュンとしながらPCへと向かうが、相変わらず”助平なアイディア”は浮かばず、延ばしてもらった締切にも原稿は間に合わなかった。

 そしてその翌週…


「千田さん、今週は書いていただけましたね?」


 再び原稿を受け取りに来た鈴木は強い調子で千田に聞く。


「それがな、出来ひんねん。いくら考えても助平な事が思いつかなくなってしもてん」


 千田の答えに鈴木は眉をひくつかせる。


「千田さん、あなたわかってますか?あなた書くことができなくなったらただのセクハラオヤジですよ?いや、表現が優しすぎますね。あなたのやってきたことは強姦ですよ?書けなくなったらあなたはただの強姦魔なんですよ?書けないあなたのことなんて誰も庇いませんよ?わかってますか?」

「すんまへん、すんまへん」


 千田は下を向き、ブルブルと震えながら鈴木に平謝りする。

 その様子を見て明美ママが「痛快よ!スカッとしたわ!」などと快哉を叫ぶと、その声が聞こえたわけではないだろうが、千田の視線がこちらに向く、瞬間、なにか思いついたように千田の目がキラッと光り、ドタドタとこちらに向かってきてキーボードを掴んで鈴木に見せる。


「鈴木さん、これですねん!これが悪いねん!先々週に机の上からこれをガッシャーン落としましたやろ?あれ以来どうもエンターキーの押し心地が悪うて、それでアイディアが湧いてきまへんねん。きっとこのキーボードあの時壊れてしもてん。これ捨てて新しいの今から買ってきますわ!」


 無論キーボードのエンターキーは、つまり私は壊れてなどいないが、千田はすべての責任を私に押し付けると、鈴木を置き去りに外へと駆け出し、ゴミ捨て場にキーボードを捨てて、そそくさと去っていった。



「自分が書けないのをキーボードのせいにしてるようじゃ、あの作家ももうだめね!いい気味よ!」


 千田が去るのを見届けると、明美ママは興奮気味にまくしたてる。


「あの、千田が落ちぶれるのはいいんですが、私達はこのあとどうなるんでしょうか」

「ゴミ捨て場に捨てられたんだからゴミ収集車に載せられて運ばれるんじゃないかしら」

「そうすると焼却場で燃やされて、燃えて溶けたら私達は死ぬということになるんですかね?」

「う~ん、生き物じゃない私達に死があるのかはわからないけれど、とりあえずキーボードは不燃ごみだから、行き先は焼却場じゃなくて埋立場になると思うわよ」

「男なら死ぬことなんて気にするな!死んだらまた転生すればいいんだ!」


 私と明美ママの会話にファンキーが割り込んで、男らしさを押し売りしてくる。


「僕ははやく死んで転生したいなぁ」


 今度はインサートキーのインキーだ。


「バカヤロー!死にたいなんて口が裂けても言うんじゃねぇ!」

「死んだら転生すればいいって自分が言ったんじゃないか」

「俺が言っているのは死が来るのであれば恐れずに受け入れろということであって、自分から死を望めなんて言うことでは決してねぇんだ!命ある限り自分の役目を全うしろ!」

「そんなこと言ったってインサートキーなんてだぁれも使いやしないんだよ。あの千田って作家は押し間違え以外で僕を押したことなんてなかったし、僕自身人間だった頃にインサートキーを使ったことなんて一度もないんだ。役目なんて果たしようがないよ」

「バカヤロー!押し間違えられる事がお前の役目だってんだ!」

「えぇ…」


 ファンキーとインキーのやり取りを聞きながら、強く叩かれ続けるエンターキーに比べれば、全く叩かれないインサートキーのなんと幸せなことかと羨ましく思ったが、しかし人それぞれ幸せの形は違うものだし、どちらがより幸せとも言えないのかもしれないと思い直し、では私にとってこのままエンターキーでいることと、死んで再転生することのどちらがより幸せなのかということに考えを巡らせる。


 もしこのまま埋立場に運ばれた場合、キーボード自体はなにかの衝撃で破損するかもしれないが、あくまで私はエンターキーなので、衝撃を受けてもキーボードから外れてゴミの隙間に入り込み、生き残ることになるかもしれない。

 すると、その後は身体中をゴミに囲まれて、半永久的に生き続けることになるのだろうか。

 想像して恐ろしくなる。

 これなら死んで転生したほうがよほど幸せそうだ。

 いや、死ぬ事はできないにしても、埋め立て地行きだけは避けねばならない。


「だれか助けてくれぇ!」

「突然なんだ!うるせぇぞ!」


 埋立地行きに対する恐怖から、来ないであろう助けを求めて私が叫ぶと、すかさずファンキーが怒声を浴びせてくるが、恐怖に駆られた私はファンキーを無視して叫び続け、ファンキーもそんな私に怒声を浴びせ続ける。

 そんな状態が続き、そろそろゴミ収集車がやってきてもおかしくないという頃合いになった頃、一人の老人がゴミ捨て場の前で足を止めた。


「おやおや、ここは賑やかなゴミ捨て場だねぇ」


 老人はキーボードを拾い上げ、まじまじと見つめる。

 どうやらその老人には、私達の声が聞こえているようだった。

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