第三話「ポルノ小説家編(前編)」
千田が「屹立したアレ」がどうの「濡れたソレ」がどうのと、性的な比喩表現が散りばめられた原稿を書き上げられると、ようやく私を叩く指は止まった。
指が止まるまでの間、悲鳴を上げる私に対し、ファンキーは罵声を浴びせ続け、「表へでろ!表へでろ!」と叫ぶのだが、キーボードのキーは自力で動くことなど出来ず、私も、そして叫んでいる当人すら表へ出ることは叶わない。
そのため、ファンキーを止めるすべも、私を叩く指を止める手段も無く、私は身体を叩く痛みと、ファンキーからの罵声に二重に苦しめられ続けていたのだが、その苦しみもようやく終わるようだ。
「これで今日の仕事はしまいや、時間もちょうどええ、この出来やったら編集の姉ちゃんもきっと喜ぶやろう。ほしたらお待ちかねのご褒美の時間や」
千田はその顔に下卑た笑みを浮かべると、たった今書き上げた文章をUSBメモリにコピーした後、印刷する。
PCの横に置かれたプリンターが、子供にはとても見せられないような文章の印刷された紙を吐き出し続ける間、千田はコップに水をくむと、机の引き出しから取り出した瓶の中の錠剤を口に入れ、コップの水とともに胃の中に流し込む
「バイアグラも飲んだしこれで準備万端やな、後はお姉ちゃんが来るのを待つだけや」
バイアグラを飲んで千田が鼻息を荒くしているうちに原稿の印刷は終わり、それから間もなく来客を告げるチャイムが鳴る。
「きたきた、待っとったで、お姉ちゃ~ん」
千田は小走りで玄関に向かうと、部屋の中に一人の女性を招き入れる。
なるほど、彼女に会えるとなれば、千田が鼻息を荒くするのも無理はない。
その女性は顔をとってみても体型をとってみても、テレビの中ですらなかなか見ないほどに美しく、眉目秀麗と形容するに相応しい容貌をしていた。
「千田さん、今週分の原稿書き上げていただけましたか?」
「もちろんやで姉ちゃん。これ見てみい、今までの中でも最高傑作や!」
「私は姉ちゃんではなく鈴木です」
「せやった、せやった」
千田はそんなことには興味が無いと言ったふうに空返事をしながら、たったさっき印刷されたばかりの原稿を鷲掴みにすると、千田担当の編集者と思われる鈴木という女性にバサッと渡す。
鈴木は卑猥な言葉だらけの原稿を顔色一つ変えずにパラパラと読むと、それを肩から掛ける鞄に入れる。
「たしかにこれは良い出来ですね。誤字脱字も無いようなので、このまま掲載可能でしょう」
「せやろ、せやろ」
「では、データの方は…そのUSBメモリの中ですね」
鈴木は部屋の中をぐるっと見回してUSBメモリを見つけると、それの刺さったPCに近付こうとするが、千田はダダっと走って、PCと鈴木の間に割って入る。
「姉ちゃん、その前にやることあるんとちゃうか?」
今にも舌なめずりでも始めそうないやらしい表情の千田を見て、鈴木は露骨に嫌そうな顔をし、「はぁ」とため息をつく。
「その…本当にするんですか…?」
「あったりまえや!何のためにワシがこれ書いたおもとんねん!」
千田はPCとキーボードの乗った机をダーン!と強く叩き、鈴木を威嚇する。
キーボードの上のエンターキーの私にもその衝撃が伝わるような強い威嚇に、さっきまで淡々とした態度で千田と接していた鈴木もビクッと後ずさりし、やや怯えを見せる。
「いつもいつもやあねぇ!私ああいう男大嫌いよ!」
「男の風上にもおけねぇ野郎だ!俺が動ければ、あんな野郎今頃病院のベッドの上だってのに!」
千田の下劣ぶりに明美ママが抗議の声を上げ、ファンキーも同調するが、その声は千田には届かない。
「ほな始めるで」
千田が鈴木の肩に手を置いて机の方へ引っ張ると、鈴木は渋々と机の上に腰を掛ける。
「姉ちゃんホンマにキレイな顔しとるなぁ、こないに綺麗な姉ちゃん充ててくれて、編集長には感謝せなアカンわ。姉ちゃん、ワシはな、この瞬間のために毎週毎週書きたくもないポルノ小説書いとんねん。こんなもん書いとるせいでワシがどんな目におうとるか知っとるか?」
欲望むき出しの下卑た笑みに、威嚇のための強面とコロコロ表情を変える千田は、今度は目に涙を浮かべながら自分の身の上を語り始めた。
「ご近所さんはみんな、あそこの旦那はいかがわしいもんばっかり書いとる言うて、ワシだけやなしにワシの家族まで避けよる。そんな状態だからお母ちゃんも娘も家から出ていてしまいよった。ワシはこのポルノ小説のせいで孤独になっていっつも寂しい思いしとんねん。そしたらそれ書かせとるあんたらがワシの寂しさを慰めるんは当然のことやろ?」
果たしてそれが鈴木への問いかけなのか、それとも自分の行いに罪悪感を感じている千田自身への問いかけなのかは定かではないが、千田は自分の言いたいことを言い終わると、鈴木の返事を待つこともなく、スカートを脱がそうと腰に手をかける。
座ったままではスカートは脱げないので、腰を浮かそうと鈴木が少し動くと、その尻がキーボードの角に当たり、ガタッと動く。
「何やこれ邪魔やなぁ。こういう時はこうすんねん」
千田は鈴木を一度机の上から降ろし、そこに自分の腕を乗せると横へなぎ払い、キーボード他、机の上にあった小物をガバっと根こそぎ下へと落とす。
「ギャー!」「いてぇ!」「やめなさいよ!」
ガシャンと音を立ててキーボードが床へ落ち、その上から他の小物も落ちてくると、キーボードの上のキー達は次々と悲鳴をあげる。
さっきまで人のことをさんざん非難していたファンキーも短い悲鳴を上げているのを私は見逃さなかったが、他のキー達は自分のことに精一杯で気づいていないようだった。
私はと言うと、さっきまで散々叩かれたせいで既に麻痺しかけていた感覚が落下の衝撃で完全に麻痺、というか痛みを感情表現する気力すらなくなり、もはや上から落ちてきた小物程度では何の反応も出来ないようになっていた。
「ちぇっ、ここからじゃ何も見えないな」
私のそばから今まで聞いたことのない声がする。
声の方向と距離感からして、どうやらインサートキーの声のようだ。
「インキー、あなたあんな物見たかったの!?最低よ!」
「そうだぞインキー!てめぇは陰気な野郎だとは思ってたが、そんな女の腐ったような野郎だとは思わなかったぞ!」
千田が美人編集者に強要した枕営業の様子を見られなくなったことを残念がるインサートキー(どうやらインキーと呼ばれているようだ)を明美ママが非難し、ファンキーはまた同調する。
そんなやり取りを尻目に私はあたりを見回すが、たしかにこの位置からだと、キーボードが床に落ちて以降ガタガタと揺れ続ける机の上で何が行われているかは見えないようだ。
私は千田の卑劣な行いを目にしなくて済むことにややホッとしつつも、千田のような有名な作家が編集者相手にこんなことをしていることに一人驚くのだった。