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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第1巻 魔術師編
8/60

SIDE OF THE MAGICIAN   魔術師

 バレンタインデーの夜、ケント君を家まで送り届けた後、アンナ先生は急に無言になってしまった。僕の家はすぐそこだというのに、ひと気のない真っ暗な路傍に車を停めて、バックミラーを通して後部座席に座っている隠者を見つめるのだった。

「マリアちゃん、間違っていたらごめんね」

「なんですか?」

「あなた、ひょっとしたら『隠者』と呼ばれていない?」

「なんのことですか?」

「ケント君があなたに命名したと聞いたけど」

「さぁ、なんのことだか」

 意図は分からないが、隠者がしらばっくれている。

「ユウキ君、彼女が昨日話してくれた隠者じゃないの?」

「先生、僕の話を信じてくれていたんですか?」

「嘘はつかないと思っているだけよ」

「宇宙人の話ですよ?」

「嘘じゃないんでしょう?」

「でも信じられる話ではないじゃないですか」

「宇宙人は信じられなくても、ユウキ君の話は信じられるから」

 先生の言葉に目元が熱くなった。

「どうして私が『隠者』だって分かったんですか?」

 それは僕にも分からなかった。

「女の勘、って言いたいところだけど、ケント君がマリアちゃんの苗字を知らないことに違和感があったの。友達の親戚でも会話をするくらいの仲なら、一度くらいは苗字を聞いているのが一般的でしょう?」

 苗字の『戸隠』は僕の前でしか名乗っていなかったということか。そういえば『神さまの家』で隠者を紹介した時もケント君とレンちゃんは遅れて合流したので自己紹介の時にいなかった。それでケント君はマリアの苗字を聞き逃したわけだ。

「マリアちゃん、あなたって本当に宇宙人なの?」

「そうですけど、貴女の生徒じゃないんで別に信じなくてもいいですよ」

「ひょっとして、ウサギがいなくなったのは、あなたのせいかしら?」

「ユウキ君の犬が無事なのは、私のおかげですか?」

 ひねくれた答え方だ。

「あなたの目的は、なに?」

 それは僕も一番知りたい質問だった。

「そんなものは自分の頭に問うてみればいいじゃない。生きるとは何か? 人生とは何か? 人間とは何か? 生命とは何か? それらの問いに答えを出せるならば、わざわざ他人に問い掛ける必要なんてないでしょう?」

 隠者の為すことを、なぜ僕らが考えなければいけないのだろうか?

「でも私の生徒に殺し合いをさせることに意味はないでしょう? 二人は友達同士なのよ?」

 どうやら先生は止めるように説得してくれているようだ。

「どうして私が意味を必要としていると思ったの? きっと殺し合いを止めさせることを目的として話しているから、私と向き合うことができないのね。そんな貴女にできるアドバイスは、そうね、私が超越した存在であることを知覚すること、かな?」

 超越した存在は神さまだけであるはずだ。

「どうして狙われたのが私の生徒なの?」

 先生が力のない声で尋ねた。

「それは偶々よ。実習林を散歩している二人を見掛けたら声を掛けてみたくなったんだもん。捕獲するにはちょうどいい感じの子だったしね。でも貴女と無関係ではないかもしれないわね。だって先生と一緒に過ごした三年間で形作られた部分もあるわけじゃない」

 その言い方は、アンナ先生に責任を感じさせてしまうのではないだろうか。

「二人とも面白いわよね。特にケント君が事実を誤魔化すために周りの人に嘘をついて四苦八苦しているところが最高じゃない? そういう男の子の可愛らしい部分を見ているだけで楽しい気分になっちゃう。貴女にも分からない、この気持ち?」

 隠者は、ただのサイコパスだ。

 先生に分かるはずがない。

「私の生徒に、もしものことがあったら、その時は絶対に許さないから」

 静かな口調だけど、怒っているのが分かった。

 こんな先生を見るのは初めてだ。

「私は貴女に裁かれる存在ではないのよ? どうしてそのことが理解できないのかな? 許すとか許さないとか、それは貴女ではなくて、私にしか選択できないことなの。なぜ貴女は自分が裁く側だと思い込んでいるのか不思議で仕方がないわ」

「何を言われようと、私は許さない」

 たとえ無力でも、僕は先生の気持ちが嬉しかった。

「貴女は二人の生徒のために、私に何ができるというの? 言葉や感情で私を止めることができる? どうせ『許さない』を繰り返すだけなんでしょう? それとも殺せるものなら殺してみる? いいわよ、やれるもんならやってみなさいよ」

 そう言うと、隠者が車のドアを開けた。

「貴女は、私を殺すしか二人の生徒を守ることはできないものね」

 車から降りてドアを閉めると、その足で二十メートル前方まで歩いて行った。

 そしてゆっくりと振り返り、こちらを向いて立ち尽くした。

 ヘッドライトが隠者を照らしている。

「許さない」

 先生が隠者を睨みつけている。

「殺してやる」

 僕には、アンナ先生がそう言ったように聞こえた。

「先生?」

「きっとムダなんでしょうね」

 先生が今から何をしようとしているのか、僕には分かった。

「でも試されているのなら、やるしかないの」

 そう言うと、先生は車を発進させた。

 車はそのまま隠者に突っ込んで行く。

 近付いてくる隠者の顔は恐ろしく無表情だった。


「アアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 耳をつんざくような先生の叫び声が車内に響き渡る。

 もうすでに衝突は避けられない。

 アンナ先生は、明確な殺意を持って隠者を轢き殺した。

 しかし、車はなんの衝撃もなく、隠者の身体を通過して行くのだった。

 後ろを振り返ると、轢かれたはずの隠者が手を振っている。

 車は横滑りして雪道の真ん中で停まった。

 取り乱した先生は、ハンドルに顔を埋めて泣き出してしまった。


 翌日のアンナ先生は、いつもと変わらない様子だった。朝一番の笑顔から、帰りの挨拶まで、今まで通りの先生そのものだ。まるで昨日の出来事が何もなかったかのように振る舞っているので、先生までもが宇宙人に思えてしまうほどだった。

 実際に、どうして僕の話を聞いただけで宇宙人の話を信じることができたのか理解できないままだった。僕が嘘をつかないからだと説明してくれたが、それと宇宙人の存在を認めることとは別なので、理解が追いつかない感じだ。

 そのことについて先生と話し合ってみたくなったので、学校が終わってから会いに行くことにした。それとは別にアンナ先生にしか頼めないお願い事があったので、昨日の件がなくても相談しに行くつもりだった。

「ユウキ君、昨日はごめんね」

「何がですか?」

「危険な運転をしちゃって」

「平気ですよ」

 音楽室で生徒用の椅子に並んで座っているとクラスメイトのように感じる。アンナ先生は童顔なので、表情によっては幼くも見え、気を抜くと生意気な態度や口調になりそうなので注意が必要だ。

「それより先生に大事なお願いがあるんです」

「何かな?」

「今度の土曜日なんですけど、その日マジックを披露するんで手伝ってもらいたいんです」

「それは構わないけど、ケント君ではいけないの?」

「今度のマジックは、先生にしか頼めません」

「私にできるかな?」

「先生にしか頼めないマジックなんです」

「何をする気?」

「それは当日までの秘密です」

「でも受験日の前日じゃない」

「今度の土曜日にしかできないマジックなので、どうしても挑戦したいんです」

「じゃあ一日だけ考えてみる。だけど期待しないでね」

「分かりました」

 と言いつつ、絶対に説得するつもりだった。

「ケント君は知ってるの?」

「明日話そうかなと思っています。マジックのタネは内緒ですけど」

「今日は一緒じゃないの?」

「バレンタインデーのお返しを買いに行きました」

「ひと月も先なのに?」

「はい。卒業したら会えなくなるからって」

「そうではなくて、殺すと脅されているからじゃない?」

 実物を見たということもあるが、アンナ先生は本当に信じてくれているようだ。

「それはないです。ケント君はすべてが幻覚だと思っているので」

「ユウキ君はどうなの?」

「何がですか?」

「彼女の脅しを本物だと思ってる?」

「それは当日になってみないと分かりません」

「それは信じてるってことじゃない」

 と言って、先生が微笑んだ。

「アンナ先生こそ、どうして隠者と関わったんですか? 追求しようとしなければ、マリアは正体を明かすことはなかったと思うんです。きっと僕が話しちゃったばっかりに、関係のないはずの先生を巻き込んでしまったんですね。だってそうでしょう? 僕たちは最初にUFOを目撃していたから宇宙人の存在をすんなりと受け入れることができたけど、先生にとっては突拍子もない話のはずなんです。僕なんか、先生から受験ノイローゼを疑われていると思っていましたから」

「どうしてかしらね」

 アンナ先生が自問する。

「まずケント君の様子がおかしかったのは分かっていたの。ただの寝不足にしては憔悴しきっていて、今までに見たことがないくらい疲れた顔をしていたものね。嘘をついていたとは思わなかったけど、隠し事か悩み事を抱えていることは感じられた。それと『神さまの家』で飼われていたウサギがいなくなったことも無関係じゃないと思ったかな。ハッキリと彼がやったって聞かされたわけじゃないけど、ユウキ君から脅されたという話を聞かされた時に繋がったのよね。それで変な感覚なんだけど、ホッとしたというか、安心することができたの。だってウサギがいなくなった事件に係わっているのなら、興味本位のイタズラであってほしくなかったんだもん。行為そのものを正当化するつもりはないけど、命を軽く扱う子じゃなくて良かったと思ったんだ」

 昨夜は取り乱した先生も、今日は終始穏やかだった。

「でも、私が彼女の正体を暴く気になったのはそんなことじゃなかった。『思い出を作れなかったことが思い出なんじゃない?』と言われたことが、心に引っ掛かっちゃったのよね。だってそれって私の人生の本質なんだもん。そのことを彼女に見抜かれたというか、見透かされたようで、思わずカッとしちゃったの。それで焦りから問い質しちゃったんだ。だって私の知らないところで、私の本質を生徒の前で語られるのが怖いと感じちゃったんだもの。本当の自分を知られることほど怖いことってないじゃない」

 いつもは教壇の上から見つめられる瞳が目の前にあるからドキッとした。

「あの抽斗に入れたままの渡せなかったチョコレートはね、この私の人生を象徴しているんだ。なぜならそれは、夢を夢のままにしておきたい私の人生そのものなんですもの。消えてなくなるよりも、いつまでも残しておきたいと思ってしまうのよね。ピアニストになりたいという夢もそう。夢が叶わなかったとは思いたくないの。自分が夢を諦めた人間だとは認めたくなかった。だから、努力が足りなかったと周りに思わせないようにしていたのよね。一生懸命の方向が間違っているのよ」

 そこでアンナ先生は、じっと手の平を見つめた。

 その広げた両手の手の平は、僕よりもうんと小さいものだった。

「先生、もう一度だけ『別れの曲』を聴かせてくれませんか?」

 その曲は先週も先生に聴かせてもらった曲だ。

 作曲したのは、手が小さいことでも有名なショパンである。

「じゃあ椅子を持ってきて。隣で聴いてほしいの」

 先生がピアノと向き合い、僕は先生に従い寄り添うことにした。

「私も一人では弾くことができなかったから、聴いてくれる人がいて良かった」

 そう言うと、深呼吸をしてから演奏を始めた――

 その美しい旋律は、人間の持つ美しさそのものだった。

 どんなに人間が愚かで野蛮でも、美しさを奏でられる側面は否定できない。

 しかしどんなに美しい曲があっても、人間は争い続ける。

 事実として音楽があっても殺し合う歴史があったからだ。

 それでも僕たちは、この美しい曲を人類の共通の財産にすることができた。

 それは平和を望む人たちがいたおかげだろう。

 どんな人たちとも悲しみは共有できる。

 その一点だけでも、人間同士が分かり合える根拠になるに違いない。

 僕は、この曲が中間部で転調してしまうのが嫌いだった。

 けれども今の自分には、それがよく理解できる。

 胸を突くような激しい痛みを知ったからかもしれない。

 大声を出して泣くことができない大人の涙。

 愛することを知ったが故の深い悲しみ。

 生の喜びを味わえば味わうほど別れがつらくなる。

 笑顔が眩しいほど、僕を切なくさせた。

 それでも人間はその死を受け入れなければならない生き物だ。

 転調が開けると、曲は冒頭のメロディに戻る。

 でもそれは、同じであっても同じではなかった。

 旅行から帰ってくると、なんとなく故郷が違って見えるように。

 大切な人がいる世界と、大切な人がいなくなってしまった世界。

 それまでの見慣れた景色がまったく違うように感じられる。

 そこで喪失したことに改めて気が付いてしまう。

 そして、それが二度と取り戻すことができない存在だったと思い知る。

 別れの意味であることと共に。

 ――先生がピアノを弾き終えると涙を流していた。

 おそらく、僕の涙にもらい泣きさせてしまったのだろう。

「先生、僕の話を聞いてもらってもいいですか?」

 どうしてそんなことを言い出したのか、自分でも分からなかった。きっと先生にピアノを弾いてもらったからだ。僕は楽器を扱うことができないため、言葉で気持ちを伝えることしかできない。それが僕にできる唯一のお返しだと思ったからだ。

「いいよ。聞いてあげる」

「今度の土曜日のことなんですけど、やっぱりどうしても先生に手伝ってもらわないといけなくなりました。もう僕は先生が引き受けてくれるつもりで準備をするつもりです。だから、どうか、お願いですから、断らないでくれませんか?」

「何をしようというの?」

「夜見湖の湖畔でスケート祭りがありますよね? そこで完全なる消失マジックをやりたいと思うんです。一生に一度でいいから、どうしてもやりたいと思っていたことなんです。そのためには、先生が僕になりきってもらうしかありません」

「それはどういうマジックなの?」

「凍った湖の上に観客を集めて、そのお客さんが見ている前で消えて見せるんです。用意したカーテンに隠れた瞬間、僕が消えていなくなり、その直後、僕に扮した先生が遠く離れた湖のほとりに姿を現すんです」

「マジックのタネはどこにあるの?」

「ありません」

「それはどういう意味?」

「最初は凍った湖に二つの穴を開けて、一つをテントの中に隠して、穴から穴へ水中を移動するという脱出マジックを思いついたんです。でも今回のマジックはカーテンの下にある穴に落ちるだけの消失マジックです」

 説明している途中で、先生は僕が自死することを悟ったようだ。

「だから僕の最後の消失マジックを完全なものにするには、先生の協力が必要なんです。残り三日の命ならば、僕は魔術師として生涯を終えたいと思っています。これが成功すれば、お客さんにはいつまでも消失マジックを大成功させた魔術師として記憶に残ります」

 アンナ先生が困っているのは、その憂いた表情を見れば分かる。それでも僕は、もう後戻りするつもりはなかった。先週までの、怖がり、怯え続けた自分とはまったく違う。不安があるとすれば、むしろ魔術師として全うできない最期に対してだけだ。

「それは先生に自殺を見守れと頼んでいるのよ?」

「はい。分かっています」

「どうしてユウキ君が死を選ばなければいけないの?」

「それは、それ以外の選択がないからなんです」

 そこで自死する考えに至った経緯を説明することにした。

「愛犬を殺さなければ殺すと言われた時は、夜も眠れないほど怖くて仕方がありませんでした。一週間が長いようにも短いようにも感じられ、一生分を生きた気になり、すっかり疲れ切ってしまいました。自分が自分だと思えないような心の醜い部分とも向き合わされたので、これまでにないくらいの自己嫌悪に陥りもしました。でも次にケント君と殺し合いをするように命じられた時は、自分でも不思議なくらい怖く感じられなかったんです。それどころか確かな信頼関係を感じられたので、喜びすら抱くことができました。なぜならケント君は、絶対に僕を傷つけるような真似はしないと確信できましたからね。だってそうじゃないですか、心から大切だと思える人と巡り合うことができただけでも神さまに感謝したいくらいなのに、なおかつその人は僕から命どころか、何も奪うような真似をしない人なんですよ? そんな人と出会えただけで幸せというのは感じられるものなんです。ケント君は僕から何も奪ったりせず、笑わせてくれたり、優しくしてくれたり、励ましてくれたり、勇気づけてくれたり、僕のために戦ってくれたり、守ってくれたり、とにかく与えるだけの人なんです。それに比べて僕ときたら、人からもらってばかりの人生で申し訳なくなってしまいます。ケント君が聞いていたら、きっと『そんなことはないよ』とか『それは逆で、もらっているのは俺の方だよ』とか否定するかもしれないけれど、それもまたケント君の優しさだったりするんですよね。だからどうしても最期の瞬間だけは知らせずに、僕は魔術師のまま死ぬ必要があるんです。だってそうしないと絶対に許してくれないし、僕が死を選ぶと分かったら、何がなんでも、どんな手段を講じてでも止めようとしてしまいますからね。それが分かっているから、協力者であるアンナ先生以外にはタネを明かすことができないんです。こうして話しているのも先生に自殺を止めてほしいからではなく、正直に気持ちを打ち明けて、是が非でも先生に協力を仰ぎたいと思っているからなんです。なぜなら先生の協力なくして前代未聞の人体消失マジックは完成されませんからね。それと先生ならケント君にも内緒にしてくれると信じられるので、アンナ先生にお願いすることができたんです。別に僕は良い子ぶりたいわけではありませんよ。四日後に死ぬと分かっているのに格好つけても仕方ないですからね。評価してほしくて命を投げ出すわけがないじゃないですか。誰に見られているわけでもないし、必要以上に謙虚であることも、自分を卑下することもないんです。死を前にすることで、他人の評価よりも、自分がどうあるべきかの方が遥かに大事だと思い至ることができました。他人の目に良く見せることはできても、自分の目だけは、どうしたって誤魔化すことはできませんからね。これは『常に神さまに見られている』という感覚に近いものだと思います。他人の評価はすごく大事だし、それ自体を否定するつもりはありません。でも世の中には、もっと超越した視点があるような気がしてしまうんです。それが僕の場合は『自分の心に嘘をつかない』ということでした。自分のことばかり考えているようにも感じますが、四日後に殺されるという現実の前では、残りの命をどうするかは、やはり自分の胸に聞くしかないんです」

 アンナ先生が黙って聞いてくれているので続けることにした。

「四日後に恩人とも呼べる大切な友が殺されると分かっていて、なおかつその命を確実に助けられる方法を知っていて、さらにその友を助けられるのが自分だけしかいないのならば、それはもう迷うことなく助けるしかないんです。二人が同時に助かる方法がなく、助けられる唯一の方法がどちらかの自死しかないのならば、僕が死ぬしかないじゃないですか。しかも処刑の期日が迫っているならば、大切な友であろうと、彼には黙って死を選ぶしかありません。秘密にしなければいけないのは、ケント君が隠者による処刑宣告をまったく信じていないからです。愛犬を殺さなかった僕が処刑を免れたから、それで次も助かるんじゃないかと思っているんですよね。もちろんその可能性もあるし、次こそは本当に処刑されることだってあり得ます。いずれにしても確かなのは、僕は友を助ける方に命を懸けるということだけなんです。助けずに月曜日を迎えて、もしも二人とも死ぬようなことがあれば、死ぬ瞬間、永遠に後悔するほどの念が残り続けてしまいます。そんな死の瞬間は、僕には耐えられそうにありません。それと僕が自死するのに対して、ケント君が楽観的だからといって責める気持ちにはならないんです。僕と同じような行動をしてほしいと思いませんし、僕と同じ気持ちを抱いていてほしいとも思っていません。だって世の中が僕と同じ考えの人で溢れてしまうのは、想像しただけでも気持ちが悪くなるじゃないですか。人生観や死生観が人それぞれ異なるように、ケント君はケント君で在り続けてほしいと思っているんです。それにケント君の楽観的な人生観は、ひょっとしたら人類最後の明るい希望になるかもしれません。死んだ後の未来は想像すらできませんが、ケント君だけはどんなことがあっても逞しく生きていけるんじゃないかと思ってしまうんです」

「それは違う」

 それまで黙っていた先生が口を開いた。

「人類の希望になり得るのは、ユウキ君、あなたの方じゃない。あなたほど特殊なケースは他にないけれど、大切な人を思って命を懸けて、実際に亡くなられた方は大勢いるでしょう? 私たちは、その人たちのおかげで生きられているということも忘れてはならないのよね」

「それは僕に協力してくれるということですか?」

 アンナ先生がコクリと頷いた。

「これは私にとっても同じことなのよね。目の前に溺れている生徒が二人いて、その二人を同時に助けることは不可能だけど、どちらか一人を助けることが可能ならば、確実だと思える方法で助け出さなければいけない。それが私にとって残された唯一の選択なのよ。それ以外にどちらか一方を救える方法なんてないものね。ただし迷いもあるの。宇宙人の存在を今さら信じないとかではないわよ。あのマリアという子を目の前にしたら、誰だって幻想や幻影などと言えなくなるでしょう。そんなことではなくて、どうしてそれがケント君ではなくてユウキ君、あなたじゃなきゃいけないのかって考えてしまうの。私にはどちらかなんて選べないし、考えたくもないことなのよ。ねぇ、どうしてケント君ではなくて、ユウキ君が死ななければいけないの?」

「それはきっと、僕がケント君のことを好きだからだと思います。恋愛感情のある同性愛とは違いますよ。そういう無理やり型に嵌め込んだような感情ではないんです。『愛する』という感情とも違うんですよね。単純に『好き』という感覚だけなんです。だって、感情を型に嵌め込んで分類するって酷くつまらないと思いませんか? 分類したがる人というのは、僕たちを標本にして綺麗に並べたがっているだけなんですよ。だから、僕がどんな人間かなんて興味がないんです。大抵の人は地球上にある既存の概念でしかカテゴライズすることしかできないから、同性が同性に対して『好き』と言うと、決まって『同性愛』と名のついたボックスに押し込めようとしてしまいます。考えを超越させたり、飛躍させたりというのができないんですよね。間違っていたらどうしようとか、そんなものはないと断罪されたらどうしようとか、怖くなって、発想を広げることができなくなってしまうんです。僕とケント君は学校や学校以外でも常に一緒にいるので、やっぱり、どうしても周りから同性愛を疑われることがあるんです。実際にからかってくるヤツだっていました。それでもケント君は一切気にすることなく、僕との距離感を変えませんでした。そんなケント君は、僕にとってヒーローのような存在です。嫌なヤツを追っ払ってくれて、僕を笑わすためだけに一生懸命になる時があるんですよ? そんな友がいたら、好きにならずにはいられないじゃないですか。ヒーローだと思えるからこそ、僕だって命を懸けるに値すると決断することができたんです。だから、先生も迷わないで下さい。先生が迷ってケント君に僕の計画を打ち明けてしまうと、結局は二人一緒に死んでしまうことになってしまいますからね」

 こんなにも静かな音楽室は初めてだった。

「あなたがいなくなったことを知ったら、ケント君はどう思うかな?」

「さぁ、それは分かりません。悲しんでくれると思うけど、それよりも先に怒られるような気もします。でも最終的には、僕のことや僕がしたことを許してくれると思いますよ。これまでずっとそうだったんですから、これからだって、ずっとそうに決まっています」

 アンナ先生が虚ろな顔をしている。

「本当に、他に、方法はないの?」

 そのことについては僕だって何度も考えてきたことだ。処刑される期日が迫っていることを踏まえると、隠者と直接交渉するしかないという考えに至ったものの、話したいと思っても現れてくれないので自死するしかなくなったのだ。

「先生は、どうか自分のことを無力だとは思わないで下さい。人間には出来ることと出来ないことが明確にありますからね。今回のように人智を超えた存在と対峙したのならば、何も出来なくても不思議ではありません。当事者に『落ち着け』とか、反対に『冷静だな』と言えるのは、安全な所にいるから思えるのであって、実際に経験していないと分からないことというのはたくさんありますからね。先生は僕の話を信じてくれただけで、やっぱり僕たちの先生はアンナ先生しかいない、って思えました」

 アンナ先生に見つめられているが、それはまるで僕の顔を目に焼き付けているかのようだった。ただしそれは僕も同じで、先生の顔を見なくても思い出せるように、しっかりと瞳の奥に刻み付けた。


 次の日、愛犬のマジックをケント君に預けてから、学校をズル休みして夜見湖畔へ行った。学校をズル休みしたのは生まれて初めてだけど、消失マジックを行う現場を下見しておくためには、どうしても時間を作る必要があった。

 凍った湖を利用した脱出マジックは僕の机上のアイデアにすぎないが、それでもワカサギ釣りで何度も来ている場所であり、凍結した湖面に穴を開ける方法も知っているので、特に問題になりそうなことは何もなかった。

 リハーサルを終えると、せっかくなので人生の最後の釣りを楽しむことにした。いつものようにケント君が一緒ならば天ぷらセットも用意するのだが、この日は僕一人なので釣った魚は小さい子を連れた親御さんにでも貰ってもらうことにした。

「釣れますか?」

「いえ、まだ始めたばかりなので」

 声を掛けてきた人を仰ぎ見ると、隠者が立っていた。

「何しに来たんだよ?」

「そんな冷たい言い方しなくてもいいでしょう?」

「話をする気分じゃないんだ」

「ユウキ君らしくないな」

「僕のことを知りもしないくせに」

「知ってるよ。明日自殺するんだよね?」

 昨日のアンナ先生との会話をしっかり聞かれたようだ。

「本当に自殺しちゃうの?」

 そう言って、隠者が僕の目の前に腰を下ろして体育座りした。

「そのつもりだよ」

「冗談だとは思わないの?」

「思わなかったな」

「へぇ、私のことを信じてくれているんだ?」

「信じてないから死ぬんだろ」

「うわっ、酷いんだ」

「酷いのはどっちだよ」

 隠者がずっと僕を見てニヤニヤしている。

「ねぇ、ユウキ君、本当に死ぬ気なの?」

 隠者のニヤニヤが止まらない。

「私の冗談かもしれないんだよ? 『やっぱり止めた』ってなるかもしれないじゃない」

 その可能性があることは、僕も知っている。

「後悔はないの?」

 もう決めたことなので、後悔はなかった。

「だってキスもしたことないんだよね?」

 答えてやる必要はない。

「それでいいの?」

 隠者が嬉しそうに尋ねた。

「もう決めたんだ」

 その答えに、隠者が可哀想な目で僕を見つめた。

「助けたケント君はレンちゃんとキスをするかもしれないのよ? ユウキ君は何も経験しないで死ぬというのに、ケント君だけ色んな経験をしてもいいというの? 近いうちにセックスだってしちゃうかもしれないのよ? それでなんとも思わないでいられる? ユウキ君に対しては、そりゃあ一年くらいは暗い顔をして事あるごとに考えるでしょうけど、来年の夏ごろにはすっかり忘れるんじゃないの? それで命日の時だけ思い出したかのように感傷に浸るのよ。ケント君に限らないけど、人間自体がそういうの好きじゃない。そんな人のことを大切な命を懸けてまで助けてどうするのよ? ユウキ君のことなんかすぐに忘れて、新しい友達とワイワイ過ごすに決まってるでしょ。そんな身勝手な人のために死ぬなんてバカらしいよ。絶対に止めた方がいい。後悔するって」

「ケント君はそんな人じゃないよ」

「人間なんてそんなもんなんだって。助けてもらったところで、一時的には感謝するでしょうけど、毎日ユウキ君のことを思い続けることなんてないんだから。血の繋がりがなければ、墓参りも数年で行かなくなるでしょうからね。それに、ケント君はカッコイイから女の子にモテるようになるわよ。そうしたら快楽の味を覚えるだろうし、その味が忘れられなくなって、快楽を求めるだけの男になるかもしれないじゃない。本当にそんな人を助けても大丈夫かな? 心配にならないの? ケント君が今のままの性格でいるとは限らないじゃない。それどころか、ケント君が大人になったらさ、つまらない女と付き合って、ベッドの上でユウキ君の悪口を言うようになるかもしれないわよ? たとえばだけど、『宇宙人の話を真に受けて自殺した同級生がいる』なんてね。その時には、もう友達だったという過去さえも改変されているの。そうなるとケント君と友達だったという事実は、あなたの思い出の中にしか存在しなくなるわけ。死んでしまえば、その思いでさえも消えてなくなってしまうのよ? ねぇ、誰かを助けて死ぬなんて、バカらしいことでしょう?」

 悔しくて堪らなかった。

「だからさ、ケント君なんかのために死ぬなんて止めなさいよ。あなたのキレイな命を懸ける価値なんて、コレっぽっちもないんだから。ユウキ君の思いは、少しも感じていないのよ? だって、彼ったら頭の中はレンちゃんのことでいっぱいなんだもん。それより私たちで協力して、ケント君を殺してしまいましょうよ。相手のことを思えるユウキ君が生き残った方が、アンナ先生だって納得できるんじゃないかな? それに死んじゃったら、先生のピアノを二度と聴けなくなるじゃない。それでもいいの? 音楽を聴いていたいというだけで、生きていたいという理由になり得るでしょう? 他にも美味しい物を食べたいと思わない? 女の子の裸だって見たいんでしょう? 黙ってないで、正直になりなさいよ。誰もあなたを欲深い人だなんて思わないわよ。みんなそうしているんですもの、あなたを責められる人が、この世の中のどこにいるというの? ユウキ君が一緒にケント君を殺してくれるというのなら、望むものをすべて叶えてあげてもいいかな。全部はきりがないけど、人間が自力で叶えられる程度の望みなら、この私が叶えてあげるわよ。だから一緒にケント君を殺しましょう」

 そう言って、隠者は小首を傾げながら僕の答えを待つのだった。

「残念だけど、僕は君の期待には応えられないよ。なぜなら、人間には想像力というものがあるからね。こんなちっぽけな僕にも、ちゃんと想像力は備わっているんだ。だから君が望むような行動は取らない。少しの想像力だけでいいんだ。ケント君がいない未来を想像して、その世界で僕は何を思うだろうか? と考える。するとどうしたって、その後の人生で笑うことなんてできない、っていう結論に到達する。だって、友を殺して生きるなんて、僕にはできないからさ。誘惑に負けそうになる自分がいるのは確かだよ。いや、誘惑というよりも願望かな? 大きな舞台に立ちたいと思うし、たくさんのお金だって欲しい。多くの人から称えられたいし、小さな子に夢を与えられる人になりたいとも思う。女の子にも触れてみたいし、そこで愛されているという実感を得られたら最高だろう。そんなことを想像しただけで死ぬのが惜しくなる。それとは別に、少しだけケント君のことを疑ったのも事実なんだ。迷わないなんて無理だからね。それでも、それでも、それでも僕は友を殺せないんだ。僕には魔術師になるという夢がある。叶わなくても夢は夢だ。夢というのは、持った時点ですでに始まっている。だから今の僕には、その職業を汚すことはできない。その仕事は人を裏切ることではないんだ。人を騙して傷つけることでもない。魔術師というのは、誰も見たことのない世界を創り出すことなんだ。だからケント君には、僕が救った後の世界で生きてほしいと思っているんだよ」

 僕の言葉に、隠者が退屈そうな顔をした。

「これだからユウキ君はつまらないのよね。本当は自殺を止めさせて、ケント君に心変わりしたことをバラしてから、二人とも一緒に殺してしまおうと思っていたの。そうすれば気まずいまま死ぬことになるでしょう? それなのに、君の真面目な性格のせいで計画が台無しよ」

 そう言うと、隠者は怒った顔をしてどこかへ行ってしまった。



 翌日、同じ場所でケント君の到着を待った。この日が会って話をする最後の瞬間となるが、いつも通りに接することを心掛けないといけない。それは友に僕が自死することを決して悟られてはいけないからだ。

 僕は魔術師なので、そんなことは簡単だった。無表情すぎてもいけないし、陽気すぎてもいけない。生まれて初めて消失マジックに挑戦するので、少しだけナーバスになっている状態が一番自然に見えるだろう。

 ケント君が来る前に、アンナ先生と会って最後の挨拶をしておいた。打ち合わせ通りに黒い服を着て来てくれて、おまけに僕の髪型に似せるために軽くパーマまでかけてくれた。白塗りの化粧までしてくれるというので、そこで消失マジックの成功を確信することができた。

「やぁ、ケント君、時間通りの到着だね」

 魔術師の衣装を着ているので、芝居じみた挨拶にしたのも計算だ。

「晴れて良かったよ」

 ケント君の顔に、不自然な様子は見られなかった。

「ちゃんと散歩に連れて行ってくれた?」

「うん。後は家で大人しくしてくれているといいんだけどね」

 それから預けた犬の話をして、マジックショーのリハーサルをしてから、昼食の時間が過ぎるのを待った。食事が終わらないと観客の集まりが悪くなってしまうからだ。全員を集めることは叶わないが、百人くらいには観てもらいたいと思っている。

「面倒なことを押し付けてしまって、ごめんね」

 いつも通りでいようと思っていたのに、つい謝ってしまった。

「謝ることないさ。有名マジシャンになったらカニでも奢ってもらうからさ」

 ケント君の方は、いつもと同じ優しいケント君のままだ。

「その時、ケント君は何をしているのかな?」

 それは僕のいない未来でもある。

「俺は平凡でいいや。子どもにユウキのマジックを見せることができたら最高だ」

 そうなるように僕も祈る。

「そんな日が来るといいね」

 でも、子どもにマジックを見せるという約束はできなかった。

「きっと来るさ」

 その言葉に申し訳ない気持ちになった。

「でもそんな遠い未来の話じゃなくてさ、ユウキが札幌の高校へ行ったら、なかなか会えなくなるわけだろう? 交通費だってバカにならないし、会って話をするだけでも貴重な時間になると思うんだ」

 ケント君とのすべての時間が貴重だったと、今さらながら思うことができた。

「高校に入ったらスマホを買ってもらえるって言うけどさ、それで毎日連絡することはできるけど、俺はユウキと話をする時、どうしても身振りや手振りを交えて、もっと言うと顔で笑わせたい時もあるわけだからさ、すごいストレスが溜まると思うんだ」

 僕を笑わすことに一生懸命になってくれるのがケント君だ。

「でも仕方ないよな。長い人生のうちの三年くらい会えない日があったって、俺たちの間には何も変化は起こらないさ。その三年間で、俺も文字だけで笑わせたり、楽しませたりする力を身につけてみせるよ」

 死ぬまで友でいてくれると聞けただけで、僕は満足だった。

「ユウキと会ってた時間がなくなるっていうことは、その分だけ暇になるだろうからさ、高校に入ったらすぐにバイトをしようと思うんだ。夏までに十万円くらい貯まるとしてさ、そのお金を使って夏休みにどこかへ行かないか?」

 ケント君の予定表の中に僕がいるということが、ただただ嬉しかった。

「まさか、一年の夏から受験勉強で忙しいわけじゃないんだろう?」

「うん? うん」

「だったら今から計画を立てておこうよ」

「そうだね」

「ユウキは、どこか行きたいところないのか?」

「どこがいいかな?」

「海はなしだぞ」

「だったら山はどうかな?」

「山かぁ」

「羊蹄山の山頂で夜空を見上げると、星を掴めるって言うよ」

「いいね」

「じゃあ決まりだね」

「ああ、約束だ」

 何気ない会話の一つ一つが、僕たちにとって大切な宝物だった。

 日常とは決して当たり前ではなく、すべてが輝かしい瞬間の積み重ねだ。

 幸せとは、好きな人の瞳の中に自分が映し出されることなのかもしれない。

 会話を終えると、白塗りの化粧をして、魔術師へと変身してみせた。

 その間に、ケント君がテントの前にたくさんのお客さんを集めて来てくれた。

 希望した数の半分くらいの人数だったけど、それで充分だ。

 これから僕の最期の魔術が始まる。


「マジックショーへ、ようこそ」



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