表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タロットゲーム  作者: 灰庭論
第1巻 魔術師編
6/60

SIDE OF THE MAGICIAN   魔術師

 マリアこと隠者が持ち合わせのお金を持っていないということで、結局は僕とケント君でレンちゃんだけではなく、隠者の分までバス賃を支払うこととなった。余計な出費だったが、何事もなくレンちゃんと別れることができたのでホッとしている。

 家に帰って部屋の中で一人きりになったけど、不思議と先週まで感じていたような恐怖心に見舞われることはなかった。むしろ喜びに満ち溢れた充実感すらある。何気ない日常が突然輝き出す感覚だ。

 ふかふかのベッドや、使い慣れた枕、本棚に並べられたマンガや本、それにF1のクラシックタイプのプラモデル。オーディオ機器や学習机まで愛おしく感じられた。しかも自分の顔を鏡で見ると、それほど悪くないようにも思えた。

 こんなにも世界が美しく感じられるのはなぜだろうか? 色々考えてみたが、やはり隠者のおかげかもしれないという結論に至った。いや、隠者のやっていることは許されるべきではない行為だ。それは知っている。

 でもそれと同時に、僕に喜びを与えてくれたのも確かなのだ。特にケント君との殺し合いだ。隠者が言うには、僕たちの命は残り一週間だそうだ。そう言われても、今回はまったく怖いとは思わなかった。おそらくケント君も同じ気持ちだろう。

 僕が喜びを感じるのは、最悪の場合でもケント君と一緒に世界の終わりを迎えられるからだ。それほど心強い終焉はないだろう。大切な友を失うことなく人生を終えることができるならば、それに勝る幸せは、今後訪れることはないと知っているからだ。

 それとは別に、ソウ君の笑った顔が忘れられなかった。僕が同じ病気になったら見舞客とは会いたくないだろうし、相手をするだけで気疲れを起こしてしまうだろう。それなのにソウ君は、僕たちに心から感謝してくれているように見えた。

 ソウ君を見ていると、なぜ人間が大切な人のために百度参りしようと思うのか分かった気がした。それは自らに痛みを与えることによって大切な人の痛みが軽減するように、神さまに均衡を願うためではないだろうか。

 恵まれない子どもたちが暮らす『神さまの家』にいたソウ君には、百度参りをしてくれるような家族がいるのだろうか? 迷信を信じているわけではないけれど、そのことばかり気になって仕方がなかった。


 翌二月十三日の火曜日は、いつもと変わらない朝だった。夜明け前にマジックと共に家を出て、ケント君と合流して実習林のハイキングコースへ向かう。習慣通りの行動ができることに無上の喜びを感じられた。

「何か心配事でもあるの?」

 僕と違ってケント君は浮かない顔をしていたので声を掛けた。

「隠者だよ、アイツなに考えてんだろうな」

 参っているというよりも腹を立てている感じだ。

「何がマリアだよ」

 僕たちが立っている場所は、先週ノートを燃やした小川のほとりだ。辺りは薄暗いけれども、散骨するかのように川に灰を流した痕跡は、今も雪の上に残っている。誰にも見られていないのに、隠者にはバッチリ見られていたわけだ。

「俺、正直にレンちゃんに話しちゃおうかな?」

 相談する風に尋ねたけど、こういう時は答えが決まっていることが多い。

「正直にって、ウサギのこと? それともノートのこと?」

「ウサギ殺しだよ。さすがにノートのことは言えないな」

「じゃあ思いを伝えるとかではないんだね」

「うん。思いを伝えても『ありがとう』で終わりそうだし」

 気落ちしたように呟いたのは、レンちゃんがソウ君に好意を抱いていると思ったからだろうか? レンちゃんの気持ちはレンちゃん本人にしか分からないことだけど、昨日のソウ君との関係を見て、僕はケント君が気に病むことを予想できていた。

「それより隠者だよ。アイツに好き勝手させないためにも、俺からレンちゃんに話してしまった方がいいと思ってさ。だってそうだろう? 俺たちがいないところでアイツがレンちゃんに接触することだって考えられるんだ」

「先に手を打っておこうっていうわけだね」

「まぁ、このやり取りも聞かれているんだろうけどさ」

 黙って実行に移すこともできたのに、それにも係わらず話してくれたことが嬉しかった。

「隠者のことはもういいや。それよりもレンちゃんのことだ。俺が悩んでいるのはさ、レンちゃんにウサギ殺しを告白することはいいんだよ。きっとレンちゃんのことだからゆるしてくれるに違いない。それどころか犯した罪を悔いるよりも、正直に告白したことを褒めてくれるかもしれないんだ。でもそんな風に勝手に考えてしまう自分が心底嫌いになるんだ。俺は人が飼っているペットを盗んだわけだから悪いことをしたのに、懺悔する相手がレンちゃんのような慈悲深い人だからっていう理由だけで、告白する前から赦された気になってるんだもん。こんな自分勝手な男はいないと思うよ。仮に俺の女神がレンちゃんだとして、だとしたら神さまを信じるってなんなんだろう? 俺は勝手に信じて、勝手に告白して、勝手に赦された気になっているわけだろう? それのどこに神さまがいるっていうんだ?」

 僕も先週からやたらと神さまについて考えるようになったけど、ケント君も同じようだ。

「まぁ、隠者がマリア様ではないことは確かだけどな」


 その日の放課後、担任のアンナ先生に大事な話があったので音楽室へ行った。翌日は私立の受験日なので、学校が休みだからだ。音楽室へ行くと、先生はいつもと変わらない様子でピアノを弾いていたので、曲が途切れるのを待ってからドアをノックした。

「あら、ユウキ君、どうしたの?」

「いつも先生の練習の邪魔ばかりしてごめんなさい」

 言葉だけではなく、戸口に立って一礼した。

「そんなこと気にしなくていいのよ」

 いつもと変わらない先生の笑顔にも輝きを感じた。

「今日はどうしたの? また弾いてほしい曲があるのかな?」

「いいえ。今日は先生に謝りにきました」

 口にした瞬間、先生の顔が曇ってしまった。

 まだ謝っていないのに、大好きな先生の笑顔を消してしまって胸が痛くなった。

「謝るって、私に?」

「はい」

「私、ユウキ君に謝られるようなことされた覚えがないんだけど」

「それはこれから謝るようなことをするかもしれないということです」

「とりあえず座りましょうか。もっと近くで話しましょう」

 そう言うので、僕と先生は生徒用の椅子に並んで座ることにした。背格好が似ているので、先生が制服を着ていれば同級生に見えるかもしれない。でもアンナ先生のようなクラスメイトがいたら臆して話し掛けられなかったので、今は先生と生徒の間柄で良かったと思っている。

「謝るようなことをするかもしれないって、どういうことなの?」

「それは先生の初めての思い出を台無しにするかもしれないということです」

「初めての思い出? 台無し? う~ん、分からないな」

 先生の小首を傾げる仕草がとても可愛らしかった。

「もっと具体的に教えてくれる?」

「来月、先生にとって初めての卒業式がありますよね?」

「うん、教師としてのね。考えると泣きそうになるから考えないようにしてるの」

 アンナ先生にとって僕やケント君たちは初めての教え子で、三年間クラスを共にして、来月卒業することになっている。つまり先生にとって初めての卒業生が僕たちになるというわけだ。無事に送り出すことができて、先生もホッとしていることだろう。

「卒業式がどうしたの?」

 先生を不安な顔にさせて居た堪れない気持ちになった。

「もしかしたら僕たち、式には出られなくなるかもしれないんです」

「式に出られなくなるって、どういうこと? 僕たちって、他に誰?」

 いつもは穏やかなアンナ先生が興奮している。

「僕とケント君の二人です」

「どうして? 何があったの?」

 どこまで話していいのか分からないし、そもそもどこから話せばいいのかも分からなかった。

「ユウキ君、聞かせてくれる?」

 僕を見つめる先生の目が真剣なので、包み隠さず話してしまおうと思った。

「先々週、僕たちはUFOを見たんです」

「UFO? それで?」

 話の導入が非現実的なのに、先生の表情は一切変わらなかった。

「豆まきがあった日の夜、僕たちの部屋に宇宙人が現れました」

 そこで先生の反応を待ってみた。

「続けて」

 先生は、人の話は最後まで聞くようにと教えているが、ちゃんと自分も実践しているようだ。

「ケント君は、その宇宙人を『隠者』と名付けました。その隠者が僕たちに指令を出したんです。それは飼っている犬を一週間以内に殺さなかったら、その時は僕たちのことを殺す、っていう強制的な命令です」

「今日は十三日ね」

「はい。僕たちは殺されませんでした。それはケント君に与えられた指令と僕に与えられた指令が公平ではないから、という理由で隠者自らが撤回したんです。でも次に出された指令が、僕とケント君で互いに殺し合えというものでした」

「それも一週間以内っていうことなの?」

「はい。次の日曜日。正確には日付が変わる月曜日までに、どちらかが、どちらかを殺さなければ、二人とも殺されます。ただ、前回は殺されると言われて殺されなかったので、僕たちも本当に殺されるか分からない状態なんです」

 アンナ先生は僕の話を聞いて、ここまで一度も笑ったり疑ったりしなかった。

「もしも本当に僕たちが殺されてしまうなら、その時は卒業式に出られなくなるんです。それで先に謝っておきたくなりました。僕たちが式に出られなくても、それは先生の責任ではないって言っておきたかったんです」

 先生が哀しげに微笑んだ。

「私の心配をしている場合じゃないでしょうに」

 先生が僕の荒唐無稽な話を心から信じたとは思わない。でも信じるとか信じないとか、そんなことはどうでもよかった。僕は先生が真剣に話を聞いてくれたことが何よりも嬉しかったのだ。他のクラスの先生なら話す気にもなれなかっただろう。

「その隠者っていうのは今どこにいるの?」

「知らないです。突然現れては消えてしまうので」

 居場所を知っていて教えることができたら先生は会いに行ってしまいそうだ。

「やめさせる方法はないの?」

「分かりません」

「ケント君は今どこにいるの?」

「明日受験があるので僕一人で来ました。相談せずに来たので先生に打ち明けたことは知りません。だからできれば、ケント君には内緒にしてもらえませんか? ケント君はケント君で自分の口から打ち明けたいと思うかもしれませんから」

「分かった。内緒にする」

「他の人にも秘密ですよ?」

「心配なら約束しようか?」

 そう言ってくれたので、先生と指切りをした。

「だったら先生とも約束してくれない?」

「何をですか?」

「もしもその隠者っていう宇宙人が現れたら、先生のところに来るように言ってほしいの」

 これはどっちなのだろう?

 先生の眼差しは真剣だった。

 でも本気で信じているとも思えない。

 おそらく、僕の話を真面目に聞いている、と証明したいだけではなかろうか。

「ほら、早く約束しましょう?」

 先生がせっつくので、とりあえず指切りをした。

「話をして、少しは気分が楽になったかな?」

「はい」

「それなら良かった」

 実際に、これで思い残すことはない、と思うことができた。

「ユウキ君は日曜日に受験でしょう? ちゃんと勉強しないとダメよ」

「はい、先生」

 その別れの一言で納得することができた。どうやら先生は、僕のことを受験ノーローゼになっていると思ったようだ。だから笑わずに真剣に話を聞いてくれていたわけだ。先生にとっては初めての卒業生の前に、初めての受験生だということをすっかり忘れていた。

 でもそれは誤解だけど、そう思われる方がまだマシだった。レンちゃんの前に隠者が現れたように、先生の前にも現れないとは限らないからだ。だったら誤解されたまま、巻き込まないようにした方が先生のためにもなりそうだ。

 僕たちがいない卒業式で先生に責任を感じてほしくなかったので、話をしたこと自体は後悔していない。しかしこれからは受験ノイローゼを装って、先生に隠者を近寄らせないようにした方がいいだろう。

「でも勉強ばかりじゃ気が滅入るわよね」

 そこでアンナ先生が何やら思い出したようだ。

「そうだ。明日バレンタインデーなのよね。『神さまの家』でチョコレートケーキを作るみたいなんだけど一緒に遊びに行かない? 行くと子どもたちが喜ぶと思うし、何よりユウキ君にとっても受験の合間の息抜きになると思うのよね」

 完全に受験ノイローゼを心配されているみたいだ。

「それなら昨日レンちゃんにも誘われました。ケント君も一緒に誘われたんですけど、受験日なので『必ず行く』とは言いませんでした。僕は一人では行かないと決めているので、試験が終わったら改めてケント君を誘ってみたいと思います」

「そう、じゃあ先に行って待ってる」


 翌日は一人でマジックを散歩に連れて行って、帰ってから新しい手品のアイデアを考案することに時間を費やした。それが今の僕にとって最も有意義だと思える時間の使い方だった。隠者が現れなくても同じように過ごしていただろう。

 五日後には死んでいるかもしれないという状況で、普段と変わらない生活を続けられることに、喜びを感じている自分がいる。それは人生の征服者になったような感覚でもある。さらに言うならば、なにものにも支配されない精神の逞しさでもあった。

 それから正午を回ったので、試験会場まで行ってケント君を迎えに行くことにした。ケント君はスマホを持っているけど、僕は志望校に合格するまで親が待たせてくれないので、手軽に連絡を取り合うことができないからだ。

 ケント君が受験した白鳥学園高校は、家から徒歩十分の距離にあり、河の手前側に建っている。位置関係で言えば、実習林の旧ゴルフ場入り口に建っているので『神さまの家』へ行くまでの途中にある高校といった感じだ。


挿絵(By みてみん)


 僕たちが暮らす地域は、ゴルフ場があった頃は何もない土地だったらしいが、経営破たんした二十年前から、土地価格が安いということもあり、一気に新興住宅地になったという話だ。そのせいか駅周辺の古びた街並みに比べて、真っ白でキレイな建物が多い印象がある。

 白鳥学園に行くと、まだ試験の最中だった。学科試験は午前中に終わっているはずだが、まだ面接が残っているようだ。校門で待っていると、少しずつ受験生が帰り始めていたので、ケント君もそのうち出てくるだろう。

「ごきげんよう」

「こんなところで何をしてるんだ?」

 声を掛けてきたのは隠者だった。学生カバンをぶら提げて、他の中学生の中に自然と溶け込んでいるのでまったく気が付かなかった。コートの下にはちゃんとセーラー服のスカートまで履いて受験生になり切っている。

「初めてテストを受けたんだけど、満点を取ったら怪しまれるからわざと間違えようとしたんだけど、それが思いのほか難しいのよね。地味で目立たないようにするにも、それはそれで苦労する世界なんだと思ったわ」

 言っている意味が分からなかった。

「そんなに驚くことないでしょう? 春から高校生になるなら一緒の学校に通った方が面白そうじゃない。ユウキ君の受験日は日曜日だったわよね? その日もテストを受けに行くから、一緒に頑張りましょうね。あっ、私は頑張っちゃいけないんだった」

 隠者は先程から何を言っているのだろう?

「でもこのままだと殺し合うことはなさそうだから、二人とも死んでしまいそうね。死んでしまうというか、私が殺すんだけど。だから一緒に高校へ通うことはなさそうな感じかな。でもいいの、どちらにしても二人が死んだら新しい獲物を捕獲しないといけないんですもの」

 ――新しい獲物。

「だからムダになることはないの。ここの高校は制服もカワイイから着てみたかったしね」

「どうやって試験を受けたんだよ? 席は? 受験票は?」

「そんなの、データを書き換えて、書類を作ればいいだけじゃない」

「君は実在するのか?」

「そうじゃなくて、私が実在させたのよ」

「君は誰だ?」

「私は戸隠とがくしマリアだって。戸籍上はそうなってるわね」

 昨日レンちゃんがいる場で「マリア」と名乗ったが、すでに戸籍まで作り上げて、僕たちと同じ高校へ行く計画を立てていたようだ。隠者は消えて実在しない姿になることはもちろん、戸籍を作って実在させることも可能な存在ということだ。

「それよりさ、昨日アンナ先生のところに行って私のことを告げ口したでしょう? アレどういうことよ。私たちの問題を先生に言うって卑怯じゃない? ユウキ君がそういうことをする人だとは思わなかったからショックだったよ」

「あれのどこが告げ口なんだよ。僕たちが死ねば家族だけじゃなくて、先生も苦しめてしまうんだ。君がどんな形で僕らを殺すのか分からないけれど、自殺として処理されるような死に方ならば、周囲の人間は理解に苦しむだろうさ。特にアンナ先生は自分に非があったのではないかと考えるタイプの人だから、生徒に黙って死なれただけでも自分を責めてしまうに違いないんだ。だから告げ口なんかであるものか。君がそんなことも分からずに、僕を卑怯者呼ばわりするなんて、その方が何倍もショックだよ」

 言い負かしたつもりなのに、隠者は薄笑いを浮かべていた。

「なによ、カッコつけて。そんなこと言っても、本当は女の先生から心配してほしかっただけなんじゃないの? 優しい言葉を掛けてもらいたかったから、自分から甘えに行ったんでしょう? じゃなきゃケント君に内緒にすることないもんね」

 心の中で否定していたことをズバリ指摘されてしまった。先生のことを心配しつつ、本当は慰めてほしいという気持ちがどこかにあった。制服の上でもいいから抱きしめてほしいという願望もあった。

「ケント君に内緒にするようお願いしたのは、勝手に先生を巻き込んでしまったことに負い目を感じているからだ。口の軽さは友への裏切りでもあるからね。優しくしてほしいとか、甘えたいとか、そういうレベルの話じゃないんだ」

 僕の嘘を見抜いているかのように、隠者がニヤニヤしている。

「まぁ、私はどっちでもいいんだけどね。ケント君との友情にヒビが入るような事態になった方が面白いだろうしさ。とにかく今日を入れて後五日しかないんだから、最後まで楽しませてちょうだいよね」

 試験を終えた受験生が、僕たちのことを横目で見て通り過ぎていく。傍目からはどう映っているのだろうか? 僕は処刑を待つ身だが、彼ら彼女らの中にも同じくらいの重圧を感じている人もいるだろうから、ただの同じ受験生にしか見えないのかもしれない。

「そうだ。私もケント君と同じ高校を受験したことを内緒にしちゃおうかな?」

 隠者だけは楽しそうなので、周囲から異様に映っているに違いない。

「入学式の日にケント君を驚かせたいから黙っててくれない?」

「君の悪趣味に、これ以上付き合うつもりはない」

「ひどいんだ」

 そう言うと、分かりやすく口を尖らせた。

「酷いのは君だろう? 家族以外にも大事な人がいることに気付かせてもらったけど、だからといって感謝したり許したりしないんだ。それはつまり、君の存在とは別に、いずれ僕たちが独力で気が付くことだろうからね」

「ほら、またカッコつけるんだから。本当は私の存在を畏怖しているクセに、なんでもないって顔をするのよね。でもいいわ、どうせ二人とも殺さないといけないんだし、だったら内緒にしておく必要がないんですもの」

 そう言うと、後ろをチラッと振り返った。

「ケント君の面接が終わったみたい。私は次の計画があるから先に帰るわね」

 そう言って、消えるではなく歩いて帰って行った。それから間もなくして、隠者の言葉通り、試験を終えたケント君が校門に向かって歩いてくるのが見えた。浮かない顔をしているから心配したが、それがいつもの表情だったことを思い出して気に掛けるのをやめることにした。

「試験どうだった?」

「うん、マァマァかな」

 ケント君のマァマァは、本当にマァマァのことが多いので心配はなさそうだ。

「それより見て。これ貰ったんだ」

 そう言って、コートのポケットから取り出したのは一粒のチョコレートだった。昔から受験のおまじないとして有名なお菓子で、ケント君の手の平の上にあるのは、そのお徳用の小分けに包装された物である。

「誰から貰ったの?」

「うん? 松坂さん」

「うそ?」

「女子にも配ってたから、義理だけどね」

「義理でもいいな」

「ユウキの分も預かってるよ」

「本当に?」

「うん」

 そう言って、別のポケットから同じチョコレートを取り出した。

「ほら、裏にちゃんと名前が書いてあるだろう?」

「本当だ」

「明日お礼を言わなくちゃ」

「うん。お返しは春休みだからできないけどね」

 春休みの前に死ぬかもしれない、と言わないのがケント君らしい。

「バレンタインデーのチョコなんて生まれて初めてだよ」

「俺も」

「義理チョコでも嬉しいものなんだね」

「うん。でも松坂さんがチョコを配るような人だとは思わなかったな」

 僕もケント君の印象と同じだ。冷たい感じの優等生なのでイベント事には一切興味がない人だと思っていた。しかも受験に御利益があるというチョコレートを配る心遣いまでしている。たったそれだけでガラッと印象が変わった。


 それからケント君の家に行って暖を取った。『神さまの家』に行くことは決まっていたが、その前に制服から私服に着替えたいとケント君が言ったからだ。それでもまだレンちゃんにウサギ殺しを告白するかは聞いていない。

「聞いてもらってもいい?」

 僕もケント君に告白することがあった。

「隠者のことか?」

「うん」

「聞くよ」

 リビングにあるストーブの前で僕たちはお茶を飲んでいる。ジュースや炭酸飲料じゃないのは、ケント君が「日本茶が一番美味しい」と言ったからだ。その場で僕も同意したけど、本当は他の飲み物でもよかった。

「実は昨日の放課後、アンナ先生のところに行って隠者のことを話してしまったんだ。UFOのこととか、宇宙人のこととか、ケント君が『隠者』と名付けたことまで話しちゃったんだ。相談もせずに他人に話して悪かったと思ってる。本当にごめんなさい」

 それを聞いたケント君は平然としていた。

「他にはどんなことを話した?」

「ウサギのことは言ってないよ。でもペットを殺さないと殺されるって脅されたことは話した。それから僕たちが殺し合いをしないと殺されるということも話したし、その期限が日曜日までだっていうことも話しちゃった」

 僕が説明している間、ケント君は淡々と頷くだけだった。

「それを聞いた時の先生の反応は?」

「受験ノイローゼを心配されちゃったよ」

 そう言うと、ケント君は大笑いした。

「笑い事じゃないよ」

「ごめんごめん」

 謝りながらもケント君は笑い続けた。

 やがて笑いが収まると、今度は真剣な顔つきで口を開いた。

「でもその先生の反応が、まともな大人の当たり前な感覚なのかもしれないな。俺たちが両親に話さないのも余計な心配をさせたくないからだろう? もしも話したら、ウチの親も先生と同じような反応をすると思うんだ」

「ウチはどうだろう? お母さんは心配するけど、父さんの方は最後まで話を聞いてくれないと思う。二人の兄さんに至っては、周囲の人間に吹聴して僕のことをバカにすると思うよ。未だに六年前にしたおねしょを言いふらして笑うくらいだからね」

 前にその話をしてからケント君は、僕の二人の兄を嫌いになってしまった。

「そういう意味では、俺たちのクラス担任がアンナ先生で良かったのかもしれないな。ユウキが先生に打ち明けた理由も理解できる。もしも隠者が俺たちを殺すようなら、先生がショックを受けて一生つらい思いをするかもしれないもんな」

「そうなんだ。やっぱりケント君も同じように考えてくれていたんだね。こんなことなら内緒にせずに、初めから相談して打ち明ければ良かったよ。実は『打ち明けたことをケント君には内緒にして』とお願いしたんだ。ごめんね、本当に余計なことをしちゃったみたい」

 ケント君が優しく見つめてくれている。

「謝ることないさ。ユウキがこうしようと思ったら、俺に断りを入れる必要はないんだ。そんなことでギクシャクする間柄でもないだろう? ユウキはユウキで好きなようにしてくれた方が、俺としては嬉しいよ」

 その言葉を受けて泣きそうになったけど恥ずかしいから涙を堪えることにした。

「俺も勇気を出して、レンちゃんに正直に打ち明けないといけないな。でも怖いのはさ、ネットで調べたんだけど、俺がやった行為は刑法で裁かれてしまうということなんだ。ペットの場合は愛護動物で、それ以外の動物でも器物損壊に当たる。つまりどちらにせよ、罪は罪なんだ」

 ケント君は隠者に殺されるかもしれないという怖さよりも、自分が犯した罪が暴かれて公の場で罰せられることに恐怖を覚えているように見えた。これは、どちらの方が想像しやすいか、の違いなのかもしれない。

 決して、死ぬことや殺されることが怖くはない、というわけではないだろう。それよりも警察に捕まってしまうかもしれない、という恐怖の方が身近に感じられるわけだ。それはおかしな心の有り様ではない。怖いものは怖いというだけだ。

「ウサギの肉を食べて死骸の処理をしたのは僕も同じだから、ケント君だけの罪ではないよ」

「でも手伝うように命じたのは俺じゃないか」

「命令したのは隠者さ」

「それが証明されたとして、俺は無罪といえるだろうか?」

「殺さなければ、殺されていたんだよ?」

「それでも罪を犯すべきではなかったと思う自分がいるんだ」

「それは助かったから、そう思えるようになったんだよ」

「確かに、そう思うようになったのはここ数日だけど」

「もし裁かれるなら、その時の状況も吟味されるべきなんだ」

「問題は――」

 そこでケント君の言葉が途切れてしまった。

「レンちゃんがどう受け止めるかっていうこと?」

 僕の言葉にケント君がコクリと頷いた。

「これが醜い心の持ちようだということを承知で話すと、レンちゃんに正直に打ち明ければ赦してくれる、というのは前にも言っただろう? 問題はそれを言ってしまえば、今後レンちゃんとは恋愛関係になれないんじゃないかと思って躊躇しているということなんだ」

 ケント君は恋に対しても怖さを感じていたというわけか。

「そう考えるとズルい自分が頻繁に顔を出すんだ。『黙っていることは騙していることにはならない』とか、『罪を打ち明けるのは親密になってからでもいいんじゃないか』とか、全部自分に都合のいいように考えてしまうんだよ」

 そこで深呼吸のような大きなため息をついた。

「でもケント君はレンちゃんに正直に打ち明けようとしている、でしょう?」

「うん」

 そう答えた友を、僕は誇らしく感じた。

「でも怖いんだ。怖くてすぐに迷いが出てしまう。今すぐ家を出ることはできる。その足で『神さまの家』に行くことだってできるだろう。でもレンちゃん本人を目の前にしてしまうと、俺は何も言えなくなるに違いないんだ」

 僕はケント君の正直さが羨ましいと思った。

「ユウキ、お願いだから俺に力を貸してくれないかな? そばにいてくれるだけでいいんだ。レンちゃんにウサギ殺しを打ち明ける時、ユウキがそばにいてくれるだけで、今この瞬間のように、なんでも正直に話ができるような気がするんだ」

「僕は構わないよ。むしろ僕はいつだってケント君のそばにいたいと思っているんだ。それにケント君がウサギ殺しに罪の意識を持っているのなら、僕だって同じ罪を持ちたいと思っているんだ。だから一緒にレンちゃんに打ち明けてしまおうよ」

 ケント君の顔が晴れやかになった。僕の言葉で少しでも気持ちが軽くなったとしたら、それ以上に嬉しいことはない。友を支えるだけの人生でも悪くないと思えるからだ。そもそも、そういう生き方に喜びを見い出すことができたのは、ケント君のおかげなので当然の帰結だ。


 それから僕たちは徒歩で『神さまの家』へ向かった。ちょうど中学校の下校時間でもあるので、僕たちが到着する頃にはレンちゃんも帰宅していることだろう。チョコレートケーキを食べられる日なので、お腹は空かしておいた。

 他の地域は知らないけれど、僕らが暮らす地域は降雪量が少ないので、冬でも自転車を乗り回すのが一般的だ。しかしケント君と一緒の時は、滅多に自転車を使うことはない。それは会話ができなくなるからだ。

「レンちゃんへの懺悔だけど、どこまで話をすればいいかな?」

「始めから話した方がいいと思うよ」

 雪道は足元を見て歩くので、互いの表情は確認できない。

「ユウキは先生にすべて話したんだっけ?」

「うん。宇宙人の存在もね」

「信じてくれるかな?」

「信じてくれなくても、正直に話すことの方が大事なんじゃない?」

「下手な言い訳をしていると思われるのが嫌なんだよ」

「だったら、その気持ちも正直に言えばいいんだ」

「そっか、そういうことか。難しく考える必要はなかったんだ」

「うん。ありのままでいいと思う」

「それはそれで、受け入れてくれなかった時のショックは大きいだろうけどさ」

「僕は支持するよ」

 そう言うと、ケント君は沈黙した。その反応を見て、いま発した言葉が適切だったかどうか悩んでしまう自分がいる。相手を安心させたいのは、実は僕自身が安心したいだけのような気がして酷く薄っぺらく感じるのだ。

 僕は本当に相手のことを考えて生きているのだろうか? アンナ先生に打ち明けたのも、ケント君のそばにいるのも、すべて自分のためだけのような気がして自己嫌悪に陥ってしまう。せめてケント君と一緒にいる時だけは、ありのままでいたいと願っている。

 さっきケント君に対して発した「ありのままでいいと思う」というのは、僕自身に向けた言葉だったのかもしれない。すなわちこれがいわゆる一つの鏡面関係ということなのだろうか? だとしたら、ケント君は僕にとっても最も大切な人だといえるわけだ。

 難しく考える必要がなかったのは、ケント君ではなく僕の方だった。相手を自分のことのように思える人と出会えるのは奇跡に近い。だとしたら、僕が相手のことを大切に思う、それだけで良かったということだ。

 相手、つまり自分に見返りを求めたり、何かを望んだりするから、自分を追い込むことにもなり、苦しくなるのだろう。そのことに気が付くと、急に天にも昇る気持ちになった。悔しいし、認めたくないけど、その気持ちに気付かせてくれたのは隠者のおかげだ。


「先生はまだ来てないみたいだね」

 ケント君が『神さまの家』の駐車場を見て呟いた。

「昨日の話だと六時頃になるそうだよ」

「そっか、授業がなくても休みじゃないんだ」

 アンナ先生が到着してからケーキ作りが始まるので、時間はたっぷりとある。まずは隣家に住んでいるホーム長さん夫婦に挨拶をした。それから毎日の食事を作っている調理師の職員さんに挨拶して、その職員さんにレンちゃんを呼び出してもらった。

 潰れた旅館を改装しただけなので、玄関ロビーには会計カウンターや待ち合わせスペースがそのまま残っている状態だ。男児と女児に棟が別れているので、遊びに来る時は勝手に上がらず、呼び出してもらって会うのが決まりになっている。

「よかった。ちゃんと来てくれたんだ」

 ロビーに現れたレンちゃんは、一昨日と同じ赤い丹前に袖を通していた。

「よかったって、心配だったの?」

 ケント君が無口になったので、僕が会話を引き受ける。

「だって『行けたら行く』は期待できない言葉でしょう?」

「まぁ、確かに」

「それに元気がないように見えたから」

「そりゃあケント君は受験前だったからね」

「受験どうだった?」

「うん。マァマァだったよ」

 ケント君がさっきと同じように答えた。

「よかった。悪くなかったんだね」

 レンちゃんがタメ口なのは、僕たちが去年の春に注意したからだ。それまでは他人行儀で笑顔すら見せてくれなかった。秋ごろまではぎこちなかったけれど、クリスマス・イブの日にお泊りして一気に距離が縮まった感じだ。

「早速だけど二人に渡したい物があるんだ」

 贈り物を後ろ手に隠しているが、それがチョコレートであることはバレバレだ。

「なんだろう?」

 それでも知らないフリをした。

「バレンタインデーのチョコレートだよ。ソウ君に渡した物と同じだからサプライズにならないけど、よかったら受け取って下さい」

 そう言って小包を差し出すが、ケント君は受け取らなかった。

「レンちゃん、それを受け取る前に、どうしても話しておきたいことがあるんだ」

 ケント君の声が震えている。

「他の子には聞かせられないから場所を移したいんだ。外でもいい?」

 レンちゃんは聡い子なので、すぐに大事を察したようだ。

「外は寒いから、お堂に行きましょう」

 レンちゃんに案内されてやって来た場所は、小さな聖堂だった。ただし僕は宗教に疎いので、正式な呼び方はさっぱり分からなかった。礼拝堂かもしれないし、教会かもしれない。分かっているのは、旅館一階の軽食喫茶があった場所を改装して造られたことだけだった。

 クリスマス・イブに泊まった時に一度だけ入ったことがある。食事をする前にホーム長さんの話を聞いて、十字架に祈りを捧げたのだ。強制はされなかったけど、拒否する理由もないので一緒にお祈りすることにした。

 ここにいる子どもたちも宗教を強制されるようなことはないと聞いているが、特別な日だけはちゃんと小聖堂でお祈りを捧げるそうだ。それでもひな祭りや子どもの日も祝うので、それらと同じであるという認識でしかないようだ。

 真面目な信徒からは間違っていると非難されるだろうが、僕はホーム長さん夫婦のスタンスがとても気に入っている。でなければ僕やケント君は近寄ることすら叶わなかったからだ。個人の自由を尊重してくれると、僕たちも尊重を覚えられるというわけだ。

「ここなら誰も来ないから安心して話せるよ」

 そう言って、レンちゃんが小聖堂の中へ僕たちを入れてくれた。

「座りましょう」

 小聖堂の中には長い木製のベンチが通路を挟むように、それぞれ六脚ずつ設置されていた。通路の先の壁には十字架が立てられている。僕たちは一番前のベンチに腰を下ろした。三人掛けだったのでレンちゃんを二人で挟むように座った。

「何を聞かせてくれるの?」

 僕らだけじゃなく、レンちゃんもドキドキしているのが声のトーンで分かった。

「それは、俺がレンちゃんからバレンタインのチョコを貰うに相応しくない男だということ話さなくちゃいけないんだ。いや、俺じゃなくて俺たちか。とにかく、だから、さっきプレゼントを受け取るのを拒否したんだ」

 ちゃんと「俺たち」と言ってくれたことが嬉しかった。

「話して、くれる?」

 レンちゃんが恐る恐る尋ねた。

「ウサギを殺した」

 ケント君はいきなり本題から入った。

 きっと、早く楽になりたかったのだろう。

「ウサギってミルクのこと?」

 レンちゃんは分かっていて尋ねているようだ。

「うん。俺がミルクを捕まえて殺したんだ」

 そこで僕たちに沈黙が訪れた。

「どうしてそんなことをしたの?」

 レンちゃんが務めて優しく問うた。彼女は沈黙の中で心を整理し、決して感情的になるまいと己を律して、そこで僕たちと向き合い、穏やかな口調でケント君に告白を続けさせようとしていると、僕には感じられた。

「ある人に命令された」

 ケント君はこの期に及んで真相をぼかしてしまった。

 でもその理由は分からなくもなかった。

「学校で脅迫されたっていうこと?」

 レンちゃんの口調が急に被害者を気遣う感じになった。

「学校では何も問題は起きていない」

「じゃあ高校生にからまれたとか?」

「いや、そういう人は周りにいないよ」

「だったら誰に命令されたというの?」

 そこで後方から扉が開かれた音が聞こえてきた。

「あっ、みんなこんなところにいたんだ」

 現れたのは隠者こと、戸隠マリアだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ