表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タロットゲーム  作者: 灰庭論
第3巻 女帝編
57/60

SIDE OF THE FOOL   愚者

 俺と母さんは『タロット・ゲーム』という名の同じゲームに参加させられているはずだ。それなのに母さんの中ではマリアが天使として描かれ、俺を助けにきた救世主のように思われている。

 俺が見ている世界と、母さんが見てきた世界と、どちらが本物の現実かなんて、マリアが話した通り確かめることなどできないが、その二つが同時に存在していた世界こそ、紛れもない現実だと認識しなければならない。

 それにしても、違和感を覚えていたことが、母さんの手紙を読んで、言われてみれば納得できることばかりで、今はものすごく後悔している。特に、アンナ先生の事故死を知らされて早退して帰った日は、悔やんでも悔やみ切れない。

 俺が家に帰ってくるタイミングに合わせて二人分の親子丼を作っているというのは、どう考えてもおかしかった。母さんは俺が早退することも知らなければ、家に到着する時間など予測できるはずがないからである。

 その時に、その場でマリアが母さんに化けているのではないかと疑ってもよかったはずだ。それくらい有り得ない行動だったので、そこで疑問を持たなければならなかった。アンナ先生の死を告げられた直後とはいえ、俺は冷静でいなければならなかった。

 では、仮に母さんがマリアと接触していたことを知ったとして、その時の俺に何ができたというのだろうか? 身代わりになる必要はない、と説得できたとも思えない。奇跡を起こせるマリアを悪魔呼ばわりすると、俺の方が正気を疑われてしまう。

 そう考えると、母さんを『死者の復活』で生き返していいのかどうかも悩んでしまう。母さんは俺を救うために自らの命を犠牲にしたのだから、その時点で復活など望んでいない場合がある。結局、本懐を遂げた人の気持ちなど、本人にしか分からないということだ。

 それを踏まえると、ユウキとアンナ先生を勝手に生き返らせていいのか、という問題にも直面する。二人とも『復活』を望んでいない可能性も充分に考えられるからだ。それを俺は自分の価値観だけで勝手に生き返らせようとしているわけだ。

 人間が『死者の復活』を望むのは、思い上がりということなのか? 二人にとっては、大きなお世話なのかもしれない。しかし、そう決めつけるのも俺の一方的な思い込みだ。なぜなら『復活』を望まない可能性と同じだけ、望んでいる可能性もあるからだ。

 ならば、やっぱり『マリアの奇跡』を信じてみよう。これから先も、何度も繰り返し自問自答する日々が続いて行くだろう。そのたびに自分がやっていることが正しいのか迷うはずだ。それでも最後には必ず『奇跡を信じる』という答えを出さなければならない。

 母さんの手紙は俺の信仰心をぐらつかせたが、俺には俺の現実があることを見失ってはいけない。俺の世界では、母さんはマリアに殺されたのだ。俺の身代わりとなって死んだわけではない。『タロット・ゲーム』の被害者の一人にすぎないのだ。

 母さんも取り戻す。元の世界を取り戻さなければならない。母さんの死は、感動的な物語ではないのだ。改めて『死者の復活』を望みたいと思う。それが紛れもない、俺の見えている現実世界だからだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ