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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第3巻 女帝編
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SIDE OF THE FOOL   愚者

 リビングで一人になってから後悔し始めた。それは喋り過ぎたからだ。弟の番さんは楓花ちゃん殺害事件の担当刑事なので、鉄壁のアリバイがある俺を疑うことは万に一つも有り得ない。事件が発生した日は母方の実家にいたので犯行を行うのは不可能だからだ。

 問題は姉の方の番さんだ。彼女はユウキの死に疑問を抱き、アンナ先生の事故にも疑惑を抱いている。どちらも俺が手を下したというわけではないが、疑問を抱かせるのは、これからの俺の人生にとって不都合だからである。

 今後いかなる人間もマリアの標的にさせないためには、俺自身が人と関わるのを控えていかなければならない。それが他人を巻き込まない唯一の方法と考えられるからだ。タロットには『正義』というカードがあるので目をつけられてしまう可能性がある。

 それにしても、つかなくてもいい嘘をついてしまったのは誤算だった。アンナ先生は俺が事故死と無関係であることを周囲に納得させるため、俺に話した通り、ちゃんと友人と登別温泉に行っていたのだ。

 それを俺はレンちゃんの誤った推理を正しいと思い込んで、自分で調べもせずに作り替えてしまったわけだ。これは事情を知らない探偵のレンちゃんが悪いわけではなく、すべてを知っている俺が先生を信じ切れなかったのが悪い。

 アンナ先生から聞いた話をそのまま番さんに伝えていれば、彼女も俺に疑いの目を向けることはなかっただろう。バレる嘘をついたのだから、警察官の番さんが疑ってもおかしくないのである。

 しかし警察の捜査状況を知るためには、リスクを冒してでも踏み込んだ会話をする必要があった。その甲斐あって、番さんと若松わかまつさんは課が違うので確信は持てないが、会話からやはり犯人検挙の見込みがないことが分かったからだ。

 俺が『犯人の目星はついているんですか?』と訪ねたら、若松さんは番さんの言葉を引用して『捜査は始まったばかりだ』と答えた。事件発生当初の捜査で怪しい人物が浮上していれば、そのような答え方にはならないはずだ。

 例えば『すぐに捕まる』と言えば犯人逮捕は時間の問題だし、『いま警察が調べている』と言えば証拠を固めている最中だということが分かる。何も考えずに答えた可能性もあるが、少なくとも希望が持てる言い方ではなかったのは確かである。

 とはいえ、昨日遺骨が発見されたばかりなので焦る段階ではないのも事実だ。俺が見ていないだけで、現場から遺留品が見つかるかもしれないし、犯人のDNAが付着した残留物があるかもしれないわけで、そうなれば急転直下で解決されるかもしれない。

 犯人が野放しになっている状態なのでどうしてもはやる気持ちが抑えられないのだが、遺体が見つかったからといって簡単に犯人が見つかるほど甘くないということは、他の誰よりも知っているつもりだ。

 テレビドラマでは一時間、映画だと二時間で解決してしまうが、そういったフィクションの世界でも、昔から証拠を固める難しさや地道な捜査が描かれている。映画なら一枚の写真、ドラマならワンカットに、その苦労が凝縮して表現されているわけだ。


 寝る前に布団の中で考えたことは、レンちゃんに渡しそびれたホワイトデーのお返しのプレゼントのことだ。ユウキから預かった犬を返さなかったから番さんに疑われたので、今度はちゃんと渡しに行かなければならない。

 番さんは足を使って調べるので本当に厄介な存在だ。プレゼントを渡しに行かなければ、宝探しには別の目的があったことを見破ってしまうだろう。楓花ちゃん殺しを疑われても問題はないが、レンちゃんからマリアの存在が伝わるのは危険である。

 明後日の水曜日が祝日なので、その日に『神さまの家』に行って渡す予定だ。また友達と遊ぶ約束をしているといけないので、夕方に行けば邪魔にならないだろう。これで会うのは本当に最後となるが、渡したらさっさと引き上げるつもりである。


 翌朝、マジックを散歩に連れて行く前にリビングで父さんに話し掛けられた。朝の時間帯に会うのはICレコーダーを借りた日以来だった。会話がないのは当然として、向こうから話し掛けることなど滅多にない人だ。

「離婚することになった。詳しい話は母さんから聞いてくれ」

 それだけ言うと、『行ってきます』も言わずに家から出て行ってしまった。聞かされた俺としては、ただただ茫然と見送るしかなかった感じだ。それでもすぐに犬の散歩に行けるところが現状を物語っていたと言えるだろう。


 独り身のマジックは何事もなかったかのように、いつものようにマーキングを淡々とこなしていた。実習林のハイキングコースも二日前と違って静まり返っている。俺もいつものようにパーキングエリアのベンチで考え事をするだけだ。

 しかしそれにしても短期間でこれほどの変化が次々と起こるものだろうか? 医療技術が発達した現代では友を亡くすことすら滅多にないのに、恩師を亡くした上、今度は家庭の崩壊まで起こってしまった。

 けれども考えてみると、震災を経験した人たちにはもっと過酷な状況に追い込まれた人もいる、と思い当たるのが現代の俺たちだ。比較するのもはばかられるような苦しい体験が現実にあった。

 被災者は比較されるのも嫌だろうし、思い出すだけでも苦しくなるだろうから安易に口にすることもできないが、同時にいくつもの悲しい出来事が重なり合って体験した人は確かに存在しているわけだ。

 被災した人たちの中にも離婚を考えていた家庭もあったことだろう。『絆』という言葉で、まるで自分が責められているように感じる人がいたかもしれない。悪い意味で使っているわけではないが、受け取る側を苦しめてしまうことがあるのが言葉の難しさだ。

 これまで偏見だけは持たずに生きようと努めてきた。周りに離婚経験者が多いと離婚しやすくなるというデータがあり、現に母さんの妹が先に離婚しているので母さんにも当てはまってしまったが、完全ではない時点で不完全なデータにすぎない。

 そういった数字による分析も、個人によっては偏見を助長させてしまう要因になる。俺は人の意見に流されやすい傾向があるので、まさにその一部の人に当てはまってしまうわけだ。だからこそ、偏見を持たない精神を維持する難しさを痛感しているのである。

 今は耳で直接聞かなくても、ネットで『片親だから』などと書き捨てる人がうんざりするほど目にしてしまう世の中だ。昔のことは知らないけれど、いつの時代も堂々と偏見を持っている人が常に一定数存在しているのが人間社会なのではないか、と俺は考えている。

 一番大事なことは、自分がそちら側の人間にならないことだ。偏見を持つ側の人間になってしまうことの方が自分の胸を苦しめる、と考えられる資質を持っているのが、俺の最大の幸福なのかもしれない。

 偏見は防衛本能と切り離せない関係にあるのが、思考を難しくさせていると思う。他者を攻撃、または排除することで自分のテリトリーを守っているわけだ。だから攻撃性の高い人が支持される、という現象も起こる。

 近代社会で原始的な思考がどれだけ反映されるか分からないが、差別や偏見を持っている人のすべてが極悪人というわけではないのは見て分かることだ。正義を信じて戦っていると思い込んでいる人たちにとっては、紛れもないヒーローなのである。

 差別や偏見がいつまでもなくならないのは、そういった側面があるからだ。そんな世の中で、偏見を持たずに生きることがどれだけ大変か、これは揺れてしまう人間にしか分かり得ないことだ。

 なぜ俺は偏見を持たないように努めているのか? それも俺は俺で防衛本能が働いているからだと考えている。いつ自分が偏見を持たれる立場になるか分からないのだから、こうして今日までビクビクしながら偏見を持たないように生きてきたわけだ。

 これからは俺も『これだから片親で育てられた子は』という偏見に向き合わなければならない人生となる。今までの人生と違って、同じ境遇の人たちと一緒に『見えない学校』に入れられた感じがする。

 このような環境になった状態で市長殺しを行えば、『これだから離婚家庭の子どもは』なんて偏見を持たれ、『見えない学校』に入れられた他の人たちにも迷惑が掛かるという、偏見による連帯責任が発生してしまう。

 施設の子どもたちへの偏見を考えた時にも思ったが、どうしてこうも本人の意思や努力とは別なところで試練に見舞われてしまうのだろう? 努力は大事だし、成功者は素直に称賛したいが、スタートラインが人によって異なっていることは度外視してはいけないと思っている。

 そこで『恵まれていただけだろ?』と揶揄するのも違うし、『もっと苦労している人がいる』と言うのも違うし、努力と才能の二元論で語るのも違う。きっと、自分が成功した時に自惚れないための事前準備みたいなものなのだ。

 成功するための努力をしていない俺が言うとアホらしく見えるが、とにかく他人を貶めるために言葉を武器にしないことだ。それが俺の守り方であり、戦い方でもある。『見えない学校』に入れられたからには、早めに社会に出されたと考えるしかないだろう。

 親の離婚を聞かされた直後なのに、これほど冷静でいられるのは、幼い頃からウチの親は上手くいっていないと感じてきたからなのかもしれない。晴天の霹靂のような衝撃を受ければ、自暴自棄になっても不思議ではなかった。

 このタイミングでの離婚ということは、義務教育課程が修了するまで辛抱してくれていたような気もするので、それならばむしろ感謝することもできる。離婚といっても千差万別なので、あくまでウチの家庭に限る話ではあるのだが。


 家に帰ってから母さんにメールをしようと思ったが、書いては消してを繰り返し、結局こちらから送信するのはやめておくことにした。最後の一人旅になるだろうし、そろそろ帰って来ると思うので、その時に改めて話そうと思った。

 親権については何も分からないし、母親と暮らしたいと思っていても、思い通りになるかどうかも現時点では不明だ。母さんは俺に興味がないので『父さんと一緒に暮らしなさい』と言われる可能性だってある。だから今は考えても意味がないのだ。

 戸籍のことや、苗字のことや、高校のこととか調べることがたくさんあるけれど、積極的にネット検索しようとは思わなかった。ただ、ぼんやりと壁を見つめ、時間が経過するのをひたすら眺めている感じだ。

 クラスに苗字が変わった生徒がいたが、その子のことを思い出す。何事も自分が経験してみないと、本当の気持ちはわからないものだ。彼は休むことなく登校していた。俺なら何日も学校を休んでいたかもしれない。

 恥ずかしさに耐えられないのが俺だ。みんなの目が気になってしまう。笑う人などいないというのに、自分で笑われていると思ってしまうのだ。彼はすごかったんだと、今さらながら思うのだった。

 だからといって学校へ行けなくなった子を責めるのは間違いだ。義務教育を受けるのは子どもの義務ではなく、親が受けさせる義務だからである。どんな子であろうとも、義務教育課程の子どもには一切の責任がない。

 それを子どもの責任になすりつけるのは単なる大人の責任逃れである。子どものせいにしたがる大人がいたとしたら、それは責任を取れない人だと判断してもいいだろう。権利を持つということは責任が発生することだと認識しなければならないということだ。

 もちろん例外として親だけではどうにもならない子ども側の問題もあるだろう。言うことを聞かない子どもいれば、無理させられない身体だったと診断を受けて初めて分かることもある。そういう場合は助けてくれる人を見つけるのも大事だ。

 問題は、俺はもうすでに義務教育課程を修了しているということだ。学校に行きたくなければ『好きにしろ』と放っておかれる年齢だ。働こうと思えば働けるし、親元を離れて暮らす人もいる。

 その割に権利を一切与えられないという歪な社会構造がある。一年間フルタイムで働いて税金を納めても選挙権が与えられないのだ。人間なんて二十歳までに死ぬ確率がゼロではないというのに、まるでロボットのような扱いだ。『一票の格差』以前の問題が残っている。

 いっそのこと十八まで義務教育課程を引き上げて、同じように成人に達する年齢と選挙権を十八歳まで引き下げてしまえばいいと思っている。高校在学中に選挙の仕組みを学んで、中には実際に投票を行うことも可能になるのでメリットしかないわけだ。

 結婚できる年齢が男女ともに十八歳になったのは悪くない。とにかく同じ年齢にすべてを統一してしまうことが賢い社会というものだ。ちなみに賢い社会というのは、俺のような勉強ができない人でも一発で仕組みを記憶できる社会のことである。

 そんなことをネット検索しながら、色んな人の意見を拝読して、考えをまとめていた。親が離婚した自分のことを考えるよりも、少しは気分が楽になれたので有意義だったと感じている。母さんが帰ってくるまでは別のことを考えて時間を潰すとしよう。


 気がつくと眠っており、インターホンで起こされた。

 咄嗟に窓から眼下にある庭を確認したが、見知らぬ車は停まっていないことが分かった。

 警察ではないようだ。

 再びインターホンが鳴った。

 そこで足音を立てずに階段を下りることにした。

 それは家の中に人がいないと思わせるためだ。

 知らない人なら居留守しなければならない。

 職業か名前を名乗らない人にはドアを開けてはならない。

 いや、このご時世、職業を名乗ったって怪しいもんだ。

 毎朝寝ている母さんを起こさないように移動するので忍び足には慣れている。

 床がきしむ場所も把握していた。

 再びインターホンが鳴った。

 ドアスコープを覗くと、そこに天使が立っていた。

 お迎えがきたということか?

 こんな感じで人は天国へと旅立つというのだろうか?

 時代の進歩に合わせて、お迎えも変化するということかもしれない。

 ドアロックに手を掛ける。

 いや、ちょっと待て。

 このドアを開けてしまうと、そこで初めて召されてしまうのかもしれない。

 開けるか開けないかで生死が分かれるというわけだ。

 再びインターホンが鳴った。

 天使が俺を呼んでいる。

 もう一度、ドアスコープを覗いてみる。

 やっぱり天使だ。

 メガネを掛けた、髪の毛の長い天使。

 ん?

 よく見ると光の加減で髪の毛に天使の輪ができているだけだった。

 メガネを掛けた天使画も見たことがない。

 そこでドアを開けることにした。

 考えていることと、やっていることが違うのは知っている。

 天国からのお迎えかもしれない。

 それでもよかった。

「どちら様ですか?」

 上手く発声できたか自信がない。

天塚佐和あまつか さわです」

 おっとりとした口調だ。

「ご用件は何でしょうか?」

 思わず丁寧な口調になってしまった。

「こちらは久能賢人くんのお家で間違いありませんか?」

「ケントなら僕で相違ありません」

 正しい言葉遣いかどうか自分でも分かっていない。

「まぁ、あなたが」

 そう言うと、瞳をひときわ輝かせるのだった。

「僕に何か用ですか?」

 やっと普通に喋れるようになった。

 しかし、今度は彼女の方が視線を落として黙り込んでしまった。

 その時間が長い。

 その隙に天使の容姿を盗み見る。

 グレイのシックなワンピースがよく似合っている。

 黒いタイツは寒さ対策だろうか。

 すらっとしているけど、胸の辺りがきつくて苦しそうだ。

 落ち着いた雰囲気と言葉遣いから年上に見えるが、背伸びしているようにも感じる。

 己を律している、とも言い換えることができそうだ。

「今日はお詫びをしに来ました」

 彼女とは初対面だ。

「込み入った話なら、家の中で話しませんか?」

 と言っても、初対面の人を家に上げることはできない。

「玄関なら近所の人の目を気にしないでいいので」

 ゆっくり首を振った。

「せっかくのお誘いですが、いつも妹に『男の人がいる家には上がらないように』と言い付けていますので、私か破るわけにはいきません」

 妹?

 天塚?

 そこでやっとレンちゃんの友達のことを思い出すことができた。

「だったら一緒に犬の散歩へ行こう。ちょうど連れて行こうと思っていたので」

「はい。それなら喜んでご一緒いたします」

 そのまま天国へ連れて行かれるかもしれない。

 まだ天使かもしれないと思っている。

 こうなったらマジックも道連れだ。


 実習林のハイキングコースを女の子と二人で散歩するのは初めてだった。ただしマリアは除く。第一アイツには性別などないからだ。アンナ先生と二人きりになったことはあるが、それも散歩ではなかった。

 ただ、どうしても死んだユウキや先生のことを思い出して、ウキウキした気分にはなれなかった。何をするにしても生き残った自分だけが生を感じていることに申し訳なくなってしまうのである。

 それと、まだ隣を歩く彼女がマリアではないかと疑っている部分がある。ただ、その一方で否定している自分もいる。なぜならアイツがこれほど長時間も黙っていられるはずがないからだ。それに上品に振る舞うこともできない。

「あそこのベンチで話そう」

「はい」

 お尻が汚れないように腰を下ろすところを掃ってあげることにした。

 俺だって上品な人には上品に振る舞うことはできる。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 やっぱり彼女はマリアではない。

「それで、お話というのは?」

 そう言っても、なかなか話し始めてくれなかった。

「お詫びしたいことがあるって言ってたけど」

 話しやすいように促してみたけど、それでも黙ったままだ。

「妹さんって、レンちゃんの友達だよね? って言っても分からないか」

「いいえ。伊吹さんのことなら知っています」

「ああ、じゃあ、妹さんのことだ?」

「そうなんですけど、違うんです」

 ここは彼女の方から話し出すまで待った方がよさそうだ。

 別に急ぐ用事はない。

 彼女は天使みたいなので、天国にいるようなものだ。

 それがとても心地よかった。



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