SIDE OF THE FOOL 愚者
卒業式が終えて教室へ戻ると、副担任の先生からアンナ先生のお葬式が行われる日時と会場が記されたプリントを渡された。それによると金曜日に告別式が行われるようである。本来ならこの日でも良かったはずだが、先生のご家族が卒業式の日を避けたのかもしれない。
委員長や副委員長も含めて自由参加になっているのは、金曜日が公立高校の合格発表と重なっているからなのかもしれない。発表時間と告別式が始まる時間がズレてはいるが、遠い場所の高校を受験している者には微妙な時間差だ。
それか不合格者へ配慮したとも考えられる。俺は受験の合否に関わらず、告別式には参列しようとすでに決めていた。自宅から徒歩で通える高校を受験したので午前十時開始の式にも充分間に合う計算だ。
副担任の先生が最後の挨拶を終えてクラスが解散したのだが、俺と石橋さんだけ先生から残るように指示を受けた。それはマリアが話していた通り、小林市長が是非に会いたいとの申し出があったからだ。
「なんだろうね?」
石橋さんと二人で校長室へ向かっているところだ。
「音楽葬のことだと思うよ」
この組み合わせで呼ばれたならそれ以外の理由が見当たらない。
「私が行ってもいいのかな?」
「もちろんだよ。石橋さんのおかげだからね」
俺の言葉に安心したようだ。
「言おうと思って言えなかったんだけど、ユウキのために色々してくれてありがとう」
「そんな私なんて何も……」
石橋さんは真面目で謙虚な人だ。
「同性だったら、俺よりも石橋さんと友達になってただろうね」
「うん。お友達になりたかった」
「それを聞いたらユウキは喜ぶと思うよ」
「私も、ありがとう」
「何が?」
「犬飼君の友達が久能君で良かった」
それはこの世で考え得る最高の褒め言葉だ。
「うん。俺もユウキと出会えて本当に良かったと思ってる」
俺はそれよりも市長の殺害計画で頭がいっぱいだった。
「失礼します」
入室すると、そこには小林市長の他に校長先生やユウキのご両親の姿があった。その他にも教頭先生やウチの学校の先生ではない大人が何人も壁際に立っていた。中には職業用のカメラを持った人もいる。
「そこに腰掛けて」
教頭先生からソファの横に用意されたパイプ椅子に座るように指示を受けた。
「失礼します」
石橋さんに倣って、俺も挨拶をしてから着席した。
「先に紹介しとくわね。こちらは小牧日報で記者をされている山村さん」
率先して口を開いたのは小林市長だ。
ちなみに座り位置は市長と校長が並んでソファに腰掛け、その対面のソファにユウキのご両親が腰掛け、上座に置かれたパイプ椅子に俺と石橋さんが座り、その対面のパイプ椅子に記者の山村さんが座っている。
「今日二人を呼んだのはね、犬飼さんの奥様から音楽葬のお話を伺って、それを懇意にしている山村さんにお話したら是非記事にしたいと言うので、こうして改めて話を聞きたいと思ったの。でも名前はもちろん、これから写真を撮って掲載されるから、嫌なら記事にするのを止めても構わない。どうするか先に二人で決めてもらいたいの。どうする?」
物腰は柔らかいのにモノ凄い圧力だ。
はっきり言って断れる雰囲気ではない。
俺と石橋さんを見つめる周囲の大人の目が怖い。
「石橋さんさえ良ければ、僕は構いません」
判断を石橋さんに丸投げしてしまった。
「はい。私も犬飼君とアンナ先生のためになるなら協力します」
彼女は俺と違って肝が据わっているようだ。
石橋さんの言葉に怖い大人たちが安堵したのが分かった。
それを受けて小林市長が指示する。
「それじゃあ山村さん、取材を始めてくれる?」
山村さんがICレコーダーで録音を始める。この記者は三十代半ばの気の優しそうな顔をした、ちょうど市長の年代のオバサンに気に入られそうな甘いマスクをしている男の人だ。肌のたるみがないので、よく動き回っている人なのだろう。
「音楽葬をやろうと思ったのは久能君なんだよね?」
「はい。僕です」
声が震える。
「思いついたキッカケは何だったのかな?」
話せば長くなるし、そもそも宇宙人であるマリアが絡んだ話なので正直に説明できるはずがなかった。いっそのこと全部ぶちまけてしまおうかと思ったが、周囲の大人の圧力がそれを抑え込むのだった。
「久能君? 緊張してる? 録音するの止めようか?」
「いいえ。構いません」
ここは得意の嘘で塗り固めていくしかなさそうだ。
「元々はユウキのアイデアだったんです。卒業式はあるけれど、僕たち三年三組だけでアンナ先生に感謝するイベントができないかって。アンナ先生は音楽教師だから、だったらクラスのみんなで合唱の練習をして、三年三組だけの卒業式をしようって二人で決めました。でもユウキが事故に遭って、その願いは叶わなかったんですが、僕はずっとそのことが頭の中にあったんで、それでアイデアを応用して、ユウキの音楽葬にしようって思ったんです。どんな形であれ、先週の土曜日にユウキの生前の願いを叶えることができたので、僕はよかったと思っています。ユウキの願いがあったからこそ、今日の卒業式に出席できなかったアンナ先生に初めての卒業式を経験させてあげることができましたし、こういう日を迎えるとは思っていませんでしたが、そこは本当にユウキに感謝しているんです。これからの人生で、誰かのために何かを願う人でありたいと思うことができたのは、やっぱりユウキのおかげです」
己の口の巧さに嫌悪感を覚える。
「なるほどね。それで音楽葬なのに『仰げば尊し』を歌ったわけだ」
不自然な選曲に対する疑念を解消できたのはラッキーだ。
「はい。でも、実際に音楽葬を実現できたのはここにいる石橋さんのおかげです。僕はユウキのアイデアを委員長と副委員長に伝えたものの、受験があったということもあり、クラスメイトを集めることができなかったんです。そんな中、石橋さんはクラス全員に声を掛けてくれました。練習も石橋さんの一言がキッカケとなり始めることができましたし、僕は本当に一人では何もできなかったんです。だから石橋さんにも感謝しています」
周りの大人が俺の答えに満足しているのが分かった。
俺自身も、嘘よりも事実を話せたことに喜びを感じた。
「石橋さんは音楽葬の話を聞いた時、どう思ったのかな?」
俺の役目は終わった。ここから先は彼女に任せよう。石橋さんならば音楽葬の様子を嘘偽りなく語ってくれるだろう。話を振られても、当たり障りのない返事をすれば適当にまとめて読める記事にしてくれるはずだ。
女帝・小林貴子市長の殺害はとっくに諦めている。できるはずがない。頭の中だけならいくらでもイメージできるが、実際に行動に移すには、正常な頭の状態では行えないということがよく分かった。
何も接点を持たない人を簡単に殺すことなどできるはずがないのである。わずかでもいいから恨む気持ちが必要だ。逆恨みでもいい。そういった負の気持ちがないことには殺すことなどできない。
快楽ならば、もっと弱くて、殺しやすく、悲鳴を上げて逃げるような、または声を出すこともできないような、恐怖に震える人をターゲットに選ぶだろうし、とにかく訓練を積まないことには殺しはできない。
では訓練を積めばできるのかと問われたら、そこは『できる』と答えられる自分がいることも確かだ。それには大義があると洗脳させられることが条件になるが、学校にナイフを持ち込んだ時点で、俺は殺人罪を犯せる人間だと自覚できてしまうのである。
それから石橋さんがユウキの小学生時代のエピソードを語り、その話にユウキのご両親が涙を流し、アンナ先生の話に及んだところで校長から『神さまの家』についての話題が出て、話を振られたので、ユウキが手品をして、アンナ先生が子どもに歌を教えていたことを話した。
「それじゃあ、最後にみなさんで記念撮影をしましょうか」
場所が狭いということで、全員で玄関ホールに移動しようと校長室から出たところ、そこで副担任の先生が俺のカバンを持って廊下を歩いてくるのが見えた。その姿を見た瞬間、心臓が止まるかと思った。
「おい、久能くん!」
その声に全員の視線が副担任の先生に集まった。
「このカバン、久能くんのじゃないか?」
そう言うと、カバンの中に手を突っ込んだ。
その瞬間、汗が噴き出た。
「ほら、久能くんの名前が書いてある」
副担任の先生が取り出したのは、ナイフの代わりに入れておいた裁縫箱だ。
「教室に置き忘れてあったぞ」
「ありがとうございます」
用心深い性格で助かった。
記念撮影が終わると急いで教室へと引き返した。誰もいないことを確認してから中に入る。目指すは掃除道具が入ったロッカーだ。その中から工具袋を取り出す。ハンティング・ナイフはその中に隠してある。
さすがにナイフを裸で持ち歩くほど俺もバカではない。念のために、わざわざ工具袋と裁縫箱を自宅から持ってきたというわけだ。木の葉を隠すなら森に隠せという言葉があるので、ナイフが見つかっても言い訳が成り立つようにカムフラージュさせたのだ。
いや、そもそも賢い人間ならば学校にナイフを持ち込もうとしないはずなので、やはりバカはバカに違いない。それでも殺人を犯す大バカではないことは胸を張っていい。軽蔑すべき人間にならなかったのはユウキとアンナ先生のおかげだ。
なぜなら二人は、俺が小林市長を殺すために俺の命を救ったわけではない、と思い直すことができる人間だからだ。二人の人間性を知れば、市長を殺して生き返ることを望むはずがないと誰でも分かるはずだ。
俺はそのことに気がつくまで遅れてしまったが、ちゃんと踏み止まることができた。それは決して自分の意思だけで成したわけではない。心の中にいるユウキとアンナ先生が『やめろ』と止めてくれたから道を踏み外さなくて済んだのである。
もしも二人が他人の命を軽んじる人間で、己の私利私欲のために生きる人間で、弱肉強食を是として、自分が生き残るためなら他人を犠牲にしてもよいと考える人間で、俺も二人に染まっていたとしたら、真剣に慎重を期して小林市長の殺害を企てていただろう。
俺なんて、それくらい主体性のない生き物だ。染まりやすく、流されやすい。自分を持っていない、中身のない人間なのである。だからこそ、付き合う人間を適切に選ばないといけないというわけだ。
「久能君」
校舎を出た時、横から声を掛けられた。
「卒業おめでとう」
声を掛けてきたのは警察官の番さんだ。
「久能君、卒業おめでとう」
この日は同僚も一緒だったけど、名前は憶えていない。
「ありがとうございます」
「小牧日報の取材を受けてたんだって?」
口を開くのは主に番さんの方なので、彼女が先輩なのだろう。
「はい。取材といっても十五分くらいでしたけど」
「それでもすごいじゃない」
「僕は何もしていませんよ」
意味ありげに答えてやった。
「それは記事を読んでもらえば分かると思います」
「いつ掲載される予定なの?」
「今度の日曜版って聞いてますけど」
「そう、楽しみにしておく」
俺の嘘が新聞に載る記念すべき日だ。
それから番さんは言いにくそうに尋ねる。
「城先生について聞きたいことがあるんだけど、訊いてもいいかな?」
そのために俺に会いにきたということだろうか?
「はい。いいですけど」
「先生が亡くなられた日曜日だけど、その日、誰かと会うって聞いてなかった?」
なぜそのような質問をするのか理解できなかった。
「先生は交通事故で亡くなったんですよね? 同乗者がいたってことですか?」
「違う違う。そうじゃないの」
番さんが大袈裟に首を振った。
「ただ、何となくだけど、近しい人にメッセージを残してるんじゃないかと思って」
この警察官はどこまで知っているのだろうか? それが分からない状態で会話をするのは非常に危険である。『日帰りで登別温泉に行く』と言ったアンナ先生の話を正直に伝えると、レンちゃんのように不審を抱かせることになるだろう。
「久能君?」
「はい?」
「大丈夫?」
「あっ、すいません」
「いいの。ゆっくり思い出して」
そこで今度は『登別温泉』の部分を『洞爺湖温泉』に変えて、レンちゃんに話したことと同じ内容を繰り返し話すことにした。自分に責任があるように話をすれば同情を誘うことも可能なはずだ。
「……そう。会う約束をして、日曜日の朝に断ったのね」
俺の話を聞き終えた番さんがそう呟いた。
「だから、俺が無理な約束さえしなければ、先生は事故に遭わなかったのかなって」
「でも城先生は断ってから、その後は久能君に連絡を入れてないんでしょう?」
「はい」
「だったら久能君との約束を果たすために急いでいたとは考えにくいわね」
番さんもレンちゃんと同じ結論を出した。
「それより城先生が予定をキャンセルした理由だけど、さっきの話で間違いない?」
隠し事をした状態で嘘をついているので、どう答えればいいのか分からなくなっている。
「城先生は『お友達と洞爺湖温泉に行く』って言ったんだよね?」
アンナ先生がついた嘘を俺が改変したので、念を押されたところで嘘は嘘でしかない。
「それを調べてどうするんですか?」
「気になる点があるから」
「でも番さんは交通課ではありませんよね?」
「うん。そうね。でも、一緒にお食事をした友人ではあるから」
「じゃあ僕とも友人ですか?」
「あの後、城先生と二人きりで食事をしたの」
それは知らなかった。
「久能君も疑問に思っているんじゃないの?」
「何がですか?」
「だって城先生は生徒と交わした約束を当日になって断る人ではないでしょう?」
確かにその通りだ。冷静になって振り返ると、アンナ先生が生徒との先約よりも友達との約束を優先するはずがない。そこに思い至らなかったのは、俺が先生に隠し事をしているという後ろめたさがあったからだろう。
もしも電話を受けた時に、そこで俺が違和感を覚えたら、先生を自死から救えただろうか? 俺に探偵の素養があれば先生を思い留まらせることはできたかもしれない。やはり、賢者ではなく愚者であることが俺の罪のようだ。
「ごめんね。べつに久能君を責めてるわけじゃないのよ」
「分かってます」
「ただ、自殺じゃなければいいなって思ってるだけ」
死ぬ前に先生は番さんに何を話したのだろうか?
「アンナ先生は自殺するような人ではありません」
「そうね」
そういう認識を持ってくれているなら安心できる。
「さて、そろそろ行こうかな」
と番さんが腕時計を確認する。
「送ってあげたいけど、もう一か所行くところがあるんだ」
「いや、いいですよ。近いですから」
カバンにナイフを隠し持ったままパトカーに乗るわけにはいかない。途中で事故でも起こされたら、全員意識を失った場合、第三者にカバンの中身を調べられてしまうことになる。事情を知らない人が見たら、二人が俺を補導したと思うだろう。
「それにパトカーで送られたら、近所の人は俺が卒業式で問題を起こしたと思いますからね」
番さんが微笑む。
「それは大変だ」
「笑い事じゃないです」
「それじゃあ、問題がないかどうかカバンの中を調べてみようかな?」
心臓がいきなり激しく脈を打ち出した。
走ってもいないのに呼吸が苦しくなる。
これほど極度な緊張状態に陥ったのは初めてだ。
「番ちゃん!」
その呼び声は校舎の中から聞こえてきた。
振り返ると、小牧日報の山村さんが小走りしてくるのが見えた。
どうやら救われたようだ。
気がつくと、股間の辺りが湿っているのを感じた。
どうやら少しだけおしっこを漏らしてしまったようである。




