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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第3巻 女帝編
29/60

SIDE OF THE FOOL   愚者

 月曜日はいつも憂鬱だが、この日の朝は特に気分が優れなかった。それは前日の夜からユウキの死についてずっと考え込んでしまったからなのかもしれない。もうすでに自分の頭では考え尽したと言い切れるくらいに考えた。

 といっても中身は同じことの繰り返しだ。マリアによる処刑宣告はハッタリだったのだから、ユウキは死ぬことなどなかった。でも無駄死にだと思いたくないから、ユウキを責めるのは間違いだと結論付ける。それを何度もループさせて考えてしまうのだ。

 愛犬を残して死んでしまったが、それでも残されたマジックは悪くないので、いつも通りに早起きして散歩に連れて行く。時々キョロキョロしては飼い主であるユウキを探す素振りを見せるのだが、それが俺を堪らなく切なくさせた。


 それからいつもと同じ時間に登校した。

「おはよう」

 何も知らない松坂さんといつもと変わらぬ挨拶を交わす。

「おはよう」

 しかしこの日は珍しく彼女の方から話し掛けてきた。

「ありがとう」

 なぜ感謝されたのか、意味が分からなかった。

「うん? 何が?」

「土曜日のことだよ。まだお礼をしてなかったから」

 ユウキの音楽葬があった日だ。

「俺に感謝しなくても」

「でも企画してくれたから」

 本当はアンナ先生のためだけに行った卒業式なのだが、そんなことは言えるはずがない。

「お礼を言いたいのはこっちの方だよ。みんなに声を掛けてくれてありがとう」

「それは石橋さんが頑張ってくれたんだ」

「じゃあ、石橋さんにも感謝しないとだね」

「うん」

 石橋さんには頭で思うだけではなく、改めて感謝の気持ちを伝えようと思った。

「うれしい」

 そう言うと、松坂さんは安堵したような表情を浮かべるのだった。

 しかし俺は何が嬉しいのか、さっぱり分からないのである。

「何が?」

「久能君がちゃんと『ありがとう』を口にしてくれる人でよかった」

 それくらいは当然だが、どうやら俺は幼稚園児のように思われているようだ。

「うん。それはユウキのおかげなんだ。俺なんて友達の真似をしているだけだからね」

「理想的な関係だね」

 過去形を使わないところに彼女の優しさを感じた。

「うん。大切な財産だ。それはこれからも変わらない」

「これから私もそういう関係性を大切にしたい」

「うん。俺も」

「変わらないでいようね」

 人との出会いを大切にできる人は、たとえ失っても忘れないでいることができるはずだ。これからの俺の人生は、どれだけユウキのことを忘れないでいられるかに懸かっている。それを実践してこそ、俺という人間の価値が決まると言ってもいい。

 松坂さんは俺のためではなく、自分自身のために言ったのかもしれないが、その言葉は現在の俺にしっくりくる言葉だった。自分よりも頭のいい人の言葉を得られるというのは、とても気持ちがすっきりするものだ。

 惜しむらくは、そんな彼女とも明後日に行われる卒業式を最後に会えなくなってしまうことである。こんなことならもっと勉強を頑張っておけばよかったと思うが、試験が終わって手遅れになってから気がつくのが俺の人生でもある。


「松坂さん、ちょっといいかな?」

 三番目に教室に入ってきたのは委員長の勝田君だった。普段の彼は一緒の塾に通っているクラスメイトと登校してくるので予想外の出来事だ。それには松坂さんも俺と同じように感じたのか、返事もできない様子だった。

「話があるんだけど、一緒に来てもらっていいかな?」

 勝田君の声が震えていたので、関係ない俺にも緊張が伝わってきた。

「話って?」

 松坂さんの言葉を受けて、勝田君が俺の方を見る。

「ここではちょっと」

 松坂さんが席を立つと、勝田君は戸口へと歩いていった。


 教室に取り残された瞬間、悪いことを思いついてしまった。

 それは二人の後をけてみようと思ったのだ。

 悪いことだとは思っている。

 それでも好奇心には逆らえない。

 校舎の中はまだ人が少ないので注意が必要だ。

 気づかれないように後を追う。

 勝田君はどうやら音楽室のある別棟へ向かっているようだ。

 渡り廊下まで来ると、他の生徒の姿は見掛けなくなる。

 そこで足音を消すために上履きを脱ぐことにした。

 階段を上がる二人の足音が、二階と三階の間にある踊り場で途絶えた。

 俺は二人の真下の踊り場にいる。

「あの」

 声は小さいが充分聞こえる距離だった。

「おれ、前から松坂さんのことが好きなんだ」

 やはり予想通り勝田君は告白するために彼女を呼び出したようだ。

「卒業する前に、どうしても伝えたくて」

 それでもまさか月曜日の朝に告白する人がいるとは思わなかった。

 まだ松坂さんの声は聞こえてこない。

「一緒にクラス委員ができて本当によかったんだ。すごく助かったし、本当に楽しかったし、これからもずっと一緒に助け合っていけたらいいなって思ってる。まだ分かんないけど、一緒の高校に行ったら、別々のクラスになるかもしれない。だから、その前に気持ちを伝えることにしたんだ。本当にずっと好きで、これからも好きだし、だから、おれと付き合って欲しいんだ」

 その直後、松坂さんからの返事が聞こえた。

「ごめんなさい」

 声は小さかったけど、ハッキリと聞こえた。

「そっか」

「うん」

「他に好きな人がいるとか?」

「私、付き合っている人がいるから」

「そうなんだ」

 それは俺も知らなかった。

「そっか。たぶんダメだと思ったんだ。だから朝のうちに告白しようと思って」

「ごめんなさい」

 二人が階段を下りてくるといけないので、そこで教室へ戻ることにした。歩きながら考えたことは、決してフラれてしまった勝田君のことを笑ってはいけないということだ。俺は心から称えたいくらいだった。

 小学生の頃から知っているが、彼は俺と成績が変わらないくらいの学力で、運動では俺の方がずっと圧倒していた。それが中学に上がってから猛勉強して、陸上部に入るとすぐに俺よりも足が速くなったのだ。目に見える形で努力し続ける人を笑うほど俺の性根は腐っていない。

 もし仮に松坂さんと付き合うことになっても、嫉妬せずに祝福する自信がある。羨ましいと思う気持ちはあっても、恨んだりはしないのだ。真面目に努力している人間を笑うことが一番のクズ野郎だって自分に戒めているからである。

 松坂さんと一緒の高校に通うために必死に勉強してきたことだろう。それに比べて俺ときたら何をしてきたというのだ。やれることもやらずに趣味にだけ没頭してきた人間なのだから、何一つ欲しがってはいけないのだ。

 どんなに嘘くさい人間だと思われようとも、ちゃんと告白した勝田君に拍手を送りたい気持ちでいっぱいだ。告白する勇気すら持てない俺の拍手に価値はないが、間違いなく俺よりも立派で男らしい人間であることは確かなのだから認めるしかない。

 それにしても、まさか松坂さんに付き合っている人がいるとは思わなかった。いても不思議ではないのだが、噂すら聞いたことがなかったので驚いてしまう。おそらくだが、卒業の二日前ということで、勝田君のように急いで告白した人がいたのだろう。

 そもそも松坂さんとは朝の挨拶を交わすだけで、それ以外のことは何も知らないということに、今さらながら気がついた。頭がよくて、長い黒髪がきれいで、神秘的で、男のような野暮ったさがないのだから、たくさんの男子に片思いされていても不思議ではないわけだ。


 教室に戻るとクラスメイトがざわついていた。

 泣いている女子もいる。

 すぐに俺を見つけて石橋さんが話し掛けてきた。

「ツッコちゃんは?」

 松坂さんのことだ。

「知らないけど」

 尾行していたとは言えなかった。

「アンナ先生、交通事故で亡くなったって」

 そう言われても、うまく理解できなかった。

 石橋さんは俺の返事を待たずに教室を出ていった。

 松坂さんを捜しに行ったのだろう。

 俺は自分の席に座り、誰とも話さなかった。

 ホームルームの時間になっても、先生は現れなかった。

 それでも心のどこかで、まだ嘘だと思っている自分がいる。

 でも副担任の先生が教室に入ってきた瞬間、それが現実だと思い知らされたのだった。

 教壇に立つ副担任の先生の顔がつらそうだ。

 教室には女子のすすり泣く声やしゃくり上げて泣く声が方々から聞こえている。

「もうすでに聞いてはいると思いますが、城先生が昨夜亡くなられました。運転中の事故だったそうです。ええ、突然の出来事なので、先生も、未だにね、現実を受け入れることができないでいます。ほんとはね、みんなのことを考えてね、話すべきなんだろうけど、今は、悲しい気持ちでいっぱいです」

 そこまで言うと、副担任の先生は奥歯を噛みしめるのだった。

 それからしばらく先生の無言が続いた。

 結局その日はそれで休業となり、一時間目の途中で早退することとなった。


 俺はその足で光が丘公園へと向かった。そこはアンナ先生と一緒に星空を眺めるはずだった公園である。土曜日に一緒に行くと約束してくれたのに、翌日に友達と日帰りで登別温泉に行くと言いわれてキャンセルされたのだ。

 俺との約束を優先してくれていれば、先生は死ななかったかもしれない。いや、そんな風に考えてはいけないと、小牧署の警察官が言っていたのを思い出す。交通事故は口で言うほど簡単に防止できるものではないはずだ。

 北海道の交通事故死亡者数はピーク時に比べて格段に減ってはいるが、それでも毎年二百人近くは亡くなっている。俺の身の回りに限った話でも祖母を事故で亡くしているし、小学校の時の担任が死亡事故を起こしたりしている。

 しかしそんな統計を考えているのも虚しくなる。もう、この世にアンナ先生はいない。それだけで、この世界は大切な何かを失ったように感じられるからだ。展望台から見下ろす故郷が、ただただ、どんよりしているだけの工業都市に見える。

「えっ?」

 思わず口にしてしまったのは重大なことに気づいてしまったからだ。それは先生が俺との約束を守るために急いで車を飛ばしてしまったのではないかということだ。つまり、俺が余計な約束をしたばっかりに先生は死んでしまったということになる。


「ああああああああああっ!」


 叫ばずにはいられなかった。

 マリアの処刑を真に受けていたのは俺ではないか。

 中途半端に信じてしまったがために、先生を事故に遭わせてしまった。

「ケント君、どうしたの?」

 振り返ると、アンナ先生が立っていた。

 一目でマリアだと分かった。

「オマエ、マリアだな?」

「なに言ってるの?」

 ニセモノだと分かっていても、先生の顔を見ると涙が溢れてくる。

「やめてくれ。その仕打ちは酷い」

「先生に分かるように説明して」

「頼む。本当にやめてくれ」

「土曜日の約束を果たしに来たんだよ?」

「やめろって言ってんだろっ!」

 大きな声で睨みつけてやったが、その瞬間、マリアはムッとした顔をして消え去ってしまった。本当は絞め殺してやりたかったが、アンナ先生の姿に変化しているので、そんなことできるはずがなかった。


 家に帰ると母さんがキッチンで昼食を作っていた。

 いや、母さんにとっては遅めの朝食だ。

「ただいま」

 声を掛けても、振り返りもしなかった。

「おかえり」

 それがいつもの母さんだ。

「先生が亡くなったんだ」

「事故だってね」

 おそらく母親同士で連絡を取り合ったのだろう。

 俺のせいで死んだ、とは言えなかった。

 母さんは黙々と親子丼を作っている。

 それだけが今の俺にとって唯一の日常に感じられた。

「もうすぐできるから」

「食欲ないよ」

「ちゃんと食べな」

 すでに丼にご飯がよそってあった。

 作ってもらったら食べるしかない。


 ご飯を食べ終わってから自室に閉じこもったのだが、考えることはアンナ先生のことばかりだった。俺のせいで死なせてしまったとしか考えられなくなっている。こうなってくると、ユウキの死も俺が悪かったように思えてしまう。

 夜見湖でユウキの消失マジックの助手を務めなければ、今ごろ友は死なずに済んだのかもしれない。湖面に大きな穴を開けて準備をしていたのだから、その時点で説得して止めさせなければいけなかったのだ。それを俺は言われるがままに手伝ってしまったわけだ。

 それを湖岸に現れた、ユウキの変装を真似たアンナ先生を見て、勝手にマリアだと判断してしまった。俺が早合点さえしなければ、湖中に落ちたユウキを助けることができたかもしれない。そして俺は『ユウキの自殺なんか望んでいない』と言えたはずだ。

 そのことを懺悔したい衝動に駆られた。誰かに聞いてもらいたい。それなのに、今の俺には心の内を明かせる人が一人もいないのである。俺にはユウキとアンナ先生しか信頼できる人は存在しなかったと、失ってから気づくのだから大バカだ。

 パッとレンちゃんの顔が思い浮かんだ。でもすぐにその考えを打ち消した。彼女にすべてを打ち明けてしまいたいけど、巻き込んでしまうと彼女の命も狙われてしまうことになる。それに何よりもまた嘘を重ねなければならないのがつらかった。


 気がつくと『神さまの家』へと続く道がある実習林入り口に来ていた。そこで俺は学校帰りのレンちゃんを待ち伏せしているわけである。微妙な時間に来てしまったので、会えたら会って、会えなければ会わずに帰ろうと、そんな賭けをすることにした。

「ケント君!」

 あっさりと会えた。

 遠くからそう叫ぶと、急いで走ってきてくれた。

 自転車を押した同級生らしき女の子も一緒にいるが、児童ホームの子ではないのは確かだ。

「やあ」

 我ながら、ぎこちない挨拶だと思った。

「どうしたの? こんなところで」

「うん。ちょっと大事な話があって」

 知らない子がいるので話しづらい。

 それをレンちゃんは、俺の目の動きだけで察知したようだ。

「ああ、紹介します。彼女は私と同じクラスのセイラちゃん」

 紹介されたセイラちゃんは伏し目がちの可愛らしい女の子だった。レンちゃんと同じショートカットだけど、彼女の方が明るい髪色をしていた。仔猫みたいに顔が小さく、特に真っ赤なほっぺが印象的だ。

「こちらが、私がよく話しているケント君」

 とりあえず自己紹介することにした。

「初めまして。久能賢人です」

 もう二度と会うことはないので名前だけで充分だ。

「初めまして。天塚聖来あまつか せいらです」

 彼女の方も俺と同じように思っているようだ。

 代わりにレンちゃんが紹介を付け加える。

「ケント君はね、一個上だからお兄ちゃんみたいな存在なんだ」

 さらっと傷つくようなことを言われた。

 薄々感じてはいたが、やはり異性として意識してくれていないようだ。

「セイラちゃんはね、ケント君にとっての――」

 そこで口を噤んだ。

 言わなくても分かる。

 おそらく、俺にとってのユウキみたいな存在だと言いたかったのだろう。

「――この世で一番大切なお友だち」

 この場にユウキがいたら、俺も友のことを同じように紹介していたはずだ。



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