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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第2巻 女教皇編
27/60

SIDE OF THE HIGH PRIESTESS   女教皇

 三月十日の土曜日がやって来ました。卒業式は四日後の水曜日ですが、この日は三年三組だけで行われるクラスの卒業式です。ただし、そのように認識しているのは私とケント君だけで、しかも私が認識していることをケント君は知りません。

 職員室で仕事をしていると、委員長の勝田君が来て、音楽室まで一緒に来てほしいと言われました。音楽葬をすることは知っているのですが、それもサプライズとして用意してくれたので知らない振りをする必要がありました。

 しかし演技などする必要はなかったのです。なぜなら音楽室の前の廊下には三年三組の生徒たちが全員揃っていたからです。三学期に入ってから誰かしら休んでいる状態が続いていたので、全員の顔を一度に見ることができただけで感激してしまいました。

 犬飼君のご両親の姿もありました。式を始める前に話を伺ったところ、声を掛けたのは石橋さんだと聞きました。遺影をお借りしたいとお家に伺ったところ、式への参加を申し込まれ、その場で彼女が是非にと了承したというわけです。

 合唱が始まる前から犬飼君のお母様が涙を流されていました。その姿を見て、私たちも胸が痛くなり、多くの生徒が涙を流しました。私も手が震え、演奏を始めるまで気持ちを落ち着かせるのに時間が掛かりました。

「先生、始めてもいいですか?」

 気遣ってくれたのは勝田君です。

「うん」

「それでは始めたいと思います。歌うのはサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』です。この曲は犬飼君が好きだった曲でもあります。ほとんど練習することができませんでしたが、心を込めて歌いたいと思います。それでは先生、お願いします」

――この曲を聴くと思い出します。

 中学生の時に音楽の先生から教えてもらった歌。

 授業中、音楽室で聴かせてくれました。

 歌を聴きながら、先生は涙を流すのです。

 みんな見ないようにしていました。

 見てはいけないものを見た気がしたのです。

 それが中学時代の忘れられない思い出となりました。

 時々思い出しては、涙の意味を考えます。

 でも、分かりません。

 何年経っても、分からないのです。

 あれから十年。

 今度は私が子どもたちに教える立場となりました。

 後悔している部分もあります。

 それはこの歌が犠牲をテーマとしているからなのかもしれません。

 犠牲の強要は犠牲ではない。

 犠牲を強いるような教育をしてしまったのでしょうか?

 そんな私も犠牲になろうとしています。

 私は犠牲が尊いものだと洗脳されたのでしょうか?

 そんな私がユウキ君を洗脳してしまったのでしょうか?

 命を犠牲にしろ、なんて教員が生徒に教えてはいけません。

 何があっても、命とは大切にするものです。

 そう、教えなければならないのです。

 でも私の生徒は自ら命を絶ちました。

 ユウキ君は犠牲となることを選んだのです。

 それは自発的な犠牲だったのでしょうか?

 分かるのは、本人と、その友人だけなのかもしれませんね。

 それを歌のせいにしてはいけないのです。

 涙は勝手に流れるのですから。

 涙の意味は、私にも分からない時があります。

 それでどうして他人に分かるというのでしょう?

 もう、後悔はありません。

 それが生徒を救う唯一の方法なのですから。

 それを犠牲と呼ぶ必要もないのです。

 教師は生徒の命を奪う存在であってはならない。

 先生は子どもたちのために存在するのです。

 邪魔をするのではなく、大人になる手助けをすること。

 生徒に救ってもらうような先生であってはならない。

 犠牲がテーマではなかった。

 力になること。

 思い返した時に、いつもそこにいる、という存在。

 生徒にとって、そういう先生に、私はなりたい。

 ユウキ君の好きな歌を弾いて、彼と同じ気持ちになれたような気がしました。

 正しいか分かりませんが、そんな気がしたのです――


 二曲目に歌ったのは『仰げば尊し』というタイトルで知られる卒業ソングです。しかし私たちの学校では原曲の『Song for the Close School』というタイトルで教えている歌でもあります。それを在校生が練習して卒業生に向かって歌うのです。

 従来の日本語の歌詞では教師が学校の主役だったように感じられますが、原曲の歌詞では恩師という言葉は使われていません。ただ、ひたすら、学び舎を去り、級友と別れる切なさが、淡々と、美しく歌われるのです。

 母国語である日本語は何よりも大切ですが、その日本語を大切にするには、外国語にも敬意を払って学ばなければならないということだと思います。原文と翻訳を楽しめる日本の文化は、改めて素晴らしいものだと気づかされますね。


 音楽葬が終わって、お昼前には解散して、それから仕事に戻りました。泣いてしまったので、化粧を直さなければなりませんでした。あした自死するので、午後の仕事が最後となります。それを何事も起こらないかのようにこなさなければなりませんでした。

 帰る時に一年生から三年生までの教室を順番に見て回りました。色んなことを思い出しましたが、改めて思うのは、ありきたりですが、大人になってからの三年はあっという間だったということです。

 しかし大事なことは、時間は貴重であると説くことよりも、子どもは永遠のように感じる日々の中で絶え間なく苦しんでいる、ということを大人になってから忘れてはならないことだと思いました。安易に『時間が解決する』と考えてはいけないということですね。


 三年生の教室を出た時には外が真っ暗になっていました。

「アンナ先生」

 職員用の玄関で声を掛けられました。

「ケント君、どうしたの?」

「先生の帰りを待ってました」

「ずっとここで?」

「はい」

「寒かったでしょう?」

「平気です」

 それが男の子の痩せ我慢だと分からない私ではありません。

「用があるなら声を掛けてくれればいいのに」

「仕事の邪魔をしたらいけないと思って」

「そんなこと気にしなくてよかったんだよ」

 ケント君はなかなか目を合わせてくれません。

「それで、どうしたの?」

 なかなか答えてくれません。

「先生に用があるんでしょう?」

「はい」

 言いにくそうにしています。

「とりあえず送ってあげるから、続きは車の中で話そう」


 ケント君を車で送ろうと思ったのは彼が本当に本物のケント君か確かめるためです。マリアが化けている可能性もあるので信じるわけにはいきませんでした。しかし歩き方だけで判断するのは難しそうです。そこで直接ケント君の家に行って確かめようと思いました。

 お家に明かりは点いていませんでした。ご両親ともにまだ仕事から帰られていないようです。二階のケント君の部屋の明かりも点いていなかったので、サイドシートに座っている彼が本物のケント君で間違いないでしょう。

 部屋の明かりだけでは証拠になりませんが、学校から家まで一言も口にしなかったので、それで本物のケント君だと確信したというのもあります。マリアだったら堪え切れずに喋り出していたに違いありませんからね。

「お家についちゃったけど」

 私は、明日処刑されることを知らない、という設定で接しなければいけません。

 ケント君は私にそれを悟らせないようにしているはずです。

 それでもいつものケント君とは様子が違うのです。

 ですから、ここは心配しなければいけません。

「ケント君どうしたの? 何か心配事でもあるの?」

 そう言うと、すぐに首を振りました。

「いえ、何もありません」

「マリアが現れたとか?」

 名前を出さないのは不自然なので、あえて口にしました。

「いえ、マリアはあれ以来、現れていません」

 嘘つき。

 でもそれは私のための嘘。

「だったら何だろう? 口に出しづらいこと?」

 ケント君が何を言いたいのか予想できませんでした。

「先生」

 声が緊張で震えています。

「なに?」

「明日の夜、時間ありますか?」

「明日の夜?」

 それは処刑の期限に設定された時間だと思われます。

 しかし知らない振りを貫きました。

 私も嘘つき。

「はい。明日の夜、一緒に過ごしたいんです」

 それを聞いて、心が満たされました。

 完全に満ちたような感覚を覚えたのです。

 しかし、その気持ちを悟られてはなりませんでした。

「なに言ってるの?」

「あっ、ごめんなさい」

 申し訳なさそうな顔も愛しく感じられたのです。

「光が丘公園で星を観察したくて、それで保護者として一緒に付き添ってもらいたくて」

 その嘘までが愛おしい。

「翌日は学校でしょう? 春休みに入ってからではダメなの?」

 彼の気持ちを確かめたくなったのです。

「それはダメです」

 即答してくれました。

「どうして?」

 この時間を大切にしたいと思って尋ねてしまいました。

「それは……」

 どうやら彼を困らせてしまったようです。

「来週じゃいけないの?」

「はい」

 上手く答えられない姿も愛おしく感じました。

「星に興味があるなんて初めて聞いたけど?」

「最近、興味を持ったんで」

「何時に会えばいい?」

「いいんですか?」

「うん」

 そう答えると、ホッとした笑顔を浮かべるのです。

 その顔を見て、胸が締め付けられました。

「それで何時に迎えに行けばいいのかな?」

「暗い方がいいので、夜の十一時から一時まで一緒にいてもらいたいんです」

 それは日付を跨ぐ瞬間を一緒に過ごすということです。間違いありません。ケント君は処刑されるかもしれない時刻を私と一緒に過ごそうとしてくれているのです。つまり、私と一緒に死ぬ覚悟を決めていたということになります。

 それが彼の愛情表現なんですね。男女の恋愛ではありませんが、私と一緒に死ねる男なのです。誰かのために死ぬのではなく、一緒に死んでくれることで、私を孤独から救おうとしてくれています。

 嬉しい。そんな男性とは出会いたくても出会うことはできません。殺せばどんな願い事でも叶えることができるのに、彼はそうしなかった。生き残る方法があり、それを事故と処理できるにも係わらず、そうしなかった。

 愛しい。私に黙ったまま自ら命を絶って、残された私を苦しませなかった。そんな彼が愛おしくてたまらない。一緒に死んでくれると決めてくれた男の子は、もう子どもじゃありません。私にとっては誰よりも愛おしい男性なのです。

「先生、それじゃあ約束ですよ」

「うん。明日の夜の十一時ね」

「時間厳守でお願いします」

「うん。じゃあね」


 その夜、光が丘公園に行きました。

 明日の夜、ケント君と一緒に行くと約束した場所です。

 市内を一望できる展望台のある公園。

 そこで一人で星を見ることにしたのです。

「夜の公園は危険ですよ」

 マリアが現れました。

「自分のこと言ってるの?」

 そう言うと、笑いました。

「やだ、今日の先生ったら面白い」

「面白いのはあなたの存在よ。違う。面白いんじゃなくて、滑稽なのよね」

「どうしたの? なんか無理してる感じだけど?」

「無理はしてない。ただ、とても気分がいいだけ」

「明日、私に殺されちゃうのに?」

 マリアは結末までは予想できないようです。

 そこで喜びを実感することができました。

「残念ながら、あなたの負けね」

 マリアがムッとしました。

「なに言ってるわけ? 頭がおかしくなっちゃった?」

「あなたは私に勝てなかった」

 マリアがイライラしています。

「私と貴女は勝負をしていないのだから、勝ちも負けもないでしょう?」

「ケント君は私を殺さなかった」

「それが何?」

「私のために自殺もしなかった」

「それが何だって言うのよ!」

 マリアが感情的になっています。

「だから私の勝ちだって言ってるの」

「はっ?」

 その声が誰もいない夜の公園に響き渡りました。

「ケント君は私と一緒に死んでくれるんだよ?」

「まだ分からないじゃない」

「さっきの会話、聞いてたでしょう?」

「明日の夜、殺されるかもよ?」

「殺す気があるなら、もう殺してる」

 マリアが面白くなさそうな顔をしています。

「ケント君はあなたの望む通りにはならなかった」

「あの子はバカだから、よく分かってないのよ」

「本当にそう思ってる?」

 お喋りのマリアが黙りました。

「ケント君が私なんかと一緒に死ぬなんて思わなかったんじゃないの?」

 私も彼がそうしてくれるとは思ってもみませんでした。

「どんな願い事よりも、私と一緒に死ぬことを選んでくれたの」

 今の私の目にはマリアがとてもつまらない存在に見えています。

「ケント君の中では、あなたよりも私の方がより価値があるということね」

 そこでマリアが薄ら笑いを浮かべます。

「それが何だっていうの?」

「なにって、何よりも価値があるものよ」

「ケント君が? そんなはずないでしょう?」

「最初に彼に拘ったのは、あなたの方でしょう?」

 またしてもマリアが黙しました。

 彼女にとって二度目の敗北です。

「ふしだらな女」

 それしか言えないようです。

「淫行教師」

 空も飛べるのに、そんなことしか言えないのです。

「オバサンのクセに」

 何を言われても気持ちが変わることはありません。

「マリアさん、何を言ってもムダですよ。私はケント君のことが好きです。もう、あなたの思い通りにはならないんです。彼が引き分けを望んだ時点で、あなたの負けが確定しました。一緒に死ぬ私たちを引き裂くことはできません」

 マリアの顔から感情が引きました。

「それはどうかな?」

「どうするというの?」

「まだ時間はあるのよ?」

「そうね」

「勝利宣言には早すぎない?」

「いいえ」

 そこでマリアが完全に沈黙しました。

 三度目の敗北なので勝負が決しました。

「他の職業だったらケント君と一緒に死んでいたでしょう。でも私は学校の先生です。だから一緒に死ぬことはできません。生徒の命を救う方法があるのだから、彼の命を助けると決めました。それが先生という存在です。だから、あなたは何もしなくていい」

 やはり自死するしかないのです。

「ケント君には予定が入ったと言うつもりです」

 それが彼を救う唯一の方法。

「結果的にあなたは私を敗者とみなすでしょう。でも、私はあなたに勝った。それだけは忘れないで。そして予言しておきます。あなたはいつかケント君に屈する時がくるでしょう。今は信じられないかもしれないけど、必ず彼に屈するから憶えておいて」


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