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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第1巻 魔術師編
2/60

SIDE OF THE MAGICIAN   魔術師

 ケント君と一緒にシャワーを浴びて、その大きな身体を見てしまうと、どうしても劣等感を抱いて胸が苦しくなってしまう。家に帰ってから一人でお風呂に入っている今も、思い出しては悔しくて涙が溢れる。

 特に羨ましいと思うのは彼の大きな手だ。風呂敷のような掌で、指もウインナーのように長くて肉厚で、それでいて一本一本に知能が宿っているかのように、華麗でしなやかな動きをしていて、見る者をウットリさせる。

 それに比べて僕の手はとても小さくて、みすぼらしくて貧弱にしか見えない。流した涙も受け止めきれないくらい頼りない。こんな小さな手をしていてはカード・マジックなど出来るはずがないだろう? 五百円玉のコインですら隠すのに手こずっているのだから。

 僕の夢はマジシャンになることだった。過去形なのは、将来プロとしてやっていくには難しいと薄々気が付き始めたからかもしれない。他人には夢を追っていることを公言しているけど、それは後に引けないだけであって、本人はもうとっくに諦めている。

「友紀、早く上がりなさい」

 母さんが優しい声で僕のことを気に掛けてくれた。母さんはいい人すぎるから、反抗して悪態をつくことすらできない。少しでも母さんのことを悪く思うと自分の胸に跳ね返り、増幅して自己嫌悪に陥ってしまうから。

「友紀、受験でナーバスになることはないからな」

 食事中に父さんが話し掛けたのは、僕が落ち込んだ顔をしているからだろう。

「志望校に合格しても未来が約束されたわけじゃないし、不合格でも人生が終わってしまうわけではないんだ。可能性を広げたり選択肢が増えたりするが、辛抱してコツコツ積み重ねていくのは、どこにいようと変わらないからな。友紀には好きなことがあって、すでにやりたいことが決まっているなら納得するまでやってみればいい。それで上手くいかなかったとしても経験したことまで無くなるということはないんだから、たとえ失敗しても無駄にはならんだろう。大事なのは失敗した後に、それが無駄ではなかったと思えるようにリカバリーすることだ」

 父さんも優しい人だ。二人の兄が無事に進学して、長兄がすでに父さんの会社に勤めることが決まっているから余裕があるのかもしれないが、それを抜きにしても他人が羨むほどの父親であることは理解している。

 両親が立派な人たちだから、手が小さい子どもに生んだことを恨むことすらできない。いや、どんな両親だろうと産んでくれたことに感謝しなくちゃいけないのだった。そう思わないと酷い人間だと思われてしまう。


「僕の部屋で何をしているの?」

「あなたは驚かないのね」

 食事を終えて二階の自室へ行くと、知らない女の子がトランプで遊んでいた。

「『あなたは』ってことは、ケント君のところにも行ったんだね」

「一瞬でそこまで理解できるんだ」

 そう言いながら、机の上でトランプタワーを作っている。

「それは数日前にUFOを見たばかりだからだよ。今日は一日そのことばかり考えていたんだ。ひょっとしたら目の前に宇宙人が現れて連れ去られるかもしれないってずっと思っていたんだから、連想できて当たり前だろう?」

「どうして地球人はどいつもこいつも宇宙人といったら連れ去られてしまうと思うのかな。すごい自信よね。だってそうでしょう? 自分に価値があると思っていないと出来ない発想なんだもん」

 喋りながらも集中を切らさずにトランプタワーを積み上げている。

「ケント君にも会ったんだよね?」

「うん。ついさっきね」

「いま、どこでどうしてるの?」

 僕の言葉に女の子が笑った。

「大丈夫よ。せっかく見つけた玩具おもちゃなんだから簡単に壊すはずがないでしょう?」

 それは僕に対しても同じように扱うという意味も含んでいるのだろうか?

「名前は何?」

「隠者」

「ひょっとして命名したのはケント君?」

「本当に聡い子ね」

「最初に僕のところに来てくれたら『クイーン』って呼んであげたのに」

「そして優しくもある」

 タロットカードで「隠者」は九番目のカードだ。正位置なら神出鬼没や変幻自在などの意味があるが、それをケント君が意図して名付けたかどうかは分からない。とりあえず「死神」や「悪魔」のカードではないのでひと安心だ。

 ケント君ほどではないが、僕もタロットカードには興味がある。思い出すと、僕に将来の夢を抱かせたのがケント君のタロット占いだった。手品好きだった僕が「魔術師」のカードを引き当てたことで運命を感じた。

 三年前の占いで違うカードが出ていたらマジシャンになりたいと思わなかったかもしれない。望んでいたカードが出たのだから夢を追うしかないではないか。その時は現在のように絶望を知らなかったので当然の選択だった。

「あなた、目的は尋ねないのね」

 隠者が不思議そうな顔で僕のことを見ている。そういう僕も不思議な気持ちでいっぱいだった。どこからどう見ても同い年の中学生で、魔法少女のコスプレをしているようにしか見えない女の子だ。宇宙人が地球人に化けられるのなら至る所にいても不思議ではないわけだ。

 ひょっとしたら今までコンタクトしていないだけで、何度もすれ違っていた可能性がある。どこかに地球人との違いがないかと思って見てみるが、それらしい目印はなかった。

「顔に似合わず、やらしいんだ」

「え?」

「私の身体をジロジロ見てたでしょう?」

「いや、それは……」

「体つきは子どもだけど、年齢は嘘をつかないようね」

「違うよ、誰かに似てると思って」

 それは本当のことだった。どこかで見たような、いや実際に会ったことがあるような気がした。別のクラスの女の子なら分かりそうなものだけど、どうしても思い出すことができなかった。

「それで、私が会いにきた目的は尋ねないの?」

「あっ、うん」

「どうしてよ?」

「聞かない方がいいんじゃないかと思って」

「あなたって本当にお利口さんなのね。ケント君と全然違うんだもん」

「そんなんじゃないよ。僕は知るのが怖いだけだから」

「おまけに正直者じゃない」

 そう言うと、隠者が椅子から立ち上がった。

 トランプタワーが四段まで積み上がっている。

 わずかな振動で崩れそうなものだが、タワーはビクともしていない。

「五段目はユウキ君に任せてあげる」

「いや、いいよ」

「遠慮してどうするの? こんなのただの遊びでしょう?」

 そう言うので、タワーの頂上となる五段目を引き受けることにした。

 隠者が緊張している僕を見てクスクスと笑っている。

 今までの最高記録は三段だ。

 遊びだとわかっているのに手が震えてしまう。

 息が当たるだけで崩れるに違いない。

 手を素早く動かしただけで風が起こる。

「ふっふっふっ」

 隠者に笑われてしまった。

「あなたって、本当に不器用なのね」

 そう、僕は失敗してしまったのだ。

「これでも僕は、人間の中では手先が器用な方なんだけどな」

 隠者が僕を見下ろす。

「そうね、だったら今度失敗したら死んでもらうね」

 死んで、もらう?


 翌日は日曜日で学校は休みだけど、ケント君とは毎日会う約束をしている。家の用事も冠婚葬祭以外は友達を優先するのが僕たちの関係だ。趣味も似ているし、考え方や価値観なども似通っている部分が多い。

 長身のケント君とは見た目が違うけれども、それ以外では実の兄弟よりも血縁者という意識が強い。他の友達と遊ばないのは、小学生の頃には十人以上いた友達が、中学を卒業する今は疎遠となって、二人だけ取り残されてしまったからだ。

 日曜日の散歩は、お昼過ぎに行くと決まっている。僕が愛犬のマジックを連れて、実習林の入り口近くに住んでいるケント君の家に訪ねて行くのだ。天気が悪ければ自粛するけど、雪が降ったくらいでは取りやめることはない。

「一人?」

 玄関口で出迎えたケント君がキョロキョロと周囲を警戒する。

「大丈夫、隠者はいないから」

 ケント君が驚く。

「ユウキのところにも来たのか?」

「うん」

「とりあえず外で話そう」

 ということで、いつも通り愛犬のマジックと一緒に実習林のハイキングコースへ向かった。前日に雪が降ったということもあり、辺り一面が新雪でキラキラしていた。光の屈折によってはオレンジやイエローに見える、不思議な世界に迷い込んだ感じだ。

 アイスバーンになっていないので足元がふかふかしている。雲の上というよりも綿菓子の上を歩いているような気分になる。でも雪を食べたりはしない。そういうのはすでに小学生の時に卒業しているからだ。

 雪が降った翌日は、いつもケント君が僕の目の前を歩いてくれる。歩きやすいようにと、僕のために足跡を作ってくれるのだ。恩着せがましいことは一切言わないけれど、僕はその優しさを知っていた。

 ケント君は僕の歩幅に合わせて歩いてくれているというのに、僕ときたらその気遣いに複雑な思いを抱いてしまう始末だ。ジーンズにコートと似たような服装をしていると、どうしてもすらっとした体型に羨望と嫉妬が入り混じってしまう。

「ああ、よかったサラサラだ」

 そう言って、ケント君が広場のベンチに積もった雪を掃った。僕たちがいる場所はハイキングコースの途中にある休憩所だ。駐車場でもあるので、夏になったらここまで車で来て、小川のほとりでキャンプをすることも可能だ。

 見渡す限り、雪原に足跡はなく、巨大なキャンバスが目の前に広がっているけど、そこに足跡で落書きをするのもすでに卒業している。二月はもう雪に飽きている時期でもあった。

「どこにも足跡がないから、ここだと隠者に話を聞かれることもないだろう」

 それを真顔で言うから、笑いそうになってしまった。

「なに? どうしたの?」

 ケント君には簡単に表情の変化を見破られてしまう。

「いや、隠者は宇宙人だよね? だったら空を飛んでも不思議じゃないと思って」

「あっ、そっか」

「消えるのも一瞬だし」

「それに、どんな物にも姿を変えられるもんな」

「えっ、そうなの?」

 ケント君は驚いた僕に、宇宙人が隠者になる前の姿を教えてくれた。

「――なんだよ! やっぱり女の子じゃないのか」

 思わず悪態をついてしまった。

「ハハッ、可愛いのが腹立つんだよな」

 少しだけドキドキした自分が情けない。

「でも隠者って、どこかで見た顔じゃない?」

 昨夜から気になっているので、ケント君にも尋ねてみた。

「いや、俺はまったく覚えがないけど」

 だとしたら同じ中学の女の子ではないということだ。

「それよりも、ユウキも聞いてるよな?」

 そう言って、真剣な眼差しを向けてきた。

「うん」

「『死んでもらいたい』って、どういうことだ?」

「えっ? それだけ?」

「ああ、捕獲した目的を尋ねたら、そう教えてくれた」

「僕の方は『失敗したら死んでもらう』って条件があるみたいだったけど?」

「俺たちは何をやらされるんだ?」

「わからないよ」

 すると突然、雪原を走り回っていた愛犬のマジックが吠えだした。

「こんにちは」

 振り返ると、隠者が僕たちを見下ろしていた。

「二人共お揃いでデートでもしているの?」

「こういうのはデートって言わないよ」

 ケント君が真面目に答えた。

「知ってるわよ、ただの冗談でしょう?」

 どうやらこの宇宙人には、笑いのセンスはないようだ。

「それより私も座っていい?」

 見た目は女性なので、そう言われると席を空けるしかなかった。

 僕とケント君の間にお尻を割り込ませた。

 驚くべきは、触れた感触があるということだ。

 見ると、隠者の足元には踏み跡がある。

 それはつまり物理的に存在しているということだ。

「いつの間に来たんだよ?」

「ケント君は本当に質問の多い子ね」

「もったいぶるのはやめてくれ」

 隠者がニンマリとする。

「『可愛いのが腹立つんだよな』って言えばお分かり?」

「聞いてたのか?」

 ケント君が驚くのも無理はない。

 それはついさっき僕たちが交わした会話だからだ。

 でもその時は、隠者の姿はなかった。

「昨日の朝からずっと観察していたのよ? 知らなかったでしょう? まぁ当然よね。あなたたちに知覚できるような頭はないんだから。二人が別の場所にいようとも、私は全部あなたたちのことを見ることができるのよ。ねぇ、スゴイでしょう?」

 僕には、それがスゴイかどうかも分からなかった。

「全部監視されてるのか?」

 ケント君が訊ねた。

「観察ね」

「『神さまの家』で一度も見掛けなかったぞ?」

「カメラなんて必要ないのよ」

「カメラもないのに見ることができるのか?」

「ええ」

「風呂場も?」

「トイレの中もね」

 そこでケント君が言った「捕えられた」という意味が分かった。

「でも気にすることないわよ。私たちがあなたたち地球人の排泄行為や自慰行為やセックスなんかを見るのは、あなたたちにとって動物がウンチしたり交尾したりするのを見ているのと変わらないんだから。いや、植物の受粉とかに近いかな」

 話の内容よりも「私たち」という複数形が気になった。

「どうやって観察しているんだ?」

 ケント君は別のことが気になったようだ。

「地球とは記憶媒体が違うのだから、説明しても、あなたたちには理解することなんてできないでしょう? それに地球上に存在する言語は不便すぎて喋るだけでも苦労しているんだから、これ以上、私を困らせないでくれる?」

 太陽の下で見る隠者は地球にいる女の子そのもので、肌質や色素など完璧にコピーしていた。影はもちろんのこと、顔にも陰影ができているので、彼女が確かに存在しているのは間違いない。その上、肌に古傷まであって、そういうところにも再現能力の高さが窺えた。

「困っているのは俺たちの方だ」

 ケント君が隠者との会話をリードしてくれている。

「昨夜の話だけど『死んでもらう』っていうのはどういうことだ? ユウキにも同じことを言ったらしいじゃないか。君は俺たちに何をさせようとしているんだよ? それを言わずに消えちまうのはやめてくれ」

「それは私の勝手でしょう? 観察が目的なんだから、あなたたちの反応を楽しむために工夫するのは当たり前じゃない。すぐに殺さず時間を掛けてあげているんだから、むしろ感謝してほしいくらいだわ」

 いつでも殺せるということか?

「でもそうね、思ったほどの反応ではなかったし、引き伸ばしてもつまらないから本題に入ろうかな」

 そう言うと、隠者が立ち上がった。

「マジック!」

 その声に、雪原を走り回っていた僕の犬がこちらに向かって走ってくる。

 僕の声にしか従わないと思っていたので、なぜだか悔しくなった。

 それと、なんだか切ない。

「ユウキ君、マジックはあなたにとってどういう存在なの?」

「それは大切な存在だよ」

「もう少し表現を工夫できない?」

 そう言われて、改めて愛犬を見てみる。マジックは天然記念物にも指定されている北海道犬だ。猟をする父さんが三年前に知り合いから貰い受けて、それから毎日、僕が世話をすることになった。

 新雪の上だと見失うほど真っ白な身体をしており、まん丸い目が特徴だ。切れ長の目をしている仲間もいるそうだが、そこは飼い主に似てしまったのかもしれない。僕の子どもではないので似るわけがないのだが、それくらい親和性を感じてしまう存在だ。

「家族のように感じる時もあれば、友達のように感じる時もある。マジックが僕のことをどう思っているかは分からないけど、それでいいんだ。だって友達というのは自分が大切に思うという気持ちが肝心だからね」

 隠者がマジックを可愛がっている。

「素晴らしい答えね」

 拍手までしている。

「じゃあ、この子を殺してもらおうかな?」

 一瞬、意味が分からなくなった。

「なに言ってるんだ!」

 僕の代わりに立ち上がってくれたのはケント君だ。

「聞いてなかったのか? マジックは大切な存在なんだよ」

「だから殺すところが見たいのよ」

 突然、気分が悪くなった。

 吐きそうになる。

 溢れそうになった涙が寒さで冷えて、目の辺りに刺さって痛い。

「なんの意味があるんだ?」

 ケント君が隠者を見下ろすが、彼女に怯んだ様子はない。

「だから言ったでしょう? 私が見たいのよ。何度も同じことを言わせないで。本当に頭が悪い子なんだから」

 怒りに震えるケント君を前にして、隠者はニコニコと笑っていた。

 友が拳を固く握りしめている。

 でも、その拳を振り上げることはなかった。

 彼は生まれてから一度も他者に暴力を奮ったことがない人間だ。

 隠者の胸倉を掴むこともないだろう。

 見た目が女性の姿じゃなくても、その態度は一貫して変わらない。

「ただの余興とはいえダラダラと引き伸ばしても仕方がないわよね? だったらこうしましょう。期限を決めるのよ。何日間がいいのかな? 一か月だと長いし、一日だと短いじゃない。そうね、やっぱり一週間が最適だと思うの」

 隠者の独り言でルールが作られていく。

「ユウキ君は一週間後の日曜日が終わるまでにペットのマジックを殺すこと。もしも殺すことができなかったら、その時は死んでもらうんだからっ」

 軽やかな口調が現実感を希薄にしている。

「あっ、そうだ。『逃げちゃった』とか『あげちゃった』とかの言い訳はなしだからね。隠そうとしたって、その行為も見られているということを忘れないで」

 そこで隠者が口を押える。

「いけない。私ったらなに言っているのかな。そういうことも内緒にしておいた方がおもしろいのにね」

「ふざけんなよ」

 いつも僕の分まで怒ってくれるのがケント君だった。

「勝手なことばかり抜かしやがって。俺たちがそんなことをするわけないだろう? なに参加することを前提に話を進めてるんだよ」

 ケント君に詰め寄られても、隠者は涼しい顔をしている。

「ゲームに参加したくないのなら参加しなければいいでしょう? その時は一週間後に死ぬだけなんだから。私はどちらでも構わないのよ」

 隠者が至近距離を嫌わないのは、僕たち地球人からの物理攻撃が怖くないからだろう。

「こうして姿を見せて、わざわざルールを説明してあげただけでもありがたいと思ってもらいたいわね。メールで済ますとか、いくらでも他のやり方があったんだからっ」

 そう言って、隠者が頬を膨らませた。

「君は本当に俺たちのことを殺せるのか?」

 愚問かもしれないが、僕もケント君の疑問に興味がある。

「殺せるわよ」

「どうやって?」

「どうとでも殺せるけど?」

「その証拠を見せてみろよ」

「はぁ?」

 隠者が心の底から驚いている。

「なんで私があなたたちのためにそんなことまでしなくちゃいけないの? 失敗したら一週間後に殺せばいいだけなのよ? 殺し終わったら他の人間を捕獲すればいいだけなんですもの。証拠を出せって、本当にケント君の頭の悪さにはビックリしちゃうわね」

 そう言いつつ、なぜか隠者は嬉しそうな顔をしている。

「他の人間を捕獲できるなら、なんで俺たちのところに来たんだよ?」

 僕も気になる。

「これでも色々と苦労したのよ。大人すぎてもいけないし、子どもすぎてもいけないし、強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけないし、頭が良すぎてもいけないし、頭が悪すぎてもいけないの。あっ、ケント君は想像した以上にバカだけどね」

 頭の良さは分からないけど、他は完全に僕たちに当て嵌まる。十五歳はちょうど大人と子どもの境目となる年齢だ。柔道や空手など一切したことがないので強くはないけれども、無抵抗の相手なら殺せるくらいの腕力や握力は備わっている。

「他にも都会すぎてもいけないし、田舎すぎてもいけないと思ったかな」

 僕たちが暮らしている場所は北海道の道南地方にある人口十六万人程度の地方都市だ。東京から見たらド田舎かもしれないけれど、北海道の中では開けた街と言ってもいいだろう。港と製紙工場が有名で地理の教科書にも載っている。

 小牧市こまいしの面積は東京二十三区がすっぽりと収まってしまうほどの大きさなので、それだけでどれだけ広いか想像できるだろう。つまり十六万人の小牧市民の中にも駅前に住んでいる人もいれば山の中に住んでいる人もいるということだ。

 僕とケント君の家は駅前の商業施設や文化施設などがある場所からは遠いが、深い森の手前に家があるため不便な生活をしたことが一度もないような場所で生まれ育った。まさに隠者が求める理想の条件だったのだろう。

「それと家庭環境も重要なのよね」

 隠者がため息をつく。

「あなたたち、もっと感謝した方がいいわね。だってそうでしょう? 標準家庭について調べてみたんだけど、両親が健在で持ち家で暮らせているだけでも充分に恵まれているんですもの。複雑な事情を隠している子がたくさんいるけど、そういうの知らないでしょう?」

 僕たちを殺そうとしている奴に言われたくない。

「まぁでもペットを飼っているというのも手始めにはちょうどいいと思って、あなたたち二人に決めたのよ。選ばれた気分はどう?」

「いいわけないだろ!」

 僕もケント君と同意見だ。

「ふっふっふっ」

 隠者は楽しくて仕方がない感じで、見ていると気分が悪くなる。

「言っとくけど、俺たちはマジックを殺したりなんかしないぞ。君が望むような展開にはならないからな。脅されたって、殺せるはずがないんだよ」

「あっ、言うのを忘れてたけど、ケント君には別の動物を殺してもらおうと思っているの。ほら、あそこ、変な名前の、そうそう『神さまの家』だっけ? あそこで飼われているウサギがいるじゃない? あれを殺してほしいのよ」

 ケント君が絶句した。

「あそこのウサギ、今は伊吹恋ちゃんがお世話しているのよね? ケント君が思いを寄せている女の子なんでしょう? ノートに彼女への気持ちを綴っているじゃない。彼女が可愛がっているウサギをケント君の手で殺すのよ」

 知らなかった。それは、ケント君の好きな人は同じクラスの松坂月子さんだと思っていたからだ。いや、それもちゃんとケント君の口から聞いたわけではない。ケント君が松坂さんのことを見ているのを目撃して、そう思っただけだ。

 僕たちは仲のいい友人同士だけど、恋愛に関する話はこれまで一度もしたことがなかった。見た目は軟弱な二人だけど中身は硬派なので、浮ついた恋の話など一切したことがない。異性に関しては芸能人の話で好みを打ち明けるくらいだろうか。

「あのウサギはダメだ」

 ケント君の言葉にさっきまでの力がない。

 顔を赤くして、うつむいている。

 僕にレンちゃんへの気持ちを知られて動揺しているのだろうか?

「だったらケント君が犬を殺して、ユウキ君がウサギを殺せばいいじゃない? それができたら殺さないであげる」

 そう言って、隠者が「しまった」っていう顔をする。

「余計なアドバイスはしない方がいいのよね。ちょっと喋りすぎちゃったかな? そろそろ消えるわね。あとは二人で話し合ってちょうだい」

 ケント君の耳には届いていない様子だ。

「あっ、そうそう、小声で喋っても意味がないからね。文字でやり取りしても全部見えているから。余計な小細工をしないで堂々と残りの人生を楽しんでちょうだい」

 そう言うと、隠者は消えてしまった。

 一瞬で蒸発してしまったかのようだ。

 陰も見当たらない。

「家でココアでも飲まない?」

 ケント君がこちらを見ずに頷いた。


 帰り道は互いに一言も喋らなかった。付き合いが長いので無言でいることに慣れてはいるが、ここまで落ち込んだ状態で一緒に過ごした経験は記憶になかった。気分が悪いと周りの景色までどんよりと見えるようだ。

 家に帰っても両親は不在だった。日曜日は夫婦揃って札幌まで兄さんに会いに行くのが慣例化していて、行った先で美味しいお店を探すのが母さんの楽しみの一つになっている。僕は犬の世話を一日も休まないと約束したので一度も同行したことがなかった。

 その代わり、広くて暖かいリビングを独占できるので悪くない休日だと思っている。マジックが床に寝そべり、僕たちは大画面のテレビでゲームをする。それがこれまでの日曜日だけど、それも先週までの話だ。

 家のキッチンにはケント君専用のマグカップが用意してある。冬場はココアか紅茶を飲んで、夏場は市販の炭酸飲料かスポーツドリンクを飲む。お菓子を用意しても手をつける人ではないので滅多に出すことがない。もちろん今日は食欲など湧かなかった。

「熱いから気を付けて」

「ありがとう」

 リビングのソファに座っているケント君にココアを差し出すと、いつもと同じようにお礼の言葉が返ってきた。ケント君のこういうところが僕は大好きだった。どんな状況や心境でも挨拶だけは忘れたことがない。これは尊敬すべきことだ。

「隠者の話だけど、どうするの?」

 ケント君の言葉を待ってみたけど、口を開かないので僕の方から聞いてみた。

「どうするって、どうすることもできないよ」

「うん」

「ペットを殺せなんて、頭がおかしいんだ」

「聞かれてるよ?」

「構うもんか」

 静かな語り口だが、心の中が乱れているのが分かる。

「本当に殺されるのかな?」

 にわかには信じがたい話だ。

「分からないな」

 まさにケント君の言う通りだ。隠者が僕たちを実際に殺すことができるかどうかは未知だ。トランプを持つことができたので凶器を持つことも可能だろう。しかし実際に殺せるかどうかは分からない。分かりっこない。

 せめて僕たちが見ている隠者の姿は幻覚にすぎないと思わせてくれれば、これほど悩むことはなかっただろう。触れた感覚さえ持たなければ夢を見させられているのではないかと思い込むこともできたわけだ。

「残り一週間か」

 ケント君が呟く。隠者の話が脅しじゃなければ、僕たちは残り一週間しか生きられないということになる。来週の日曜日が終わった瞬間に人生も終わってしまうということだ。そんなことが起こり得るだろうか?

 残念ながら隠者の話を証明する術を僕たちは持ち合わせていない。隠者が殺しを実行するかどうか、それを僕たちが知ることができるのは、実際に殺される瞬間において他にないから。

「コイツ、気持ちよさそうな顔して寝てるな」

 ケント君が床で眠っているマジックを見て微笑んだ。

「何も知らないんだもんね」

「その方が幸せだよ」

 昨日、隠者とも似たような話をしたっけ。

 質問しない僕のことを頭がいいと言ったんだ。

 でも本当のお利口さんは、僕ではなくマジックの方かもしれない。

「誰かに喋ったら罰を受けると思う?」

 素朴な疑問だった。

「それは何も言ってなかったな」

 当然ながらケント君に分かるはずがない。

「でも喋っても誰も信じないだろうね」

「ああ。俺なんてニュースをそのまま伝えても信じてもらえないもんな」

 悲惨に感じない程度で笑わせてくれるから、彼の自虐的な性格も大好きだ。

「でもユウキが話をすればみんな信じてくれるんじゃないかな? 学校の人たちは分からないけど『神さまの家』の子どもたちなら完全に信じ切ると思うよ」

 そう言うと、和やかだった表情が曇ってしまった。レンちゃんのことでも思い出したのだろうか? こんなにも気詰りになるのは経験がないので戸惑ってしまう。ここは沈黙を破ってレンちゃんの話題に触れてあげるべきなのだろうか?

 恋愛に関してフランクに話せなくても、僕たちが大事な友人同士であることに変わりはない。むしろ男同士なら勝手に恋愛して事後報告するだけで問題がないくらいだ。色恋とは別なところで信頼関係があれば、それでいい。

 でも『神さまの家』の話題が出るたびに沈黙が訪れるなら、一度ちゃんと話をしておいた方がいいようにも思える。ウサギの問題もあるし、やはり話をしておくべきだろう。死んでからでは話せなくなってしまう。

「ケント君、隠者の言葉は本当なの?」

「えっ、なにが?」

「レンちゃんのことが好きだって言ってたろう?」

「あっ、うん」

 あっさり認めた。

「そっか、だったら隠者っていうのは本当になんでも分かっちゃうんだね」

「うん」

 レンちゃんの話をしようと思ったのに、隠者の話に持っていったのは失敗だ。

「てっきり僕は松坂さんのことが好きだとばかり思っていたから驚いたよ」

「レンちゃんと出会うまでは好きだったよ」

「やっぱり」

「俺ってそんなに分かりやすいかな?」

「うん。教室の端っこ同士の席になった時も、ずっと見つめていた時期があったからね」

「なにそれ? こわっ」

「ケント君のことだよ」

 今日初めて気持ちよく笑い合うことができた。

 これが僕にとって人生における至福のとき。

 ケント君の笑顔は、お日さまの光のようなものだ。

「でもレンちゃんのことが好きだとは知らなかったな」

「うん」

「そんな素振り見せてなかったから」

「自分でも分からないけど、顔をまともに見ることもできないんだ」

 恋に悩める友の顔は、僕の胸まで痛くした。

「だからハッキリと表情を思い出すことすらできない」

「本当に好きなんだね」

「ああ」

「でもケント君の好きな人がレンちゃんみたいな人でよかったよ。なんだかホッとした」

 これは本音だ。レンちゃんは聖母のような人で、僕たちの一個下なのに『神さまの家』では小さい子たちの面倒をよく見るお母さんのような役割を務めている。自分だって誰かに甘えたい年頃のはずなのに、他人のことばかり考えてしまう人だ。

 他人から嫌われたくないと思う人は他者に対して注意できないものだが、レンちゃんは怖がらずにしっかり悪いことは悪いと言える人でもある。『神さまの家』の子どもたちがすくすくと成長しているのは、彼女のおかげのような気がする。

 経済的に恵まれていないのでオシャレはできないから、どうしても同じ服ばかり着ているのだが、常に清潔にして上品に振る舞っているので、同年代の女の子たちと比べても大人に感じられた。

 二十歳になれば自動的に大人になれるというものではない、と最近になって考えるようになった。レンちゃんのように素敵な人は年下であろうと尊敬できるし、反対に成人した人が幼稚な罪を犯すと子どもよりも劣って見えるからだ。

「でもレンちゃんはユウキのことが好きだから」

 冗談で口にしたわけではなさそうだ。

「まさか」

「だって二人で行くと、いつもユウキの側にいるから」

「それは僕の手品が楽しみなだけだよ」

「そうなのかな?」

「僕の周りから離れないのは他の子も同じだろう?」

「ああ、確かに」

「僕じゃなくて、みんな手品に夢中なんだ」

「ユウキはレンちゃんのことが好きじゃないの?」

「好きだけど、恋愛感情とかはないよ」

「そうなんだ」

 ケント君が力の抜けた表情をした。なるほど、そういうことだったのか。ケント君は僕がレンちゃんのことを好きで、レンちゃんもまた僕のことを好きだと一人で勝手に思い込んで悩んでいたわけだ。

 僕から見れば意味のない見当はずれの悩みでも、恋をしている当人は別の見方をしてしまうということだ。こんなことで誤解するのは愚かにも見えるが、それが夢中になって恋をしている証とも言えるだろう。今の僕には得られない心境だ。

「ユウキは好きな人いないの?」

「僕は色んな人に目移りしちゃうから、この人っていうのはないかな」

 これも本音だった。素敵な人はみんな気になってしまう。正直、自分でも恋心というのがイマイチ理解できないような状態だ。だからこそケント君のようにノートに思いを綴りたくなるほどの気持ちが羨ましいと思ってしまう。


 人生の残り時間が七日を切った月曜日の放課後、アンナ先生のピアノの音色が聴きたくて音楽室に向かった。迷惑になると思っていたから、今までこんな真似はしたことなかったけど、どうしようもないくらい音楽が聴きたくなった。

「あら、ユウキ君、どうしたの? 珍しいわね」

 音楽室にいるアンナ先生は、教室にいる時とは別人のように感じられる。本当の自分を取り戻したかのような、生気に満ちた輝かしい瞳の色だ。そこにいるのは学校の先生ではなく、一人の音楽家だった。

 先生には勝手にシンパシーを感じている。僕も手品の練習をしている時だけが本当の自分だと思っているからだ。それと背格好が似ているため、勝手にお姉さんだと思っていた。ただし、その気持ちをダイレクトに伝えたことはなかった。

「どうしたの?」

 先生が優しく微笑む。

「先生のピアノが聴きたくて」

「いいわよ。何か聴きたい曲とかある?」

「うんと悲しい曲がいいです」



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