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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第2巻 女教皇編
18/60

SIDE OF THE FOOL   愚者

 まさかユウキの遺体が見つかった、その日のうちに事故として処理されるとは思わなかった。こういうのは変死体として扱われ、場合によっては司法解剖に回されて、遺族の元に遺体が返ってくるまで時間が掛かると思っていたからである。

 死亡推定時刻を割り出したり、遺体が別の場所から移されなかったかどうか、死亡してからずっと湖水に浸かっていたかどうか、そういうのを調べられると思っていた。もちろんそういうことを見越して俺も偽装したのだが。

 といっても事故死を可能にしたのは、認めたくはないが、マリアの能力のおかげだ。人力でやろうと思えば遺体を湖岸近くの湖中から釣り人が来ない場所へ移動させることはできなかっただろう。

 しかもアイツは指示した通り、土曜日に湖中へ転落し、そこで仰向けの状態のまま水曜日まで動かされずに自然結氷した、という物理法則に則って遺体を凍らせてしまった。五日間という時間まで自在に操れるというわけである。

 人間業ではないのだから科学捜査を専門としている人ほど事故以外には考えられないと結論付けてしまうわけだ。といっても指示を間違えてしまえばひと目で見破られてしまうので冷静な判断は必要であったのだが。

 一番つらかったのはユウキの遺体に触れたいという衝動に駆られたことだ。しかし触れてしまえば遺体を傷つけてしまうかもしれないし、そうすれば不自然な痕跡を残す恐れがあったので堪えるしかなかったのだ。

 化粧も落としてもらったのでユウキの溺死体はキレイな顔をしていた。それはマリアが死体を溺死した日まで遡って凍結させたからだ。そのキレイな顔を見ると、ただ眠っているようにしか見えないのである。蒼白い顔は調子の悪い時のユウキそのものだ。

 ユウキは死んだ。間違いない。これは夢などではなく現実なのだ。スマホのネットニュースにもユウキの写真が掲載されている。確認はしていないが、おそらくテレビでも全国ネットでニュースになって報道されたことだろう。

 紛れもない現実はマリアの能力にも言えることだ。ヤツは俺を殺せるし、ひょっとしたら生き返らせることだって可能だろう。遺体が焼かれたとしてもアイツならユウキを『復活』させることができるのではないだろうか?

 マリアのせいでユウキが死んでしまったのでアイツに期待するのはバカかもしれないが、復活に希望を抱いてしまう気持ちまでは否定できない。奇妙な出来事に巻き込まれた、これからの俺の人生に期待できることといえば、それくらいしかないからである。

 事故死として認識している人間を生き返らせれば世の中が混乱するだろうと普通の人なら考えるだろうが、マリアは普通じゃない。アイツにできないことはないのだ。そう、つまり、まさしく『何でもあり』だからである。


 翌日の木曜日は学校を休むことにした。友の事故死を知ってショックを受けた自分を演出するという目的もあるが、それよりもアンナ先生と二人きりで話したかったからだ。母さんが日曜日まで遅番のシフトに入っているのも都合がいい。

 母さんは俺が学校を休むと言っても「無理にでも行きなさい」とは言わなかった。心配してくれているというよりも、関心が薄いだけだと思われる。父さんはというと、俺が学校を休んだことすら知らない。

 先生とスマホでメールや通話をしないのは、頻繁に連絡を取り合っていたという記録を残さないためである。俺にもしものことがあった場合、その時に先生が疑われるようなことになってはいけないからだ。


「ケント君、大丈夫?」

 先生の訪問があったのは夜の六時を回った頃だった。

「先生の方こそ大丈夫ですか?」

「うん。心配ない」

 そうは言っても心配になる。

「上がってください」

 この日は二階にある自室の明かりを消して、リビングで話をすることにした。それは外から見た時、不自然さを感じさせないためだ。庭に先生の車が停まってあるのでリビングで話をしていると思わせる必要がある。

「二階の電気は消してきました。これで誰が来ても大丈夫です」

「そこまで考えてるんだ?」

 会話をしながら先生のために紅茶を用意する。

「念のためです」

「ケント君がいなかったら任意で取り調べを受けてたかも」

「俺がいなけりゃ、先生はこんなことに巻き込まれていませんよ」

「悪いのはマリアでしょ?」

「それ、俺が前に言ったセリフじゃないですか」

 そこで微笑み合う。

 ちょっとだけ心が軽くなった。

「でも、ほんと、よく思いつくね」

「勉強しないで推理小説ばっかり読んでますからね」

 先生に紅茶を差し出して、斜め横のソファに座る。

「でも警察に捕まらないために勉強していたわけじゃないのにな。そんなことのために読んでいたんじゃないんですよ? 探偵になったつもりで読むんです。それが今はまるで容疑者みたいですからね」

「逃亡犯にならずに済んだのはケント君のおかげ」

 褒められても嬉しくないと思ったのは初めてだ。

「受験前なのにね」

「受けられないユウキのことを思えば何でもないです」

 死んだ友の名前を利用して、ついカッコつけてしまった。

「こんな事態になったけど、どんなことがあっても自暴自棄にはならないでね?」

「投げ出したりなんかしません。希望があると信じてますから」

 どうしてアンナ先生の前だとカッコつけてしまうのだろうか?

「ユウキ君が言ってた通りだね。ケント君の前向きな性格は人類の希望になるって」

「死ぬ前にそんなこと言ってたんですか」

「真剣だったよ」

「ユウキはいつも真剣でした。だから俺が死なずに済んだんです」

「ケント君なら大丈夫だね」

「自暴自棄にはなりませんけど、かといってヤル気が湧くこともありませんけどね」

「高校へ行ったら簡単に休んじゃダメだよ。卒業できなくなるから」

 俺の母さんより母親らしい言葉だ。

「将来なりたい職業はある?」

「映画が好きだからプロットを書いたり絵コンテを描いたりしてるんですけど、そういうのは趣味に近いですね。問題は色んなことをやってみたくなることなんです。一つに集中できないというか、いや、飽きっぽいだけなんですけど、とにかく散漫なんです。その点、音楽はいいですよね。打ち込めるじゃないですか? あらゆる芸術の中でも、音楽は飛び抜けてるというか、特別な気がします」

 アンナ先生がティーカップを皿に戻す。

「それは違う。特別なものなんて、この世に何一つない。ピアノを弾く前に必ず思うようにしていることがあるの。それは『生まれてから死ぬまで耳が不自由なまま死んでいく人には音楽を伝えられない』って。その人の前では音楽室に額縁で飾られている偉大な作曲家ですら無力だったんですもの。教科書に載っている画家だってそうでしょう? どうやって一度も見ることができない人に絵の素晴らしさを伝えられるというの? 小説家だってそうよ。言葉を理解できないまま死んでしまう人には何も伝えてあげることができないんですもの。だから特別だなんて考えたらいけないの」

 音楽に真剣に向き合ったことがある人だから言える言葉だ。

「私はクラシックや洋楽が好きだけど、それで他の音楽を低俗だなどと批判しない。もちろん自分の趣味嗜好が高尚だとも思わないんだ。議論なんかウンザリ。その前に考えなくてはならないのはやっぱり、世の中には音楽を聴くことができない人がいるっていうことなの。そういう人たちのことを思い浮かべれば、自分たちがどれだけ恵まれた環境で楽しめているか理解できるでしょう? そうすれば『音楽なしでは生きていけない』なんて言葉は申し訳なくて口にできなくなるはずよ」

 絵や小説も同じということか。

「でもね、だからといって『音楽なしでは生きていけない』と口にする人を責めてはいけない。なぜならその言葉に悪意がないということは分かっているから。私は使わないけど、使う人がいても『ああ、この人は本当に音楽が好きなんだな』って感想しか抱かないようにしているの。無知だと批判するのも気持ちがいいことではないじゃない。だって『それなら君はその耳の不自由な人のために力になってあげているの?』ってことになるものね。他人を批判するって、すごく大変なことなのよね。結局は不自由な人にどれだけ寄り添ってあげられるかが大事なことなんだと思う。もしもこの世に特別な人がいるとしたら、そういう人なんじゃないかな」

 やっぱりアンナ先生は『先生』だ。

「それと娯楽を楽しんでいる人に向かって『低俗』だとか言ってバカにするのも、先生、好きじゃないな。まるで『高尚な自分を認めろ』って喚き散らす駄々っ子に見えちゃう。そこに一人でも楽しんでいる人がいるなら邪魔をしないであげてほしいって思っちゃうの。だって楽しんでいる人が気に入らなくて邪魔をするって、すごく性格が悪いでしょう? そういうの、先生、嫌い。議論や批評から新しい技術が生まれることがあるから、そういうのは否定しない。でも、世の中にある娯楽を全部同じ型で嵌め込もうとする低俗批判は可能性まで握りつぶす非生産的行為だと思う。だから『どうしてこんなものが売れるんだ?』とか、『どうしてあれが評価されるんだ?』とか思うんじゃなくて、『この世の中には自分にはない価値観がたくさんあるんだ』って知ることに喜びを感じてほしい。それが高尚なものでは救えない人への救済になるかもしれないからね」

 先生が言った『救済』という言葉は重たい。どれだけ高尚なクラシック音楽や、どれだけ優れた文学や、どれだけ有名な絵画であろうと、全人類を救うことなどできない。それはこの俺がそうだからである。

 俺のような人間は『くだらねぇな』って言いながら笑える低俗な娯楽で『人生が救われた』って思うからだ。テレビのバラエティがそれであったり、ネットの動画やブログがそれだったりする。

 高い教育を受けた教養のある高貴なお方は世の中を嘆くかもしれないが、『じゃあ、誰が俺のような人間を救うんだ?』という話になる。結局、低俗だと批判をするようなお方は、救済のことまで考えてはくれないということだ。

 自分に似た感性を褒め、自分に似た嗜好の作品を称え、自分そっくりな表現者を評価する。それで最終的には自分が評価を受けるように誘導するわけだ。全部、自分、自分、自分なのである。低俗だと批判する人は、自分の救済しか考えていない自分勝手な人だ。

「ケント君? どうしたの? もしかして引いちゃった? ごめん。最後のは聞かなかったことにして。性格が悪いと言ったけど、私だって自分の性格がいいとは思ってないの。ただ、楽しんでる人の邪魔をしてほしくないだけで、ほんと、それだけ」

 パーマをかけた先生はユウキそっくりだ、と改めて思った。


 金曜日が友引ということもあり、葬儀は土曜日にお通夜が行われ、日曜日に本葬が行われることとなった。俺が参列するのは日曜日の告別式で、クラスからは学級委員長と副委員長が参列することになっている。

 同居していた父方の祖母が死んだ時には近所にある町民会館でお葬式を行ったのだが、ユウキの父親は会社を経営しているということもあり、参列者が多くなると予想されたため、市内で一番大きな小牧斎場で行うこととなったそうだ。

 朝の十時に予定されている告別式に参列するため、九時に学校でアンナ先生と待ち合わせることとなった。そこから車で斎場へ向かうわけだ。北海道でも田舎なので充分な駐車スペースがある。

「おはよう」

 待ち合わせ場所である学校の職員玄関に現れたのは副委員長の松坂月子さんだ。

「おはよう」

 声のトーンは教室で挨拶を交わす時と変わらなかった。

 でも表情は有明の月のように儚げだ。

「久能君、ずっと休んでるから心配だった」

 建前だと分かっていても、心配してくれたことに安らぎを覚えた。

「俺はこの通り、元気だよ」

「そうは見えないし、無理しなくてもいいから」

「ありがとう」

 すごく気が楽になった。

 それから教室にいる時のように無言が続いた。

 それでもこれまでと違って、気が休まる無言だった。

「そういえば、ユウキがバレンタインのチョコを貰ってすごく喜んでた」

「うん。翌日、お礼の言葉を言ってもらった」

「チョコを貰ったの初めてだったんだ」

 その後にレンちゃんからも貰ったっけ。

「最後に言葉を交わすことができたから、あげてよかった」

 松坂さんがユウキのことを思い出す時があるとしたら、その時のことを思い返すだろう。ユウキのことだから照れずに素直にお礼を言ったことだろう。そういう記憶を持ってくれたことに他人の俺まで嬉しく感じた。


 それから間もなくアンナ先生が現れて三人で小牧斎場へ向かった。クラス委員長の勝田かつた君は金曜日に風邪で欠席していたそうで、保護者から連絡があり、この日も自宅療養させるとのことだ。

 告別式で使われた遺影は、去年のクリスマスの日に『神さまの家』で俺がユウキのカメラを借りて撮った写真が使われていた。それが目に飛び込んできた瞬間、その時のことを思い出し、気がつくと急いでトイレの個室へ駆けこんでいた。

 ホームの子どもたちの前で手品をしていた時に撮った写真。ユウキが一番輝いている時の表情だ。俺に最高の笑顔を向けた、その時の一枚。「これが本当の僕だよ」って、教えてくれたかのような顔だった。


 会場にはその『神さまの家』から来た所長さん夫婦とレンちゃんも参列していた。他にも学校の先生たちと、二年生の生徒会役員の顔も確認できた。ユウキの存在すら知らなかっただろうけど、それでも他人の俺まで嬉しい気持ちになった。

 学校関係者以外からは小林貴子こばやし たかこ小牧市長が参列していた。若者の雇用拡大を実践して道内で注目を集めている人だ。小林市長になってから二十代の労働者が増えたのは統計にも表れていると聞く。マスコミは「女帝による新時代の幕開け」と持て囃している。

 他にも胆振地方を選挙区にしている衆議院議員からお花も届いていた。地元企業やスポーツ選手からのお花もあり、改めてユウキの父親の顔の広さを思い知らされた感じだ。しかし俺が驚いたのは親族の席にマリアが座っていたことだ。しかも両親と見られる人も隣にいた。

 式の最中、そのことが気になってまったく集中できなかった。アイツにどんな能力があって親族になりきることができたのか想像すらできないのである。ただ、ユウキが生前「誰かに似ている」と話していたのは思い出すことができたが、それもヒントにすらならなかった。

 そんなことを考えているうちに出棺の時を迎えた。親戚と見られる子どもたちが泣いて、その姿を見ながらのお見送りとなった。マリアがハンカチで目元を押さえていた姿に殺意を覚えたのは言うまでもない。


 告別式が終わるとアンナ先生は他の先生に捕まって長話につき合わされていた。その間、俺と松坂さんは会場のロビーで待たされていたのだが、そこへレンちゃんが声を掛けにきたのだった。

「ケント君」

「レンちゃんも来てたんだね」

 知ってたけど、気づいていないフリをした。

「校長先生にお願いして連れてきてもらったの」

「そっか。校長先生は?」

 いつもは『所長さん』と呼んでいるが、松坂さんがいるので児童ホームでの呼び方は控えることにした。余計な気を遣う必要はないと言ってくれたことがあるが、自分だったら気を遣って欲しいと思うので呼び方を変えたのだ。

「知り合いがいたみたいで話し込んでる」

「そっか。アンナ先生も同じ感じだよ」

 そこでレンちゃんが隣の松坂さんに視線を移す。

「ああ、同じクラスの松坂さん」

 そこで自己紹介を始める。

「こんにちは。初めまして、松坂月子です」

「初めまして、こんにちは。伊吹恋です」

 好きだった人と、好きな人が挨拶を交わした。

「レンちゃんは明中の二年生でユウキとも仲が良かったんだ」

 明中めいちゅうというのは明野あけの中学校の略称だ。ちなみに俺たちが通っているのは緑光りょくこう中学校で、略称は緑中りょくちゅうと呼んでいる。隣同士の中学校だけど歩くと三十分近く掛かる距離にある。

「松坂さんは副委員長だから参列してるんだ」

「じゃあ、ケント君が委員長ということですか?」

 松坂さんの存在を気にしてか、レンちゃんの口調が変わった。

「違うよ。委員長は風邪を引いてるんだ。俺はそういうのやったことがないから」

「マリアさんもいましたね」

「うん。火葬場に行ったから話はしてないけど」

「本当にユウキ君の親戚だったんですね」

 どうしてレンちゃんはマリアを疑っているのだろう?

「そりゃそうだよ。ユウキ本人がそう言ってたろう?」

「マリアさんと今でも連絡が取れるなら、私が会いたがっていると伝えてくれませんか?」

 それはできない。

「いや、それはさすがに、もうユウキはいないし、連絡はできないよ」

「そうですか」

 この落ち着いた口調が本来のレンちゃんだ。見た目は幼さを感じさせて、それでいて大人のように振る舞うから、そこに少女を喪失した彼女の寂しさを感じてしまい、大切にしてあげたいと思うようになったのだ。

「それじゃあ、心配するといけないので戻ります」

 そう言うと、松坂さんに頭を下げて行ってしまった。

「久能君って、学校以外では異性と普通に喋るんだね」

「いや」

「見たことないから」

「普通には喋らないよ」

「喋ってた」

「うん」

「私は異性と喋らないから」

「喋ってるの見掛けたことあるよ」

「学校では役割があるから」

「俺は学校の外に役割があるんだ」

 自分でも意味の分からないことを口走ってしまったので、そこで松坂さんは黙り込んでしまった。別に意地になっているわけではないが、女の子と気軽に話せる人間だと思われるのは心外だった。それでつい反論してしまったのだ。


「城先生」

 アンナ先生が戻ってきて、その足で駐車場へ行ったところ、後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、喪服の女性が追い掛けてきているところだった。

「お久し振りです」

 先生が挨拶したのは確か小牧署の警察官だ。

「ちょうどお見掛けしたもので声を掛けさせていただきました」

「番さんもいらしてたんですね」

「ええ。珍しく非番でしたので」

「警察官って仕事上で関わった人の告別式にも参列するんですね」

「ウチの課では滅多にありませんけどね」

「そうなんですか」

「よかったら、少しお話できませんか?」

 そこでアンナ先生が俺の顔を確認した。

「生徒をお家に送らなければいけないんです」

「お手間は取らせません」

「じゃあ、少しだけ」

 そこで俺と松坂さんに声を掛ける。

「寒いから車の中で待ってて」

 その言葉を制したのは喪服の警察官だ。

「あっ、できれば久能君も一緒にお願いできますか?」

 先生が俺の反応を待ったので、返事をすることにした。

「いいですよ」

 捜査一課の刑事ではないので特に警戒する必要はない。

 先生が松坂さんに尋ねる。

「だったら一緒に来た方がいいかもね」

 そこで松坂さんが口を開く。

「それなら私はバスで帰ります」

「大丈夫?」

「何がですか?」

「ごめん。バスくらい一人で乗れるよね」

 松坂さんよりもアンナ先生の方が心配だ。


 場所を移動して、斎場近くのファミリーレストランへ入った。お清めの塩もあり、参列者がよく利用する店らしく、喪服姿の客が何組も席に着いていた。お昼時なので俺たちもそこでランチメニューを頼んだ。

「へぇ、久能君のお母さんってベイサイドホテルのレストランにお勤めなんだ。なんかオシャレでいいわね。あそこって小牧市の数少ないデートコースだもんね、って言っても、私は言ったことがないどころか何年もデートすらしたことないんだけど」

 こんな感じで食事が終わるまで他愛のない話を続けた。どうでもいいような世間話をしているように見せ掛けて次々と俺の家庭環境を聞き出していくのだ。自然に受け答えしているように見せつつ、内心では酷く焦っていた。

 所属が生活安全課だからと舐めていたが、やはり警察は警察だ。しかも話し上手なのでかなり優秀だと思われる。これは意識を変えなければいけないようだ。そうしなければ、ユウキは事故死で処理されたが、この先の未来はどうなるか分からないからだ。

 そこで、ふと犬の話を思い出した。前に会った時に「私も犬が好きなのよ」って言うからダラダラとした世間話に付き合ってしまったのだ。考えてみると他人の家のペットをいつまでも返さないのはおかしい。ユウキの両親に一言でも連絡を入れておくべきだった。

「久能君、大丈夫? 聞いてる?」

「はい?」

「今度、後輩君に奢らせるから、お母さんの連絡先を聞いておきたいなって」

「ああ、はい。たいしたサービスはありませんけどね」

 この程度で拒否するのは不自然なので母さんのスマホの連絡先を教えることにした。母さんは何も知らないので問題はない。警察に対しては心証を良くしておくことも大事だ。忙しいだろうから、すぐに別の仕事が入って、俺のことなど構わなくなるはずだ。

「久能君と話したいのは何か理由があるんですか?」

 アンナ先生が尋ねた。

「うん。ずっと学校を休んでるっていうから心配になっちゃって」

 俺が学校を休んだのは木曜日と一昨日の金曜日だから、それは興味を持って積極的に調べなければ分からないことだ。目の前にいる警察官は確実に俺のことを調べているということになる。

「警察って学校の出欠まで気に掛けてくださるんですね」

「正式には生活安全課の少年係なので、だから子どもを守るのが本職なんですよ」

 あなたは、守っているというより、追い込んでいるのだが。

「実は俺、隠してたことがあって」

 切り出すタイミングは今しかない。

「隠してるって、私に?」

 わざわざ俺に話を聞きにきたというわけではなく、あくまで偶然であって、ハッタリですらないかもしれないが、今後のためにも正直に話しておいた方がいいと思った。もしも疑っているのなら、この場でスッキリさせた方がいい。

「いや、誰にも言ってないことがあって」

「うん。聞かせて」

「土曜日、ユウキがいなくなった日ですけど、俺、ユウキと会ってるんです。夜見湖のスケート祭りで手品をしたいっていうから手伝いました。でも俺は札幌に行ってるとばかり思って。それが行方不明になったものだから、すごく怖くなっちゃって。だって俺のせいでユウキは……。俺がずっと一緒にいてあげたら死ぬことはなかったのに。それなのに一人にしちゃって。俺が悪いんです。一緒のバスに乗らないからおかしいと思ったけど、受験の前日だから気を遣っちゃって。一人にしちゃいけなかったんです」

 喋り過ぎた。

 後は聞かれたことに答えるだけにしよう。

 俯いたままで、表情を悟らせないようにする。

「そっか。何か隠しているとは思ったんだ。でも言い出せないよね。怖いもん。けれども久能君が悪いわけじゃない。暖かい時期ならワカサギ釣りで事故が起こることも考えるでしょうけど、この寒い時期に溺れるとは誰も思わないもん」

 子どもは嘘をつく、と分かっているようだ。

 それが今回は俺に味方した。

 警察官が俺をフォローする。

「強いて言うなら、いや、お葬式の日にこんなこというのはアレだけど、子どもにチェーンソーを持たせたのは問題かな。それでも勝手に持ち出されたら防ぎようがないもんね。それでも道具の管理はしっかりしておくべきだったと思う」

 釣り穴が大きすぎることに疑問を感じないのだろうか?

「犬飼君が釣りをする予定だったのは知ってたの?」

「予定までは知りませんが、テントの中に釣り具とチェーンソーがありましたから」

「テントの中って、転落した場所も知ってたの?」

 そこで顔を上げる。

「え? どういうことですか?」

 危ない。

 これは誘導尋問である。

 一般人はユウキが転落した場所までは知らないはずだ。

「お祭りの会場に行ってテントを見つけました。その中でユウキはマジシャンの格好に着替えたんです。俺たちは手品を始める前にテントの中で話をして、その時に釣り具を目にしたから、朝早くに来て釣りをしていたんだと思ったんです。だから別れた後に釣りをしに行ったなんて思いもしませんでした」

 この人の質問は気が抜けない。

「そっか。札幌へ受験に行くと思ってたんだもんね」

 少し説明しておこう。

「はい。俺も心配だったんです。受験の前日に大丈夫かって。そしたらユウキのヤツ『ホテルのチェックインまで時間があるから大丈夫だよ』って言うんですよね。人が集まる夜見湖のお祭りで手品をしたいっていうのは前々から聞いていたんで、それで手伝ってもいいかって思ったんです」

 俺自身も腹を立てている、と表現してみた。

「一緒のバスに乗らなかった理由は何かな?」

「市内行のバスとウトナイ方面行のバスがあって、それでユウキはウトナイ方面行に乗るって言って別れたんです。利用したことがない乗り継ぎだから不安を覚えたんですけど、ユウキが『大丈夫』って言うから、そのまま別れました」

 これは事実だから問題ない。

「他に違和感を覚えたことはない?」

 これは俺が何かを見落としているということだろうか?

 ダメだ、考えても思い出すことができない。

「なかったらいいの」

 と言ったものの、この警察官はまだ俺のことを疑ってそうだ。

 それを確かめてみる。

「それって自殺を疑っているということですか?」



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