SIDE OF THE FOOL 愚者
悪いことをしているわけではないというのに、アンナ先生が警察に電話しているのを横で見ているだけで、後ろから警察官に声を掛けられて捕まってしまうんじゃないかとムダにビクビクしてしまった。
それから家まで送ってもらって、アンナ先生はそのまま小牧警察署へ向かった。そこでユウキの両親と会うらしいが、息子を失った親に対して真実を話すことができない先生の心中を察すると、すごく胸が痛んだ。
いや、それよりもユウキがいなくなって混乱しているであろう、両親の方を気に掛けるべきか。一人っ子の俺と違って三人兄弟だけど、数は関係ないはずだ。優しいご両親のことだから、自分を責めて、あるいは夫婦で互いを責め合うことにだってなるかもしれないのだ。
家に入る前に犬小屋にいるマジックの様子を確認しておいた。母さんにエサやりをお願いしてあったので特に問題はなさそうだ。ユウキの家では室内で飼われていたので外で飼うのは心配だが、北海道犬は寒さに強いとユウキが言っていたので我慢してもらうことにした。
「賢人」
玄関で靴を脱いでいると母さんが慌てた様子で現れた。
「ユウキ君、家に帰ってないんだって」
「うん。聞いたよ」
これから俺はアンナ先生以外のすべての人に対して芝居をしなければいけないようだ。しかし学校にいる時と家にいる時の自分は違うから、これまで通りとも言える。これまでと違うのは、その範囲が家から自室へと狭まってしまったということくらいだ。
「電話したのに繋がらないんだもん」
「ああ、そういえば持ってくの忘れた」
散歩に行くだけだったのでスマホを部屋に置いてきたのだった。
「どこにいるか知らないの?」
「知ってたら『お騒がせしました』って電話が掛かってくるよ」
今はまだ、ユウキは生きている、という芝居をしなければならない段階だ。
「心配じゃないの?」
「そのうち帰ってくるよ。たぶん札幌で財布でも落としたんじゃないの?」
「うん、だといいけど」
「メシは?」
食欲は失せていたけど、普通に食べなければならない。
「カレーあるけど」
「またかよ」
と言いつつ、リビングに向かう。
「オヤジは?」
二年前から母さんにだけ父さんのことを「オヤジ」と呼ぶことにしていた。
「もう寝てるよ」
平日は働き詰めで、休みの日だけ一日中自分の部屋に籠って眠るのが父さんのライフスタイルだ。物心つく前から両親は寝室が別で、それが当たり前だと思っていたのだが、どうやらそれが珍しいことだと分かったのが小学生高学年の頃だ。
それでもケンカをしたところを一度も見たことがないので何も問題はないのだろう。多数派ではなくても互いのスタイルが合っていればそれでいいということなのかもしれない。ただし俺の場合は寝室を一緒にしたいという願望の方が強い。
それからテレビを観ながら母さんによそってもらったカレーライスを食べて、わざとらしく笑った後、風呂に入りながら歯を磨いて、寝間着として愛用しているスウェットの上下に着替えてから自室へと引き上げた。
「おかえり」
青いパジャマ姿のマリアが俺の部屋で寛いでいた。
ベッドの上は俺の指定席なのに、コイツのせいで床に座らなければならないのが腹立たしい。
「何してんだよ」
「ご主人様の帰りを待っててあげたんじゃない」
「誰が主人だよ」
「あっ、逆か」
「逆でもない」
そこでマリアが泣きそうな顔になる。
「ああ、やっぱりケント君って最高だよ」
「何が?」
「アンナ先生、怖いんだもん」
「怒らせたからだろ」
俺も先生と同じ気持ちだ。
「でもケント君はちゃんと相手してくれるし」
「してない」
「うれしい」
そう言って満面の笑みを見せたが、俺にはさっぱり理解できなかった。
「それより本当にユウキは死んだのか?」
「死んじゃったね」
そう言われても、やっぱり実感が湧かなかった。今朝から死んだと思ったことが何度もあって、涙まで流して悲しんだはずなのに、次の瞬間にはやっぱり生きているのではないかと思ってしまうのだ。
そこで、ふと思った。
なぜ人が遺体に拘るのか、それが何となく分かったような気がした。人間には実感が必要なのかもしれない。死んだら死んだでちゃんとハッキリした形で認識したいのだ。そうでないと今日みたいな一日がこれから毎日続きそうだからである。
「ねぇ、どうしてほしい?」
マリアの言葉は本当に理解しづらい。
「何がだよ?」
「勝者のご褒美よ」
「はっ?」
そこでマリアが頬を膨らませる。
「もうっ、本当に頭が悪いんだから」
「そんなこと言っても分からないものは分からないんだよ」
「ユウキ君との対決に勝ったから、どんな願いでも叶えてあげるって言ってるの」
「そんなの聞いた覚えがないぞ?」
「うん。さっき思いついたんだもん」
「何でもありだな」
「うれしいいい」
そう言って、いきなり抱きついてきた。
「やめろ、俺に触るな!」
「だって私のことを理解してくれたんだもん」
俺にはさっぱり理解できなかった。
とりあえず、その間にベッドの上の指定席を取り戻した。
「ねぇ、どんな願いを叶えてほしい?」
「じゃあ、ユウキに会わせてくれよ」
「それじゃあ対決した意味がないでしょう?」
元々そんなものに意味はない。
「それなら二度と俺の前に現れないと約束してくれ」
「やだ」
「どんな願いでもいいんだろう?」
「私が気に入らないのは全部却下する」
「じゃあ『どんな願いでも』とか言うなよ」
「ごめんなさい」
しょげた顔して素直に謝られても、コイツにプラスの感情は持てない。
「ねぇ、でも冗談じゃなくて、ちゃんと考えてみたら? どんな願いでも叶えてあげるって言ってるんだよ? しかも大抵のことが確実に叶えられるの。お金が欲しいなら世界一の億万長者にしてあげるし、それと名声だっけ? それだって何とかできると思う」
そこで頬が赤くなった。
そして急に身体をモジモジさせる。
「私が欲しいなら、あげてもいいし」
「誰がいるか、ぼけっ!」
頬を膨らませるが、やっぱり可愛いと思わなかった。
「今日のところは勝者に免じて許してあげる。でもいつ気が変わるか分からないから早めに決めてしまうことね。私ってホントすぐに気分が変わるんだもん。そこが楽しい部分でもあるんだけどね。それじゃ、シーユー」
そう言い残して、一瞬で消え去ってしまった。それでもずっと観察されているのだから本当に恐ろしい存在だ。あまりにも非現実的だと今まで生きてきた現実の方が間違っていたと思うようになるものだ。
眠れなかった。
布団に入って目を閉じても、考えることは願いのことだけ。
例えるなら今の俺はドラゴンボールが七つ揃った状態にあるようなものだ。
今日の放送分は録画してあるので後日観よう。
それよりも願いだ。
正直、お金のことしか考えられなかった。
欲しい物は大体がお金と交換できてしまうからだろう。
マリアは世界一の金持ちにしてあげると言った。
おそらくマリアなら可能なのだろう。
しかし変な金の使い方をすれば必ず国税庁が調べにくるって知っている。
そうなれば世界一の金持ちのまま刑務所に入ることになるだろう。
そんな短編小説みたいなオチはいらない。
スポーツの才能ももらえるのだろうか?
有名になってみたい。
アンナ先生にペースメーカーの話をしたばかりなのに、もうブレてる。
芸能人にもなれるのだろうか?
そういう発想をするということは元から憧れがあったということだ。
映画を作ってみたい。
どうやって使っても不自然じゃないお金を手にすることができるだろう?
結局はお金に戻る。
それをさっきからずっと繰り返している。
描いた絵を高く買ってもらうというのはどうだろう?
そうすれば富と名声を同時に手に入れることができる。
マリアのことだから買い手を見つけるくらいは簡単だ。
それで世間の評価を楽しむのも面白そうだ。
レンちゃんをモデルに絵を描いてみたい。
恋愛成就は可能だろうか?
きっとマリアが気に入らないと言うだろう。
そこで思考が停止した。
頭の中で音楽が流れたからだ。
それは先生の車の中で聴いた曲。
ユウキの好きだった古い洋楽だ。
英語は分からないけどメロディは力強く鳴り響いている。
俺はひどい男だ。
友の死のご褒美で心をウキウキさせている。
そんなことを心に思っていたらユウキに合わせる顔がないはずだ。
どうして俺の頭は現実をリアルに、リアルを現実に考えてくれないのだろう?
ユウキの死で得た褒美などいらない。
もう、願い事など考えてなるものか。
キレイ事だと分かっている。
自分が偽善者であることも分かっている。
それでもいい。
金はいらない。
それは嘘だけど、嘘ではない。
そう、心に強く思い込んでみせるからだ。
強がって生きてみせる。
それが愚者の本懐だからだ。
月曜日の朝も早起きしてマジックを散歩に連れて行った。ユウキが隣にいない実習林のハイキングコースは面白くも楽しくもなく、ただただ寒い雪道でしかなかった。昨日からの世の中は嘘みたいに、つまらない世界だ。
学校を休みたい気分だったけど、ユウキについてのその後の情報を何も知らない、という芝居をしなければならないので休むわけにはいかなかった。また、在学中は一度も遅刻をしたことがないので、結局はいつも通りの時間に登校しなければならないのである。
「おはよう」
今日も一番乗りは松坂さんだった。
「おはよう」
いつもと同じトーンで挨拶を返した。
「犬飼君、大丈夫なのかな?」
松坂さんが知っているということは、昨夜のうちにアンナ先生がクラス全員の家庭に電話を掛けたのだろう。先生は先生で「担任の先生」という芝居をしているわけだ。冤罪を予防するためとはいえ、あまりにも過酷な仕事である。
「久能君?」
「あっ、ごめん、分かんないんだ。でも大丈夫だよ。普通に登校してくるんじゃないかな」
松坂さんがじっと俺の顔を見つめている。
たぶん目を見ていると思う。
でも俺は目を合わせることができなかった。
見ると、嘘がバレると思ったからだ。
そこで強引に話を変えることにした。
「松坂さんは何か叶えてほしい願い事とかある?」
そこでやっと視線を外してくれた。
「それは犬飼君と関係ある?」
ものすごく鋭い人だ。
「ないよ、ない。ただ、聞いておきたかっただけ」
松坂さんが即答する。
「久能君と同じ願いだよ」
マリアの言葉のように理解できない答えだった。
マリアが化けているのだろうか?
「隠者じゃないよね?」
「インジャ?」
言葉の意味が理解できなかったようだ。
「ごめん。なんでもない」
そう言うと、松坂さんは小首を傾げて微笑んだ。
この世で一番きれいな女性は松坂月子さんだろう。
でも今の俺はこの世で一番可愛い伊吹恋ちゃんのことが好きなのだ。
それから間もなくクラスメイトが入ってきたので寝た振りをすることにした。
周囲の話題はやっぱりユウキのことだった。
一時間目が始まる前に全校集会が開かれた。体育館に集められた生徒の中で、何が始まるのか理解しているのはウチのクラスだけのようだ。俺のクラスメイトだけ葬式に行くような表情をしていた。
教頭先生が登壇する前にユウキの写真が載ったプリント用紙が配られたところで、高い声で交わされていた私語が消えていった。ヒソヒソとした声の私語が交わされているものの、笑顔を見せる生徒は一人もいなくなった。
体育館にアンナ先生の姿はなかった。他にも学年主任の先生も見当たらない。おそらく捜索に協力しているのだろう。捜索隊の規模は分からないけど、ユウキの足取り調査は必ずするはずである。
といっても、まさか札幌に行っているはずのユウキが夜見湖へ行ったとは誰も思うまい。すぐに捜索は行き詰まることだろう。俺かアンナ先生が打ち明けない限りは、ユウキの行き先は掴めないはずだ。
問題は夜見湖での遺体発見が遅れても、痺れを切らしてこちらからヒントを与えるような真似をしてはいけないということだ。その辺についてはアンナ先生ともう一度確認しておく必要がある。
結局、その日アンナ先生が俺たちの前に姿を見せたのはお昼休みが終わる前の五分間だけだった。集会で教頭先生から聞いた話と同じで生徒から情報を求めていたが、俺はそれが芝居だと知っているので本当に見ているのがつらかった。
その日の帰り、家に帰らず、そのまま『神さまの家』に行くことにした。それはユウキの件を児童ホームの人らに伝えるのは自分の役目だと思ったからだ。それをアンナ先生にやらせるわけにはいかなかった。
その道すがら考えたことは全校生徒に配られたプリント用紙のことだ。あの紙には俺の顔が載っていたかもしれないのだ。ユウキが救ってくれたから載らなかっただけで、何もしなかったら二人並んで掲載されていたことだろう。
いや、それでも俺はまだまだマリアには殺傷能力はないと思っていたりする。ユウキの死に実感を持つこととは根本的に違うことだ。そこだけは俺が正しかったような気がしている。でもそう思うとユウキの死がムダだったようにも思えてしまうので思考を遮断したくなるのだ。
そんなことを考えているうちに『神さまの家』に着いたのだが、さすがに俺の口から子どもたち全員に話すのは気が引けた。そこは職員さんにお願いして、俺は所長さんに伝えることにした。
「何かあったのかい?」
所長さんのお家に伺ったのだが、俺が初めて一人で訪れたことと、鏡を見なくても暗い顔をしていることが分かるので、それを見て瞬時に異変を察したようである。中に入るように薦められたが、帰るタイミングに困ると思って、その場で事情を説明した。
「ユウキが行方不明になって、今日学校でこういうプリントも配られて、アンナ先生は忙しそうだったので、俺が代わりに伝えにきました」
しばらく間があった。
「そうかい。そしたら後は任せて、暗くなる前に帰りなさい」
「はい」
俺のことまで気に掛けてくれる優しいおじいちゃんだ。
「一人で勝手に探しに出掛けたらダメだからな」
「はい」
そこで失礼することにした。レンちゃんにだけは直接会って説明してあげたいと思ったが、そこはやはりホームの職員さんを信じて任せることにした。心のどこかで、もう会えなくなるような予感もしたが、そのことを考えるのはやめにした。
それよりも色んな人の悲しい顔を見て、やっとマリアに対する憎しみを本気で抱けるようになった。アイツはホームの子どもたちまで悲しい気持ちにさせたのだ。それは絶対に許せることではなかった。
「ケント君!」
実習林の帰り道、背中でレンちゃんの声を聞いた。
振り返ると、自転車で向かってくる彼女が見えた。
俺の目の前まできて自転車から降りる。
誰もいない白い林道にはレンちゃんの吐く息だけが動いていた。
「ユウキ君いなくなったって」
レンちゃんの顔が苦し気なのもマリアのせいだ。
「うん。土曜日から行方が分かっていない」
彼女を巻き込まないためには嘘をつくしかなかった。
「前に『ミルクを殺せ』って言ってた脅迫者と関係あるの? ほら、バレンタインデーの日に話してくれたでしょう? 確か、ユウキ君も『飼っている犬を殺せ』って命令されたんだよね? それでユウキ君はペットを殺さなかったから」
レンちゃんに話の一部を伝えていたことを忘れていた。
「いや、それとは関係ない。あれはもう終わったんだ。何でもなかった」
「うそ」
「嘘じゃないよ」
嘘だった。
「ユウキは見つかる。きっと帰ってくる」
冤罪で捕まらないためにはそう言うしかなかった。
「ケント君の言葉は信用できないよ」
「大丈夫だって」
「『大丈夫』って言葉、大っ嫌い。だって大丈夫だったことなんてないんだもん」
レンちゃんにのような境遇の人に気休めの言葉を使ってはいけなかった。
「警察に脅迫を受けたことを話した?」
「言ってない」
「通報しなきゃダメだよ」
通報すれば自分の手で自分の首を絞めることになる。
「怖いなら私が警察に話してあげようか?」
なぜ俺がここまで追い込まれなければいけないのだろう?
「いや、本当にあれはただのイタズラだったんだ!」
ちょっと声が大きかったかもしれない。
レンちゃんが委縮してしまった。
大きな声も脅迫や暴力行為に含まれるので怒鳴ってはいけなかった。
「信じていいの?」
「ああ」
と答えたが、すでにレンちゃんは俺の言葉を信じていないような目をしていた。
「ただ、それとは別に気になることがあって、ユウキはこのところ受験で悩んでいたんだ。ほら、お兄ちゃんが二人とも道内で一番の高校に行っただろう? それで自分も同じとこに行けるかどうかプレッシャーを感じていたんだよ。それとも無関係であってほしいけどね」
警察に説明するために考えた言葉をレンちゃんで試してみた。
「そっか。一緒に札幌へ行った時、妙に明るかったから私も心配してたんだ」
女性の勘の鋭さは観察力や洞察力によってもたらされる、科学的にも根拠のある話だが、レンちゃんの頭の良さはミス・マープルのような探偵を思わせる怖さがある。警察から逃げなければならない現在の俺にとってはなるべく避けたい相手だ。
「マリアさんと会って話した?」
どうしていきなりマリアの名前を出したのだろう?
「会ってないけど、マリアがどうかしたの?」
レンちゃんが首を振る。
「んん、なんでもないの。ただ、ただね、ユウキ君やケント君にこれまでと違う変化を感じて、ほら、遊びに誘ってくれたでしょ? 会うと表情もこれまでと違う感じだし。じゃあ、ここ最近の二人に何が起こったかって考えると、マリアさんが現れたっていう大きな変化は見逃せないと思ったんだ」
第三者の目には隠せていないどころか丸分かりということだ。
「マリアは関係ない。受験で泊まりにきていただけだから」
「ユウキ君が行方をくらませてからマリアさんとは会ってないんだよね?」
頷く。
「だったら『関係ない』って断言するのは会って話を聞いてからじゃない?」
追い込まれているせいか心臓の鼓動が早くなっている。
俺の頭でレンちゃんと会話を続けるのは無理だ。
これ以上続ければ必ずぼろが出る。
「会ってないし、話してもいないけど、メールはしてたんだ。マリアも心配してたから、それで関係ないと思った。ごめん、なんか分かりにくかったね。でもユウキの親もマリアに話を聞いているだろうし、有力な情報は持ってなかったんじゃないかな」
レンちゃんが考える。
「時系列を整理してみたいな。土曜日から行方が分かっていないって言ったでしょう? それで今日全校集会があったんだよね? こういうのは早く情報を集めないといけないのに一日空いたのが気になる。日曜日だからっていうのは理由にならないでしょう?」
「それはユウキの両親が札幌に行ってて、帰ったのが日曜日だったから、その時に昨日から行方不明になってるって分かったんだよ。俺の家だけではなく担任のアンナ先生に電話が掛かってきたのも昨日の夜だったからね」
レンちゃんが追及する。
「マリアさんはケント君と同じ日に市内の私立を受けているから、土曜日はユウキ君と一緒に札幌に行かなかったんだよね? だったらマリアさんはその日どこで何をしていたんだろう? 少なくともご両親より先にユウキ君がいなくなったことを知ることはできなかったわけだから、ユウキ君の家にはいなかったんだよね? だってもしも家にいたらメールができるんだから、土曜日にはご両親にユウキ君が帰ってきていないことを伝えられるでしょう? なぜならユウキ君は土曜日に受験があって、その日のうちに小牧市の実家に帰る予定だったわけで、札幌で両親と合流する予定なら、やっぱりその日のうちにご両親が不審に思って、すぐに警察や学校にも連絡してると思うからね。ということはマリアさんは土曜日も日曜日もユウキ君の家にいなかったことになる」
それについては反論できる。
「いや、マリアは受験が終わったから、今はもう自分の家に帰ってるんだよ。だからユウキの家にいないのは当り前さ。もちろん道外にいるわけじゃないから、いつ目の前に現れるか分からないけどね」
予防線も張っておいた。
「だったらやっぱりケント君の言葉はおかしいよ。メールでのやり取りしかしてないんだよね? それだけだと土曜日に何をしていたか分からないでしょう? それなのに早急に『関係ない』って結論を出すのは間違っていると思うの。信じるとか信じないとかではなく、事実として断定するには不十分だって言いたいんだ。なんか、何かを知っていて、無理に庇ってるみたいだから」
泣きそうだった。いや、すでに涙目になっていることだろう。年下の女の子に泣かされているところだ。テレビが好きなので現実の世の中にはとんでもない中学生がいることは知っているが、まさかそれが自分の目の前にいるとは予想できるはずがない。
「ごめん。『関係ない』は取り消す。確かにマリアは何か知っていてメールで嘘をついているかもしれないね。その可能性を排除すべきではなかったよ。でも庇ってるとかじゃないんだ。俺とマリアはそんな関係じゃないから」
レンちゃんが小首を傾げる。
「でも下の名前を呼び捨てにしてる」
それはマリアに苗字がないのだから仕方がない。
「本当に、本当に何でもないんだ」
もう何を言っても信じてもらえなそうだ。
「分かった。信じる。でもマリアさんと話してみて。何か知ってると思う。本人が『知らない』って答えても、ヒントになるような話を拾うことができると思うんだ。だってマリアさんって、ケント君の好きなタロットカードに例えると神出鬼没の『隠者』みたいなんだもん」
またしてもマリアがレンちゃんに化けているのではないかと思った。
「うん。電話して直接話してみるよ」
これ以上話を続けるのは危険だ。
「そうだ。レンちゃんに聞きたいことがあったんだ」
強引に話を変えることにした。
「なに?」
「うん。レンちゃんには何か叶えてほしいことがあるのかなって思って」
「将来の夢ってこと?」
「いや、願い事かな。どんな事でも叶えられるなら何を願う?」
「ユウキ君が無事でいてくれたらそれでいい」
それはマリアに却下された。
「うん。そうだね。それじゃあ二番目のお願いは?」
「ソウ君の病気が治ってほしい」
それはマリアでも叶えられないかもしれない。
「俺もそれは思うけど、自分の願いは? 三番目の願いを教えて?」
「両手で抱えられない願い事は、それはもう、ただの欲張りだから」
レンちゃんらしい答えだった。
「そっか。そうだよな」
そこでレンちゃんが自転車にまたがる。
「黙って出てきちゃったから心配するといけないし、そろそろ帰るね」
「うん」
そこで挨拶をしてから別れた。
「マリアさんと話してみてね」
最後に念を押したが、マリアが失踪に絡んでいるのを確信しているかのようだ。
それは正解なんだけど、なぜそう思ったのかは理解できなかった。
それから家に帰ることにしたのだが、ふと、視線を感じた。
実習林の出口に差し掛かった時だ。
森を抜けた向こうには民家が見える。
しかし、そちらの方向ではない。
雪が積もった森の中。
滅多に見ることはないが、キツネだろうか?
いや、違うはずだ。
道民の俺でもキツネは一度しか見たことがない。
鳥か?
そんな感じではなかった。
それともウサギか?
俺が殺したミルクの幽霊だろうか?
小動物のような気配であることは確かだ。
しかし、森の中に入ってまで探す勇気はなかった。




