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タロットゲーム  作者: 灰庭論
第1巻 魔術師編
1/60

SIDE OF THE FOOL   愚者

 宇宙人の存在は信じないことにしている。宇宙は広いのだから、どこかにいてもおかしくないと考えることは可能だけれど、俺の前に現れてくれないことには信じることなどできない。恐怖を感じられる分、まだ幽霊の方がリアルに思えるくらいだ。

「でも神様の存在は信じているんでしょう?」

 そう尋ねたのは犬飼友紀いぬかい ゆうきという名の幼なじみだ。幼稚園で知り合ってから、この冬で十年以上の付き合いになる。彼は犬を飼っていて、毎朝その愛犬の散歩に付き合うのが俺の日課にもなっていた。

「うん。神様の存在は信じているよ。なんとなく、いるような気がするからね」

「そんなこと言ったら、宇宙人だって、いるような気がすると思うんだけどな」

「だったら、もっと当たり前のように街中で見掛けてもいいと思うんだ」

「それはほら、なんらかの目的があって姿を隠さなくちゃいけないんだよ」

 それを大真面目な顔をして言うから、俺はトモキのことが好きだった。春になれば高校生になるが、彼とはいつまでもくだらない話をしていたいと思っている。北海道の厳しい大地に生まれたら、何よりも友の存在が大切だと自然に感じるものだ。

「でも、ケント君は前にUFOを見たって言ったじゃないか」

「うん。見たよ」

「だったら宇宙人の存在を否定するのはおかしいよ」

「どうしてさ?」

「だって、そのUFOは宇宙人が操縦しているんだよ?」

「UFOの中までは見てないけどね」

「同じだよ。UFOを見たっていうことは宇宙人を見たっていうことと同じ意味になるんだ」

 あれは確か二か月前だった。この日と同じように実習林のハイキングコースでユウキと一緒に愛犬の散歩をしていた時のことである。朝の五時は真っ暗で、街灯もないので星明りだけを頼りに歩いていたのを今でもよく覚えている。

 マジックが逃げて、――紛らわしいけど、これは犬の名前――ユウキが追い掛けて、辺りが闇に包まれて、俺が空を見上げて、巨大な円盤が天を覆い尽くしているのを目撃した。実のところは発光していないので、円盤だったかどうかも分からないのが現実だ。

 ちなみに「ケント」というのは俺の名前で、本名が久能賢人くのう けんとなので互いに下の名前で呼び合っているというわけだ。以前は「ケンチャン」と「ユウチャン」で呼び合っていたが、中学生になってから改めることにした。その理由は、ただ何となく、だ。

「あれは文字通り、未確認飛行物体っていうだけだよ」

「UFOはUFOじゃないか」

 そう言ってユウキが口を尖らせる。小柄で顔も小さいので子どもっぽい仕草や振る舞いをすると、途端に小学生に見えてしまう時がある。一緒に街中を歩いていると、同級生ではなく年の離れた兄弟に思われることもあるくらいだ。

「あの時ユウキもその場にいただろう?」

「うん、いたよ」

「だったらUFOじゃないって分かるだろう?」

「マジックを捜してたから見なかったもん」

「そうじゃなくて、音だよ」

 そう言うと、ユウキが小首を傾げた。

「音? 音なんて聞いてないよ」

「だからUFOじゃないんだよ」

「どうして?」

「だって地球上で音を立てずに円盤を飛ばすなんて無理だからね」

「あぁ……」

 と、ユウキがガッカリしてしまった。

「だから巨大な雲を円盤と見間違えたのさ」

「音がしないのなら飛行船か巨大バルーンかもしれないよ?」

「じゃあバルーンだったんだろう。いずれにせよ、UFOではないわけだ」

「もうっ」

 と、ユウキがほっぺたを膨らませてしまった。

 雪原に佇む色の白い少年の、その姿はまるでエゾノウサギにそっくりだった。

 愛犬のマジックが雪原を走り回り、気持ち良さそうに、散る花びらのような雪と戯れている。

「俺はUFOって信じてないんだ。ユウキに話したっけ?」

「聞いてないよ」

「そもそも信じるとか信じないとかじゃないと思ってるんだ」

「どういうこと?」

 ユウキが話の続きを促した。

「うん。昔のマンガを読んだり古い映画を観たりするとね、そこにはやっぱり古臭いデザインのUFOしか描かれていなくて、俺たち現代人が知っているような洗練されたデザインの飛行物体にはなっていないんだよ。これはどういうことかというと、結局は科学の進歩と共にUFOまで進化しちゃってるっていうことなんだ。つまり人間の想像力の中にUFOが存在しているだけっていうことさ。いわば宇宙の広がりみたいなもので、人類の進歩と共に少しずつ謎が解明されていく感じと似ているんだよ」

 東の空が明らむ頃だが、雪が降っているので薄暗いままだ。

「それって宇宙そのものが、人間の頭で出来ているっていうこと?」

「そう思う瞬間はあるかな。もちろん、そう思わない時間の方が長いけどね」

「それなのに、ケント君は神様の存在だけは信じているんだ?」

「神様の存在を感じる瞬間があるだけだよ」

「わからないな」

 大丈夫、俺もわかっていない。

「ユウキは神様も宇宙人もオバケも、みんな信じてるもんね」

「僕は可能性を疑ったり排除したりしないだけだよ」

 そう言うと、ダブダブのダッフルコートに積もった雪を手で掃うのだった。身体の成長を見越して大きめのサイズを購入したそうだが、なかなか成長が追いついてくれず、間もなく中学校を卒業するというのに、今も裾や袖口を持て余していた。

「そういえば『神さまの家』でやる出し物は決まった?」

「うん。練習しているとこだよ」

「俺たち受験生なのに」

「僕はもうすでに将来を決めているから」

「俺はまたピエロをやればいいの?」

「うん。ケント君のピエロは好評だからね」

「好評なのはユウキの手品の腕が確かだからさ」

「まだまだ練習が足りないよ」

 そう言うと、ユウキが辺りをキョロキョロし出した。

「あれ? マジックは?」

 ユウキの愛犬がいない。

 白犬なので雪原で見失うのはしょっちゅうだ。

「マジック!」

 ユウキが呼び掛けると、遠くで犬の吠え声がした。

 滅多に吠えることがないので珍しかった。

「あっちだ」

 そう言うと、ユウキが駆け出した。

 俺もその後に続くことにした。

 実習林は市街地の外れにある森の名称だ。

 舗装された林道が一本あるだけの寂しい森。

 行楽のシーズン以外は車の往来もない。

 この時期は前後左右、どこを見渡しても同じ雪景色だ。

 辺りは静まり返っている。

 激しい息継ぎの音だけが、俺の耳に響いていた。

「マジック、どうしたの?」

 ユウキが声を掛けるが、愛犬は興奮したままだ。

 道路の真ん中に立ち、前方を見据えて吠え続けている。

「あれ、なんだろう?」

 ユウキが愛犬の見つめる先に目を移して、そう呟いた。

 俺もつられるようにして、目を向けてみた。

 しかし、小雪がちらつくので視界が悪い。

「え?」

 ユウキの驚く声が聞こえたが、俺は声にならなかった。

 あれは車ではないし、飛行機でもない。

 巨大な物体が、こちらに向かってくる。

 音を立てずに、眼前へと迫ってくるのだ。

 地上すれすれ、木々の上をスムーズに移動してくる。

「UFO?」

 ユウキが呟いたが、それは違う。

 未確認ではない。

 紛れもなく、それは空飛ぶ円盤だった。

 頭上を通過しようとしている。

 辺りが一層暗くなり、雪が止んだ。

 俺は息を止めることしかできなかった。

「ハァ、ハァ」

 立ち去る円盤を見て、ユウキが大きく白い息を吐き出した。

 どうやら俺と同じことをしていたようだ。

 気付かれると連れ去られると思って、息を止めていたのである。

 しかし、円盤はそのまま山の方へ消えて行ってしまった。

夜見湖よみこの方へ行ったよ」

 ユウキが興奮している。

「ああ」

 俺は正気を保つのがやっとだった。

「UFOだよね?」

「ああ」

「宇宙人はいたんだよ」

 そうだ。どんなに疑わしいものでも、実際に目にしたら信じる他ないのである。


 空飛ぶ円盤を見たからといって生活が一変することはなかった。犬の散歩から戻ると朝の六時になっていて、それから母さんが前日の夜に用意してくれた朝食を一人で食べて、食器の後片付けをしてから学校へ向かうだけだ。

 父さんと顔を合わせることもない。卵かけご飯と温め直した味噌汁を飲んで、俺が犬の散歩から戻る前には仕事に行くからである。夜の十一時に帰って、朝の五時に起きる生活を繰り返しているが、父さんがなんのために生きているのか、俺には分からなかった。

 父さんを玄関で見送らないからといって、そのことで母さんを非難したり責めたりすることはない。俺も父さんも母さんが朝を苦手としていることを知っているので、無理やり起こすような真似はしたりしないのだ。

 階下で眠る母さんを起こさないように静かに階段を上り、六畳間の自室で制服に着替え、タロット占いをしてから学校へ行くというのが、俺の平日のルーティンだ。それとネットで星占いをチェックするのも欠かせない習慣だ。


「おはよう」

 朝の教室で声を掛けてきたのは、隣の席に座る松坂月子まつざか つきこさんだ。

「おはよう」

 俺たちが一日の中で言葉を交わすのは朝のこの瞬間だけだ。教室の中に人がいれば挨拶すら交わさずに一日を終えることもある。とにかく教室の中で女子と話をするということ自体が滅多にないことだった。

 それとは別に松坂さんとは気まずい思いがある。それは半年前まで彼女のことが好きで、遠くから見つめては思わせぶりな態度を取っていたという過去があるからだ。現在は他に好きな人がいるので、それが心苦しい気持ちとして今も心の片隅に残っている。

 好きになった理由は、単純に見た目がタイプだったからだ。目鼻立ちがハッキリしていて、黒髪が膨らんだ胸まで伸びており、その一本一本がまるで生きているように感じられた。細部まで美しく感じられた女性は生まれて初めてだった。

 あとは周りの女子と比べて大人っぽく見えたというのもある。出会った時は十二歳だったけれど、その落ち着いた雰囲気の中に、同じ生命体として確実に自分よりも優れた知性が感じられた。崇拝に近い感覚だったと思う。

「久能くん」

 この日、珍しく名前を呼ばれた。

 いつ以来だろうか?

 振り返っても記憶になかった。

「なに?」

 彼女の方を見るが、視線は合わせてくれない。

「受験だけど、どこ受けるの?」

「北高だけど」

 公立の受験先だ。

「そっか、受かるといいね」

「うん」

 そう答えると、松坂さんは自習を始めてしまった。彼女は頭がいいので地元で一番の進学校を受験するはずだ。今の時点で、もうすでに決して交わることのない人生をそれぞれ歩んでいるということになる。

 大人になって彼女のことを思い出すことがあっても、そういえば中学の時に好きだったな、なんて振り返るくらいだろう。小学生の頃に遊んでいた友達とも会わなくなったので、意外とあっさり忘れることができるということはすでに経験済みだ。

「月子、おはよう」

 クラスメイトが入ってきた。

「おはよう」

「すごい雪」

「うん」

「受験日じゃなくて良かったね」

「まだ先の事だからわからないけど」

「もう大丈夫っしょ」

 結局、この日は誰一人としてUFOの話をする者はいなかった。誰も話題にしないので、俺自身も本当に見たのか自信が持てなくなる。俺たちの他にも目撃者がいれば、中学校なら一人くらい騒ぐ人がいてもおかしくないのだが、教室から教室へ走り回る生徒はいなかった。

 俺やユウキはそんなタイプではない。いてもいなくても気付かれないような生徒だ。二年生になりたての頃は他にも話をするクラスメイトがいたのだが、次第にグループに馴染めなくなって教室の隅に逃れた感じだ。

 目立つことのない学校生活だが、陰湿ないじめや犯罪に巻き込まれなかったのは幸運だろう。出会いの巡り合わせによっては、死ぬまで引きずるような出来事と遭遇してもおかしくないのが学校の怖さだ。今となっては何事もなく中学を卒業できただけで奇跡とすら思える。


「放課後、音楽室まで来るように」

 クラスの担任に呼び出された。

「なんだろうね?」

 ユウキも一緒だ。

「さあ?」

 音楽室へ行くとピアノの音が廊下まで聞こえてきた。

 クラシックだけど曲名はわからない。

 でも楽しい気分になる曲なので、おそらくモーツァルトだろう。

「失礼します」

 演奏が終わるのを待ってから中に入った。

「もう一曲だけ弾かせて」

 そう言って、先生はピアノ演奏を再開した。観客は俺とユウキの二人きりである。演奏者は俺たちのクラスの担任の先生だ。音大を出て、音楽教師となり、俺たちの中学校にやって来た。まだ二十五歳と若く、みんなから「アンナ先生」と呼ばれている。

 本名は城杏奈じょう あんなで独身の女性教師だ。お付き合いしている男性がいるかどうかは分からないが、これまでに浮いた話は一度も耳にしたことがなかった。出会った頃からショートカットの髪型で、服装は白を基調にしていることが多い。

 顔のつくりは美形なので、もう少し髪を伸ばせばいいような気もするが、余計なお世話なので口にしたことはない。第一、先生にとっては学校が職場なので、性を意識した発言は失言に当たると思われるからだ。

「先生、上手」

 そう言って、ユウキが拍手を送った。

「ありがとう。ユウキ君」

 アンナ先生が天使の微笑みを投げ掛ける。

 俺も一応マナーとして拍手を送る。

「ケント君もありがとう」

 放課後に一時間ほど演奏して帰るのが先生の日課らしい。なんでも一日でも休むと落ち着かなくなると言っていた。学校の先生は激務だとテレビで見聞きしたことがあるけど、それでもピアノの時間は大切だということなのだろう。

「鬼になってくれないかな?」

 それがアンナ先生のお願いだった。

「鬼になって暴れてほしいの」

 先生が懇願している。

「僕は構いませんよ」

 ユウキがあっさりと承諾した。

「俺も鬼になります」

 願ったり叶ったりとはこのことだ。

「よかった」

 とアンナ先生が胸をなで下ろす。

「去年は私が鬼になったけど、みんな遠慮しちゃって盛り上がらなかったのよね」

「先生が鬼になっているところも見たかったな」

 俺もユウキと同じことを思った。

「やめて、思い出しただけでも恥ずかしい」

 そう言って照れる先生は、ツノが生えていれば立派な赤鬼だ。

「でも受験前にこんなお願いしてよかったのかな?」

「構いませんよ、一日ぐらい」

 ここは俺が即答しておいた。

「それじゃあ、土曜の九時に正門前で待ち合わせしましょう」

 喜びを隠して頷いた。

「寒いから時間より早く来ちゃダメよ」

「分かってます」

 ユウキは嬉しい気持ちを隠さなかった。


 節分の日は、すぐにやって来た。

 学校の正門へ行くと、すでにアンナ先生の車が止まってあった。

 先生のことだから、おそらく三十分前には待機していたことだろう。

「シートベルト締め忘れないでね」

 行きはユウキがサイドシートだ。

 車中には地元局のラジオが流れている。

 クラシックを聴かないのは、運転に集中できなくなるからだと言っていた。

「先生はUFOを見たことがありますか?」

 ユウキが話題を振った。

「え? 見たことないよ。ユウキ君は見たことあるの?」

「はい。ちょっと前に見ちゃいました」

「うそ?」

 それからユウキは、俺たちが見たUFOについて克明に語り出してしまった。本当は二人だけの秘密にしようと約束していたことである。でも先生とも秘密を共有したい気持ちは俺にもあるので、打ち明けてくれてよかったと思っている。

「二人して先生のこと騙してないよね?」

「本当です」

 ユウキがキッパリと断言する。

「そっか、ユウキ君が言うなら本当だね」

 アンナ先生は真面目なので、先生をからかって遊ぶ男子生徒が多いのだ。つまり気を惹きたい男子がたくさんいるということだ。驚かせたり、心配させたり、ホッとさせたり、喜ばせたり、そのたびに沢山の表情を見せるアンナ先生が愛おしくて仕方ないのである。

 中学生の男はもうすでに子どもじゃない。特に異性を意識した男子生徒など、背伸びをしたがる分、成人を迎えた男より男らしくあろうとするぐらいだ。そういう俺も懸命に大人のように振る舞おうと努めていたりしている。

「さぁ、着いたわよ」

 俺たちが訪れたのは『神さまの家』と呼ばれる児童ホームだった。場所は実習林の中の居住区にあるので、俺たちの家からも近い。それでも犬の散歩をするハイキングコースとは入り口が違うので、気軽に遊びに行くには難しい距離にある。距離感は地元の人間にしか分からないものだ。

 『神さまの家』には常時二十人前後の子どもたちが生活している。両親がいない子もいれば、いても預けられる子もいる。他にも親が刑務所に入っている子だって存在する。引き取り手の親戚が見つかれば退所するし、見つからなければ、そのまま就職するまで留まる子もいる。

 『神さまの家』のホーム長さんは小学校の校長をされていた方でとても心の優しい先生である。本人はキリスト教徒だけど、子どもたちに自身が信仰する宗教を強制することはない。おそらくだが、預かっているという立場を貫いてのことなのだろう。

 だからクリスマスを祝った後は初詣にも行くし、今日のように豆まきをすれば、十日後にはバレンタインの贈り物まで用意するのである。そこは日本人の気質を理解した、温もりのある教育者と言えるだろう。

 深夜に放送されるプロレスを録画するほど好きなので、タイガーマスクのことは小さい頃から知っているが、俺はタイガーよりホーム長さんの方が好きだった。比較すると議論が荒れるので本来はすべきではないが、でも好きなものは仕方ない。

 特に現在は善行をしただけで売名だの偽善だのとネットを通して叩かれてしまう世の中なので、匿名で活動するより、ホーム長さんのように矢面に立って活動することの方が勇気を必要とするのである。そういう意味で俺はホーム長さんを強く支持しているのだ。

「アンナ先生、用意が出来たら俺たちを呼びに来てくれませんか?」

「僕たち外で準備して待っていますから」

「わかった」

 と言って、アンナ先生は『神さまの家』に入っていった。

「じゃあ着替えようか」

 ユウキの指示に従って、車から降りることにした。顔にペイントを施すため、先生の車を汚してしまわないように配慮したからだ。赤色と青色の上下のスウェットも用意した。その上に黄黒の縞模様にペイントしたブリーフパンツを穿けば鬼の変装は完璧だ。

 街中に出没すればただの変態だが、節分の日ならば喜んでもらえるだろう。太い毛糸で作ったカツラにツノを生やせば、どこからどう見ても鬼に間違いない。やる時は妥協せずに、持てる力を出し切って、トコトンやるのが俺とユウキの流儀である。

 ちなみに俺が赤鬼でユウキが青鬼だった。それは彼がそう望んだからである。調べてみると鬼の色にも意味があって、仏教における五つの煩悩を象徴していると記されていた。赤鬼が欲を象徴していて、青鬼は怒りや憎しみや恨みを象徴しているみたいだ。

「二人とも、なんて格好してるの」

 俺たちを呼びにきたアンナ先生がドン引きしている。

「それだと小さい子は怖くて泣いちゃうわよ」

 先生の不安は的中した。

 『神さまの家』に入った瞬間、阿鼻叫喚の嵐となったのだ。

 特に幼年組の子らが泣き喚いている。

 建物一階から二階まで大騒ぎになった。

 でも泣いているからといって、途中で止めてはいけない。

 こういうのはプロレスと一緒で最後まで演じ切らなければいけないのだ。

「ほら、みんな豆をぶつけて、やっつけて!」

 アンナ先生が上手に誘導してくれている。

 その声に、泣いていた子どもが立ち向かう。

「鬼は外!」

「福は内!」

 最後はホームの子らが一致団結して、俺たちを外に追い出すことに成功したのだった。

 理想通りの展開である。

 ただし反省点もあった。

「やっぱり、お面を付けないとダメだよ」

 俺の言葉にユウキが頷く。

「うん。子どもは容赦ないからね」

 ユウキと一緒にシャワーを浴びて、それから改めてホームの子らと合流した。

「ユウチャン、手品やって」

 ユウキは子どもたちに大人気である。あっという間に大広間でユウキが子どもたちに取り囲まれた。お昼ご飯の太巻きが出来るまで、彼のマジックショーが続くだろう。俺はちょっとだけ惨めな思いがあるので、気持ちを断ち切るために掃除の手伝いをすることにした。

 しかし、派手に豆をばら撒いたものだ。『神さまの家』は潰れた民宿を改装しているので、中がとにかく広い造りになっている。でも、北海道の豆まきは落花生を投げるのが一般的なので、投げた豆は拾いやすく、尚且つ無駄にしないで済むところが良い点である。

 三十年前はゴルフ場があったのだが、そこも十年以上前に潰れて、現在は元の森に戻そうとしているところである。夏場は近場でキャンプをしたり、冬場はスケートリンクを作って遊んだり、子どもたちにとっては最高の環境と言えるだろう。

 元が民宿なので生活もしやすいそうだ。広い調理場や大浴場があり、何より全員で食事ができる大広間があるというのが魅力だ。何があっても、みんなと顔を合わせないといけない環境なのである。もちろん個室が必要な場合もあるとは聞いている。

「あっ、赤鬼さんだ!」

 二階に上がったら、廊下で声を掛けられた。

「顔、痛くなかった?」

 そう言って、心配してくれたのは伊吹恋いぶき れんちゃんだ。一個下の中学二年生の女の子である。真ん丸とした顔にショートカットがよく似合い、いわゆる、めんこい顔をした女の子だ。黒目がちな瞳が特に印象的だった。本人はお団子のような丸い鼻が気に入らないと言っていたが、俺はその鼻が一番好きな特徴だったりする。

 そう、つまり、俺の好きな人なわけで、その人が目の前にいるということは、当然、緊張しているということであり、声を掛けられても、うまく言葉にならず、相手が年下だというのに、情けないことに、醜態を、さらしているわけである。

「ケント君?」

「ああ、うん?」

「大丈夫?」

「うん」

 セーターの胸の膨らみが気になって直視できない。

「大丈夫だよ」

「よかった」

「ああ」

「ユウキ君は?」

「大広間で手品をやってる」

「あっ、そうか」

 レンちゃんが残念そうな顔をした。

「見に行ってきなよ」

「でも……」

「掃除は俺がするからさ」

「お願いしていいの?」

「観客は一人でも多い方がいいからさ」

 俺は何を言っているのだろう?

 どうして格好ばかりつけるのだろう?

 本当はレンちゃんと話していたいのに。

「ほら、早く」

「ありがとう」

 そう言って、レンちゃんは階下へと下りて行った。

 ユウキに嫉妬しないと言ったら嘘になる。みんなユウキが好きで、レンちゃんもユウキがいると側から離れようとしない。俺は手品のような芸もなければ、喋りがおもしろいわけでもない。知識はインターネットからの拾い物だけで、個性なんて何もなかった。

 本当に自分が惨めになる。それでも清らかでありたいと思うから、つい格好つけてしまうのだろう。でも、やましい気持ちがあることを自分で知っているから、結局は何をしても、どう振る舞っても、自分が嫌になってしまうのだ。

 この世に異性がいなければ、こんなにも自己嫌悪に悩むことはなかっただろう。唇に触れたいと思うだけで、ひどく自分を不純に感じてしまうのだ。そして、それはレンちゃんを汚したくない、という理由でもあった。

「みんな!」

 食事中にアンナ先生が子どもたちに呼び掛ける。

「みんなはケント君の真似をしちゃダメよ!」

 恵方巻の正しい食べ方に従って、ぶっとくて長い太巻きを無言で丸かぶりしてやった。苦しそうな俺の顔を見て子どもたちが笑っているが、それでいい。俺にはそれくらいしか取り柄がないからだ。

 昼食後は歓談室でアンナ先生がオルガンを弾き、それに合わせて子どもたちが下手くそな歌をうたうのだった。籠の中のインコが忙しなくしているのは、きっと聞くに堪えない歌を聞かされているからだろう。

 ユウキと俺はホーム長さんの奥さんへの挨拶がある。体調が良くないと聞いていたが、挨拶だけはしておきたかった。家は児童ホームの隣にあるのですぐそこだ。リビングでフクロウを飼っているので「フクロウおばさん」と呼んでいるが、本人には内緒である。

 フクロウおばさんは大の動物好きで、他にも犬はもちろんハムスターやウサギまで飼っている。子どもたちに世話をさせるとか、教育が目的とかではなく、単純に動物たちが好きな人なのだ。

 でも最近は身体の調子が悪いようで、犬の散歩とウサギの世話だけは子どもたちにお願いしているそうだ。「そのうちバアも面倒みてもらう順番がくる」と自分で言っていたが、児童ホームの子たちなら喜んでお世話をすることだろう。

 帰りはホームの職員さんも含めて、全員が表に出て見送ってくれた。レンちゃんとはゆっくりと話をすることができなかったが、彼女が高校生になるまでは片思いを続けると決めてある。問題は彼女が無事に進学できるかだが、まずは自分の受験に集中するべきだろう。


 家に帰ると、俺の部屋のベッドの上で宇宙人が寛いでいた。

「やあ」

 思わず、ドアを閉めてしまった。

 声は出ないが、心臓の音が耳に響いてきてうるさい。

 脈もおかしい。

 息もできない。

 ドアをそっと開けてみる。

 やっぱり宇宙人だった。

「怖がることないじゃないか」

 ハッキリとした日本語を喋っている。

「ワレワレは宇宙人だ」

 声色を変えて自己紹介を始めた。

 なぜか定番の古臭いギャグも知っている。

「さぁ、入りたまえ。君の部屋だろう?」

 部屋に入って、ドアを閉める。

 近くで見ると、それが着ぐるみではないことが分かった。

 その姿は誰もが想像する宇宙人そのものである。

 いわゆるグレイ型という奴だ。

 全身が灰色で、アーモンドのような大きな目の奥が真っ暗になっている。

 仮説だが、未来の地球人という話もある。

「この前、宇宙船を見掛けたじゃないか」

「じゃあ、あれに?」

「うん」

 表情がさっぱり分からない。

「ここら辺一帯を見て回ったが、君を捕獲するって決めたよ」

 いま、捕獲って言ったか?

 決めたって言った?

 なにが?

「そんなに驚くことでもないだろう?」

 驚くというより、思考が停止した状態だ。

「君は呑み込みが悪いね」

 流ちょうな日本語である。

「まさに理想の獲物だよ」

 この状況を理解できる人がいるのだろうか?

「よろしい、なんでも質問したまえ」

 そう言われても、質問すら思い浮かばない。

「君のその頭の鈍さ、最高だね」

 ディスられても何も感じなかった。

「ますます気に入った」

 質問を考えるんだ。

「パッと思い浮かんだことでいいじゃないか」

 そう言われても、頭が回らなかった。

「君は理想的な頭の悪さだ」

 考えろ!

「座っていいですか?」

 そう言うと、宇宙人が大笑いした。

「好きにしたまえよ」

 椅子に座ってテーブルに肘を置けたので、いくらかリラックスできた。

「あなたは誰ですか?」

 その質問をするのに何分も掛かってしまった。

「それは君が決めたまえ」

「どういうことですか?」

「君が好きに決めていいのだよ」

 まるで分からない会話だ。

「名前は?」

「だから君が勝手に名付ければいいだろう?」

 俺の頭ではうまく会話ができない。

「そうだ。この場で私の名前を決めてくれたまえよ」

 思いつかないので、手元にあったタロットカードを引いてもらうことにした。

「タロットカードだね」

 宇宙人は、それも知っていた。

「引けばいいのかね?」

「はい」

 宇宙人が引いたのは「隠者」のカードだった。

「隠者ね」

 そう言うと、宇宙人が一瞬で絵札に書かれた隠者の姿に変身してしまった。

「どうじゃね? 隠者らしく見えるかね?」

 杖を持った魔法使いの爺さんそのものだ。

 全身を覆うマントと白いヒゲ。

 西洋人の顔立ちまでコピーしている。

「いまのは……」

「わしはそちの望む通りに姿を変えることができるのじゃ。空飛ぶ円盤も、宇宙人の姿も、話す言葉も、すべて地球上にあるものばかりじゃ。想像した物が具現化されておれば、どんな物にも成り変わることができるのじゃよ」

 ということは、さっきのグレイ型の宇宙人が本物の正体ではないということだ。

「他にも聞きたいことがあれば聞くがよい」

 目の前の老人が怖かった。

 外国人と一度も接したことがないので緊張するのだ。

 まださっきの宇宙人の方が話しやすいくらいだ。

「何をまごついておる?」

 低い声にも圧迫される。

「いえ、べつに」

「そうか、話し相手が目上の者では畏まってしまうのじゃったな」

 そう言うと、今度は一瞬で少女へと変身してしまった。

「これで、どう?」

 服装は隠者のままなので、魔法少女そのものだ。

「顔つきも日本人にしてみたよ」

 笑顔が愛くるしい。

「少しは話しやすくなった?」

 アニメから飛び出してきたかのような可愛らしさだ。

「う、うん」

 黒髪ロングの美少女は反則だ。

「あなたって本当に単純なのね」

 人の見た目って、一体なんなんだろうか?

「いいわ、これでお話を再開しましょう」

「うん」

 これでウキウキしているのだから、我ながらバカだと思ってしまう。

「ここに来た目的は何?」

「さっきも言ったじゃない。あなたを捕獲したのよ」

「他の星に連れ去られるっていうこと?」

「誰があなたなんて欲しがるもんですか」

 可愛い顔して言葉遣いは辛らつだ。

「でも俺、君に捕獲されたんだよね?」

「そうよ」

「捕獲した目的は何?」

 隠者が微笑む。

「あなたに死んでもらいたいの」



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