第8話:西の鉄巨人
「我々の答えは変わらん。 王太子殿下が見つかるまでは、絶対に次期王選出になど参加せん!」
東で転機の風が吹いていた頃、西ではどんよりと戦の雰囲気が舞っていた。エルアーム城の前でファルーン・グランジェはいつもよりさらにどすの聞いた声で叫んだ。目の前に立ちはだかる覆面の騎兵たちは、見える目元を顰めて早々に去って行った。
先が思いやられる。法術師の訪問は、迎えたばかりの今月に入って既に3度目であった。アリカラーナ中の雑音を集めた声を持つ城主などにあまり本当は会いたくないのだろうが、ここを落とすのには書簡など生温いものなどが効かないことはよくわかっているようだった。無論、来訪したところでファルーンの意思に変わりはない。
次期アリカラーナはウォルエイリレン王太子殿下の他に居ないのである。
王になった時、王の名はイシュタル・アリカラーナとなる。いつしかアリカラーナになるものとして育ったウォルエイリレンはしかし、 前王ガーニシシャルから王太子の宣下を受けた時、驚いたようだった。ガーニシシャル王に正式な子息は一人しか居ないのだから当然と思っても良いのに、彼は驚いた。そのことが新鮮で今でも覚えているファルーンは、ただ単純に彼を信じていた。
それだと云うのに、この状況はいったいどういうことなのか。
難しいことは考えず先に行動するだけが得意なファルーンは、殿下失踪の報の後、すぐさま王都の心当たりのあるところを訪れた。まず最初にアティアーズ家に行ったが、殿下の侍従であったセナには会えず、当主であるゴウドウにすぐさま追い出された。しかし気にしている閑もない、代々宰法を生み出しているローゼン家、精霊召喚師一族カルヴァナ家、聖職者ティマナー家、懇意にしていたアセット家、デュリュマ家、ティリアーニ家。──何所を探しても、ウォルエイリレンは居なかった。万策尽きた。後はただ、まだ生きていると云って民からの批判を浴びながらも、ここの城主であり続けることだけだった。
「城将、大変です!」
ノックもなしに開けられた扉はそのまま煩く閉められ、慌てて入って来たジーク・ロウマンはそのまま転げ落ちるかと思うぐらいの素早さで主の元に駆け寄って来た。いつもならば笑って見過ごせるその騒々しさも、今日ばかりは癪に触る。
「煩い、騒ぐな!」
<西の鉄巨人>の異名にふさわしい大声を張り上げたが、相変わらずジークは聞いていなかった。大変ですと続けて云うと、体勢を整え直して一気に話し出す。
「アスル付近でやっている大きな賞金取りが気になって行ってみたら、そこで賞金首にされている者が誰なのか、ようやくわかったんです!」
「だからなんだ」
悔しいことだが、ジークは無駄なことをして上司の機嫌を損ねたりさせない。不機嫌を買って後で良い情報になるからこそ伝えているのだ。だからこそ、聞き流すことはできない。
「その見習い召喚師の名は、アリス・ルヴァガ」
「なに……、ルヴァガだと……!」
「ええ、ルヴァガ様です! しかも法術師直々の捕り首だそうで、なんか臭いですよね!」
「しかしアリス、とは聞いたことのない名前だ。あの事件以来……」
通称<あの事件>で隠されているルヴァガの失態を、口に出して云うことは失礼に値した。それはもちろん、その事件に関わったものの名を出すことさえも。ルヴァガ家はもう既に存在しない家柄だというのに、あれから20年経った今でもこんなに存在感を持たせている、それだけ大きな家だったのだ。
それだけ巨大な家柄の娘が、今まで忘れ去られていた娘が、この時期になぜ捕り首になるのか。
「その娘、連れて来られるのか?」
「いえ、その……残念ながら、レイシュ町から目撃情報はありません」
今の今まで息を切らせてずっと情報を吐き出していた口にも、流石に歯切れが悪くなってぼそりと止まってしまった。ジークの情報はきっともう少しあるのだろうが、まだ主に伝えられるほど確信を持って居るわけではないのだろう。それ以上の追求は、だからファルーンもしなかった。
それより──。
怒鳴り合いの中に不釣り合いな、かたんと食器の擦れ合う音が響いて、ファルーンは思い出す。
「アクラ!」
「なんだい、ファルーン」
向かいで本から視線を逸らさず、彼は澄ました顔で聞き返す。
「なんだいじゃねぇ、今この状態をなんとも思わないのか!」
「思っているよ、聞いていたもん」
カーム領主アクラ・ロスタリューは笑いながら答える。今まで居るのをすっかり忘れていたが、カップを置く音で思い出した。こっちがこんなにも不機嫌さを出しているというのに、呑気に目の前でティータイムの読書とは良い身分である。
「もの凄く大きな情報だ、聞き逃すわけにはいかないよ」
その本をようやく閉じて、彼はこちらを振り向く。初めて目が合った気がしないでもないが、今はそんなことに腹を立てるよりも、もっと調べたいことがあった。
「しかしまあ、ルヴァガ様の復活とは、驚きだけど」
そう、そうなのだ。あの法術師が、ルヴァガと関わりを持つなどとは。明らかに何らかの事情があり、そしてそれはおそらく、法術師に都合の悪いことなのだ、と。
「聞いたことのない名前だが、アリスってのは誰だ?」
「まったく単細胞も程々にしてくれよ、体力莫迦はこれだから。一応カームの城を預かる者として、少しは頭を働かすことぐらいしてくれないと、領主である僕にまで恥が出るじゃないか。ウォレン様に顔向けができなくなるよ」
息子ぐらい年の離れた相方に、厭味百倍で返って来るのはいつものことだ。そしてファルーンが激昂して口を出そうとする前に、隙を見せないほど素早く素直な返事が出て来る。
「普通に考えればルヴァガの末裔じゃないか。<例の事件>に置ける一番の問題、術者同士の娘子だよ。法術師が追っているのだから、尚さらその可能性は高いさ。しかしまさか、召喚師側に居たとは意外ではあるけれど」
あっさりと云い捨てられて、逆に気持ち良いほどである。考えるのは得意でないから、全部口に出して他人が答えるのを待っているばかりのファルーンである。そしてそれをすべてわかっているアクラに今さら反抗したところで、得られるものは何もない。
「それって結局、どういうことなんだよ」
「どういうことってそんなの、僕にはわからないよ。この僕にはね。しかし今まで何所で匿われていたのやら、少し調べてみる必要がありそうだね。ルヴァガの姓を消さないで生かしておくなんて、召喚師らしくない選択だしさ」
確かにそうだった。あの事件を醜聞と厭い嫌ったのは一番に召喚師だった。だからアスル町からルヴァガの名は消され、王宮だけの名となった。今ではルヴァガの姓を名乗る者など、居ないと思っていたのだが──。
「その彼女を法術師が19年経った今、捕り首にする理由、か」
アクラは考える風だが、ファルーンはそれを眺めることしかできない。あの事件の娘が生きていて、法術師側から捕り首要請が出ている。その事実が向かう先には、どんな深い欲が渦巻いているのかと思うとぞっとする。
「やはり彼女の力が必要になった、ということかな」
「そんなの知るかよ」
「云うと思った」
くすくすと笑う彼は日の光に当たり輝いていて、まるで精霊のように綺麗である。しかし綺麗なのは外見だけで、口を開けば毒しかか吐かないこの領主は、おそらくずっと独身のままで、前の領主のように何所からか子どもを拾って来て、その子を後継ぎとさせるのだろうとファルーンは思っている。
未だにこのアクラ・ロスタリューという男の素性はよく知れない。それを快く思わない人が周囲の町には多く居るが、建前の人当たりでなんとかそれを誤魔化している。気に喰わない、ファルーンの第一印象はそれだけだった。しかし彼は、絶対的に信用に値する。少なくとも今回のこの王太子の件では、絶対に裏切らないと確信できる。
「彼女には法術師にとっても恐るべき血が流れているということだ」
アクラは最後にそう締めくくった。アリカラーナと同じく、血を重んじる種族、法術師。彼らはその血を尊ぶあまり、怖くなったということだろうか。
「まあまだ、本当に<例の事件>の子かもわからない。召喚師らしくない育て方だからね、もしかしたら身代わりなのかもしれないし、よくよく考えれば単純に異国へ出たルヴァガの末裔かもしれないという可能性もある」
アクラは頭の回らない城主に説明しながら、考えをまとめているようである。
「向こうの方が近いから、案外知っているかもしれないけれど……」
そう云って本を置いた彼は、既にファルーンではなく遠い窓辺を見ている。そのずっとずっと向こうに居る仲間のことでも思い出しているのかもしれない。<東の金剛石>と<西の鉄巨人>、今王都に居る法術師が厄介だと思っている連中である。
東のガーランダ・エトルとイーリィ・マケルに比べて、こちらの相性は最悪だ。アクラは常にマイペースののんびり屋で、考える前に行動してしまうファルーンには苛つくだけの男だ。行動は遅いし面倒なことはしない、加えていつでも余裕を気取っているその性格は正直苦手である。しかし彼が、ここでは一番の味方であることを既に知っていた。
彼こそが、いや、彼だけが頼りとも云えるほど、もしかしたら彼の方が自分よりも──。そう思うほどに、彼はウォルエイリレン王太子殿下に忠義を尽くしているのである。
その彼はそんな気をさらさ見せず、まあでも、と金色の髪を掻き上げながら云う。それは彼の細く白い手をさらさらと落ちて、また彼の白絹の服の上を滑る。
「送ってみた方が良さそうだね、書簡」
「ああ……」
「早いところ向こうに捕まえてもらったほうが良さそうだ。話を聞きやすい。彼女がケーリーンの餌食になる前にね……」
ざあっと開いた窓から心地よい風が吹いた。12月だというのに、とても暖かい風だ。
転機の風が、吹き始めていたのだった。