第6話:悪の開花
「グレアル・ロア」
回廊で呼び止められて振り返ると、ググーリ・ド・マンチェロの姿があった。今日も相変わらず黒尽くめの暑苦しい恰好をしている。寒いと云えど例年に比べれば暖かいというのに、いや、暖かくしているというのに。
「どうした」
「精霊の気配を掴みました、おそらく師走だと思われます」
その報告に、思わず舌を鳴らす。ついにやられてしまったか。
「──先を越されたか」
誤算はあの召喚師を捕獲するところから始まっていた。召喚師と云えど重罪人の仲間を法術師から庇いはしない、そこまでの計算は合っていたのだが、まさかあの家に、あの女の家に居るとは完全なる誤算だった。無論重要な仕事であったから鍛錬された臣下を送ったが、彼女の力では到底勝てるわけがなかった。思わぬ誤算で新たな精霊召喚師を逃してしまった。
挙げ句彼女はなぜだか気配が掴み難く攻撃も難航している。ただの見習い召喚師だと甘く見ていたが、あの少女、 いったいどれだけの力を秘めているのかわからない。ずっと召喚師の町で過ごしていたというのに、どうやって気配を消しているのだろうか。
アリス・ルヴァガ。その名前を聞いた時、既に嫌な予感はしていた。切り札が大き過ぎる。こんな事態をまさかカルヴァナが予想していたわけではないだろうが、法術師には相当な痛手だった。
「どうなさいます」
黙り込んだシュタインに痺れを切らしたのか、マンチェロは先を急いだ。そんなに慌てても仕方がないだろうと思うのだが、どうもこの男はせっかちなきらいがある。
「まだどうせ一人なのだろう。一人の力はまだ弱い。打つ手はある。追撃は止めるな」
「はっ」
「師走を目覚めさせたとすれば、行動は決まって来る。睦月祠付近で待機せよ」
目覚めさせたのは痛手だが、捕まえるのにはわかり易くてずいぶんと便利である。次なる祠は睦月、如月、どちらとも法術師の町ケーリーンの隣だ。仕留めるのには充分良い状況と云える。大丈夫、まだこちらに勝利の気配すら見える。
「それと……」
「まだあるのか」
「調整者はやはり生きていました」
アリス・ルヴァガからあの男の件に話が流れ、シュタインはなんの因果なのだろうかと思う。あの男が王宮を出てから結構な時が経つが、やはりまだ生きていた。こんな時に生存を確認されるとは、余程不運な男だ。精霊召喚師共々、捕獲の対象になる。だが案外、合っているのかもしれない。あの男が生きていると、後々不便なことになる。さっさと始末しておけば良かったが、やはりあいつは気を許さなかった。しかしこちらの包囲網に捕まるとは、彼も余程余裕がなかったということだ。そんな状況に追い込まれていた。だがあの男が気を抜くなどどうしても考えられなかった。
「何所で見つけたのだ。場所は?」
「居場所は特定できておりませんが……とにかくまだ、生きていることは確かです。気配を感じたので追ってみたのですが、すぐに痕跡は消されておりました」
シュタインは不気味な笑みを浮かべた。何年経てど、彼の腕は落ちないらしい。この禁忌魔法に勝るほど、彼の腕は素晴らしい。まったくもったいない男だった。もったいないが、喰えない男だ。
そんな連想からふと、重要な男の姿を思い出す。
「それで、殿下の居場所は?」
「申し訳ありません、それはまだ……」
マンチェロはそう云って目を伏せた。なぜなのだろうか。あの男こそ、すぐに見つけることができそうだと云うのに、依然として王太子殿下は法術師の包囲網に引っかからなかった。ただ一度として、彼は法術師の前に姿を現さないのだ。法術師でも召喚師でも聖職者でもない、ただの人間の剣士である彼が術師から逃れるなど、そう簡単なことではない。
「ローウォルト様は何か云っていないか」
「何も。──殿下の名を出すと凄い勢いで怒鳴られるので、あまり……」
「そうか」
少し目を光らせてはいたが、もう必要ないのかもしれない。ローウォルト・ディラ・アルクトゥラス。ウォルエイリレン王太子殿下の右腕であり親友であり従弟であり、共に剣の道を歩んだ同士。その彼がウォルエイリレンと聞いて怒鳴り散らすとは、以前なら考えられないことだった。あの日、法術師が反旗を翻したあの時、誰よりも抵抗したのローウォルトである。剣の腕は確かだがやはり、法術師と半数以上の王師を相手に何かできるわけがなかった。意識を失う寸前まで、ずっと剣を振るって仲間の守りを固めていた。牢獄に閉じ込められて3年ほど経った頃、シュタインが様子を見に来ると、彼はとんでもないことを云ったのだった。
──俺を王にしろ。
この中に居ても構わないから、次期アリカラーナ候補にしろ、と。今までシュタインが何を云っても口を利かなかった彼が、初めて発した言葉がそれであった。獄中生活でおかしくなったのかとずっと監視の目を光らせていたが、ローウォルトが王太子殿下の名を出すことは、あの日からなくなった。もう気にしなくて良いということか。
それよりも危険なのが、リレイン・シルク=ド・シュベルトゥラスかもしれない。彼は牢獄に入ると云って聞かなかったが、元々戦力がないから抑えさせることは簡単だ。次期アリカラーナ候補として大切な存在なのだから、獄中生活などさせられるわけがなかった。しかし事ある毎に歯向かって来るから、そのうち同士を募ってすべてを暴露してしまう恐れがある。今王宮内すべてを法術師が取り仕切っているからまだしも、この呪縛が解けたら彼はどう動くのだろうか。
「しかしただの人間が4年間も潜伏できるわけがない。──王太子殿下を早急に見つけ捕獲せよ」
「は」
「それからあの方の行方もきちんと調べるのだぞ。もしかしたら共に居るのかもしれんがな」
「もちろん、そちらも全力を尽くしております。ヴァルレン王左にも協力してもらっておりますが、まあ非協力的でしてね」
協力的だったら逆にそれはそれで恐ろしい。あの頭の固いヴァルレンが、王家に不利になることを云うはずがなかった。
「あの方はきっとエンペルトが守っているはずだ。奴の気配も掴めんのか」
「伝説のエンペルトに叶うほどの手足れは、あの男しか居りませんよ」
苦笑して答えるマンチェロの気持ちも、わからないではなかった。シュタインが宰法の座を手にしていながら恐れた、二大法術師家のうちの一つエンペルト家。先代のイシュタル・アリカラーナ、ガーニシシャルは慎重な男だ。あくまで国の安定を考え、義にも邪にも平行を保ってこの国を守って来たのだ。それは並たいていのことではなかっただろう。欲目の出たシュタインを厳しい目で見たこともある。その瞳が大層恐ろしかったのを、シュタインは今でも覚えている。先代アリカラーナは玉座を守ることに置いては本当によくできた。
クリュード・エンペルトはそのガーニシシャルが重宝していた臣下である。だからこそ、あの方はエンペルトに守らせて自分の居場所を悟られまいとしている。それが果たして殿下を庇うためなのか、あくまで自分の平和を守るためなのかはわからない。
ガーニシシャルに比べてウォルエイリレンは純粋な男であった。ガーニシシャルが崩御しウォルエイリレンへと変わる時、シュタインは正直迷った。新たな王ウォルエイリレン。その背中に付いて行くことは簡単だ。だがシュタインの主は、シュタインがただ一人主と認めたガーニシシャルの願いはなんだったのか。そう考えた結果、ウォルエイリレンには王宮を去ってもらうのが一番だと、もう何度も煩悶して出した結果だ。ウォレンは邪を見過ごすことなどできない性格にあった。あくまで王宮にそのような欲が居座ることを嫌い、マンチェロなどは早々に目をつけられていたようだ。自分も同じような男だと思われていればとそう願う。そうしたらきっと、彼は油断してくれる。
「全力で新たな精霊召喚師の誕生を阻止する。新たな王の決定を急がねばならんな」
急がねばならない。それはこちらとて、向こうとて同じだ。
「それで、東西の奴らに書簡は送ったか」
「はい、幾ら石頭の東と鉄壁の西と云えども、今度こそは落ちるでしょう」
そうだと良いがなとは云わず、シュタインは回廊を歩き出した。
・・・・・
ざあっと風が吹いて、彼は身震いをする。寒さの所為ではない、その風があまりにも、暖かかったからだ。12月なのにこの暖かさは尋常ではない。そろそろ、動かなくてはならないか。
海岸に座りながら、そんなことを思う。こんな場所に居ては危険だろう、法撃が飛んで来るかもしれない、そう思いつつも彼は海岸に座り続ける。もうそろそろ、潮時なのだろう。空位は約4年、続いている。混乱はさらに大きくなる。あの3人の誰かが王になるのも、それもまたおもしろいと思っていた。それが実は、正しい姿なのかもしれないとも思う。何しろ王宮から逃げた自分には、関係のないことだとも。
しかしもう、逃げてはいられない。12月の風を受けながら、彼は思う。
これは12月の風ではない、偽りの暖かな風だ。こんなことは許されることではない、彼はそう思う。
「さて、どうしようかな」
彼は海岸でぼそりと呟く。王宮に戻るための手段を、彼なりに考えてみる。
「やはり彼に、託すとするかな」
遥か遠い王都を振り返って、彼はまた小さく呟いた。
・・・・・
「御綺麗ですね」
云われて顔を上げると、そこにはクリュード・エンペルトが立っていた。気配すら感じなかったので、相変わらず気を遣ってくれているのだということがわかった。でき上がった花束を高々と掲げて、彼女は微笑んだ。
「でしょう?」
「どうされるのです」
「もしあの子が戻ったら、渡しに行こうかと思っているのよ」
その返答に意外そうに目を見開いた後、淋しそうに彼は微笑んだ。本当に法術師の癖に慈悲高い人物だなと思いながら、彼女は彼を見遣る。
「かなり傷付いていらっしゃるようですよ」
「あの子はあの子なりに、繊細なところがあるのよね」
実を云えば、彼女なりに怒っているのであった。あんな下らない噂に流されるなど、思っても見なかったのだ。それだけ強く育てたはずだというのに、どうしてこんな結果になっているのかわからない。
「見ればわかることなのに、どうしてわからないのかしら」
「迷っている時ほど、真実が見えなくなるものなのです」
「私を見ても、わからなかったのかしら」
こんなにも同じものを持って居るのに、とつまらなく思う。だから彼が来た時、優しい言葉をかけるなどしなかった。彼自身から、立ち直って欲しかったから。
だが彼は、音沙汰を見せない。
「まったく……」
彼女は深々と溜め息を吐く。いったい何所で道草を食っているのだろうか。さっさとしないと臣下が全員の死んでしまいかねない。彼の臣下は特に頑固者が多いのだから、と彼女は余計なことを思って笑う。
花束を抱え込んで立ち上がると、びゅうっと風が吹いた。暖かくて当たっていても害を感じない気持ち良い風だったが、なぜだかそれが薄気味悪く感じたのも事実だ。ここのところ暖かくて驚かされる。過ごし易いのは嬉しいことだが、時に寒くなる一日の我慢が辛い。年かな、と彼女は憂鬱に考える。
「それにしてもあの子、よくここがわかったわね」
「わかったことこそが証しだと云うのに、気付いてくださらなかったのが残念です」
エンペルトはまた淋しそうに微笑むと、
「幾ら暖かいとは云えお風邪を召されては困ります。中へ戻りませんか」
「ええ、ありがとう、そうするわ」
彼女は微笑んで中へと入ろうとしたが、立ち止まって持っている花束を見た。
こんなにも、綺麗なのに。
彼女は静かにそれを地面に落とすと、エンペルトに促されるまま、中に入った。
取り残された花束は、その夜、風が攫って行った。