第5話:精霊召喚師の復活
「どうかした?」
きょろきょろと辺りを見回すアリスを不思議に思ったのか、師走は手を休めて新たな主を見た。
「今さらだが、連れが居たんだ」
「連れ?」
「うん、偶然会っただけだから、何者なのかよくわからない。海ではぐれたんだがやっぱり見つからないな」
「魔法使いの攻撃は全部君に向けられていた。だからそいつが不運じゃなければ、どっかで助かってる可能性が高いと思うけど」
「だと良いが……」
「探す?」
「いや、そんなことをしている時間はないんだろう」
「残念ながら、そのとおり」
「なら、先に話を聞こう」
師走は頷いて、中断していた作業を開始した。
師走に云われたとおり海へと飛び込んだが、冬の海はちっとも冷たくなくあっと云う間にアリスを陸まで運んでいた。師走が何やら呟いていたから、彼が何かを施してくれたのだろう。陸地まで辿りついた時には、さっきまでびしょ濡れだったはずなのに、身体の何所も濡れていなかった。師走はアリスの無事を確認すると、すぐ何かの作業に入った。そうして今、落ち着かない彼女を見て声をかけてくれたのだ。エースのことは、忘れるしかないらしい。運が良ければ、また会えるだろう。なんとなく、そう思わせる人だった。
アリスがとりとめもないことを思っていると、作業を終えた師走がふうと溜め息を吐いてアリスを見遣った。
「でーきたっと。なるべく邪魔されないように、長くてややこしい話を聞いてもらわないとならないから、この中から動かないでくれよ」
そう云って師走は書き終わった大きな円の中にアリスを入れた。
「これは?」
「結界だ。俺の力があまりないからすごく簡単なもんだけど、ないよりはましだよ。少しでも出たらたちまち敵に見つかるから、出ないようにな」
アリスは了解してその円の中に座った。ただその中に入っただけなのに、ふんわりと暖かい。結界にはこんな効果も付与されるのかと、召喚師として少し驚かされる。
あの狭くて不思議な空気の場所を出たからか、自然とアリスは落ち着いていた。肝が据わったのかもしれない。人霊と向き合っているというのに、なぜか見習い召喚師であった頃のアリス・ルヴァガには戻れなかった。旅に出てお尋ね者になったアリスの隣に座って、師走は満足そうに頷いた。
「いきなりでいろいろ混乱しているだろうけど、理解できるよう最初から話すよ」
師走はそう云って、しばらく宙を眺めていた。よほど込み入った話なのか、それには結構な時間があった。やがてよしっと師走が云った時には、アリスもすっかり落ち着いていた。
「今から約4年ほど前になるな。行方不明になった王太子の話は聞いたことがある?」
「ああ、それなら知っている。王を決めるとか決めないとかで、今問題に……」
4年前に突如行方不明となった王太子については、アリスでも知っている。イシュタル・アリカラーナ──国王であったガーニシシャルが崩御されて、次期アリカラーナとしてウォルエイリレン王太子殿下が即位するはずであった。だがその王太子殿下が、即位を前にして忽然と姿を消してしまったのである。そのためこの国は、4年もの間空位が続いているのだ。
空位など神の国アリカラーナでは有り得ない。アリカラーナが居なければこの国は存続することができないと、昔から云われていた。その歪みをどうにか保っているのが法術師だったが、流石に限界が来ているのだろう、次期アリカラーナを決めようという動きが、今顕著になっているらしい。
「そっか。──実はこの問題を、俺はどうにかしたいんだ。知っていることもあるだろうけど、とりあえず聞いて」
どう話せば良いのか悩んでいる師走の表情は、自然難しいものになる。前置きしてから師走が話しだしたのは、アリスでも知っているこの国の基礎だった。
「この国には12の祠があって、そこには最上の精霊である人霊が宿る。別名暦精霊とも云うのが、俺たちのことだ。俺たち暦精霊は選ばれた精霊召喚師に仕えて王宮に留まる。仕事はこの世界に季節を与えること。12の月に与えられた季節を、きちんと割り振ることだ。そうすれば国はきちんと春夏秋冬の流れに沿って、気候が与えられることになる。これまではわかるよな」
「ああ、何度も講義で聞いた召喚師の基礎だ」
だからこのアリカラーナ王国に、他国は手を出したがるとも聞いた。北方にあるローキア大陸や南方のルーズディ大陸にある大国は、気候の整ったこのアリカラーナ王国を神聖視しているらしいとも。
それだけこの国は、精霊に守られた特別な国なのだった。
「そっか。──で、魔法使いはそれが狙いだったんだ」
アリスは思わず顔を顰めた。
「良いか、精霊による加護は、やせ細ってどうしようもないこの国を、初代アリカラーナが救済するべくして作られたものだ。俺たち人霊が居るから四季がある。俺たちが居なければたちまち気候が荒れて、作物も育たなくなる。人は生きていけなくなる」
そう、もともとこのアリカラーナという国は、特別でもなんでもない、むしろただの島だった。東西南北にある島国へ行くまでの中継地点として使われたこの島は、あらゆる種族が来ては自由勝手にしてどんどん弱って行った。少ないながらに居た島民は悩んで、最終的にアリカラーナが精霊というものにすがったという。
どぼんと波の音がして驚くが、周囲に変化はない。話しながらもきちんと周囲に気を配っている師走も、特に気にせず淡々と話を進めた。
「魔法使いは元々召喚師から分裂した、いわゆる後出の一族だ。今では王宮四官の一つとして数えられてはいるが、昔はただの小さな一族だった。彼らは政治面でも努力をして地位を上げて来た。それでもなかなかうまくいかないという時に、禁忌とされている魔法を作ってしまった魔法使いが居た。彼にはその気などなかったが、それは良いように利用されて出生の道具となった」
禁忌魔法、それは召喚師の間でも有名だった。あまり詳しくは教えてもらえなかったが、使うと後で痛い目を見る、恐ろしい魔法だと聞いている。その禁忌魔法を作り出した法術師は王宮からも出されて、今は行方すら知れないのだと。
「その一部に気候を操る魔法というのがある。この魔法があれば、精霊は必要がない。精霊召喚師も必要がない。加えて精霊は決められた順序に季節を与えることしかできないが、魔法使いは好きな時に自由に天候や気候が決められる。そうしたらみんな、精霊召喚師よりも魔法使いを必要とする」
「そんな莫迦な……」
「事実なんだ。最終目的は俺たち精霊の存在をなくすこと、君の持つその石を消滅させることだ。そのための第一段階としてとりあえず魔法使いに必要だったのは、自分たちは禁忌魔法という超越的なものを持っていると民に知らせることだった。そのチャンスが来たのが3年……もうすぐ4年前になる話だ」
師走はその日を思い出したのか、突如悔しそうな表情になる。
「11代イシュタル・アリカラーナ、ガーニシシャル国王陛下が崩御して、ウォルエイリレン王太子殿下が王位に即くことになった、その年のことだった。名君と名高いガーニシャル陛下が居なくなれば、魔法使いは動き易かったんだ。だがこのウォルエイリレン王太子ってのが、また変わり者でね」
彼のことを思い出したかのように笑った師走は、面倒だからウォレンと呼ぶぞ、と注釈を入れる。その笑った表情がとても良い顔で、アリスはなんとなく微笑ましい気持ちになったが、それと同時にウォルエイリレンの名が出て来たことにどきりとする。
「あいつは結構怠け者のように見えて、王としての素質は充分にある。ガーニシシャル王が居なくなってやり易くなったこの時に、有能な新王は魔法使いにとってただ邪魔なだけの存在だった。だから彼が王位に即く前に一つ動こうと云うことで、王宮内で同士を募ったようだ。ウォレンが傀儡にならないことに不満を持った官吏は魔法使いに付いた。そうでない者は知らないうちに城から追い出されていた」
「でもそんなあからさまな行為に、鋭い殿下が気付かないわけはないだろう?」
「もちろん、あいつがそんな王宮内の不穏な動きに気が付かないわけはない。だが調べ出した途端、勘付かれたことに気が付いた魔法使いは即座に動いた。ウォレンだけはなんとか逃げさせたが、ルウラは幽閉、ウォレンを匿った者たちは反逆者として捕らえられた。ウォレンを逃がしたのは失敗だったが、事は魔法使いの思うように進んだ。魔法使いは精霊召喚師を幽閉し、人霊たちを封印し、季節を操る位置に立ったんだ」
「その、王太子殿下は……?」
途端今まで真剣な顔をして話していた師走の顔が、苦渋に満ちたものになる。まるで捨てられた子犬のように、困ったように笑いながら情けなさそうにかぶりを振った。
「わからない。あいつのことだから逃がしてくれた仲間の為に何かするはずなんだ。そう約束もしていた。──だが、本当に行方不明になってしまった……」
今まで怒らせていた師走の目が、自信なさげにすっと下がった。それと一緒に、一度も背けなかった顔も下げて俯いてしまった。さっき話していた表情でわかる。師走は王太子殿下を、心から信じているのだと。だからこそ、本当に行方不明になってしまった殿下にショックを隠せない。
しかしそれでも──。
「時間がないんだ」
師走がぼそりと呟くと、次には顔を飛び上げて必死に言葉を紡いでいた。しかしそれでも、信じたいからだろう。そんな師走を見ては辛い気持ちになる。ダーク、ラナ、自分を信じて待ってくれている人が居る。それがどんなに嬉しく心強いかをアリスは痛感した。
「あいつが行方不明になったのは、4年前なんだ。5年経てば、あいつは死んだことになってしまう。そうすると、新たな王が、アリカラーナが立つ。見つかってもアリカラーナとして立つことはできないだろう」
「そうか……、5年経つと行方不明の者は死者になるんだったな」
アリスでも聞いたことがあっった。行方不明者は5年で死者となる。王が行方不明になったことなど今までなかったが、どうやら死者となればその後戻って来ても継承権を失うらしい。
「それまでにあいつがなんとかしないと、新しいアリカラーナが立つ。おそらくは魔法使いの傀儡になるような、使えない王が。たぶんそうして、いつしか国は滅びる」
そこで、と師走はアリスをじっと見た。
「時間がないと悟ったルウラ、カルヴァナ精霊召喚師は……、この間、自害なさった」
「自害……!?」
「俺たち人霊は魔法使いによって封印されていた。王宮の何所か薄暗い魔法使いの結界ばかりの部屋に押し込められていたんだ。精霊召喚師の力が弱っていると、人霊は基本的に本来の力が出せない。仕方ないからずっとそこで眠っていたけれど、ある日突然俺はあの祠に戻っていた。そのことが指し示す事実を、それだけの事実で俺はすべてを察しなければならなかった。
従順なルウラが自害を考えないわけはないと、魔法使いはきっと保険をかけていたと思う。だがその術を破ってルウラは……、カルヴァナ精霊召喚師は、この間亡くなった」
師走の声ははっきりとしていたが、何所か辛そうでもあった。それはそうだろう。人霊の主は精霊召喚師しか居ないのだ。精霊召喚師だけに付き従って、彼らは生きている。自害されて悲しくないわけはないだろう。滅多に姿を見なかったアリスですら、胸を突き刺すような辛さを感じた。
しかし師走は弱さをまったく見せない顔で、毅然として云う。
「ルウラ・ルアが亡くなられたことで、この世界に新たな精霊召喚師が生まれる。──それが君だ」
改めてきちんと説明されて初めて、アリスは自分の立ち位置を確認してぞっとした。法術師にとってカルヴァナの自害は痛手だったのだろう。おかげで新たな精霊召喚師が現れてしまって、法術師が季節を動かせなくなってしまった。指名手配になったのは、精霊召喚師となったアリスを捕まえるためだったのだ。捕まえて幽閉するために、法術師は血眼になってアリスを探している。
「そんなことで……」
そう思うと、もう怒る怒らないの問題ではない気がした。ただ権力が欲しいだけのために、法術師は国を破壊させたのだ。
「私……」
つまりただの見習い召喚師だったアリス・ルヴァガは、カルヴァナ精霊召喚師決死の覚悟の元、次期精霊召喚師として選ばれたのだ。
「どうすれば良いのかな……」
しかし具体的にどうすれば良いのかわからず、そんなことを呟いてしまう。師走もそれについては頭が痛いようで、思い切り顔を顰めて見せた。
「ウォレンが約束を守らなかったことが気になるんだが、それは悔しいから置いておくとしよう。とにかくウォレンはすぐ王宮に戻らなかった。おかげで状勢はウォレンに不利なんだ。流石に4年も空位が続けば、どうでも良いから王を立てろということになる。味方が随分と減っていて、今さらウォレンだけが出て来ても世論を味方につけるのは難しいだろう」
そこで、と師走は続ける。
「君が立ち上がって、魔法使いの謀反を明らかにするんだ」
「私が謀反を……?」
「ルウラが亡くなられたことを、誰も知らないんだ。魔法使いはつまり、それを隠していることになる。だけどそこに人霊を引き連れた精霊召喚師が出て来たらどうなる? 加えて俺は魔法使いの謀反をこの目で見た証人だ。12人も居れば充分な証人だろう。人霊は嘘を吐かない。これで少しは魔法使いを揺さぶることができる」
師走の顔は、これまでにないぐらい真剣なものになる。
「これに乗じてウォレンが帰って来てくれるはずだ。俺はそう、信じたい」
力強く話す師走の言葉に、アリスはもう乗せられていた。しかしそれでも、不思議な感じは否めないのである。まさかこの自分が、まさかこのアリス・ルヴァガがそれはないだろうと一蹴してしまうことは簡単であったが、実際に起きていることと噛み合ないことを云って、また師走を混乱させてしまうのも悪い。
結果ぽつりと、アリスは心にある一部だけを呟く。
「どうして落ちこぼれの私なんかが、精霊召喚師なんて──……」
「実力なんて関係ない、そもそも精霊召喚師は人霊しか召喚できないんだ。精霊召喚師に選ばれるの基準は、召喚師五家とか順番とかいろいろあるけど、基本的には勘だ。君は決して例外ではないんだ」
アリスは思わず口を噤む。孤児、劣等生、そして異物(、、)としてのレッテルが強いだけに、 突然大きな任務をもらってしまったことにたじろいでいるのは事実だ。 だがしかし、今アリスは断れる立場などなかった。
──また、無事に会おう。必ず、迎えに行く。
約束を、守らなければ。
しかし、とアリスの中でまた迷いが生まれる。
──どうしたって許せない。
同じ声でそれは繰り返される。ここでアリスが頷いてしまえば、それは約束を守ると同時に破ることになる。だがしかし、と目の前で立つ師走を見遣る。
引き受けるしか、断ることなど、そもそもここに選択肢などない。
やるしかない。
「私が精霊召喚師、信じられないがもうこれは逃れられない事実だと、よくわかったよ」
ようやく呟いたアリスに、師走は畳み掛けるかのように云う。
「そう、君は精霊召喚師だ。君より偉いのは王だけで、王の命には背けない」
それはつまり、精霊召喚師として誰に仕えたいかだ。アリスは今後、死ぬまで精霊召喚師として立つ。つまりその上に立つ人物を、今自分で決めろと云っている。覚悟を迫られている。政治など何も知らないアリスが。無責任かもしれない、だが、今の話を聞いただけで、アリスには充分だった。
「ウォルエイリレン王太子殿下に会ってみたい」
アリスがしっかり師走を見て云うと、彼はほっとしたように無邪気な笑顔を見せた。
「……そう云ってくれると助かる」
「師走はどうやら、彼を信じているようだ」
「ああ、あいつが玉座につくことを、俺は結構楽しみにしていた」
「なら私も彼を信じたい」
アリスが云うと、師走はきょとんとして彼女を見返す。
「人霊が信じるという者を、王にしてやりたい。私は魔法使いの傀儡になるような王より、師走の信じる王に仕えたい」
遠くの王都を見つめながら思う。召喚師は苦しい生活を送っていた。しかしその遠く中央部でも、中心人物である王族たちも、苦しんでいたのだ。国を考え国を良くしようという心を持った人たちが、我を考え我を良くしようという動きに拮抗していた。
そうしてそれに今、負けてしまっている。
もしここで踏ん張れば、私が立ち上がれば、人間はともかく、渦中に居る人々は少しでも救われるのではないだろうか。それでたとえ、アリスが壊れてしまうとしても──。
アリスはかぶりを振る。そんなことは、今考える必要などない。もしかしたら、良い結末が待っているかもしれない。アリスは師走に視線を戻した。彼は相変わらず、不思議そうな顔をして彼女を見返している。そんなにおかしなことを云ったかなと思いながらも、言葉が止まらなかった。
「私に力はない。精霊召喚師と云われても、まだよくわからない。だが師走の信じる王太子を玉座につけることはしてやりたいと思う。──どうにか王太子の元にたどり着けるよう、私に……アリス・ルヴァガに力を貸してくれないか」
ざああっと風が吹いて、波が揺れる音が聞こえた。この同じ風を受けている民を守るために、私にできることがあるのなら。
突然黙りこんだ師走が、その場に膝を折った。
「どうした……?」
「誓約します」
誓約、という言葉に驚く。それは召喚師と精霊の間の、主従を結ぶ言葉だ。
「主君に誓います。全身全霊をかけて、貴方をお守り致します」
そう云って師走は、アリスの手に一つの宝石を置いた。石だ。ラピスラズリ、12月の石、意味は「成功を保証する」。
「頼んだ」
アリスはその石を握り締めて、逆の手を師走に伸ばした。頭を下げていた師走は何事かと驚いた顔をしたが、それも一瞬でにこりと笑うと、その手を取って長い長い握手をした。
アリスの本当の旅は、12月のレイシュ町から始まった。