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精霊物語─精霊の目覚め  作者: 痲時
第1章 精霊召喚師の復活
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第2話:海までの旅


 エースと名乗った黒衣の男は、彼女のことについて何も話そうとしなかった。狙われている理由がわからない彼女にとってはそれが一番知りたいことであったのに、その話になると彼はまだ駄目だと焦らすばかりである。何所に向かっているのかという質問に対して、

「北の孤島だ」

 と、簡潔な答えしか返ってこない。とにかく素性の知れない人物と居るのはこの上なく危険に思えて、警戒心を解けなかった。それでもなぜだか彼の後ろを歩いてしまう自分が居て、いったいどうしたものかと毎晩悩むばかりだった。

 だがエースには、人を和ませるような力があったのは事実だ。


 彼は自分のこともあまり多くは語ろうとしなかったが、命を守ることだけはきちんとやってくれた。彼は法術師の攻撃をきちんと察知できた。理由を訊いてみると、彼は肩を竦めて答えるだけだ。

「慣れたから」

 彼も追われていると云っていたが、本当なのかどうかわからなかった。法術師に追われているのか、それとも元は法術師の仲間だったのか。謎を含みながらも下らない話だけはよくするし、放浪生活の所為か何も知らない。

「わかる範囲で良いんだが、今国はどんな状態なんだ?」

「例えばどんなこと?」

「ああ、そうか。今の召喚師に、政治のことはわからないな」

 正確に云えば召喚師ではないのだが、直すのも癪なのでそのままだ。

「確かによくわからないが、それは召喚師に限ったことではないよ。──正直政府が動いているかさえ、民にはわからない。だが魔法使いがやることはすべて正しいと思っているから。聖職者は全員嫌われ者、召喚師は我関せずといった風だ」


 対立はずいぶん前から始まった。

 法術師が権力をかざし出してから、この国に王が居なくなってから、聖職者は何かと彼らに反抗した。王の下に宰相、法術師、聖職者、召喚師の四官が侍る。その昔からの仕来りは守られるべきだと主張して、法術師の独裁を譲らなかった。しかし法術師は法術師の力を使ってこの国を支えており、何も知らない民はほとんど法術を支持している。聖職者のトップである教皇──官名を宰聖──は、それに痺れを切らして、この間自ら地位を退く旨を表明した。

 そんな中、召喚師は法術師に協力するよう促された。ずっと険悪であった仲を流して、法術師に従うよう云われたのである。癪ではあるが、争い事を避けたいのは同じだ。だがしかし王宮に仕えている彼らのトップ、精霊召喚師──官名を宰喚──からの連絡がまったくないので、なんとも返答ができずに中立を保っていた。その後再三法術師に精霊召喚師と連絡を取らせるよう頼んだが応じないので、召喚師はこの争いに関わることを放棄してしまった。そんな政府のごたごたに気付くこともなく、人間はせっせと働いて暮らしている。それがこの国の現状況である。


「そうか、やはり法術師の天下か」

 エースはこの世すべてを嘲笑うような云い方をした。

「ずいぶんと魔法使いを嫌うんだな」

「当たり前だ。と云っても、王宮に居座っている連中のことだがな。あの権力莫迦が政権を握ったら、自分たちの都合の良いようにするだけだ。──ま、実際そうなっているとおまえが証明しているが」

「私?」

 驚いてずっと歩き続けていた足を引き止める。エースもそれを感じ取ったのか、ぴたりと足を止めると、振り返って彼女を真剣な顔して見つめて来る。絶望的な話をしているというのに、その桔梗の眼光は相変わらず強い。

「ああ。おまえも法術師の天下を象徴している証拠だ」

「だって私はただの見習い召喚師で……」

「関係ないんだよ。──奴らにとって、おまえは邪魔な存在だった」

「私は何もしていない。本当に、法に触れるような事は何もしていない」

「そうだな」

 エースはなんの根拠もないくせに、当たり前のように頷いた。不安になって来ていた。もしかしたらずっと不安だったのかもしれない。 ただそれが、話し相手ができることによって、だんだんと外に漏れ出しているのだろう。今まで中に押し込んでいた感情と云う感情が、一気に溢れ出て来る気がした。

「私は絶対に、帰らなければならないのに……」

 ──アリス、俺と、おまえの約束だ。必ず、迎えに行く。

 あの日から、それだけを励みにして逃げ切ったと云うのに。





 思わず俯いてしまったアリスの頭に、ぽんと暖かいものが触れた。エースだ。ごつくて大きくてまめの多い、剣士特有の手が暖かいのは意外だった。彼はアリスをなだめるかのように、ゆっくりと頭をなでてくれる。そして最後に、非常に優しい声で云った。

「それをこれから、確かめに行くんだ」

「え?」

 どういう意味なのかわからず顔を上げると、エースは柔らかく笑っていた。その顔を見て、今さら綺麗な顔だと思ってしまう。端麗の良い男が放浪者身分でいったい何をしているのだろうと、関係ないことを思った。


「ところでカルヴァナ精霊召喚師は元気か?」

 アリスから離れると、エースは若干引き攣りながら訊いて来た。カルヴァナ精霊召喚師、その名を聞く度に、ちくりと胸が痛む。ずっと信じていた。ずっと信じていたから、あまり気にせず毎日を送っていた。きっといつか、この下らない争いにも終止符が打たれると思った。知らないうちに終わって「そういえばそんなことあったね」と云って笑い話をしている日が、近い未来に待ち受けていると信じていたのだ。だが現実はそう甘くなかった。


「──ずっと王宮に閉じこもっておられる」

「あの堅物が法術師をのさぼらせておくなんて珍しいな」

「手を出すなって……」

「うん?」

 エースが不思議そうに、聞き間違えたかのように尋ね返す。アリスも最初聞いた時は、確かにそんな反応をしたように思う。それぐらい信じられなかった。

「手を出すなと仰ったんだ、ルウラ・ルアは」

「今回の争いにか?」

「ああ、一度だけ現れて、この度の件は魔法使いに任せるから、おまえたちは手をだすなと云って」

 だから、召喚師は放棄してしまった。召喚師のトップ、精霊召喚師ルウラ・ヴァンデレミオン・カルヴァナ。宰喚ルウラ・ルア。彼にそう云われてしまっては、他の召喚師は動きようがなかった。何もできなかった。そしてその中のほとんどが、政治の動きを知っていても関心を示さなかった。




 思い出す度に、淋しくなる。だがそんな複雑な気持ちよりも、エースのあまりに真剣そうな顔に驚かされてしまった。目が合うと桔梗の瞳がしっかりとアリスを捉える。それは強く掴んで離さない。

「それは、本当に本人が云ったのか?」

「え……」

「本人が云っているのを聞いたのか?」

「私は聞いていないが、城下では聞いた人が何人も居るらしい」

「順調、と云うことか。いったい何をどうやって……」

 エースはそこまで云うと急に口を噤み、アリスを見て笑った。その顔は先ほどまでの顔と、似ても似つかないほど穏やかだった。

「済まない、先を急ごうか」


・・・・・


 北の孤島と彼は云ったが、アリスにはそのようなものなど思い浮かばなかった。この国は大きな円を描いた島国だ。周囲には人々が住むような孤島などない。あるとしたら精霊召喚師の臣下である精霊が眠る祠が十二あるのみである。ただそれは一般の民が勝手に入って良いような場ではないし、入れる場でもない。

 だと云うのに、エースは北の孤島を目指すという。 まさかこのアリカラーナ王国を越えて、遠い隣国ローキア大陸へ行くわけでもあるまい。この世界ローズサウンドはまだ国がたくさんに広がっているが、閉ざされたアリカラーナ王国は、他国にほとんど関心がない。外から人が来ることも、人が外へ出て行くこともあまりない。あっても3パーセントに満たない確率だ。そんな中、孤島へ向かう。いったい何所へ行こうとしているのか、アリスは未だに理解できず、だがそれでも彼の後を追っていた。

 エースはあらゆる保存食を持っていたために食事には困らなかったのだが、それも二人分となると大してないから、そこらに生えている草がアリスたちの食べ物と云えた。


 いつものように、そんな適当な食事を終えた後のことだった。

 エースは野営の準備をしていた。彼はいつも、アリスが安心して眠れるようにしてくれる。そうしてきっと、彼は夜の大半起きているのだろうと申し訳なかったが、アリスもアリスで実を云えば眠っていなかった。最初にエースに対する警戒、というのがあった。それに加えて、夜のうちエースが何か行動して、彼のことが知れないかと思ったのも事実である。こちらが正体を知られているのに向こうの正体を知らないのは、仕方のないことではあるが不利だと思ったのだ。だがしかしエースは特に動きもせず、ただぼうっと辺りの景色を見ていることが多かった。たまに歌うのは故郷の歌なのかとても淋しそうで、疑うよりも先にエ-スに興味が湧いた。

「エース、質問しても良いかな」

「答えられる範囲なら」

「エースの故郷って、何所なんだ?」

 準備の手を止めたエースは、きょとんとした顔をしてアリスを見る。もっと確信に迫る質問でもされると思っていたのかもしれない。はぐらかしているわけではなかったが、自然とお互いについては深い話をしなかった。

「俺は王都イシュタルの生まれだ。生まれも育ちもずっと」

 王都イシュタル、この国の中心で、国王陛下とルア、人霊の住まう場所。それが見習い召喚師の知る王都のすべてだった。

「イシュタルはやはり華やかなのか? 一度も行ったことがなくて、想像がつかないんだけれど」

「他の町と差して変わらないと云ったら嘘になる。王宮の周囲はこれでもかと云うぐらいに綺麗に飾られているからな。そしてその周囲を高級住宅街、たいていは貴族が囲う。一般の民は全員、外堀に追いやられる形だ」

 やはり何所の町にも一般階級の民は居るのだ。それを思うと同じ国なのだなと思う。アリスが住んでいたアスルの広くない土地中にも、それなりの地位と身分がある。そしてアリスが居るのは大して裕福でもなく貧しくもない、中間層だった。どちらかと云えば貧しい子どもたちをよく見たから、ルアや長などといった人たちをお目にかかったことは一度もない。だから王都イシュタルと聞くだけで、なんとなく竦んでしまうのが正直なところだった。


「エースは追われているんだよな」

「ああ、一応ね」

「この数年は、何所に居たんだ? 王都以外にも、いろいろな町を見た?」

「なかなかおもしろいことを訊くな」

 エースはくすりと笑みを見せる。その笑った顔がいつか何所かで見たことのあるような気がしたが、思い出せはしなかった。


「最初から話すとしよう、だが信じなくても良い」

 アリスがきょとんとすると、

「おまえだけ知られているのは、理不尽だろう? いい加減信用してもらいたいし、話せる範囲ではあるが、少しぐらい俺のことは知っておきたいだろう」

「良いの?」

「その代わり、今日からは眠ってくれることが条件だ」

 云って笑うエースに、思わずアリスは赤面する。すっかり気付かれていたことに気付かなかった自分と、どうやらただ者ではないらしい男と対等で居ようと思っていた自分を恥じる。


 アリスが黙り込むと、エースはまた大笑する。

「まあ、いきなり会って信用しろってのも図々しいかもしれないが、疲れているだろうから休んで欲しい。そのためには、俺を少しぐらい信用してくれないと」

 エースはそう前置くと、傍の木に凭れ掛かった。じっと真っ直ぐ前を見たその瞳は、遠く遠くの王都を見ているかのようだ。その瞳はやはり何所かしら淋しそうなのだが、どうしてか同じぐらいそこに強い生命力を感じるのだった。

「俺は王都で働いていたが、とある事件で王都から追い出されるはめになった」

 王都イコール王宮。田舎育ちのアリスの頭では、そう変換された。

 ──禁忌魔法、という言葉が過ったが、すぐに消し去った。あれは確か、随分と昔の話だった。アリスが生まれる少し前ぐらいのことだ。何歳か詳しいことはわからないが、アリスより少し上ぐらいだろうエースが、そんな幼い頃から逃げ回っているとは考えられない。少しばかり動揺を見せたアリスに気が付いていないのか、エースは何も気にした風もなく話をとんとんと続ける。

「その際、法術師は俺を目の敵にしてな、俺が居ると法術師に不都合だった。だから俺の存在自体を消してしまおうと、こうして命を狙われているわけだ。追い出されてすぐ、田舎に居る母上を訪れた。少し考えることもあったからな。しかし法術師はそんな猶予をくれず、俺の居場所を察知するとすぐさま攻撃を仕掛けて来る。 仕方なしに田舎を出てそれからはあちこち、目的もなく歩き回った」

 そこで苦笑めいた顔を、ようやくアリスに向ける。

「と云っても歩いていたのは専ら北西付近だったから、大して歩けてはいない。あらゆる町を見た、とは云えないだろうな。精々一部を知れたぐらいだ」

「そうか。──王都の人が民の様子を見れば、この争いは止まるわけではないんだな」

 誰か、誰も良い。王都の、王宮の誰かがこの民の様子を見れば、きっと気が付いてくれる。王が居なくても、聖職者が政治を捨てても、精霊召喚師が出て来なくても、人間は何も気にせず、日常を繰り返しているということを。それに気が付いたら、王宮は下らない争いをやめてくれるのではないか。それはあまりにも、甘い考えだったろうか。


「アリス……」

「別にエースを責めているわけではない。追われている身だ。もう王都の人間ではないのだろう。だがいつか、王宮の人にわかって欲しかった。私がこうして逃げ回ってわかったように」

 召喚師も所詮、召喚師という檻に繋がれて、回りが見えていなかったのだ。沈黙に堪えかねてエースを見遣れば、驚くほど深刻な顔をしていた。何か苦痛に堪えているかのように、何か訴えているかのように、彼の顔は深刻だった。しかしアリスの視線を感じた彼は、そんなものなど忘れ去ったかのように、

「もう少し歩けば海に着く、もう眠ろうか」

 にこりと一点の曇りのない笑顔を見せたのだった。


・・・・・


 エースと旅を初めてから数日経ったある日、アリスたちはようやく海岸に出た。


「海だ……」

 海を見るのはずいぶんと久しぶりのことで、アリスは感動で思わず呟いていた。彼女が住んでいた街は王都やや近い北の町であったから、海にはほとんど縁がなかったと云える。近くを流れる河だけが、喉を潤してくれた。

「さて、ここからどう行けば良いのか、俺にもわからないんだが」

「え?」

「孤島へ行くと云ったが、何せ俺も入ったことはないからな」

「どういうことだ? だいたい、孤島って何所へ行くつもりなんだ?」

「まあどうにかなるさ、あいつらがおまえを呼んでいるのだから」

 アリスには事情がさっぱりわからない。しかし事情はわからないにしても、この状況から云えば幾らアリスと云えど目的地はわかった。

「もしかしてエース、孤島って云うのは……」

 おそるおそる口を開いたが、その質問は最後まで云うことができなかった。


「まずい、伏せろ!」

 エースが叫んだのも空しく、彼らは抵抗することもできず波に呑まれた。意識が途絶える前、アリスには懐かしい、遥か昔体験していた日常の光景が見えた気がした。


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