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精霊物語─精霊の目覚め  作者: 痲時
第4章 499年
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第22話:襲撃の夜


「──誰だ」

 聖職者はそれしか云わなかった。声の感じからまだ若い男であるとはわかったが、いきなり現れたのが聖職者であることに少なからず動揺した。しかしどうにか冷静を保つ。落ち着け、追われていた時のことを思い出すんだ、とアリスは自分自身を鼓舞する。

「……お互い様だろう、聖職者がケーリーンで何をしている」

「聖職者? ああ……」

 云って彼は自分の服を摘む。まるで物珍しいものでも見るかのように聖職者の制服をつまみ上げて、どうやら少し笑ったようだった。


 もしかして、とアリスが口を開きかけたところで、後ろからザッザと音がした。反射的にびくりと肩が上がって、

「魔法使いが……」

 と呟いてしまう自分が居た。それに気付いた聖職者は、また少し笑ったようだった。

「そういう貴方は召喚師、か。そっちの方が驚く。法術師の町ケーリーンで、召喚師一人いったい何をしているのです?」

「──どうしてわかった……」

「……法術師のことを魔法使いと侮蔑を込めて云うのは、召喚師だけですよ?」

 少し戸惑ったように教える聖職者に対して、アリスは無言だった。正確には驚いて返せなかったのだ。幼い頃から周囲は彼らのことを「魔法使い」と呼んでいた。それに疑問を持たずアリスは彼らのことをそのまま呼んでいた。まさかそこに、侮蔑の意味があることなどまるっきり知らずに。自分は知らないうちに、自分自身をも侮辱していたことになる。


 しかしアリスがショックを受けている間にも、後ろからまたしても規則正しい足音が響いて来る。思わず焦って少し視線を見遣ると、聖職者が首を傾げる。

「追われているのですか?」

「まだ見つかっては居ないはずだったが……」

「まあ法術師にも追われている身としては同じだ、仕方がない。私も見つかりたくはないから、手を貸しましょう」

 云って聖職者はアリスの横に並ぶ。思ったより身長があったらしい聖職者の衣装は若干汚れていたものの、絹か随分と良い素材で作られたものである。身のこなし方からも育ちの良いのが伺えた。一瞬エースが頭を過ったが彼はこんな恰好をしていなかったし声の雰囲気も違う。何よりアリスを見たら、流石に思い出してくれるだろう。

「私が気を引く間に召喚してください。貴方が召喚している最中に、私も次の手を打ちます。たぶんそれで充分逃げられます。良いですね?」

「──ああ、お願いする」

 はったりをかますつもりはなかったのだが、自然と頷いていた。人霊は居ない、アリスは精霊召喚師だから他の精霊は召喚できない。その事実から目を逸らしたわけではなかったが、アリスがそこでうだうだ云っても仕方がない。

「そこか!」

 団体がどうやら到着したようである。松明でぼっと辺りがいきなり明るくなり、隣の男の顔も少しだけ照らされる。やはり若い男だった。聖職者の頭巾で顔はよく見えないが、それはアリスの顔も然りだ。お互い顔を隠している点で怪しさは万点だろう。

「な、聖職者まで……ここに?」

「いや、油断するな。もしかしたらそいつも召喚師かもしれん」

 聖職者が軽やかに動いたかと思うと一気に姿が見えなくなり、それと同時に周囲は真っ暗に戻っていた。松明が消えて、ざわざわと騒ぐ音が聞こえる。あっちだこっちだと聞こえる中でアリスはどうにか、身を木に隠して時を待っていた。


「今です!」

 聖職者の声が響いた。それがきっと召喚の合図だったのだろう。しかしアリスは召喚などできない。自分にはなんの力もない。歯痒い思いが増すものの、ここで悔やんでいたって召喚などできない。

 ──アリス、約束して、お願いよ。

 養母ラナの声が、聞こえた。しかしアリスには、他にどうすることもできなかった。いけないことだとは思わなかった。アリスは生きねばならなかった。何があろうとも、ここで死んではいけなかった。そのためにはこうすることしかできなかった。


「アリカラーナの加護のもとに……集えファクタ!」

 心の底から叫ぶとアリスのかざした手元から火が集まり、やがて大きなものとなった。まるで見世物のように飛んで行くったそれは、もの凄い早さで法術師を呑み込んで行く。彼らは突然のことに驚き騒ぎ、法術を返すどころではなくなっていた。炎に呑まれる彼らを見ながら、アリスは呆然とその様子を見ていた。さっさと逃げなければならないのはわかっている。でもたぶん、怖かった。かざした手をそのままに、じっと見つめる。

 ──アリス、お願いよ。

 ごめんなさい、ラナさん。約束を破った。でもこれが、本当に久しぶりだった。それでもアリスはできた。できてしまった。精霊召喚師だと云われながらも、彼女の中に流れる血は嘘を吐かない。手を下ろせず逃げることもできずに居ると、後ろから力強く腕を掴まれた。


 まさかと思って振り返ると、睦月の真剣な顔があった。恐怖に負けそうになっていたが、アリスは生き延びるために約束を反故にした。ここで立ち止まっていても仕方がない。頷いて見せると彼女は無言のまま、アリスを連れて夜の町を逃げた。法術師も聖職者も、もう何も見えなかった。


・・・・・


 睦月に連れられどうにか逃げたのは、森から抜けて海岸へ近い開けた場所だった。待っていた師走が今にも土下座しそうな勢いでアリスに駆け寄る。

「目を離したらいけなかった、やっぱり。ごめん」

 師走は真剣に反省しているようだったが、今のアリスにその言葉は過ぎていた。

「いや、私も少し考えたいことがあったから、一人になりたかったんだ。師走の所為じゃない。これからは、私も気をつける」

 師走は相当焦って捜してくれたらしく、深々と息を吐いた。あまり召喚獣を出せないからだろう。彼ら自身が主の気配をなんとなく探りながら走り回ってくれたのだ。まだ手を握ったままの睦月も、綺麗な赤い髪が乱れている。だがそれよりも、彼女は難しい顔をしてアリスを見ていた。しかしそれはただ単に、彼女が危ない目に遭ったからというわけではない。



 しんっと落ちた静寂の中、やはり睦月はぽつりと尋ねた。

「アリス、どうして法術なんか……」

 そう、あの時アリスは魔法を、法術を使ったのだ。聖職者には隙を見て召喚しろと云われた。しかしアリスにはそれができなかった。精霊召喚師であってもなくても、どちらにせよアリスはできなかっただろう。一度たりともまともな召喚をしたことがないのだ。切羽詰まったからと云ってそんな簡単に、法術師を追い返す召喚などできるわけがない。そんなアリスが唯一代わりにできたのは、召喚ではなく強力な法術を出すことだけだった。


 ずっと封じていた、この力。アリスは自嘲気味に嗤って、睦月の手をほどいた。

「使ったのは随分と久しぶりだ。ずっと使うなと云われていた」

「じゃあ召喚師なのに昔から法術が使えたわけだ」

 法術師は代々世襲制であった。法術師の血を継いだものしか法術は使えない。その答えが出すものは、とても簡単なものだった。

 ──ならアリス、約束して。お願いよ。

 遠くから、養母の声が聞こえた気がした。幼い頃にした、約束の言葉。

 ──絶対に、もう魔法を使わないこと、良い?

 ラナに教えてもらったことは、両親が法術師と召喚師という、変わった関係であったこと。だから貴女には選ぶ権利があるとまず云われた。中途半端な存在のアリスは5歳の時、岐路に立たされた。しかしそれは決して、養母が焦り過ぎていたわけではない。むしろ決めるのが遅過ぎたのだ。アスルに連れて来られたということは、召喚師として生きろということだと思っていた。だがラナは選ばせてくれた。召喚師として生きるか、法術師として生きるか、どちらが良いかアリスに問いかけた。アリスはちょうどその頃ダークと打ち解け、一緒に生きる道を決めた。将来自分たちがどうするかを決めた。だからアリスはすぐ召喚師になると、そう決めたのだった。


 それなのに約束を破ってしまった。それが今になって、アリスに後悔の念を浮かばせる。

「アリス……?」

「悪い、話は明日きちんとするから、今日はもう……」

「──わかった。取り敢えず逃げよう、ここに居ても危険だ」

 睦月が頷くと獣霊を出して彼女はアリスを優しく乗せてくれた。アリスはほとんど話さなかったが、彼らの優しさはちゃんと伝わった。


 ──大人しくケーリーンに引き渡すべきだったかもな。


 レーンが何気なく云ったその言葉を、アリスはずっと引きずっていた。ラナは言葉少なに語った。父は法術師、母は召喚師。今は一時名をなくしているが間違いなくアリスは、召喚師5家に入るルヴァガ家の子どもだと云った。父は行方不明のままで、母はこのアスルでラナにアリスを預けて死んだ。そのことをアリスは、ダークにしか話していない。アスルの町で詳細をきちんと知っているのはおそらく、ラナ、ダーク、そして教官レーンだけである。約束通りそれまで無意識に使っていた法術を、アリスは捨てた。


 しかし彼女は通い始めた召喚学校で、またしても思い悩む。果たして自分は、本当に召喚師になって良かったのだろうかと。一度も召喚できない見習い召喚師アリス・ルヴァガ。その劣等感に苛まれたのだ。ダークが居なければきっと、アリスは途中で道を変えたかもしれない。それぐらい自分が召喚できないことは、アリスの劣等感を募らせた。ルヴァガの子と云われても、狭いアスルではなんのことだかさっぱりわからなかった。

 ただの中途半端な存在、アリス・ルヴァガは法術師と召喚師の娘。アリスが知っているのは、それだけであった。


・・・・・


 彼は凄い勢いで炎が飛んで来たことに、驚かずには居られなかった。急いで避けようとは思ったものの、案外しぶとい法術師に捕まっていた。あの攻撃を受けたら、ただでは済まない。数日の負傷は彼の中で大問題だ。一つのところに長く、それもケーリーンに留まるなんて命取りだ。幾ら彼でも、敵の陣地に長居することはしたくない。しかしそれを避ける術は持っていなかった。そして近付いて来るに連れて、それがやはり法術であることに気付く。


 だとしたら、さっきの召喚師はいったい──。

 思ったところで炎が飛んで来た。思わず舌打ちが漏れる。こんなところで怪我をしている場合ではないのに。カーレーンの森で迷った挙げ句、ここケーリーンに流れ込んで来てしまった自分を罵る。早いところイーリアムに行かなくてはならないのに、数年の軟禁で鈍っていることに苛立ちが募る。


 しかし彼が覚悟していた怪我は、しなくて済んだ問題であった。彼は何かしたかと云うとその逆で、何もしていない。ちなみに何もしなかったしぶとい法術師は、痛みにもだえて倒れている。彼は呆気に取られて過ぎ去った炎を見たが、それはまだ、周囲の法術師を喰い尽くしている。



 まさかあの状況で、彼だけには効かないよう力を加えたのか。


 ぞくりとした。それだけの力を持つ輩には、とても見えなかった。これを出したのが本当にあの召喚師なのだとすれば、あれは仮の姿となる。しかしあの人は素で魔法使いと呼んでいたではないか。彼の思考はぐるぐると回る。だがここであれこれ考えていも仕方のないことだ。彼は弱っている法術師の合間を縫って、そこから姿を消した。


 報告しよう。イーリアム城に。


・・・・・


 花が舞った。いつしか作った花輪が舞った。

 それはまるでこの世に存在することを許さないとでも云うように、華やかさから一変黒々としてどろどろに腐り、まるで彼女を恨むように消えて行った。

「記憶力が良くて何よりです、エンペルト」

「いえ。ご主人様の勘が鋭くてらっしゃるので、そのおかげでしょう」

 エンペルトはかざした手を振り下ろした。瞬間、そこからすべてが砕け落ちたように見えたが、それは空間の歪みだけで、風景としてはなんら変わるところもない。また穏やかな大地がふんわりと現れる。

「ついに気が付かれたか」

「いえ、居場所までは突き止められてはいないようです」

 ただ、と彼は続ける。

「彼らは調整者を血眼になって探していますから」

 王太子殿下の所在が明らかになった今、法術師が捜す相手は2人となった。反逆研究をしていた調整者と、前国王ガーニシシャルの王后ルナ。その探索網に引っかからないよう、身を隠すのは並大抵のことではない。しかし調整者を介して案内してもらったこの場だけは別だ。エンペルトもなんとか入り口を塞ぎ、彼らに存在を知られないようにしている。


「ヨーシャを知られては、誓約法術師としての名折れです」

 伝説の大地ヨーシャ。そこは王族のみが知る、幻の大地の名前だ。古くの劇で云い伝えられる、民を救った勇者が辿り着いた黄金の町。その古い劇ですらこのヨーシャを守るために作られたのだから。


 ここは永久に、知られてはならない。だから彼が来た時は、歓迎したものを。まさか出て行き、そして戻らないとは──。


「どうして戻らないのかしら」

「帰るつもりがないのでしょう」

 ここに、とエンペルトは大地を踏んだ。伝説の土地ヨーシャ。彼はずっとここに憧れていて、否定的な臣下に約束すらしていた。必ずこの緑を教えてやろうと。

「しかし入り口を知られてしまったら、後の祭りです。 早々に入り口を塞ぐか、それとも──」

 ここを出るか。それしか選択肢がないことはわかっていた。そして彼女は、ここを出るしかないことも。


 入り口を塞ぐということは、外の世界を遮断するということだ。幾らエンペルトが調整者の師と云えど、彼に遮断された外の世界の状勢まで見ることはできない。法術の力も限られ、行動はこのヨーシャだけになり、いつ出るべきともわからない。



 ここは好きだが、ここに閉じ込められるのはご免だ。

「エンペルト」

「はい」

 しかし従順な臣下はわざわざ選択を仰いでくれる。どちらを選んでも構わないというのだ。ヨーシャに残れば彼女の身の上は守られるが、永久に外へは出られない。出られたとしても、何年か後の話になる。外に出た後で状勢がどうなっているのかまるきりわからないのでは、異国に出たようなものでそれも覚悟が要る。また外に出たら危険だが、最悪殺されるとも限らない。そして何よりも、ルナがここに居続けることは彼の立場を悪くする一方だ。


「出ましょう、いい加減ここでのうのうとしていても仕方ありません」

「左様ですか」

 にっこりと笑ってエンペルトは、

「そうですか、ご主人様が折れましたか」

「その云い方には、随分と苛立ちを覚えますよ、エンペルト」

 鋭く云い放つがやはり従者はにこにこと笑うばかりで、喧嘩相手にもならない。早々に気を抜いて、彼女はふうと溜め息を吐く。

「堂々と会いに行くのは、ここからだと難しいでしょうね」

「存在を知られずに近寄ることは、少なくとも私一人ではできません」

 エンペルトは隠すこともせず恥じることもせず、堂々とできないと云ってみせる。こういう素直さは好きだ。できないことをできると云われて、後で泣きを見るのは嫌だ。ここから堂々と彼の元へ行っても良いが、その前に見つかってしまう。


 ならば考えよう。考えてから出よう、出てから考えよう。

 どちらでも、問題はないはずだから。

「さて、どちらへ出ますか?」

 エンペルトいつも通りはにっこりと微笑んで、主人の選択を促した。

「ええではそうね、懐かしき我が家の近くへ遊びに行こうかしら」



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