第12話:召喚師の騒ぎ
アスル町ミナヅキ地区25番地には、召喚師の本拠地精霊城がある。その前はちょっとした広場になっているのだが、誰もみだりに近寄ったりせず、遠くから見守るというのが日常の流れである。聖職者の教会と同じようなものだ。
その精霊城に、なんの躊躇いもなく真っ直ぐ突き進む影があった。それは精霊城を守っている城召喚師の目にすぐ付いた。頭からすっぽりフードを被って顔の見えない人物は、不審者に見えないこともない。きっとそこで右折するのだろうと思っていたが、生憎とその人物は真っ直ぐ門まで来ると、
「こんにちは、ルカナン様はお手すき?」
と不躾に訊いて来るのだった。いきなり城の主の名を出され、おまけに顔も隠されていては追い出すしかない。
「みだりに城に近寄られては困ります」
「質問に答えなさい、ルカナンは居るの!?」
じろりと睨まれてその顔が露になると、はっと城召喚師は頭を下げた。その睨みにも顔にも両方に驚いて言葉が出なかったために、ただただ頭を下げて城門を開けるぐらいしかできなかった。隠れたローブの隙間から、長い白銀の髪が煌めいていることに気が付いたのだ。
白銀の召喚師、ラナレイ・シルバ・カルヴァナ。
どうして、ここに──。
「ルカナンは居るのね」
「……は、はい、自室にいらっしゃいます!」
「そう、ご苦労様」
云って彼女は中に入っていた。その後ろ姿を惚けたように見送るしか、まだ召喚師になって数箇月しか経たない門番の城召喚師にはできなかった。
・・・・・
城に入ったらもうフードを被る必要はなかった。アスル・ハヅキ地区で彼女が動くのは充分に窮屈だったが、このミナヅキ地区精霊城ならば堂々と顔をさらすことができる。アスルは意外に広い。過ごしていたハヅキ地区と精霊城のあるミナヅキ地区のその差は王宮と田舎町ほどだ。だからこそ20年近くも1番地で身を隠して過ごすことができた。
精霊城に入るなど、もう二度とないことだと思っていたのに。
「こ、これはカルヴァナ嬢……!」
「ご無沙汰していたわ、ドレイン城召。入らせてね」
「お、おそれながら今、ルカナン様は……!」
ドレインの言葉を聞かず扉を開けると、ティータイムと洒落込んでいるルカナンが居た。アエデロン・ルカナンは入って来たカルヴァナをちらりと見ると、すぐに興味を失ったかのように持っていたティーカップに口つけた。その様子がまた、ラナレイの神経を逆なでする。
「よくぞここまで落ちたものね、ルカナン」
「落ちたのはどっちだ、レディ・カルヴァナ。人の部屋に予約もなしでどしどしと入り込んで来るとは、レイの奴はいったいどんなしつけをしたんだね」
「母上の悪口などが聞きたくてこんな場所に来たのではないわ」
落窪んだ瞳に曲がった腰、もうすぐこの人は生命を終えるだろう。だがそれでも、この老女が許せなかった。確実にこの精霊城は腐っている。ルカナンの肌に合わせるかのように、共に老化していったのだ。
「どうしてあの娘が指名手配されなければならないの!」
「悪い奴は悪い奴として捕まるんだ、そんなことあたしゃは知らねいよ」
「あの娘はそんなことなさらない! 彼女を誰だと思っているの!」
「汚い魔法使いの娘だ」
「ルカナン……!」
「あの娘がたとえ精霊召喚師の力を引いていようといまいと、関係のないこと。汚い魔法使いの娘だ。あたしゃには、関係ねい」
そこでちらりと落窪んだ目がラナレイを捉える。
「あんたらの所為だよ、カルヴァナ。あの娘を生かして置くからこんなことに。最初から魔法使いに引き渡しておけば良かったのだよ。あたしゃそう反対したがね」
「今さらそんな昔話を掘り返すの」
「カルヴァナ一族はそれで落ちたも同然だ。もちろん例の忌まわしい事件でルヴァガもだ。残るのは後三家か。どれに付こうかねい」
ルヴァガ、カルヴァナ、ナリンシア、アシリアート、トリルオール。召喚師内部で最も権威を持つ五つの家柄。それに付き従うのがルカナン家だった。ルヴァガは20年前に、カルヴァナは今現在もう朽ちたというのか。アエデロン・ルカナンはうまく立ち回ってルカナン家に権威が行くように仕向けた。そうして気が付けば、この聖なる精霊城を守っているのがこの老婆だ。20年前、ルヴァガの混乱期をうまく使って、彼女はこの地位を得た。何をするのかと思っていれば、法術師の手引きだ。
元々法術師は、召喚師から生まれたものであった。だが随分昔に内部で分裂が起きて、それぞれ違う道を歩み出したのだ。大昔のことと云えども、引きずることもあるらしく、ことに法術師と召喚師の仲は未だにあまり良くないものであった。その完全なる分裂が、約50年前の術師戦争。未だ休戦(、、)という形でしか落ち着いていない、あの戦争。
ルカナンは古い人間だからこそ、こと法術師との溝を深くしていた。なのになぜ、その彼女が法術師に協力してあの娘を連れて行ってしまうのか。
あの娘を守れと頼まれたというのに、守れなかった。ルカナンが手引きするなどとは、有り得ないことだと切っていたのがいけなかった。何があっても法術師には協力などしないと思っていたが、相手が罪人となると別なのか。それとも法術師に貸しを作っておきたかったのか。
いち早く動きを察知していたというのに、自分の無力さと仲間の裏切りに苛立ちが募る。そんなラナレイの神経を逆撫でするかのように、ルカナンはくしゃくしゃの顔に笑顔を浮かべる。
「老人はすぐに忘れるからね、あんたがここに来たことなど忘れてやるよ、レディ・カルヴァナ。こんなつまらない会談など、覚えていたくもないがね」
「この悪女……!」
「結構。云いたいことはそれだけかい? それから忠告だが、ここに逃げ込んで来ることだけは止めておくれよ。あんたはもうこの精霊城の主でもなんでもない、そう云っていただろう?」
「……誰があんたに助けを求めるものですか!」
「もう一人の男は、逃がすんじゃないよ。あんたの手でしっかり収めておくんだね。あんたの心はどうやら乱れ過ぎている。また話せる時に来なさい」
「いつから私に指図できるようになったのかしら、マダム・ルカナン」
「この城はあたしゃの城だよ。わかったら大人しく下がったらどうだい」
「絶対に後悔するわよ、あんた」
「その頃には、あたしゃも土の中かねぇ」
云ってがはははははと笑う品のない老女。喰えない女だ、本当に。ラナレイはそれ以上話すのに堪えられなくなって、怒りを露にしたまま廊下に出た。
行きと同じく堂々と精霊城を後にした彼女は、慌てて頭を下げる門番のことなど気にも留めずに町を歩き続けた。強い怒りで、今にも泣きそうだった。汚れなき召喚師一族、その名を背負って生きて来た彼女に、あの城は神聖なるものであった。それが今では穢れしか見えないような、黒の巣窟になってしまったのだ。それを止めることすらできなかった自分が悔しい。その悔しさに泣きそうだった。
意地になって歩き続けていると突然後ろからぐっと手を引かれた。この25番地で顔をさらすと云うことは、名を公言して歩いているようなものだ。一応フードを深く被っていたが気が付かれたのだろうか。警戒して気を溜めてから振り返ったが、その先には気を溜める必要などない顔が居た。
「……なんだ、リュウレイか」
「随分失礼な云い草だなぁ」
そう云って微苦笑する男の顔は、久しぶりだが彼女をとても安心させた。柔和な顔立ちと優しく響くその声のためだと思われるが、それよりも何よりも幼い頃から一緒に居る彼を見ると、年下だというのに安心ができるのだ。少なくとも彼ら前では自分が最年長として、いつも彼らを引っ張って来た筆頭として、毅然と立って居られるからだ。
実際このカルヴァナ家を支えている当主は、目の前で微笑む年子の弟リュウレイ・ファンミオン・カルヴァナである。
「まあ良いや。それよりどうしてこんなところ歩いているんだい、危ないじゃないか」
「あ……」
気が付けばルカナンの本拠地である25番地の中心街に居た。もう少し歩けばそこにはルカナンの本宅や、彼女の下に付き従う召喚師の家が大量に詰まった住宅街がある。
「精霊城からずっと歩くから何所か目的があると思ったんだけど、違ったようだね」
「……あんたこそ、一人で出歩いちゃ危ないじゃない」
「カルヴァナ家には危なっかしい御長女様が居るんだもの、助けなくちゃいけないでしょ」
リュウイレは厭味ったらしく云うが、笑顔そのものだ。
「──まあ良いや、取り敢えず家に帰ろう。姉さんも来るでしょう?」
そう云って優しく微笑むと、リュウレイはルカナンの家など見えなかったかのように歩き出す。そっと後ろを振り返って見るが、やはりそこにはかつて昔のような厳粛さは微塵も感じられなかった。
26番地にほど近い所に、二人が目指すその家はある。
ルカナン家が精霊召喚師一族の中心にそびえ立つのは、どの精霊召喚師の時代でも彼ら五家に対する服従を忘れないためだったのだが、今では彼女が中心に居るからとしか云いようがない。五家のうちルヴァガ家は失墜してしまっているために、今では無人屋敷を侍従であった男が一人管理のために住まうだけであるから、大して使うこともない。残り4家の邸宅をルカナンは今まで闊歩していたわけだが、精霊城に入り浸り始めてからは、なぜだか4家が彼女の元に赴くことが多くなった。まったくやり切れない話である。
家に帰り着くまで、両者とも口を開かなかった。久しぶりに帰った家は少々埃っぽく、だがしかし懐かしい香りでいっぱいで、ラナレイはそれだけで、今までのやり切れないような悔しさが落ち着いて行くのを感じた。広間を抜けて食卓の椅子に落ち着くと、今までの怒りがすべて鎮静した。
ラナレイを食卓に置いてそそくさと台所に向かったリュウレイが、お茶を持って来たのを見て昔を思い出し、彼女は尚さら落ち着いた。そういったなんでもない光景が今はとても恋しかった。当主だと云うのにお茶を彼が入れるのは、育った環境の所為があるかもしれない。控えている侍従も慣れたように笑って、他の仕事に戻って行く。
「今さら訊くのも白々しいと思うけれど、良い対面は望めなかったようだね」
座りながら気分を害す質問をして来るリュウレイだが、彼は至って悪気などない顔つきだ。先ほど精霊城に居た時にそんなことを云われていたら怒りに任せて怒鳴りつけていただろうが、その頃には余裕もできていたラナレイは、年甲斐もなく拗ねるように云い返すことができた。
「まったく、ぼろぼろよ」
「まさか怒鳴り込みに行くとは思わなかったぜ」
食卓の入り口から野太い声が飛んで来て、彼女はそちらを見、思わず声を弾ませる。
「レイ=ルウ、来ていたの」
「よ、元気だったか」
云って笑う彼は、カルヴァナ家の次男レイ=ルウ・ヴァイツ・カルヴァナ。ラナレイより三つ下、リュウレイとは二つ離れている彼は、大きく立派にそして少しがさつに育った。見た目はいかにも無骨で怒鳴れば威厳すらあるが、根が優しいためか既に明るい妻を得て、子も二人ほど居る。当主であるリュウレイは未だに身を固めないために将来が危ぶまれているが、当主の座というものへの世襲制を重要と感じていないリュウレイは、いざとなったらレイ=ルウの息子に後を継がせる腹らしい。精霊召喚師が今後生まれた時、どうするのかと思わないでもないが、そういう自分も前当主命令で子を残せないから文句は云えない。
兄の思惑を理解しているのか居ないのか、素直なレイ=ルウは巨大な身体をずしずしと進めて彼女の隣に落ち着くと、盛大に溜め息を吐いた。
「それで、ルカナンの婆は何を云っていたんだ?」
「……魔法使いに手を貸したのはあいつに間違いないわ」
「え?」
迷いも躊躇もなく断言されたその言葉に、二人の男は絶句する。
「ルカナンって、本当にあのアエデロン・ルカナンが?」
「本当よ」
「あの人がどうして魔法使いなんかに……?」
「知らないわよ、こっちが訊きたいぐらい。まるでノーマークだったもの」
アエデロン・ルカナンはこの世の何よりも法術師が嫌いな老女であった。たぶんアリカラーナで一番に法術師を嫌っていると云っても過言ではない。法術師と召喚師がこうも長く争いを続けているのは、双方ともに原因があり、その召喚師側の原因というのがあの老婆アエデロン・ルカナンなのであった。
そんな彼女が法術師の手引きをしたという。それは聞いた誰もが耳を疑うような、驚くべき事実であった。
「……無事かしら、あの娘」
「無事だと信じるしか、俺らにはできねえしよ」
「本当に、嫌になる。──無力過ぎて本当に」
頼まれていた。彼女を守ってくれと。なのにいざという時に、彼女は守れなかった。これではカルヴァナを引くものとして、ルヴァガを守る者として顔向けができない。今は遠くに居る父に思いを馳せて、彼女は深々と溜め息を吐いた。そんな彼女を労るように、二人の男はそれぞれに言葉を口にする。
「無力なのは仕方がないこと、今はできることをやるしかないんだよ」
「仕方ねぇよ、がんばった結果だろ。俺はこの長い間よくやったと思うし」
にっこりと微笑むリュウレイと、不器用に慰めるレイ=ルウ。この二人が居てくれて、本当に良かったと思う。居なければ今頃、彼女は深い闇に呑まれていただろう。
「そこでレイ=ルウ、できることをするために、君にお願いがある」
「……なんだよ」
「家族には悪いけれど、しばらくこの屋敷に居てもらえないかな」
唐突なことを云うリュウレイに、流石のレイ=ルウも怪訝な顔を返す。いつも笑顔で誤魔化して彼は秘密裏にあらゆることをこなしてしまう。それに警戒したのもあるのだろう、慣れたようにリュウレイは返す。
「ちょっと確かめに行きたいことがあるんだ。何日かかるかわからないから担保にさ」
「誰かしら居るんだろう? わざわざ俺が居る必要なんて……」
「今ここを留守にしたら、後でもっと大変なことになるんだよ。頼む。姉さんはあんな面会の後だから邸宅に居られても困るし、戻らないとレーンに怪しまれる」
「──はいはい、わあったよ、居れば良いんだろ。だけど何所に行くかきちんと吐いてからにしろよ」
「ええー、そこまで云う必要ないと思うんだけどな」
「兄貴はいつもそうやって勝手に突っ走る。姉貴と違ってわかり難いから困るんだよ」
「わかり易くて悪かったわね」
「な……! ったく、変なところで突っかかってんじゃねぇよ……」
これでももうすぐ40を迎えようと云う3姉弟の会話である。話していることはあくまで深刻で彼らも本気でありながら、なぜかいつも、余裕のあるようなだらけた会話になってしまうのは、昔から変わらなかった。
20年近く前、ここの当主を決める時もこんな状態だった。
ラナレイはその時のことを思い出して、なぜか微笑ましい気分になる。もうあの頃は戻らない、だがラナレイはこうして生きて良かった。ここに捨ててしまった召喚師ラナレイ・カルヴァナという者の居場所がある。それだけで彼女はどんな辛い現実にも立ち向かって行けると思えた。
観念したリュウレイはあからさまに不服そうな顔をしながらも折れた。おかしなところで頑固な若き当主は、その巧みな口述で敵方に回る二回りほど年上の貴族連中をやっつけている。
「わかったよ。──ちょっとルフムまで行って来るつもり」
そこで出て来た地名に、ラナレイはきょとんとする。あまりにも唐突だったのだ。隣でレイ=ルウも顔を顰めてにこにこと笑う兄を見遣る。
「ライロエル老にお話を伺いに行くのさ。そのついでにラドリーム城塞の様子も見て来る。いろいろ楽しそうでしょう?」
「王宮の様子を教えてもらうってこと? できるのかしら」
「様子を窺うだけだよ。全部話してもらおうとは思わない。ただ挨拶に行くというだけさ。帰宅した宰聖にカルヴァナの当主が挨拶に行ったっておかしくはないでしょう」
確かにこの混乱の最中に突然の離脱とは、理由を問われてもおかしくはない。大義名分としてはライロエル元宰聖の話を伺うといった体裁で良いのだ。彼ら聖職者はあらゆるものに大して中立を保ち、王のみに忠実である。つまりそれは法術師側でも召喚師側でもない、要は彼らがどう出るかによって、召喚師たちの動きも変わって来るのである。
召喚師五家のうち3家は今のところ静観している。それはカルヴァナ精霊召喚師が動かないからであり、要するに無関係を装っている。基本的にこの5家は信頼関係を保っており、余程のことがなければ動かない。だからここで、カルヴァナ家当主が動いて真実を明かせば少しは道が開ける。彼らが重い腰を上げて、法術師を正してくれるかもしれない。
その筆頭、カルヴァナ家の当主リュウレイ・カルヴァナはにっこりと笑う。
「というわけで、留守はレイ=ルウに任せたいんだ」
「わかったよ。──それか、俺が行っても良いけど?」
「止めてよね。君が人前でぼろを出さず話せたことなどないじゃないか。どうしても従わないというのなら、当主命令とやらを出させてもらうよ」
滅多に使わぬ「当主命令」を出す時のリュウレイは半ば本気である。自分の意見をどうしても通したい時のみ使われるそれは、彼の考えを簡単に教えてくれる。レイ=ルウもそれにわざわざ反対する理由もなく、わかったよと渋々頷く。彼は連絡をするために、席を立った。召喚して家族に連絡するのが一番楽なのだが、ここはルカナンの本拠地に近く、あまり目立ったことをしたくないのか、彼は慎重に書簡をしたためることにしたらしい。
二人残された食卓は、しんと静まり返っていた。
ルウラ・カルヴァナが出て行った後も、この家はずっと賑やかだった。だがそのうち誰かしら王宮に呼ばれて父の元へ行く、そんな話ばかりが持ち上がっていた。しかしそれは単なる夢で終わってしまった。──ラナレイが任務を請け負ったためである。若干20かそこらの身には、重過ぎる任務であった。だが彼女はすぐにそれを受け入れた。無論その時にもあらゆる話し合いがもたらされたが、結果的にリュウレイが当主として落ち着いた。
ラナレイが出て行き、レイ=ルウはミナヅキ地区の教官として呼ばれた。リュウレイが当主になりしばらくすると、母は若い頃の無理が祟ったのか病死した。
次第に人が居なくなったこの屋敷に最後残ったのは、リュウレイだけである。その責を負わせてしまったことに、ラナレイは少なからず罪悪感がある。
「リュウレイ」
「何?」
「その、ごめんね」
「何、いきなり」
目を丸くしておどけたように微笑む彼は余裕そのものだが、内心では驚いているようだ。
「迷惑をかけたわ」
本来の当主は彼らの父、精霊召喚師のルウラ・カルヴァナである。しかし彼は既に「カルヴァナ家」とは無関係に、王の側近として動いている。すなわちカルヴァナ家を統べる当主とは成り得ないのだ。そこで本来ならば、既に時期当主として立ち働いていたラナレイが立ち上がるはずだった。──はずだったところで、任務が来たのだ。リュウレイはいつも通りに笑って返す。20年前にあれだけ反対した彼とは思えないほど、穏やかに。
「姉さんは父さんの命令で姿を暗ましているんじゃないか。そんなことで謝られても困るよ」
命令、そうであった。ラナレイ・カルヴァナはとある任務の途中にあるため、人前に姿を現すことならず、名を騙ることすら許されていなかった。──そう、今までは。
そうして今は、その任務に失敗してこのような状況に陥っている。完全な失敗ではなかったが、任務をこなせなかったのはラナレイのミス。少なからずそう思っていた。
「心配しないで。それよりも早く帰った方が良いよ。ルカナンが何所から見ているとも知れない、付けられる前に帰った方が良い」
ラナレイは頷いた。云われるまでもないことであった。今日ルカナンに会いに来たのは、彼女と腹を割って話したかったからである。つまりは喧嘩を売りに来たのだ。無論うまく行けば和解もできるかと思っていたが、案の定あの喰えないルカナンと気性の激しいラナレイでは不可能であった。
「お邪魔様、ルウにもよろしく」
ラナレイはあくまで素っ気なく20年近く住んだ家を後にした。あまりにも長居し過ぎると、彼女は帰る自信をなくしそうだったからだ。
この国は、本当にどうなるのだろうか──。
父からの連絡は絶えたままである。
ラナレイはこの先にある未来を憂えながら、懐かしさの残る過去の道を去った。




