第11話:聖職者の離脱
「私たちが力を与えてもらい、それを純粋に守ることができるのは、ひとえにイシュタル御家があってのこと」
ずらりと並んだ列を見て、グレアル・シュタインは内心ほうと溜め息を吐く。王宮内にはこんなにも無駄な人が居たのかと思うと、今まで気が付かなかった自分が情けなくなる。だがそんなことには構わず、聖職者の団体は毅然と頭を上げて代表に続く。
「イシュタル御家を放棄するというのならば、私たちは聖官の座を退かせて戴く」
「──まあ、待ちたまえよ、ライロエル」
シュタインは小さく笑う余裕すら見せた。聖職者代表である教皇デュロウ・ライロエルは一瞬不快感を露にしたが、シュタインはそれに気が付かなかったふりをする。
「イシュタル家を不当に扱う気持ちなど、私たち法術師にしろあるわけがないだろう」
「だがしかし……」
「我々は正式にエリンケ様を次期王として認めようと思っている。もしそれが外れてしまっても、ローウォルト様が続けば、イシュタル家は絶えることなく続くのだ。いったい、何に不服があろうというのか、私にはわかり兼ねるがね」
きっと結ばれた唇には、表情を表に出すまいという真剣さが見て取れる。聖職者はこれだからわかりやすい。絶対的に嘘を吐けないその誠実さは、敵にすら値しない。
「私たちが力を与えられたのは、ガーニシシャル国王陛下の存在あってこそ。陛下亡き荒れ果てたこの国で、我々ができることはない」
「それは殿下がご存命であっても、か?」
「我々は殿下がご存命であり、尚かつ止むに止まれぬ事情があると思っている。殿下がいつ戻って来ても良いように王宮を守り固めていたかったが、これにて辞退致す」
「どういう風の吹き回しかな、ライロエル」
シュタインは黒く笑う。ライロエルは元来大人しく聖職者らしい聖職者と云えたが、これほど頭の悪い男であったかと評価を見直そうとしていた。
「あの時あの場に居ながら、貴様らはこの王宮から出られるとでも思っているのかね?」
そこでライロエルの瞳にふと、光が宿る。その年にしては昔から強い光を放つ鋭い目付きは、少なくとも今まで余裕を見積もっていたシュタインを警戒させた。
「私はここで、主の名の元にグレアル・シュタイン宰法と契約する」
契約、その言葉がシュタインに向けて出て来たことに、少なからず驚いた。
「我々はグレアル・ロア並びに法術師のこの4年間に関して口外しないことを、ここに宣誓する」
予想外の契約に、流石のシュタインも一瞬言葉に詰まる。その言葉に齟齬がないか、何度も繰り返し確かめる。表情はあくまで余裕を保ったまま、あらゆる角度からその言葉に漏れがないかを確認しながら返答を探す。
「ほう? 聖職者とは随分に不便な生き物だな。それで外に出てどうするつもりだ」
「殿下を待つ。殿下のために力を溜めて置く、私たちはそれぐらいしかできない」
「それはこの王宮ですれば良いこと、わざわざ町へ降りる必要などない」
「ここで私たちに力を溜めろと云うのか」
初めてあからさまに、ライロエルの顔が怒りに満ちた。
「殿下をお守りすることもできず、無様に連れ去られて行く仲間を助けることもできず、のうのうと暮らして来た屈辱の4年間に、さらなる日々を加えるというのか」
「そのとおりだ」
シュタインの即答に、ライロエルは宰聖の威厳を持って答える。
「我々はそのようなことなどしない、町で殿下を待ち続ける。そしていつの日か、殿下と共に御主らを打ち倒す」
「そうか……」
何を云っても聞かないと見えた。隣でマンチェロがおろおろしているが、しかしシュタインは再び先ほどの契約内容を思い直す。まったく何所からどうとっても、その通りにしか聞こえない、ちゃんとした契約だった。
黙っていたシュタインは、すっと片手を上げた。
「──わかった、では楽しみに待とう」
シュタインは彼らを王宮から出すことに、許可を出したのであった。
・・・・・
ディルレインはこっそりと様子を窺うと、どうやらそろそろらしいと感ずる。何人かの法術師が行ったり来たりしている様は、今までにはなかったものだ。慎重に慎重を重ねてここまで待っていた甲斐があった。
「痛いわ、押さないでよ」
しかしそんなディルレインの緊張も、その強気な彼女の発言にかき消される。むっとしたのかやや声を荒げて片割れも反論する。
「押してないよ、自分で躓いたんじゃないか」
「なんですって?」
小さなことで喧嘩を始める双子の様子を見ながら、深々とディルレインは溜め息を吐いた。しかしそんな悠長にしている場合でもない。小声で騒いでいる弟妹の頭を軽く叩くと、
「こんな時ぐらい静かにしろ」
と少し冷ややかな口調で声を落としてみる。
滅多に叱らない兄に冷ややかに云われ、案の定しゅんとした顔をして、次には二人顔を見合わせている。この4年ですっかり、二人の扱いになれてしまったようである自分に苦笑してから、彼らに視線を合わせ彼は云う。
「緊張するのはわかるが、ここで失敗しては命の終わりだ。わかっているな」
二人は静かに、こっくりと頷いた。流石王師を目指しているだけあって、骨だけはあるのだ。
静まったのを確認すると、ディルレインは合図をして二人を呼んだ。そしてじっとその場で、時が来るのを待ち続けた。自分たちの頼みの綱、聖職者が出て来るのを、じっと待ち続けた。
・・・・・
「ライロエル宰聖」
呼ばれて振り返ると、毅然とした面持ちのリューシャン・バックボーンが立っていた。デュロウ・ライロエルがまだ教会で働いていた時、突然現れた隣町の子ども。両親を紛争で取られて一人逃れて来た子ども。たった一人で教会まで来た子ども。その彼がもう、40になる。まだ若々しい顔つきをしてはいるが、所々に白髪が目立って来ていた。
もうそれだけの時が経ったのだ、とデュロウは得心する。だから私はもう、こんなにも真っ白で弱々しい老人なのだ、と。
「リューシャン、私はもう宰聖ではない。リアでも教皇でもない、ただの聖職者だ」
ライロエル宰聖、その名は先ほど、仲間と共に捨てて来た。これから王宮を出て聖職者の町ルフムへと帰る。そこでゆっくりと殿下を待つのだと決めた。そしていつの日か、殿下を助けるのだと。──そう宣言して来たばかりだ。
「そうでした。……では、ライロエル神官」
「何かな」
自分で云っておきながら、神官と呼ばれるとくすぐったかった。それは遥か昔、彼がまだ若かりし頃に呼ばれていた最下位の名であるからだ。宰聖──教皇の座に就くまでにも、彼はあらゆる呼ばれ方をしたために、それは遥か昔の匂いがした。
「本気ですか、法術師のことを公言する気はないとのことでしたが」
「本気だよ」
デュロウ自身、出られると思って居なかった。これはある種、賭けでもあったのだ。まさかの反逆の場に居合わせていながら、シュタインが大人しくデュロウたちを逃がすとは思えなかった。幾ら聖職者が嘘を吐けず、約束を破れない者たちだと知っていてもだ。だが意外にもシュタインは簡単に折れて聖職者を手放した。扱いに辟易していたのもあるのだろう。しかしそれ以上に何かを考えているようで、デュロウは己の中にある計画を誰にも話していなかった。
それが仲間に知れるのは、ルフムに帰ってからである。ライロエルの性格を熟知しているリューシャンは、敏感に感じつつあり早く知りたいのか大人しくしてなど居なかった。そもそも責任感の強い男である、このばらばらな国を一刻も早くまとめてしまいたくて憂えている。
「しかし私たちは……」
「良いのだ、リューシャン。真実というのは、自ずと現れる。私たちが言葉にせずとも、自然とな」
「それはそうですが……、今は主である陛下が居られません」
「リューシャン、弱音を吐いてはならんよ」
力強い目で、デュロウは続けた。聖職者のすべての希望はアリカラーナであり、アリカラーナが居ない限り力はない。それは無論、無力を示した。だがその無力の状態を、デュロウはプラスに考えている。もちろんそれは法術師にとってもプラスに取れるために、行動した者の勝利となるだろう。デュロウの頭は今その勝利に向かって助走をしていると云える。
「必ず、主の導きは訪れる。そうしたら後は、おまえに任せる。良いね」
「宰聖……」
「だから違うと云っておるだろうが」
思わず苦笑しながらも、首にかけた十字を外し彼の手に渡す。もうそろそろ潮時でもあったし、万が一のこともある。早めに渡しておくに越したことはなかった。
「いけません、宰聖」
「持って居なさい。それは地位を表すためのものではなくなった。だから私はそれを君にあげたくなった、ただそれだけのことなのだ。わかるね」
リューシャンは困ったように手に置かれた十字と、父親代わりであるデュロウを交互に見た。十字架は聖職者として最高の栄誉。それを主たる陛下にかけてもらうのが、聖職者の一番の幸福であり栄誉であり誉れだ。つまりそれこそが、聖職者のトップに立つ教皇──宰聖の証しなのである。
「いつか陛下にかけてもらいなさい」
「宰聖、この十字は私ではなくカージナカル様が……!」
途端、能面のようだった彼の顔が浮かんで、ライロエルはそれを消すようにかぶりを振った。
「……彼ももう、新しい人生を歩んでしまっている。私にはどうすることもできなかった」
「宰聖……」
何か云おうと口を開いたが、結局リューシャンはそのまま口を閉じた。何を云っても無駄だと理解したのだろう。それほどデュロウの決心は固かった。
とんとんと音がして、準備に回っていたルーン・ワードソウドが戻って来た。
「デュロウ教皇、リューシャン枢機卿、準備が整いました」
「ご苦労だったね、ルーン」
この間まで教会の十字より小さかったというのに、もう二本足でしっかりと立っている。若きこの青年を見て、デュロウはやはり時の流れを思う。
「殿下は随分おまえをかわいがって居られたな」
「宰聖……」
「済まないね、こんな時に。つい昔を思い出してしまうのだ」
遠い昔、この城で過ごした時のことを、おこがましいとは思いつつ夢見てしまう。あの幸せだった頃のことを──。聖職者で結婚するものは少なくなかった。だが昔の方針で行けば彼らが結婚することなど、許されざる罪であったのだ。デュロウはその昔の方針を気にしたわけではないが、自然と連れて来たリューシャンを息子として扱い、そのリューシャンはルーンという少年を連れて来た。こうして血のつながりのない聖職者の核ができあがったのは、中でも有名であった。
今こうして親子三代が共に居られることが、既に幸せなのかもしれない。或いは覚悟を決めたデュロウに対する、神のせめてもの慰みなのかもしれない。
そんなことを考えている前で、純粋なルーンは照れたように微笑む。
「失礼かもしれませんが、私にとって殿下は、尊い兄上のような存在です」
「尊い、確かに尊いな……」
「ですからやはり、無事のお帰りを願わずには居られません」
「ルーン、後方は任せたぞ」
父と上司、両方の威厳を併せ持って、リューシャンが力強く云う。さすがにそれにはあどけないルーンもはにかんだような笑みを引き締めて、負けまいと力強い声で返した。
「はい、リューシャン枢機卿」
「……ルーン、私のことをいっそ神官と呼んでくれないか」
「何を仰っているのです? あ、さてはリア。枢機卿に何か余計なことを仰いましたね」
ルーンに突かれてリューシャンは困ったように笑いデュロウを見る。
聖職者一行は出発した。
その旅の終わりが、デュロウ・ライロエルの生命の終着であることも知らずに。




