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精霊物語─精霊の目覚め  作者: 痲時
第2章 転機の風
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第9話:暗躍する王宮法術師


 アリカラーナ王国の王都イシュタルでは、次期アリカラーナのための準備が着々と進められていた。


 イシュタルの中心にある王宮の核の城、王の住まう場もあるイシュタル城の法使塔の奥深くで、彼らはそれに没頭していた。キィっと音が鳴って、その重々しい扉が開かれる。法使塔の最下層にある研究部屋は、現在宰法より許可が下りた法術師しか入れないことになっていた。そこに足を踏み入れた宰法グレアル・シュタインは、中央に横たわるその人物を見てほうと溜め息を吐いた。

「──腐らないのか」

「冷凍してあります」

 この研究部屋の総責任者ワラード・バイゼベルは即答した。相変わらずの無表情にはどんな感情も浮かばず、死刑執行人にすらふさわしいと思う。そう云われてよく見れば確かに、周囲に冷気が漂っていた。

「氷保存では無理か」

「すぐに起動させる時、問題なく済むのがこちらです。ここは冷凍室になっておりますので、法術を使う必要はございません」

 入った時に寒いとは思ったが、しかしその寒気はすぐに消された。それもすべて、法術のおかげなのだろう。何を考えているかわからないバイゼベルだが、法術の腕に置いては信用して良い。


「成功は?」

「確実ではありませんが、やり遂げてみせます」

「楽しみだ」

 シュタインは笑って、横たわるその人物に触れてみる。不思議と冷たくはなく、彼が死んでいるということが既に嘘のようだった。まるで今にも飛び起きて掴みかかって来るのではないかと危惧するほどに、彼の顔はいつもの通り穏やかで、もう60を過ぎた男には見えない。

「ルウラ・カルヴァナ、また君に会えることを楽しみにしているよ」

 触れたついでに切ったと云う喉元を見てみるが、薄らと切り傷が残っているだけで、よくよく見ないとわからないそれは、まさに技術の進歩を表していた。


 ルウラ・カルヴァナは、死んでなど居ない。それはできる。

 問題は人霊だけである。


 周囲に視線をめぐらせて、積み上がった書類を見つけた。それは開いてはならない禁書の類いと同じだったが、今のシュタインの重要な核と云えた。今頃これを作った人物は、何所で何をしているのかと思う。生きていることは確実だが、むやみやたらに攻撃をしかけても仕方のない相手だともわかっていた。 無論、彼がこの王宮から逃れた時攻撃は山ほど仕掛けたが、それでも彼は死ななかった。それどころか煙に巻いて姿を消してしまったのだ。


 アリカラーナ王国を誇る優秀な法術師の彼は、今何所に。

 もちろん彼が居たところでこの禁忌魔法の研究は進まない。彼は断固としてそれ以上研究を進めようとはしないだろう。だがしかし、彼の知識はどうしても必要である。これからの時代、法術師の元がこの禁忌魔法で築かれるのだから。


 探すなど詮ないことだと思っていたが、予想以上に骨が折れる。おかげで今、彼が研究したところまでしかうまく法術が使えない。バイゼベルが知恵を絞ってくれているために、なんとかカルヴァナの件はうまくいきそうだ。その薄ら寒い部屋を、無言のまま出る。バイゼベルは小さく頭を下げて見送った。




 地下から出ると空気が良い。この空気を地下で作り出すことは可能だろうかと考える。もっと住み良くしなくてはならない、この国を、四季を完全に物にするために。アリカラーナが居なくても、この国が存続するように。

 ──私の宝なのだよ。

 事あるごとに思い出される、主の言葉。

「宰法」

 心地良い空気を踏み潰すかのように、現実が押し寄せて来た。気分を害したもののシュタインを呼んだ部下には悪気などなく、ただ忠実に仕事の報告へ来ただけである。足蹴にするわけにも行かず、短く返事をする。

「東西の城主から書簡が届きました」

「ふん、でかい野鼠に跪く窮地の石頭共も、もう煩いことは云わないだろうな」

 彼の手に握られている書簡はそういった内容でなければならない。大人しく議会に出席し、次期アリカラーナ選出に力を貸す。それこそ今、シュタインが必要としているものである。

「それが……」

 しかし部下の歯切れは悪くなる。来た時から良い顔はしていなかったが、まさかこんな状態にまで来てうまくいかないわけがないと確信していたから、大して気にしてなどいなかった。

「出場を辞退する、とのことです」

「……なんだと」

「国を傾けるような話し合いには出たくない、王宮で今どのような事態になっているのか話して戴きたいとのことで」

 窮地も窮地、堕ちる所まで堕ちたと云うのに、まだ──。あまりの渋とさと思い通りにいかないことに、苛立ちが募る。流石の彼らもここまで来て無駄なら、そろそろ諦めるだろうと高を括っていた。精々あの中で最後まで反抗するのはカーム領主アクラ・ロスタリューぐらいだとそう思っていた。


 だが、甘く見過ぎていた、彼の人望を。

 いつだったかウォルエイリレンに云われたことを思い出して、つい舌打ちすら出る。あれは確か、彼がまだ高等部在学中の時であった。帰りに一人で町を散策して帰るというその自分勝手な行動に、シュタインが上申した時であった。

 ──殿下、もう王佐や側近に手を焼かすような御年ではないでしょう。みだりに民と話したり一人で町を歩くたり、危険極まりない行動は金輪際止めて戴きたい。

 その一言に、彼は呆気なく済まないと謝った。

 ──皆に迷惑をかけていることは、本当に済まないと思っている。私は賢王アリカラーナの子という自覚はあるのだが、おそらくまだ充分とは云えない。足りないのだろうと思う。それは素直に反省している。頼りなくてすまない。

 肩すかしを喰らった気分で、シュタインは黙りこくった。どう云い返せば良いかなど、簡単なことだったのに黙ってしまった。その隙を突いて、彼はだが、と切り返した。

 ──私は私の意志で彼らと付き合っている、それは王子としても、個人としてもだ。私には私のやり方がある。それが害を及ぼすことでない限り、指図される覚えはない。


 あの毅然とした顔が、昔のガーニシシャルにそっくりで、それがまたシュタインを苛つかせたのだ。そして彼の云う「私のやり方」というやつに、ぞっこん惚れ込んだ奴らが居る。それらは正しく、王都や東、西とか南に居る頭の固い連中のことである。少なくはなったが一度忠誠を誓ったものたちは、諦めさせるのが実に面倒だ。


 彼らはなんとしてでも、こちらに従う気などないのだろう。たとえそれが死に直結しても、彼らはそれを守るのだ。


「──なるほど」

 そして窮地に陥った奴らは探りに出た。どうしてやろうか考える時間がまだ欲しかった。

「もう一度、この間と同じ内容の書簡を送れ。ただし無意味に逆らうと国を傾けることになるというのを強調したまえ。いつまでも居もしない王太子をすがるな、と」

「そのように」


 踵を返して歩く回廊の先に、亡き主が居るかのような錯覚を覚える。

 ──私の宝なのだよ。

 シュタインもたまには立ち止まる。自分のやっていることを、恐ろしいと思うこともある。だがしかしそれでも、彼は亡き王の気持ちを諦めることができない。王太子を慕っている彼らも、同じ気持ちなのだろうか。敵はなかなかに手強いのだと、彼は再確認せねばならなかった。




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