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精霊物語─精霊の目覚め  作者: 痲時
序章
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プロローグ


「何をなさいます!」

 女官が叫び声を上げると共に、王師の半分が一斉に動きだし、法術師は彼を取り囲んだ。王佐と近衛隊は咄嗟に鞘から剣を抜いたが、それが何を斬り裂いたのかは不明であった。また本来ならばここで一番に動かなければならない王太子は、ただそこで取り囲まれるのに身を任せて、周囲を見ていただけである。気が付けば辺りは血にまみれて戦場と化していた。


 ──こんなにも早く、行動に起こされるとは。


 誰もが油断していた。まさか、と。そうしてその中で一番悔しかったのは、云うまでもない、自分だ。不甲斐なさでいっぱいになる、この場をひっくり返すことなどできない。こんなにも多くの王師が反旗を翻すとは、まったく持って予想外のことだった。


 その原因はやはり、昨日流れた思わぬ噂。

 あの噂さえなければ、ここで何か行動することもできただろうに、どうしてか自分の手足はぴくりとも動かない。毎日のように鍛え上げて来たこの身体は、いざという時になんの役にも立たず、ただそこに呆然と立ち尽くすしかなかった。



 果たしてここで、自分に剣を上げる権利があるのだろうか。

 この間の噂を、自分が何よりも疑っていた。


 ──陛下は貴方様を……。

「神楽、師走、殿下を頼んだ! 何があっても守り抜け!」

 叫び声で我に返って振り返れば、必死な顔をした臣下が取り巻いていた。

「殿下、どうかこの場はお逃げください!」

「カルヴァナ……」

「しゃべるな、ウォレン! さっさと師走たちに付いて行け!」

 叫んで前に出て来たローウォルトは、軽やかな足取りで今まで味方だと思っていた臣下を斬ってゆく。実戦経験などほぼ皆無だというのに、それは容赦なかった。

「ウォレン、早く、こっちだ!」

 そんな従弟を見ている閑もなく、腕をぐいと引っ張られ、混乱に乗じて、いつの間にか王宮外へ放り出されていた。警備兵が捕らえに来るかと思いきや、彼らは至って平然と職務を全うしていた。彼らには本当に、何事も起こっていないのだ。

「とにかくグラーナのところへ逃げろ!」

「だが……」

「莫迦、ウォレン! おまえが居なければあいつらはどうなると思うんだ!」

 云われてようやくはっとする。残して来てしまった仲間たち。彼らは自分を、どうにか逃がしてくれた。迷いはあるが、今はとりあえず云われるがままにするしかなかった。ここで自分が消えてしまってはならない、それを知っているからこそ、みんな協力してくれた。取って返して斬りつけたい気持ちを抑えて、彼は全速力で走った。


 本当に自分が、生き残って良いものなのか、不安を残して。


 なんとか辿り着いた目的地で、息を切らして後ろを振り返る。

「何止まっているんだ、莫迦、早く……」

 安心したくて聞きたかったその言葉は、彼の姿と共に忽然と消えてしまった。呆気に取られて思わず手を伸ばすが、それは空しく、宙を切るだけである。

「か、ぐら……?」

 最後の味方まで、消え失せてしまった。


 すると今まで気が付かなかった周囲の暗さや、不気味さが迫って来る。

 ──王太子は実は……。

 ──王太子は陛下に……。

 ──私を受け入れろ。

 やめてくれ、と叫びそうになるのを必死に堪え、彼は目的地からふらりと離れた。




 あんな言葉など信じたくない、信じなければ良い。

 だとしたら確かめるしかない。そうだ、確かめに行けば良い。


 済まない。──残して来た仲間にそっと謝ると、彼はその場を後にした。

 本当に自分が生き残って良いものなのか、確かめるために。




・・・・・




 彼はまた、暗闇の中目覚めた。

 ぼんやりとした頭は相変わらずはたらくということをせず、またしても彼の「黒い一日」が始まろうとしていた。一日とは云ったが、果たして今が朝なのか昼なのか夜なのか、彼にはわかる術など持ち合わせて居なかった。


 そして今、果たしてどれだけの月日が流れたのかも──。


 しかし今日という日を、彼が待っていたのは事実である。


 正確にこの日付、と決めていたわけではない。 ただ単純に次起きた時に決行しようと決めていたことであった。




 予測通りキィと音が開いて、いつも通り衛兵が食事を運びに来る。今まで従順で大人しくしていたからこそ、衛兵も腰に剣こそあれど、それを抜く気配は微塵もない。

「<ruby>空漂<rt>くうひょう</rt></ruby>」

 突然叫んだ彼に衛兵は驚いたようだが、それよりも何よりも、彼の周囲にまとわりつくその空気を追い払おうと必死になっていた。少々気の毒に思いながらも、空漂をうまく利用して腰元の剣を檻の中へ引き寄せた。


「なっ……!」

「すまない。もうこれぐらいしか、私にできることは思い付かなかったのだよ」

 彼がこの後処罰される可能性を思うと申し訳ないと思ったものの、それぐらいしか思い付かなかった。本当に、もうこれ以上は無理であった。下手に召喚すると法術師に勘ぐられてしまうために、 今召喚できるのは小物の空漂ぐらいで、これは彼が思い付く限り最後の切り札だったのだ。




 慌てて衛兵が檻を開けようとする前に、彼はその剣を鞘から出すとひと思いに首筋を切った。


 剣の扱いなど慣れない所為か、うまくできなかったかもしれない。だが首筋に感じるこの暖かい流れは、間違いなく血液で尋常ではない流れをしていた。そして彼は少なからず、だんだんと妙な寒さを感じていることに気が付いた。

 ──殿下、できれば、最後に、お会いしたかった……。

 最後にぼんやりと思い浮かべたのは故郷に残した子どもたちではなく、彼が最後まで信頼し続けていた、まだ若い主の姿だった。

 ──後は、頼んだぞ……。

 我が臣下に思いを馳せて、彼は名も知らないが世話になった衛兵を見ながら息絶えた。




・・・・・




 12人の精霊がこの国を治めていたその時代、または名君と名高いガーニシシャル王が崩御されたその時代、はたまたその子息である王太子ウォルエイリレンが王宮から消えてしまったその時代。あれから、4年の月日が流れた。



 どれぐらい眠りについたのだろうか。

 この眠りはとても気持ちが良いのだが、それと同時に力が失せて行くのを感じた。どうにかして止めなければならないと思うのだが、その暗闇は彼らを拘束してなかなか手放そうとしない。ここから脱さなければ、いずれ大変なことが起きてしまう。不安に思いながらも心地良いこの空間で、どれぐらい眠りについたのだろうか。ふいに明かりが見えた。この光こそ、彼らを救う源となるのだろう。この光がやがて、彼らの元に来ることが直感でわかった。それまでは、大人しくこの眠りに従おう。


 新たな主が来るまで、この暗闇で眠ろう。




・・・・・




 ──私を受け入れろ!


 叫び声にはっとして、青年は目覚めた。周囲を見回してみるが、何所からも叫び声など聞こえない。またあの時の夢を見た。その所為だろう、流れるぐらいの汗をかいていた。


 あれからもう、随分な時間が経つ。


 結局自分は、逃げてしまった。悩み抜いた末に出した結論で、仕方がないことだと思った。どうしてこんなどうでも良いことで、自分は揺らいでしまったのだろう。だが既に、揺らいでしまった時点で負けは見えていた。


 ──貴方がしたいようにしなさい。


 逃げた土地で彼女はそう云った。それが一番の重しになっているのかもしれない。違うと否定されたかった。否定して欲しかった。なのに彼女はそれをしてくれなかった。もちろん、そういう人だとはわかっていたが、いざそう云われてしまうと、自分はもうそれ以上踏み出すことができなかったのだ。


 もう、王都には戻れまい。


 彼の元になど、行かれない。



 確か近くに河が流れていた。その水を浴びてから、もう一度眠ろう。今はとにかく、何も考えたくなかった。そんな彼の視界にふと、道ばたに落ちた新聞が目に留まる。古いものかと思えばつい先日のもので、何気なく拾ってみると、そこには「聖職者撤退」の文字が踊っていた。

 驚きのあまりすぐに意味が脳に浸透しなかった。はっとして慌てて読んでみると、聖職者は王宮から出ることを決意したようである。王宮から出て王太子殿下が戻って来ることを望むばかりである、とコメントが載っている。あらゆる人の顔を思い出して、またしても罪悪感が滲み出る。


 もう、後には戻れない。戻れないというのに、戻って来いと云うのか。


 待っています、その言葉が、彼には一番辛かった。しかし彼は戻らなければならない、そのことも充分に、わかっていたのだった。


 新聞の一面を切り抜いて胸元に仕舞うと、彼は河に向かって歩き出した。




・・・・・


 これはアリカラーナ国で抹消された、神の居ない時代の正史である。


 もちろん、図書館には499年の正史が別に存在しているが、あの淡々としたものではわかり得ない、様々な情報を記録しておきたかったのだ。


 なぜなら、この年を期に、アリカラーナは転換期を迎えている。


 アリカラーナから神が消え、人同士が支え合って行く国。 そう、現在のような姿になったのは、明らかにこの年にあったからだ。ほぼ稗史の形を取っているのは、その時の息づかいを感じて欲しいと思ったからである。


 いつしかこの裏の正史を読むのは、四人の王子と一人の王女の誰かであろう。


 そしてその後を、彼らに託す。偉大なる精霊王の子孫に、この国と共に託す。



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