ハーケンになった男(後編)
長い間期間が空いて申し訳ございません。
冥界で会話するに伴って無音の時間が以前より煩わしくなった。
ここは音が極端に少ない…現代社会では当たり前の様に存在している機械音、況してや自然界の音など皆無だ。
かつては会話が止まった時に聴こえてくる時計の音が耳障りに感じたが、今ではその音すら懐かしい……無音というのは嫌なものだ。
特に何を仕出かすか分からない男が目の前にいる時は‥。
「・・・・・」
ハーケンは考え事をしているのか、視界内の俺を収めてはいるが焦点は合っていない。自分の顎に手を宛て時折軽くなでている。
視覚に意識が集中しているせいか、手が僅かに動くたびに魂を棚引かせ緊張が走る。
ハーケン…奴の行動が分からない・・・。
異世界、特に科学世界の物について尋常ならざる興味を持っているのは間違いないのだが…。
…あの時、科学世界の物の説明をしてる時の豹変ぶりは忘れられない。
・・・情報を手に入れるためならば何でもするだろ…それこそ、俺の魂を解体してでも調べるだろう…。なんの躊躇も無しに。
ぶるぶるっと綿飴が激しく揺れる。
ハーケンが俺を解体しないのは、まだ別の利用価値が在るからだろうか?或いは別の理由か…
「‥さて、君のおかげで私の研究は大いに進む訳だが…その褒美を送ろうではないか」
思考の海に溺れそうになった頃、沈黙を破りハーケンの唇が動いた。
俺は慌てて全神経をハーケンに向けなおす。
「褒美…ですか?」
「そうだ。長らく停滞していた私の野望は、今この時を持って再び始動したのだ。
その感謝は言葉では言い繕えない…ならカタチにするのが道理であろう?」
この時ばかりは表情の無いこのからだに感謝しなければならないだろう。
とてもじゃないが疑惑と不信感の表情を隠すことが出来無い。
罠だろう…ならどう回避するか…。
…どうしてかは分からないがハーケンには自分のルールを持っていると思われる節がある。
確定はできないが何か制約があるのか、もしくはただの心情や理念程度のもので強制力は無いのかは分からないが…。
言論や行動に一貫性はあるものの、どこかでブレーキが働いている様に感じられる。
「・・・・」
「…どうした?受け入れ無いか?」
肯定する気は無い。そしてあからさまな否定も…。
「・・・・・・待ってください‥その前に不本意とはいえ、貴方は俺の魂を調べたはずです。ならば先に貴方の言う対価を払うべきじゃないですか?
元は貴方に深く関わる魔術師的な事を教えて貰えるはずだったのでは?」
「ほう‥」
ハーケンは先ほどとは違った笑みを浮かべる。
「そうであったな…良かろう教えてやろうではないか…科学世界のアイテムをどうやって集めたかだったか・・・?」
左の腰の付け根あたりから抜き取り俺に見せてくれた。
「こいつが始まりだ。”ハーケン”今の私を形創る全て…
…最初はまったくの偶然だった。
物質転移の際に不信な振動を感知してな…試験段階だったので余り空間を広く設定して無く、体積を超え融合しては面倒なので強引に取り出した。
そいつがこいつだ…」
鉄の杭を手のひらで転がし、軽く放り投げパシッとキャッチする。
「私の全てを否定した最悪の物質であり、更なる高みに登る道を示した最高の物質…
……それから物質転移の魔法の研究し直してな。新たな魔法…物質召喚術式を編み出したのだ」
「ではその物質召喚術式で…」
「そうだ、召喚し手に入れた。」
「…"ハーケン"という名前は…」
「忘れたのか?これは対価だ。これ以上要求するなら別の対価が必要だ」
楔を右へ左へ遊ぶように持ち替える。光を反射させ鈍く輝く。
間髪入れず否定の言葉が飛び出してきた。深く聞かれたく無いのか、それとも…
俺は少し考えて言葉の矢を発した。
「…俺の価値はハーケンさんの思っていた以上だったのでしょう?だから別の対価が発生した。
褒美は要りません。もう少し話を聞かせてください」
ハーケンが手を止め、二つの目が俺を射抜く。
…やった。
あくまで形式的に断ってやった。
鋭い視線で見られていたが動じる必要は無い。なんせ表情が読まれることが無いのだから。
厳しい表情をしていたハーケンは口角を緩め、
『いいだろう…実に魔導師的考え方だ。得る為にならば全てを利用する…(……)ましてや既に価値の奪われた情報にまで対価を求めて利用するとは気に入った』
と、少しはマシになったと笑った。
「そうだ"ハーケン"とは私の本来の名前ではない…。
だが、まったくの偽名と言う訳でもない…。この冥界に置いて私は"ハーケン"以外の何者でも無いのだからな」
手に持っていた"楔"をまじまじと眺め、左の腰に収める。
「私はとある契約を施し名前を捨てる事にしのだ。昔の名前では自由に一人歩きするには少々不便でな…
新たな名"ハーケン"を称号として冠したのだ。"ハーケン"…これほど私の名として相応しいものはない」
ニヤリと口角を上げ笑みを浮かべたが、すぐに表情は曇っていく。
「‥だがそれにより一つ誤算があった…他者から携わった称号”ナイト”これもまた私となったのだ。
‥称号というのは呪いの様なものだ…他者から与えられる名誉、あるいは呪縛‥そして自分で選び出した決意…。
”ハーケン”…私は決意と共にこの名前を冠したが、同時に他者から与えられた”ナイト”もまた捨てられぬ名前になった。
”ナイト”と”ハーケン”これが今の私だ」
少し寂しそうな顔を覗かせ、腰のハーケンを握り締めた。ぎゅっと力が入っていくのが分かる。
「…さて私も本心を語ろう。話術にはそれなりの心得があったのだが…長い間一人で居たせいかすっかり錆び付いてしまったようだな…。
今より私は”此処”を起点に忘却の魔法陣を展開する。以降、魔法陣が消えるまでのお前の記憶は封印する」
「・・・・ん?」
言葉の意味が分からず言葉が漏れる。魂の方も俺の動揺を現すようにふわふわと揺れる。
「…準備が出来たら説明する」
そう言うと長ったらしい呪文を唱え黒い霧の様なモノが集まってくる。
霧は時が立つ度にその濃度を増し、やがて黒い球体となり背景を歪ませる。”ブラックホール”そんな言葉が頭に浮かんだ。
ハーケンは黒い球体が安定したのか詠唱を止め、今度は自身の右腕に黒い光を集め始めた。
黒い鉄鋼のようになった腕を入念に確認して、躊躇なく”ブラックホール”にブチ込む。
俺は、つい数刻前の自分を思い出し、嫌な気分にになる。
ハーケンはぶつぶつと何か呟きながら次々に道具を引っ張り出していく。
水晶…?、燭台…?、絨毯の様なものに、なんだあれ…手錠??
自分の記憶にある物と照らし合わせて、近しい物に置き換えてみたが、その内表現方法に困るものが色々出てきたのでやめた。
ハーケンは絨毯の様なものを広げ周りに燭台?っぽいもの置き、魔法陣を完成させていく。
俺はその間、何度か質問をしようかと思ったがハーケンがギロリと睨むので途中で諦めた。
ふうと一息を付き、魔法陣を挟んで対角の位置で立ち止まる。
どうやら終わったようだ。
「端的に言えばお前の行動に支障を及ぼす可能性がある。詳しく知りたければこの魔法陣の上に乗れ」