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8話 生理

 


 それは昼めしの時間に入ったときだった。


 机に弁当を広げ、俺の弁当からおかずを取ろうとちょっかいを出してくる村瀬を、適当にあしらっていると。


「荘史郎、ちょっと来てくれ」


 トイレから帰ってきた、翔の顔がこわばっていた。

 俺と村瀬が、翔のただごとじゃない様子に驚いていると、返事もしないうちに強引に腕をとられて教室から連れ出された。俺たちをきょとんとしながら見送る村瀬に声をかける暇もなく、そのまま校舎裏まで連れていかれる。


 まだ梅雨が続いていて、外に出れば朝からの雨が降り続けていた。一応軒下に入るが、遮れなかった雨が肩や背中にぱらぱらと降りかかる。

 だけど翔は、そんなことを気にする余裕もないようだ。雨に濡れるのも気づいてない様子で、きょろきょろと人の姿がないことを確認している。


 そして唐突に、声をひそめながら俺につかみかかってきた。


「荘史郎、やべぇ。生理始まった……」

「は?」

「だから、生理が、始まったんだよ」


 咄嗟に意味がわからず聞きなおした俺に、翔は器用にも小声で一言ずつ強調しながら言いなおす。

 一拍おいて意味を理解した俺に、翔はもう一度焦れたように同じ言葉を繰り返す。更には掴んでいる俺の両腕を、がくがくと揺さぶってきた。


「いや、ちょっと待て。わかったから連呼はやめろ。それはわかったけど、なんで俺に報告してくるんだよ」 


 彼女とかいない俺の日常に「生理」なんて言葉は存在しないし、連呼している相手がこれまた見た目は男なので、もう何が何だかわからない状態になっている。

 掴まれていた両腕を外し、逆に翔の腕を掴み返して落ち着くように促してみる。

 翔は落ち着くどころか更に涙目になって、必死に俺の顔を覗きこみながら震える口を開いた。


「生理になったのに、……あれ、持ってきてない」

「は?」

「あれだよ、あれ!」

「……あれ?」


 本気でわからん俺に、翔はぐっと眉を寄せると、唇をかみしめながら俯いてしまった。

 えぇ!? 俺が悪いのか!?、と混乱しながらも俯いている翔をよく見れば、肩が小刻みに震えて耳が赤くなっている。


『あれ』って何なんだ!? 頑張れ俺、必死に思い出せ!!


 背中が冷や汗でじっとりとしてきた頃、何やら意を決した翔がきっと顔を上げた。


「……ナプキン。ナプキン、持ってない」

「…………」


 俺は思わず天を仰いだ。 

 (あぁ、これ言っちゃいけないんだろうな)と思いつつも、話を進めるために、俺はあえて口にした。


「ナプキンって、何だ?」


 翔の答えは、涙目で顔を真っ赤にしての強烈なボディーブローだった。



 結局、更に顔を真っ赤にした翔に全部説明してもらい、何が言いたかったのかを理解した。理不尽に殴られた腹を撫でながら思う。

 お前、俺にそんな説明でわかれってほうが無理だよ……。


 そしてちらりと翔を見る。

 見た目は男なのに、やっぱりお前は女になってるんだな。

 そう心の中で話しかける。最近は特に意識することなく過ごしていただけに、「生理」だの「ナプキン」だの口にする翔を見ていると、改めて突きつけられたような気持になった。



「んで、そのナプキンがないのはわかったが、俺にどうしろと?」


 めちゃくちゃ焦っていたくせに、まだ涙目で何かぶつぶつ言っている翔を促す。

 翔は思い出したように顔をこわばらると、消え入りそうな声ですがりついてきた。


「荘史郎、助けてくれ……」

「いやいやいや、俺に何ができるよ!?」

「早くしないと、ズボンまで染みてくる……」

「無理無理無理!!」


 さっきのボディブローの勢いはどうしたんだよ!と言いたいくらい、顔を青くした翔がすがりついてくる。まるでゾンビに捕まった気分だ。

 ズボンに染みるぐらいの量の血を想像し、軽いパニックになったところでふっと思いついた。


「翔! ゴリに聞いてみろ」


 ゴリとは俺たちの担任で、角刈り頭に色黒なゴリマッチョ、20代後半独身だ。体育教師にしか見えないのに、数学教師なんてしてる。

 担任なんだから、何かあった時に頼るのが当たり前だ。俺に言うより、ゴリに頼るのが当然だろう。


 そんな俺の必死の提案に、翔は嫌そうな顔をした。


「え……、だってゴリに言っても、知らなさそうだし。それに、ゴリが知ってたら、それはそれでキモイし……」

「お前しれっとひどいな……」


 とはいえ今の俺たちで頼れそうなのはゴリしかおらず、二人で急いで職員室に向かった。

 歩いている途中で、しきりに翔が股の部分を気にしているのは、必死に見ないふりをした。




 職員室に行くと、ゴリの姿はなかった。

 ゴリの隣の机では、若い女の先生が弁当を広げて食べていた。生物の先生で、受け持ちのクラスはない。たまに見かける白衣姿が、女医って感じでセクシーだ。

 先生に声をかけると、ゴリは職員室の裏で煙草を吸っているとのことだった。

 先生にゴリの行方を聞いている間、自然と机の上の弁当に目がいく。それで足りるんですか?って聞きたいくらいに小さい弁当に、これまた小さなおかずが詰め込まれている。

 そういやまだ飯食ってないなと思いだすのと同時に、大飯ぐらいの翔が女になったら、こんな小さい弁当を食べるようになるんだろうか?、とどうでもいいことを考えていた。



 そろそろ翔の様子が本当にやばそうなので、急いで職員室の裏にまわる。そこには気の抜けた顔で煙草を吸っているゴリの姿があった。しかもちょうどいいことに、周りにはゴリの他に誰もいない。

 ゴリを見つけてほっとし、翔に行くように促す。


 が。


「頼む、荘史郎がゴリに言ってくれ……」

「嘘だろ!?」

「……頼む。もう、まじやばい……」


 すでに翔の顔は、青いを通り越して白くなっていた。しかも腹をかばうように押え、前かがみになっている。

 そんな状態で弱々しい声で頼まれれば、もうどうしようもない。

 俺はやけくそでゴリに声をかけた。


「ゴ……、後藤先生っ」

「ん? おう、一宮か。どうした?」


 ゴリは俺の声に気が付くと、返事をしながらさっと灰皿に煙草を押し付けた。まだ煙が漂っているがかまわずゴリの隣に行き、ギリギリ危なくない範囲で顔を寄せる。

 ちょっと怯えたように顔を引くゴリを睨むように見つめ、腹に力を入れると、できるかぎり小声で訴えた。


「……先生っ、翔が、生理はじまったって……」


「…………は?」



 血を吐くような思いで訴えた俺の言葉は、無情にもゴリには届かなかった。

 結局きょとんとして固まっているゴリに、先ほど翔が涙目になりながら俺にした説明を何度も繰り返した。


 今ならわかる。翔よ、すまん。



 何度目かの説明で、ようやくゴリが理解してくれた。

 だがほっとしたのもつかの間。ゴリはいきなり額からどっと汗を吹き出すと、ハンカチで何度も額をぬぐいながらおろおろとしはじめた。

 あまりの挙動不審っぷりに、俺もつられて仰天してしまった。


「ゴリ? ゴ、後藤先生!?」

「い、一宮! 俺は一体何をすればいいんだ!?」

「いやいやいや! 俺がそれを聞きにきたんっすよ!!」

「お、お、おぉ……」


「どうしたんですか?」


 2年担当の男教師がいつの間にかそばにいて、不思議そうに、挙動不審な俺たちを見ていた。片手に煙草の箱を持っているので、食後の煙草休憩に来たようだ。

 その落ち着いた態度に、今だけでも担任がこっちだったら頼りになったのに、と一瞬思ってしまった。


「あれ、京崎。お前顔色が悪いぞ? 大丈夫か」


 男教師が、少し離れた所にいた翔に気が付いた。

 やばい、この先生の前で翔の生理の話なんてできないし! ゴリは頼りにならないし!


 いい加減翔も限界なのに、もうどうしたらいいんだよ!と叫びたくなった時だった。


「あ、先生! クラスの生徒がいきなり生理が始まったときって、どうしているんですか!?」

「えっ!?」


 ゴォオオオオオリィイイイイイイッ!!


 あろうことか、ゴリは目の前の男の先生に助けを求めた。求められた先生のほうも、いきなりの質問に目を見開いて固まっている。


「え? 後藤先生のクラスに、女子生徒はいなかったですよね? …………あ」


 男の先生まで、ゴリの挙動不審が移ったようにおろおろしていたが、ふっと翔の方を見てすぐに状況を理解したようだ。


「確か、学校に置いてあるとは聞いたことがあります! ちょっと私も曖昧なので、内野先生に聞いてきますね!!」


 そう言うやいなや、2年担任の先生は血相を変えて職員室にダッシュしていく。

 俺は思わず手で顔を覆った。

 内野先生って、さっき声をかけた女の先生……。


 何だか大事になってしまい、翔がどんな顔をしているか見れなかった。


 その後、5分ほどして、内野先生がダッシュで喫煙所まで来てくれた。髪が乱れているのもかまわずに紙袋を翔に渡すと、そのまま職員トイレまで翔を引っ張って連れて行ってくれた。


 残っていた俺とゴリ、そして喫煙所に戻ってきた2年担当の先生は、翔たちが去っていったあと、思わず顔を見合わせた。


「何というか、男にはハードルが高いですな……」

「そうですね……」

「そうっすね……」


 喫煙所で、男3人の大きなため息が、綺麗にそろった。



 次の日、俺たちのクラスに内野先生がサポートティーチャーとしてつくようになった。

 ゴリ、頑張れ。


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