4話 夏服
6月。
今まで暑苦しくてしょうがなかった学生服から夏服に移行となる。
首にじっとりと汗をかく詰襟から、白くて生地の薄いワイシャツに解放されるのだ。
中学のときから思ってたんだが、どうして許可が出るまで夏服を着ちゃいけないんだろうか。自分が暑いと思ったら夏服でいいじゃないか。なんで詰襟の学生服を実際に着ているわけでもない教師が決めるんだろう。
俺たちが暑っ苦しい学生服をひーひー言いながら着ている前で、一足先に涼しげな半袖に変更している姿を見ているとつい恨みがましい視線になる。
早朝、今年初めての夏服を身にまとい、朝練の為にせっせと登校する。
首元を風がそよそよと流れるたびに、朝登校するだけで汗だくになっていた今までの朝を恨めしく思い出す。
だけどそれも昨日まで。
朝練を済ませて、ユニフォームからまた夏の制服に着替える。
なんだか夏服になって気持ちも心機一転したような、さわやかな気持ちで教室に入った。
そしてうなだれた。
確かに今まで黒一色だった教室の中は、清潔な白が混じって昨日より涼しげに見える。
だが。
夏服になったからって、蒸し暑いことには変わりない。ほとんどの奴がズボンを可能な限りまくしあげている。
右を見てもすね毛、左を見てもすね毛。
すね毛祭だ。
生地が冬服よりも薄くなったぶん、ズボンのすそ上げが楽にできるようになった。
おかげですね毛の露出率がアップだ。
おまけに教室の中が汗やら体臭やらで、何かすえた柔道着のような臭いが漂っている。
いや、もちろん朝練で汗かきまくってきた俺に言う権利はないわけだが、やっぱ臭う。
教室にひとりでも女子がいれば違うんだろうな、と心の中で涙ぐみながら自分の席に行く。あぁ、白く柔らかそうな二の腕を拝みたい。決して野郎の、筋張ってごつごつした腕じゃねえよ。
「なぁ、あいつ凄くね?」
俺が席に着くのを待っていたかのように、先に朝練から戻っていた村瀬が声をかけてきた。
妙にニヤニヤしている奴が指し示す方に視線をやる。
野郎だらけの教室でそんなに楽しいものが見れるのかよ、とふてくされながら視線をやって、俺は目を見開いた。
他の奴と同じように、ズボンをまくり上げて晒された脛。
その脛は一切毛がなく、ツルッツルだった。
『な、なにあれ!?』
つい小声でもれた声に、ニヤニヤしながら村瀬も小声で返す。
『あいつ中学のころからバスケのレギュラーでさ、中2の頃からああやってせっせとすね毛そってるんだって』
『うへ~』
「はよ~っ! 何だよ、顔付きあわせて何こそこそ喋ってんだよ!」
遅れて朝練から戻ってきた翔が教室に入ってきた。
こそこそと話していた俺たちを見つけ、自分の席に行く前に荷物を担いだままわざわざやってくる。
大声で答えてやるわけにもいかず、俺も村瀬も翔がそばに来るまで待っていた。
「で、何話してたんだよ」
『いいか、ばれないようにチラッと見てみろよ』
村瀬がニヤニヤしながら、俺に教えたように翔を誘導する。
俺は(あんまり言ってやるなよ……)と思いつつも、(バスケ部は爽やかとか言われやがって……)と、ちょっとひがみながら窓の外を眺めていた。
「おぉ! 涼しそうだな!」
翔が上げた声にぎょっとして、思わず窓から視線をはがして振り返った。
『声が大きいって!』
村瀬も慌てている隣で、翔は何を思ったのか床に荷物を置くと、自分のズボンの裾をたくし上げ始めた。
「あ……」
「……」
俺たちの目の前にさらけだされた翔のすねは、バスケ部の奴と同じく毛が生えていなかった。
いや、よく見るとうっすらと細い毛が生えているのがわかる。
つまり、翔は処理とかしなくても、自然とすね毛のない足をしていたのだ。
それが何だか妙に生々しく見えて、俺は息を飲んだ。
「それで、見せたかったのって何なんだよ?」
毛の薄い脛をさらしながら、翔はにこやかに聞いてきた。
俺と同級はつい気まずさに、顔を見合わせて押し黙ってしまう。
『お前どうにかしろよ!』
『いや、お前が言い出したんだろう!?』
そんなアイコンタクトをとっていると、チャイムが鳴って担任が教室に入ってきた。
「わりい、俺の勘違いだった!」
「あんだよそれ!」
村瀬はへらへらと謝りながら、自分の席に戻っていく。その背中は「助かった」と語っていた。
翔も納得していないながら、自分の席に戻っていく。
俺も助かったとばかりに脱力しながら、ふと中学の時のことを思いだした。
あれは中学の修学旅行。
旅館の大浴場にみんなで入った時だった。
「おいおい、お前生えてねえじゃん!」
誰かがはやし立てる声に目をやれば、翔がタオルで股間を隠して真っ赤になっていた。
「ちげぇよ! てっきり皆剃ってくるもんかと思ってたんだよ! くっそ、失敗したぁ!!」
小坊のときならまだしも、中坊で生えてないなんて思ってなかったから、皆で翔が剃ったんだって信じて笑ってた。他にも何人か剃っている奴がいたし。
あれ、本当に生えてなかったんじゃ……。
そこまで考えて、はっと自分が何を考えていたのか気づいて顔から血の気が引いた。
俺って本当に最低……。
気持ちを切り替えようと目を閉じれば、脳裏に翔の毛の薄い足が浮かんできて、もうどうしようもない気持ちで朝のホームルームを過ごした。
昼飯の時間になると、翔はいつの間にかズボンを下ろして足を隠していた。
たぶん誰かにからかわれたんだろうな、と思うと同時に、どこかほっとしている自分がいた。
俺は一体何にほっとしてんだ!と、更にじたばたするのは、しばらく後のこと。