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12話 隠したいもの 

 



 あの林間学校の直後、俺は無意識に翔の胸に目がいっては、我に返って視線をひきはがすということを何度か繰り返していた。


 夏服は白く、そして生地が薄い。

 産業科の奴の話だと、女子のブラが透けて見えたりすることもあるという、何とも羨ましい話があるが、それは置いといて。

 俺たちの教室では、地肌に夏服を着て乳首が透けたり、汗でべっとりと素肌に張り付いて目も当てられない状態になっている奴もいるが、それも置いといて。


 何度確認しても、翔の胸はペッタンコだった。

 白いシャツの下に、紺のタンクトップを着ているのが透けて見え、何か厚着してんなというのが引っかかるぐらいで、何度見てもペッタンコだった。

 それを見るたびにほっとしたような、どこか残念なような、自分でもキモイとわかっているが、何かモヤモヤとした日々を過ごしていた。


 ちなみに、体育の授業でプールは無くなった。

 夏休み前に全校生徒で行う陸上記録会というものがあり、俺たち工業科は運動場で陸上競技の練習、交代で産業科が今度はプール授業を行うことになっている。

 翔の水着姿を見る機会がないことに、ものすごくほっとしていた。

 本当に俺、どうしようもない馬鹿だ……。




「……うぅ」

 しかしくっそ暑い。

 俺たちの教室にエアコンはない。天井に設置された扇風機が2台だけだ。

 数学の授業中なんだが、全開の窓から飛び込んでくる蝉の声が凄すぎて、ゴリの声がとぎれとぎれにしか聞こえない。更に汗が次から次に吹き出して、拭い損ねた汗がノートに落ちるわ、腕にノートが張り付くわと、鬱陶しいことこの上ない。

 黒板の前に立つゴリも、板書の間にしきりにハンドタオルで額を拭っている。そのハンドタオルには指に付いたチョークの白やピンクの色が付いていたり、黒板の字がゴリの指の汗でにじんでいたりと、ものすごく気になってしょうがない。


 頼むからエアコンを入れてくれよ。こんなんじゃ集中できねぇよ。


 ノートに落書きする気も起きずに心の中で悪態をついていると、翔がゴリに当てられた。


「京崎。……おい、京崎?」


 ゴリの戸惑った声に顔を上げれば、斜め前の席に、どこかうつろな表情の翔が見えた。

 後ろの奴に小突かれ、ようやく自分がゴリに呼ばれていることに気づいたようだ。

 慌てて立ち上がった翔の姿に、あちこちから笑い声が起きた。

 別に馬鹿にした笑いじゃない。この暑さじゃしょうがないよな、といった共感の笑いだ。


 ゴリも同じように苦笑いしていたが、ふと真顔になった。

「おい、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

「え? いや、大丈夫です。すいません、地球温暖化について考えていました」


 教室におこる笑い声に、俺もつられて笑みをもらす。

 別にしたいわけじゃないけど、こういう軽口を言えて、しかもスベララナイのはやっぱり羨ましい。

 俺がこの状況なら、顔をしかめて押し黙るしかできない。


 前に出て黒板に書きこんでいる翔を眺め、いつもどおりの光景に何だかほっとしていた。



 違和感に気が付いたのは、昼休みだった。


 弁当を食い終ったら、大体いつも決まった数人でサッカーをする。

 日差しが痛いくらいに強くて、汗が止まらない。だからこそ外で遊ぶ奴が少なくなって、一年生の俺たちが上級生に気を使うことなく、好き勝手にグランドを使えるようになる貴重な期間でもある。


 汗で制服がベットリと張り付くのが嫌で、タンクトップ姿の奴や、この時間の為だけにTシャツを持ち込んで着替える奴など、メンバーの恰好は様々だ。

 俺も脱ぐまではしないが、制服のボタンを全部外して参加していた。どうせクラスに女子生徒はいないんだ。汗臭かろうが、ベッタベタだろうがかまわん。


 頬を滝のように流れ落ちる汗を適当に腕で拭っていると、すっと目の前を白いシャツが通り過ぎる。翔は制服のまま、シャツのボタンを二つほど外して参加していた。


 自然と視線が、開いた襟元に吸い寄せられる。

 どうせ見えた所で平たい胸板しかないのはわかっているんだが、全開でもなく、チラリと見えそうなところが、何か……。


 そこで垂れた汗が目に入りそうになり、大きくため息をつきながら乱暴に拭った。

 こんな変態的な思考をしていることに嫌悪感を覚えるどころか、最近は素直に受け入れてしまっている自分がいる。


 しょうがねぇじゃん、男だもの。

 おっきしたのがバレタんだもの、もう怖いものなんて何もねぇ。

 中坊のようにぐだぐだ悩んでいた頃が懐かしい。

 こういう汚れた自分も認めることができるってのが、中坊とは違う大人の証拠ってもんよ。

 いや、こんなアホなことしか頭にないのは、この暑さのせいだ。


 そんな沸いた頭でつらつらと考えていると。


「うおっ!!」

「……っ!?」


 俺に背を向けてパスを受けた翔が、そのまま勢いよく振り返って突っ込んできた。

 翔の目が驚愕に開かれるが、勢いは止まらない。


 結果。

 ぼけっと突っ立っていた俺は、突っ込んできた翔ごと吹っ飛ばされるように勢いよく倒れた。



「お~い、大丈夫か?」

「あぁ、へーき」


 無様に地面に寝っ転がっていたが、駆け寄ってきたクラスメイトに返事をし、さっと起き上がる。

 頭はぶつけていない。どっちかというと、翔が思い切りぶつかった腹とか胸元が痛い。

 翔の方に目をやると、奴もすでに起き上がっていた。あっちも怪我はしてなさそうでほっとした。


 本当はぶつかる瞬間、翔を受け止めようと両腕を開きかけた。

 が、脳裏に柔らかな翔の感触がよぎり、固まったところでもろに翔のタックルをくらってしまった。


「あちゃ~っ、制服が土まみれ……」

「うっわ、これはないわ。……おい、京崎。大丈夫か?」


「……あぁ、だいじょーぶ。あ~、荘史郎は?」


 翔は白いシャツを土まみれにして、反対側の手で左肩を抑えたような格好で立っていた。

 その姿が左肩をかばっているように見えた瞬間、ざっと血の気が引いた。


「おいっ、大丈夫か!? 肩を痛めたのか!?」

「……っ!? あ、あぁ。いや、どこも何ともないから!」


 夏の大会に向けて部活も熱が入っている今、肩を痛めるのは致命傷だ。

 思わず勢い込んで声をかければ、はっとした顔で翔は左肩に置いていた手を離した。

 そのまま何か探るように俺を見てくる。


「………………」


 最近何となくぼぉっとしている翔。

 こんなに暑いのに、白いワイシャツの下に厚手のタンクトップを着ている。

 左肩をかばうような格好、見方を変えれば右腕で胸元を隠しているようにも見える。


 さっき翔にタックルをくらったとき、俺の腕が翔の胸に思い切りぶつかった。


 翔の胸は、固かった。

 そりゃあもう、ガッチガチに固かった。


「…………」


 俺は無言で翔を見る。

 翔はさっと顔をそらし、ご丁寧にちょっと前かがみになって胸元を俺から隠した。


「…………」

「…………」


 この微妙な空気をどうしようかと思った時、はかったように昼休憩の終わりをつげるチャイムが鳴りだした。


「うあ~、あっぢぃ~」

「次の授業何だっけ」


 汗をぬぐいながら、校庭にいた連中は足早に校舎に戻っていく。

 滝のように流れる汗と、校庭の土ぼこりを浴びて皆ひどいことになっている。授業前に顔を洗ったり着替えたりするのだ。


「ほら、俺らも行くぞ」

「……あぁ」


 なんとなくぎこちない翔を置いて、さっさと校舎に戻る。


「部活で嫌ってほど走り回んないといけないのに、なぁんでこの炎天下の中でサッカーなんてすんのかねぇ。お前らマゾだろ?」


 顔を洗ったついでにタオルで身体を拭って教室に戻ると、村瀬が呆れたように声をかけてきた。村瀬の頭をはたいて自分の席に戻る。


 授業中、そして部活の間。翔は俺の様子をチラチラと伺ってきた。

 俺は気づかないふりをして、無視し続けた。


 が、部活が終わった帰り道。

 帰る方向が一緒の連中もだんだんとばらけ、家も近づき翔と二人になった頃。


「……気づいた、よな?」


 周りに誰もいないことを確認し、焦ったように翔が聞いてきた。


「あぁ」


 何が?とは俺も聞き返さず、ただそれだけを口にする。

 そんな俺の反応を見て、翔は大きくため息をつくと、自然な動作で自分の胸をトントンと叩いた。


「……やっぱな。最近荘史郎の視線を感じてたんだよ。結構うまくごまかせてると思ってたんだけど」

「…………」


 ……ばれていた。

 翔の胸を気にしていたのが、とっくに本人にばれていた。

 ものすごく焦って心臓がバクバクいっている。

 動揺が表に出ないように必死に隠す俺をよそに、翔は真剣な表情で顔の前で手を合わせた。


「頼む! 母さんには言わないでくれ!」

「えっ!? おばさん胸の事知らねえの!? ってか、それ自分ひとりでやってんのか!?」


 改めて翔の胸を凝視する。

 俺が思うにたぶん、漫画で見るようなサラシとかを巻いて、胸を押し潰している状態なんだと思う。

 てっきりおばさんに巻いてもらっているのかと思っていた。


「んん……、いろいろ布とか包帯とか巻いてみたけど難しくって。今はテーピング用の固い包帯をギッチギチに巻いてる」

「えっ、バカだろ」

「もう苦しいやら、暑いやらで息をするのも大変でさ。しかもずれないか心配なときもあるし……」


 もしかしなくても。

 最近もうろうとしていたのは、そのギッチギチにテーピングで締め付けた胸のせいなのか!


「何でおばさんに相談しないんだよ……」


 頭の中では「そんなに胸がでかくなってるのか……?」といらん想像が膨らみそうになって、慌てて胸から視線を剥がす。


 翔はやや俯くと、耳を赤くして押し黙ってしまった。

 俺の妄想がばれたのかと、隠し切れない冷や汗がどっと額から噴き出す。

 何ともいえない空気に焦っていると、翔がうつむいたままなにやらぼそぼそと呟いた。

 よく聞き取れなくて、もう一度言うように促すと。


「……母さんにばれたら、その……。ブ、……ブラジャーを付けないといけなくなるかもしれないから……」

「っ!!」


 翔がうつむいたままで良かった。

 一瞬視界が真っ赤になったかと思うくらい、一気に血がのぼって顔が熱くなった。

 打ち消す暇もなく、俺の頭は、胸のふくらんだ翔のブラジャー姿を思い浮かべてしまった。


 何て俺は最低なんだ!!


 思わず口を押え、不自然な勢いで翔から顔をそらした。

 そんな俺をどう思ったのか、翔はしどろもどろになりながら言い訳をするように、必死に言葉を重ねてきた。


「い、いや。いつまでも隠しとくつもりはない! ない、けど。その、1学期が終わるまでは、このままでいたいっていうか……。荘史郎以外にはまだばれてないと思うんだよ。でもさ、その、ブラとかつけてしまうと、もういろいろと隠し切れねえじゃん? 夏服なんか透けてしまうだろうし。そのさ、産業科の女子を見かけるたびに、ブラが透けて見えねえかなと目を凝らしてしまう俺だからさ、よけい何て言うの? ……あぁ、俺なに言ってんだろ」


 俺が何も言わないから、翔は焦って次々と言っては次第に自爆していってる。

 何か声をかけてやらないとと思うのだが、自分でした想像に自分でショックを受け、目の前の本人に声をかけることも視線を向けることすらできない。


「だから、頼む! 母さんにももちろん、先生にも内緒にしててくれ!!」

「…………わかってるよ、言わねえよ」

「さすが荘史郎! ありがとうな!」


 ようやくそれだけを絞り出した俺に、翔は満面の笑顔を向けてきた。

 だけど俺はその笑顔を直視できない。

 無邪気に俺を信用している相手に、俺は一体何をしているんだろう。


 心配事がなくなったせいか、翔は家に帰り付くまでいろいろと話しかけてきた。

 だけど俺はあいまいに返事することしかできず、翔が明るく話せば話すほど、どんどんと足が重たくなっていくような気がした。


 家に帰り付くと、真っ先に風呂場に向かう。

 冷たいシャワーを勢いよく頭からかぶった。

 顔を上げて鏡を覗きこめば、我ながらひどい顔をしていた。

 ついさっきまで「この変態な俺も俺なんだ」とか思っていたことなんて忘れるくらい、打ちひしがれている自分に思わず乾いた笑みがもれる。


 もう俺は翔に近づかない方がいい。


 自分がどうしても汚い存在に思えて、そう一人で決意する。

 いや、こんな醜い人間が傍にいるってことを見せつけて、もっと警戒することを覚えるようにしたほうが……。


「……はぁっ」


 だめだ。何だかショックが大きすぎて、自分でもわかるぐらいにドツボにはまっている。

 それじゃただの性犯罪者の言い訳じゃねえか。


 冷たくなりすぎて感覚の鈍くなってきた指を伸ばし、シャワーの温度を上げる。

 お湯が出始めて、強張っていた身体が自然とほぐれていった。

 少し落ち着いてきた頭で、もう一度冷静に考えてみる。


 やっぱり、翔とは距離をおこう。


 翔を傷つけないように、気づかれないぐらいに徐々に距離を離していこう。

 そうして、いろいろとシミュレーションまでしてみた。



 それなのに。



「荘史郎、母さんにばれた!!」


 俺の決意から2日後。


「頼む! 一生のお願いだ! 俺だけ恥ずかしいのは嫌だ!! ブラの買い物に、お前もついてきてくれっ!!」


 そんな電話がかかってきて。

 携帯をへし折らなかった自分を、もの凄くほめてやりたい……。




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