10話 林間学校 (中)
がばっとタオルケットを蹴飛ばしながら振り向けば、村瀬が翔のベッドに入ろうと柵に手をかけてかがんでいるところだった。
翔はというと、村瀬の為に場所を空け、ベッドの隅で膝を抱えて座りながら、飛び起きた俺をポカンとした顔で見ていた。
見回りの先生たちにばれないように遊ぶには、誰かのベッドでこそこそ集まってするのが一番だろう。
そうわかっているのに。
「そこに、行くんじゃねえよ」
自分でも驚くほどの冷え切った声に、蒸し暑い部屋の温度が下がった気がした。
違う。下がったのは部屋の温度じゃない。
二人の視線を受けて俺は気が付く。
冷え切っていたのは、俺の手足だった。
俺を見る翔の顔が強張っている。
目を丸くして言葉もない村瀬に、何か言わないとと焦って口の中が乾く。
意識しないで言ってしまったとはいえ、自分で招いたこの空気に、酸素が足りなくなってしまったような息苦しさで喘ぐしかできない。
「なによ、やっぱり一宮もしたかったんだろ? 素直じゃないねぇ」
「…………あぁ」
村瀬の呆れたような苦笑交じりの声に、思わず強張っていた身体の力が抜けた。
村瀬は翔のベッド柵に足をかけただけで、身体をひねって俺の方を見て笑っていた。
……良かった。村瀬はまだ翔のベッドには入っていない。
ほっとした途端に頭に浮かんだ思いを、激しく振って打ち消す。
翔はさっきよりもましとはいえ、まだ少し表情が固まっていた。
俺は気づかないふりをし、村瀬の勘違いのままに声をかける。
「一緒にやってもいいけど、俺のほうのベッドでしようぜ」
「へ、なんで?」
「俺が動くの面倒くせぇからだ」
村瀬は「お前は王様かよ!」と文句を言いつつも、俺のベッドに移動してくる。
村瀬の背中越しに翔を見れば、どこかぎこちない様子でおずおずと俺のベッドに移動してきた。
「……狭いな」
一人用のベッドに3人も座ると、なにやら圧迫感がすごい。蒸し暑いのでできる限りお互いの距離をとるものの、ムッとした熱気がお互いから確かに感じるような気がした。
「あ、ごめん。俺おしっこしたくなった」
「ふざけんな!」
何をしようかとカードの箱を取り出したところで、突然村瀬が言い出した。
「ごめん、漏れる。ちょっと二人で何をするか決めといて!」
「お前マジか! そのまま廊下で見つかってしまえ!」
村瀬はふざけて股間を抑えながら、「メンゴ、メンゴ」とか馬鹿を言いつつ部屋を出て行ってしまった。
「…………」
「…………」
めちゃくちゃ気まずい。
さっきから翔は俯いたまま黙っている。
俺、また翔を女扱いして傷つけてしまった。
外に漏れないよう、心の中でため息をつく。
翔からすれば、たんに友達と遊ぼうとしただけでしかない。
だけどさ、おばさんが心配してたじゃないか。
別に疚しいことしようとしてたわけじゃないし、しようとしても今の翔の身体でできるわけないけど。
だけど翔、お前は女なんだろ? 夜に、自分のベッドに男を入れちゃ駄目だろ。
言い訳をするように、頭の中でぐちゃぐちゃと考える。
誰に言い訳って? それは自分にだ。
なんで咄嗟に、あんな声で言ってしまったんだ。
村瀬が翔のベッドに入ろうとしたあの瞬間、俺が感じたのは、認めたくないけど『怒り』だった。
おばさんが心配してるとか、翔が本当は女だから、とかは正直頭になかった。
ただ、単純に目の前の光景にかっとなってた。
俺は一体どうしたいんだろう。
何をやってんだろう。
考えたくはない答えが、頭の中でちらつきだした時だった。
「……あの、ごめんな」
「……!」
翔がうつむいたまま話しかけてきた。
正直なところ、また説教をくらうか今度こそ怒られると思っていたので、予想外の言葉に返事をしそこねる。
「俺、一応女なんだから、こういうのはまずいよな……。俺がこんなんだから、母さんに心配かけてしまうし、荘史郎にも気を使わせてしまうんだよな……。考えが足りなかったって、本当に反省してる」
「あ、いや……」
翔は顔を上げて俺と目を合わせた。
反省をしているためか、物憂げな表情で見上げられ、思わずどきっとしてしまう。
「あの、これ以上母さんに心配をかけさせたくないんだ。この事は母さんに内緒にしててくれ。すっげぇ反省してるから、頼む!」
「あ、あぁわかった。っていうか、そんなこと言うわけねぇし」
だから離れろ。
必死なのか、翔はぐいっと俺のほうに身を乗り出してくる。
近づかれたぶんだけ、俺は狭いベッドの中どうにかして身を離す。
お前さ、反省してるって言うけどさ。
今、男のベッドに二人でいるのわかってんのか?
部屋の電気はまだついてるけど、この電気微妙に薄暗いんだよ。
しかもベッドの1階は陰になってて、この狭い空間がさ、何かこう……。
妙な感じなんだよ。
いや、お前はどう見ても男にしか見えないけどさ、お前、本当は女なんだから……。
思考が何だかよくないほうに向かっている。
これはあれだ、翔が女だったと聞いたばかりで、混乱していたときの状態に似ている。
いつかの雨の日のように、男にしか見えない翔の現実を見て冷静にならねば。
そうやって改めて目の前の翔を見て、ハッとした。
さっき太ったと思った顔やむき出しの二の腕は、太ったというより何だか全体的に翔の雰囲気が柔らかくなったように見える。顔つきも何だか……、そう、前に比べて柔らかい感じに見える。
髪も5月に比べて伸びていて、つまめるくらいにはなっている。野球部の頭にはもう見えない。
つまり、この薄暗いなかでは、翔は女の子に見えなくもなかった。
やっべ! ますますまずいじゃん!
何か、この狭い空間で、疚しいことしてるような妙な気持になってくる。しかもここ、ベッドだしな!
あぁ、この照明が駄目なんだよ! この変に薄暗い照明のせいなんだよ!
健全なお日様の下で翔を見れば、男にしか見えないはずなんだよ!
思わず翔と距離をとる俺の背中を、つうっと汗が伝う。
「村瀬のバカ、遅いな」
翔が入口の方に目をやる。
そうだよ! 村瀬の奴はいつ帰ってくるんだよ!
早く帰って来いよ、あのバカ!!
お前のせいで、俺はこんな錯乱状態になってるんじゃねえか!!
「あ!」
「……っ!!」
部屋の電気がいきなり消え、代わりに避難用照明のほのかな緑の光が灯った。
消灯時間だ。
「……あいつ、消灯までこんくらいの時間しかなかったのに、何をやる気だったんだ」
翔が暗闇の中、ごそごそと布団の上のトランプを探している。
「……っ!」
膝を軽く撫でられ、全身に鳥肌がたった。
「あ、わりぃ。……あれ?」
翔はさらっと俺に謝ると、何かを手に取った。
次の瞬間パチッと音がして、視界が光に包まれる。暗闇に慣れ始めていた目には眩しくて、とっさに目を反らした。
「あいつ、懐中電灯なんて持ってきてやがったよ」
「……馬鹿だな」
あきれた顔で翔が懐中電灯を持っているのが、浮き上がって見えた。
この光の中で見える翔は、男に見えたのでちょっとホッとした。
「こら! 消灯時間前にトイレは済ませとけって、あれほど言っただろうが!」
「うわっ、後藤先生!!」
ドアの向こうから、突然ゴリの叱咤する声と、情けない村瀬の悲鳴が聞こえてきて、思わず俺と翔はびくっとなった。
翔が慌てて懐中電灯を消し、部屋はまた暗闇に包まれる。
俺と翔は思わず身をすくませ、息をひそめて廊下の様子をうかがった。
「そもそもお前の部屋はそこじゃないだろうが」
「あ、すいません! 部屋を間違えました!」
「お前の部屋は、右に2つ先のその部屋だ」
「すいません、すいません! すぐに戻ります!」
廊下を慌てて走り去っていく音と、「静かに行け!」とゴリが声をかけるところまで聞いて、思わず大きなため息が出た。
「あいつ、何をしにきたんだ」
「本当にな……」
廊下のやり取りを聞いたおかげで、俺は冷静さを取り戻した。
翔に、自分のベッドに戻るように声をかけようと口を開いたが。
ゴリのスリッパを履いた足音が、俺たちの部屋の前まで来ていていることに気が付いて、固まった。
『荘史郎!』
『お、おいっ!』
いきなり翔に突き飛ばされ、後頭部をぶつける勢いで布団に倒れこんだ。
何が起きたのか理解する前に、顔にまで雑にタオルケットをかけられる。
ドアのすぐ側にゴリがいるために大声を出せず、更に息苦しいタオルケットを顔からひっぺ剥がしていると
翔がタオルケットの中に潜り込んできた。




