僕の朝
「っ……」
「ほら、力抜いて……」
女の艶やかな声とともに指が背中を這う。ゆっくりとなぞる動きの指にぴくりと肩が震えた。
「ちょ、早く――」
「そんな急かさないで――」
「いや早く終わらせろよ! 遊んでるだろ、君!」
うつ伏せになった自分に馬乗りになっている女はいたずらっぽく舌を出して背中をとんとんと軽く突く。数秒すると女は降りて一つに束ねた髪を揺らしながら言う。
「とりあえず終わり。また来月いらっしゃい」
脱いだ上着を素早く着て女を睨む。
「ったく……別にそんなに時間かからないんだから遊ばないでよ」
女はクラウディアという闇医者だ。資格は持ってはいないが自分の知る中でもトップクラスの技量を持つ医者で、通常の治療だけでなく呪術に関する解呪やダンジョンにおける特殊な異常も熟知している。闇医者ということもあって表立って依頼できないような人間も依頼をしにくることから交友関係も相当広い。正直、かなりの美女ではあるのだが顔の右側がひどく爛れていたり傷ついているため初めて見る人間は驚いてしまうだろう。体も出るところは出ていているわりにすらっとしているため顔の痕がなければ誰もが振り向く美女に違いない。
面白くなさそうに近くにあった煙草入れを振り、一本咥えて火をつける。こちらに箱を向けてくるがいらないと首を横に振るとまたつまらなさそうにそれを仕舞った。
「まあ、あんたを見ると面白くてね。いっそ切り落としてマジで女になっちゃえば?」
「死ね」
最近レブルスに似てきた気がするなぁ、自分。まああいつが聞いたら「やめろ」って鬱陶しそうにするだろうけど。
「まあ性転換したいなら相談してちょうだい。なんなら下半身の――」
「しないって言ってるだろう。僕は男だ」
「男なのはわかるけど……あんた母親の胎で性別間違えたんじゃないのってくらい可愛い顔だし……声も男にしてはまあ高い方だから」
「声変わりはしたんだがな……もっと低くなる方法とかないかい?」
「あるにはあるけど性転換をおすすめしとくわ」
「しない」
しつこく性転換を勧めてくるのはどうかと思う。
「にしてもあんたも面倒なやつだよねぇー。あんまり気にしすぎるのもどうかと思うけど?」
「……君は患者に対して深入りしないんじゃないのか?」
「しないけど、あんたはもう半分身内みたいなもんだし」
引き出しをがさがさと漁りながら中指ほどの大きさをした水色の瓶を取り出して投げつけてくる。なんとなく読めてはいたので普通にキャッチするとクラウディアは紙を見ながらため息を吐く。
「ほんっとあんたって面倒ね……。はい、これ診察結果」
薄茶色のそれは、あるダンジョンの素材から作られる安い紙。その素材のおかげで安価で紙が大量生産が可能になったのは十数年前のこと。今じゃ些細な事にも紙を使えるのだから便利な世の中だ。
「……全然変わらないね」
「不変ね。一人知り合いに恐らく治せそうなやつはいるけど……」
「でも断られたんだろ? 君に治せないならおそらくそいつくらいしか治せないんだろ」
だから、きっと完治はしない。嘆息。わかってはいるがこの不便な通院を続けるのも悩ましい。
「今度直接会って頼んでみなさいよ。あいつ気まぐれだからあんたが直接頼めば気が向くかも」
「そいつ、あの『劇薬道化師』だろ? 何されるかわかったもんじゃない」
どんな人間化はわからなくとも、有名ならば多少の噂は耳に入っている。どれもロクでもない噂だ。
「んー、まあそういうなら無理には言わないけど……」
クラウディアはフーっと息を吐く。煙たい空気。あまり好きではないが仕方ない。
「あんた冒険者やめてヒモにでもなったら? そのツラならどこでもやってけるわよ」
「死んでもごめんだね。そもそも、僕の能力知ってるくせに」
「ああ、女神の施し? あれねぇ……知ってるけどあれは人間を狂わせるわよ」
クラウディアの言わんとしていることは理解できる。宝箱からの秘宝は人間を狂わせる。売れば大金、扱えば無双の一振り。そんなものが手に入る能力なのだ。
僕という存在があればいい。僕は宝箱をあければいい。
それだけで、人間は醜悪になる。
「……大丈夫、彼らなら大丈夫だって信じてるんだ」
「仲間? まああんたが長くいれた仲間なんてそうそういなかったし、あんまり期待はしてないけど」
肩を竦め、クラウディアはまだ途中だというのに灰皿に煙草を押し付けて消してしまうと近くにあった棒付きの飴玉をくわえてミシェルに言う。
「あ、その相棒とやらは“ソレ”知ってるの?」
ソレ、とは自分がここにいる理由だ。あえて口にしないあたり嫌なやつだ。
「言ってないし言うつもりはない」
「……はーん、結局あんたも変わらないね」
がりっと飴を噛み砕く音がまるで合図のように診察室の扉が開かれる。
「ねーちゃ――――――――ん!!」
突風の如き鋭い動き、というか目にも留まらぬ早さで扉からクラウディアに抱きついた男は見知った人物だった。
「……カーティス、久しぶり」
「え、ああ、うん。誰だか忘れたけど久しぶり」
あっけからんと言ってみせるこの男はクラウディアの弟、カーティス。こちらに微塵も興味がなさそうな素っ気ない眼差しがほんの一瞬だけ向けられ、すぐさま姉ことクラウディアへと戻る。
「……カーティス。客に対してその態度はやめろ。お前ももういい大人なんだからな」
「姉ちゃんがそう言うなら!」
とは言うがこちらは見ない。どことなくだが、カーティスはまるで幼い子供のようだ。見た目こそ20に差し掛かるであろう年頃なのに。
この国は16で成人となる。確かカーティスが19歳でクラウディアが21歳。どう考えても二人は大人だ。
クラウディアはともかく、カーティスの雰囲気は19のそれとは思えなかった。
(僕より歳上なんだよな、彼……)
「診察は終わりなら僕は退散するよ。カーティスにも悪いしね」
「悪いわね。にしても、王都から離れているのに通うの、面倒じゃないの?」
「王都に来る用事はちょくちょくあるから問題ないよ。王都は物価高いしね……」
そう、ここは王都と呼ばれる場所。オルテンシアの町とは途方も無い距離がある。しかし、技術は進歩するもので、現在はオルテンシアの町から王都に一瞬で移動できる施設があるため金さえあれば問題はない。
クラウディアの病院はこの王都の影、スラム街に位置している。
「それに、今回は王都でスカウトするつもりだから」
「あらそう。まあがんばりなさい。最近王都は物騒だから背後には気を配りなさいよ」
「……ん、ああそういえば最近の王都ってなんかあったの?」
ここに来る途中、どこか忙しない雰囲気の街だったが情報収集はあとでいいと判断したため詳細は知らない。
「んー、まあ例の“ハイエナ”が王都に潜り込んだとかー、巷で噂の“炎使い”が事件を起こしたとかそんなところかしら」
「ふーん」
なら自分にはあまり関係のない話だ。
背を向け、病院から出ると薄暗いスラム街の一角が映る。
薄汚れた浮浪者の男。やせ細った子供。息をしているかも怪しい、横たわる人間。
それらから目を背けながら足早に立ち去ろうとして服の裾を掴まれる。10歳にも満たないような少女が花を持ちながらか弱い声で言った。よく見るとその後ろに弟なのか小さな少年もいる。
「おねえちゃん、おはな買って」
示された花は金銭を支払ってまで買うようなものではない。どちらかといえばしおれているような花。籠にはまだ沢山詰まっている。
振り払いたい衝動をこらえ、周囲を見渡す。こちらに注意を向ける人間はいない。
「一本じゃ買わない。その籠ごとなら買い取ってもいいよ」
ざっと確認した所、籠は50ニルもすれば買えるだろう。花はそこそこ量はあるが全部合わせても200ニルにも届かないはずだ。懐から500ニル硬貨を4枚少女に握らせて籠ごと奪う。あまり施しているのを見られると、子どもたちから金を奪おうとする人間が出るからできるだけ強引に、金額は言わず。
握らされた硬貨を見て少女はぽかんとするが金額を理解したのか何度もこちらと硬貨を見てくる。あんまり不自然な動きはしてほしくない。
「さっさと行きなよ。それでやっすいパンでも買えばいい」
2000ニルあれば節約しても10日分のパンは買える。王都は物価が高いがスラム街近くの店なら比較的値段は安い。
嫌な客を装っているのを少女は理解したのか頷いて弟を引き連れて去っていく。頭のいい子だ。なにもわかっていないのかぶすくれた弟はこちらを恨みがましく見てくる。きっと2000ニルの重みがまだわからないのだろう。
ダンジョン冒険者にしてみれば2000ニルなどあっという間に消える端金だ。だがこのスラム街や貧しい土地では数日の食事が保証できる。もちろん冒険者も節約すればそうなのだが、大抵はもっと上を求めるため2000ニルという金額がどれだけあの子どもたちにとって価値あるものか忘れている。
自分もそうだった。一日に3万ニル程度稼ぐのが当たり前だと思っていた時期もある。けれどこの子どもたちは一日100ニル稼げればちょっとした贅沢のできるというギリギリの生活をしているのだ。
冒険者はあらゆる理由で金がかかる。
あのレブルスさえも、2000ニル程度じゃ端金と思っているだろう。というより、彼は実際恵まれているから気づいていない。
きっと冒険者に2000ニルも子供に与えるやつはいないだろう。なぜなら無意味だからだ。
たとえこの数日空腹が満たされても、金は増えるわけではない。
意味のないこと。あの二人の子供が僅かな間、空腹から救われるというだけのこと。
偽善者のやることだ。
今まで何度も見捨ててきたのに、今日この日はよく知りもしない子供に施しを与えてしまった。
そんなことして、何の意味があるのか。
「……感傷的になりすぎた」
道端に籠を置いて花を散らす。籠はあの子が見つけたら拾うかもしれない。
「……はあ」
自分はもっと冷たい人間だと思っていた。けれど、自分で思うより案外お人好しなのかもしれない。
もしそうだとしたら、レブルスたちが少なからず影響しているのだろう。
「さて……気持ちを切り替えなきゃな」
これから行く先は王都の冒険者協会。恐らく最も冒険者が行き交い、様々な思惑の蠢く場所。
そして、“あいつ”がもしかしたらいるかもしれない。
「遠征に行ってるといいんだけど……」
そんな呟きを漏らしながら、ミシェルはスラム街を後にした。




