哀しみの戦果
朱雀は悲しい目をしながら言う。
「あなたには、私を倒さなくてはいけない理由があります。こんな母を許してください……」
「そ、そんな……あんまりです。せっかく会えた本当の母さんと戦わなくてはいけないなんて……」
「ミネルヴァ……こんな私でも、母さんと呼んでくれるのね……もっと早く、あなたを探すことが出来たのなら……いいえ、こうなってしまったのも私の弱さです。全力で来なさい!」
朱雀はそう言うと、纏っていたバリアを自ら開放した。
紅蓮にはためく翼は血よりも赤く、嘴はマグマの如く飽和していた。
「母さん……戦うことでしか、わかり合えないのですね……わかりました……」
「ミネルヴァ、正気か? 仮にも実の母親じゃないか? 俺だってマナには世話になった。このまま指を加えて見てる訳にはいかない……」
身を乗り出すアレイスをイシュケルは止めた。
「アレイスよ……ミネルヴァとて我々と同じ気持ちだ。ここは任せよう……」
「くっ……」
イシュケルに取り押さえられ、アレイスは後方に下がった。
「さぁ、来るのです」
ミネルヴァはこれまでの思いを両手に宿し、凍てつくほどの冷気をかき集めた。
「そう、それでいいのです……」
徐々に増幅して行くミネルヴァの魔風水。“悪い夢なら覚めて”と祈りながら、ミネルヴァは解き放つタイミングをワンテンポ遅らせた。 だが、やはりこれは紛れもない現実であった。
「さぁ、何をしてるのです」
朱雀に攻撃の意志がないように思える。まるで、我が子に倒されるのを待っているかのようにも見えた。
それを知ってか知らずかミネルヴァは更に魔力を高め、遂には想像を絶するまでの巨大な氷の塊を作り上げた。
バリアを開放した火属性の朱雀が、これを喰らえばひとたまりもないだろう。
「母さん……お望み通り、あなたを倒します。これが――今私の持てるだけの力です」
ミネルヴァはフッと肩の力を抜き、その氷の塊を朱雀に投げ付けた。
氷の塊の後には、キラキラとダイアモンドダストが広がった。
氷の塊はますます巨大化し、朱雀に飛び込む。
朱雀は全てを受け止めるが如く、翼を広げる。
「マナ――っ! 逃げるんだ!」
朱雀はアレイスの言葉を聞くことなく、優しく微笑んだ。
「さようなら……ミネルヴァ。こんな母さんを許して……最後に一言だけ言わせて……私は誰より、あなたを愛していた……」
氷の塊は非情にも朱雀を包み込み、紅蓮に染まった身体を凍てつかせていった。
「母さん……母さん――っ!」
ミネルヴァの悲痛な叫びは届かず、朱雀は溶けていった。
――ミネルヴァ……私はあなたをずっと見守っていますよ。どうか、自分を責めないで下さい。
何処からともなくマナの声がすると、溶け落ちた場所に小さな雪の結晶が残った。
「母さん……私もあなたを愛しています」
ミネルヴァの拾い上げた雪の結晶は手のひらで溶け、やがて蒸発して消えた。
――全てが終わったのだ。
そして――静まり返る異界に佇む宮殿の扉が、怪しく光る。
「宮殿の扉が光っている……」
アレイスがその扉に触れると、物々しく開いた。まるで、アレイス達を導くかのように。
「これは……」
宮殿に誘われ、アレイス達は中へと足を踏み入れた。
すると、扉はひとりでに閉まった。
「くそ……閉じ込められたか……」
あらゆる手を尽くすも、扉は開くことはなかった。やむを得ず、アレイス達は宮殿の奥へと進む。
進んだその先には、邪悪な影が三体待ち構えていた。
邪悪な影の正体が燭台の火に照らされ、明らかになって行く。
一人は黒い甲冑を纏い、大剣を持つ男。
一人は黒いローブにトンガリ帽子を被った魔術師。肩まである金髪の髪が見えるが、帽子を深く被っている為、性別の判断はつきにくい。
そして最後の一人は禍々しい黒い仮面を被り、黒装束を纏っている。
魔術師と同じく、性別の判断は出来ない。異国で言う忍者的な風貌だ。
お互い存在に気付くが、間合いを取りまだ言葉は交わさない。
邪悪な気配はあるが、アレイス達は相手の出方を伺っていた。
やがて、黒い甲冑を纏った男が口を開く。
「ここまで来たということは、騎馬四天王を倒したということか?」
直ぐ様アレイスは言葉を返す。
「だったらどうだと言うのだ? それより貴様らは何者だ?」
挑発とも取れる強い口調でアレイスがそう言うと、再び黒い甲冑の男がそれに答える。
「これは、これは、失礼した。我々は、“黒き三人衆”――異界と魔界を守る言わば門番だ。そして、私は一番隊長“ガーム”だ」
「同じく“キンティ”。宜しくね」
ガームに続きトンガリ帽子が言う。
その声から、女性だと言うことがわかる。
「そして、こいつは“シュマ”だ」
「…………」
ガームがそう言うも、シュマは言葉を発しない。
「すまない……こいつは声を失っているのだ」
シュマは丁寧にお辞儀だけをした。
邪悪な気配がする割には、ちゃんとした受け答えに好印象を持てる。
そして、アレイス達も名を名乗った。
「ところで、ここから出たいのだが、扉が開かなくて困っている。何か手立てはないか?」
アレイスがそう切り出すと、キンティが答えた。
「それは無理だよ。ここに来たら、この先に進むしかないんだもの」
「そうなのか? では父上、先に進みましょう」
「うむ。黒き三人衆とやら、世話になったな」
「待て!」
ガームがイシュケルに大剣を突き付ける。
「何の真似だ?」
「誰が通っていいと言った? 我らを倒さぬ限り先には進めぬ。それが掟だ……」
それはどちらか一方が、ここに屍を晒すことを示唆していた。
「俺達に勝てると思っているのか?」
「大した自信だな? たかが騎馬四天王ごときを倒したくらいで、いい気になるなよ」
ガームは先ほどとは打って代わり、冷たい表情を見せる。
「仕方あるまい……」
イシュケルは鞘から刀を抜いた。
「やる気になったね? どのくらい強いか楽しみ~」
「ちょっとキンティ。あたし達本当に強いけど……。無駄な戦いはしたくないの……だからお願い、そこをどいて」
睦月はキンティを気遣い、そう言った。
「キンティ、お前も舐められたもんだな。フハハハ」
「ちょっとガーム。酷くない? あたい、完全にあったま来た!」
「キンティ、そう熱くなるな。アレイス殿、そう言うことだ。悪く思うなよ。キンティ、シュマ行くぞ!」
「オッケー」
「…………」
黒き三人衆は身構えた。
「父上、やるしかないみたいですね。皆、行くぞ!」
アレイス達も陣形を取り身構えた。
だが、ただ一人ミネルヴァは項垂れ、憂いを隠せずポツリと言った。
「もう誰も死んで欲しくないのです……」
明らかにミネルヴァは戦意を失っていた。確かにそうだろう。やっと巡り会えた本当の母親を、自らの手で亡き者にしたのだから……。
アレイス達は、ミネルヴァの気持ちが痛いほどわかっていた。
今まで一緒に旅をしてきて、幾多の困難を乗り越えて来たが、今回ばかりは精神的なダメージが大きいと痛感していたのだ。
そんなミネルヴァに、アレイスは声を掛ける。
「何の為にここまで来たんだ。育ててくれた両親の為にも、マナの為にも戦うんだ」
「いやぁ……」
「甘ったれるな!」
アレイスはミネルヴァの頬に平手打ちを喰らわした。ミネルヴァは髪を乱しながら床にへばりついた。
「……争いは何も生まない。ねぇ、教えてください。私達のやっていることは正しいのでしょうか? ……わかってる……わかってるけど、答えが出せないのです」
「ミネルヴァ……誰だって争いはしたくないものよ。でも、平和を取り戻すにはこれしかないの。強くなって……」
「睦月……」
ミネルヴァは睦月に諭され、再び立ち上がった。
「立派だ……」
ガームはその姿を見て拍手を送った。
そして、更にガームは言った。
「だが、戦いとは非情なものだ。その甘い考えが命を落とす原因になりかねない。私情は捨てるんだな! さぁ、今度こそ行くぞ! 剣を取れ!」
ガーム達は一斉に襲い掛かって来た。
まずは小手調べと言わんばかりに、ガームとアレイスが剣を交える。
イシュケルはシュマと、睦月とミネルヴァは、キンティと組み合った。
いち早く猛攻になったのは、イシュケルとシュマだ。
シュマの得意武器は、鎖鎌と手裏剣だ。懐から取り出す手裏剣は、丁寧に研磨され妖艶な輝きを伴う。
「飛び道具か……よかろう……」
「…………」
表情も呼吸さえもわからぬシュマは、両手に手裏剣を構えイシュケルに放つ。
「容易い……」
体勢を屈め手裏剣を避ける。
――しかし……。
シュマの手元に戻るかのように手裏剣は引き返しながら、イシュケルの両腕を引き裂いた。
「ぐはっ……」
「…………」
シュマは禍々しい仮面を気にしながら、手裏剣を手に収めた。
「成る程……。雑魚ではないようだな……ならば、今度はこちらから行かせてもらう!」
イシュケルは瞬時にスピードタイプにチェンジし、横一線に刀を振り抜く。シュマも鎖鎌を構え応戦する。
シュマの鎖鎌は攻撃範囲が狭く、イシュケルの刀との相性は悪い。
最大限に素早さを生かし刀を振り抜くイシュケルに、シュマは懸命に食らい付いていった。
「…………」
シュマは一瞬の隙を見て間合いを取る。そうさせまいと、イシュケルは詰め寄る。
しかし、スピードはシュマに軍配があるようだ。シュマは懐から煙玉を出し床に叩き付けた。煙玉から発する灰色の煙が、視界を悪くする。
「チッ、姑息な手を……」
イシュケルは自らの視力を諦め、目を瞑った。
――心の目で感じるのだ……。
刀を構えたまま辺りを伺う。
「そこか――っ!」
イシュケルの刀は、見事シュマの心臓を捉えていた。しかし、手応えはない。手応えはないが、シュマは床に倒れ込んだ。
「…………」
シュマは最後の力を振り絞り、禍々しい仮面に手を掛けた。外された仮面の奥は肉体が存在せず、がらんどうだった。
「シュマ――っ! 何と言うことを……」
「…………」
シュマにガームが駆け寄るが、それは事切れた後だった。
「シュマはあの仮面がないと生きられなかったのだ……」
「ガーム……では何故、自ら?」
「イシュケル殿、恐らく自らの敗北を認め自害したのであろう……」
「なんだと……」
イシュケルは敵ながら感服した。言葉を交わすことは出来なかったが、ここに戦を重んじる、一人の戦士の姿をを見た。
「ガーム、余所見をするな!」
アレイスは仲間を敬うガームに斬り付けた。
「戦いとは非情なんだろう? さぁ、行くぞ!」
「そうであったな……私としたことが失礼した。行くぞ! アレイス殿」
横目でイシュケル達の戦いを見ていたアレイスも、本当は同情したかった。だが、これは命を掛けた戦い……今のアレイスに、手を休めるという選択肢は存在しなかった。
一方、睦月達は二対一ということもあり、キンティを劣勢に追い込んでいた。
ここでイシュケルが助太刀に入れば、勝負は簡単に片がついたであろう。しかし、イシュケルはただ戦況を見守った。
相手が紳士的態度を取る以上、卑劣な手は使いたくなかったのだ。それが、イシュケルなりの礼儀でもあった。
「ミネルヴァ、一気にやらないと駄目みたいね」
「わかってます」
「ちょ、ちょっとタイム~。二人がかりでズルいよ。一人ずつ、あたいにかかって来てよ」
「どうするミネルヴァ?」
「キンティの意見も一理ありますね」
「さすが、ミネルヴァちゃ~ん。最初に死んでもらうのは、ミネルヴァちゃんにき~めた」
キンティはトンガリ帽子を揺らしながら、氷の魔法を詠唱する。
ミネルヴァも負けじと氷の魔風水を放つ準備に取り掛かる。
「いっくよ~。逃げた方が、負けだよ」
「私、負けません……」
巨大な氷と氷の塊が犇めき合う。
宮殿内が、一気に冷え込む――。吐く息は白く、体感的には氷点下を下回っているだろう。
氷の塊は削り合い、徐々に小さくなっていく。
二人共、慌て魔力を追加する。
「こぉの~」
「負けません~」
押し潰されそうになるほど、氷の塊が再び巨大化していく。こうなれば、気を抜いた方が負けだ。
双方の氷の塊は激しい音を立て崩れ落ちた。
――一気に氷の塊が拡散する。
細かく散った氷は、煙のように辺りに立ち込める。
睦月はどちらが立ち上がるのか、固唾を飲んで見守った。
「ミネルヴァ……立ち上がって……」
煙のように舞い散った氷が全て床に溶け落ち、視界を確認出来るまでになった。そこには、一人の影が見える。
「ミネル……ヴァ?」
睦月は願いを込めその名を呼んだ。
「ふぅ……私、やりました」
睦月の願いは叶い、そこにはミネルヴァが立っていた。
ミネルヴァの無事を確認すると、睦月はキンティのもとへ駆け寄った。
「キンティ……生まれ変わったら、味方でありたい……」
睦月は冷たくなったキンティを抱き寄せ、死力を尽くしたことを労った。
そしていよいよ残る黒き三人衆はガーム一人になり、運命はアレイスに委ねられた。
 




