鬼神の如き強さ
――漆黒の闇が包み込むこの世界。
アレイスは再びこの地に戻ってきた。
相変わらず草原は何処までも広がり、闇は無情にも孤独を運んでくる。だがしかし、そんなことも言ってはいられない。守るべき人の為に、自然と足は動いた。
アレイスは睦月と離れ、一つの感情に気付き始めた。それは“睦月への想い”だった。
幼馴染みだったが故に、気付かなかったその想い。離れて初めて芽生えた感情だった。
――早く睦月に会いたい。
その感情だけが、彼を揺り動かしていたと言っても過言ではない。
大地を蹴り、風を切り、レインチェリーを通り抜けようとすると、誰かが呼び止める。聞き覚えのある、懐かしい声に足を止めた。
「アレイス……アレイス?」
聞き覚えのある声の主は、この世界に来て一番の恩人“老婆ベリー”だった。
「ベリー、久しぶりだな? よく俺だとわかったな」
「な~に、私は目が不自由じゃて、雰囲気でわかるんじゃ」
アレイスは今初めて知った。ベリーの目が不自由だったことを。それ故、人を感じる能力が優れていたのだろう。
「そうじゃ、待っておれ」
ベリーは何かを思い出したかのように一旦レインチェリーの自宅に引っ込むと、何やら風呂敷に包まれた荷物を持ってきた。
ドサッっと、音からしても重量物だと察しがつく。
「ふぅ……年寄りには重くて敵わん……アレイス、風呂敷を開けてみるんじゃ」
ベリーに言われるがまま風呂敷を開けると、黄金に輝く龍神の刺繍が施されたマントが入っていた。
「これは……」
「王者のマントじゃて。じいさんの形見じゃが持っていけ! 先日のお礼じゃ」
「そんな大事なもの……」
「タンスの肥やしにするより、必要とする者に使ってもらったほうがじいさんも喜ぶわい」
「すまない……ベリー」
アレイスは使い古した王子のマントを脱ぎ去り、黄金に輝く王者のマントを羽織った。
「よく似合っておる」
「凄い。装備した瞬間、羽衣のように軽くなった。ベリー、ありがとう」
「な~に、礼なら死んだじいさんに言っとくれ」
ベリーはそう言うと、アレイスに背を向けた。
「早く行っておやり。お前さんの大事な人が待ってるんじゃないのか?」
「何故それを……」
「私にもわからん。強いて言うなら、長年のカンてやつかのう……さぁ、アレイスよ。行くんじゃ」
「ベリー……本当にありがとう」
アレイスはこれまでの遅れを取り戻すかのように、大地をを駆け出した。
それは素晴らしいほど速く――恐らく王者のマントのお陰であろう。
やがてアレイスは、シルキーベールと港街の分岐点にやって来た。
「くそ……どっちにいったら、いいんだ……」
アレイスが選択に困り果てていると、嘆きの剣が口を開いた。
――我が主よ、港街より血の臭いがする。それも二つだ……。
「まさか、睦月達の身に何か?」
アレイスは考えるより先に、行動に出ていた。既に、足は港街へと向かっていたのである。
――徐々に強まる潮の香り。沖からの冷たい風に乗って、死臭を運んでくる。
「誰かの命が、消えようとしている」
――更に駆け巡る。
「何処だ?」
「何処にいる?」
「見つけた!」
桟橋で、龍の魔物と一人戦うミネルヴァの姿を肉眼で捉えた。
「父上と睦月は……」
そこへ辿り着くと、瀕死の状態で横たわるイシュケルと睦月の姿があった。
「父上――っ! 睦月――っ!」
僅かに息はあるが、虫の息である。
「ミネルヴァ、すまなかったな……」
「本当に、アレイスなんですか?」
「あぁ……」
「良かった……」
ミネルヴァは事切れたかのように、膝から沈んだ。
「何だ? 貴様! ノコノコと……こいつらの仲間か?」
「だったらどうすると言うのだ?」
「殺すに決まってるだろ!」
「お前がこの俺を? 笑わせるな。仕方ない……相手になろう」
アレイスは鞘から剣を抜き構えた。
剣を構えるアレイスに、青龍は一直線に襲い掛かる。
イシュケル達を苦しめた鋭い牙が、妖しく輝きアレイスに狙いを定める。
「死ね――――っ!」
「フッ――」
捉えた筈のアレイスはそこにはなく、虚しく牙は空を切った。
「何処へ消えた?」
「何処を狙っているのだ。俺はここにいるぞ!」
「何?」
アレイスは青龍の斜め後方から、腕組みをしながら不敵な笑みを浮かべる。
「やはり、大したことないな……」
王者のマントが風に揺れ、眩いばかりの光が辺りを照らす。
「何だと? 馬鹿にしやがって! 真の恐怖を味合わせてやる!」
怒号を上げた青龍は怒り狂い、闇雲に巨体をうねらせながら空へ上昇する。
「全て吹き飛べ!」
頂点に達すると、急降下しながら開口する。
「隙だらけだな……」
アレイスは左手一つでその攻撃を受け流す。
「どうした? 俺をがっかりさせるな。もっと、本気で来ていいんだぞ!」
明らかに挑発とも取れる言葉に、青龍は言葉を失った。
「わかった……負けを認めよう……」
青龍はアレイスに恐れをなしたのか、敗北を認めた。
「ならば、今すぐここから消えろ!」
「わ、わかった……」
青龍は蜷局を巻きながら、海へと帰っていった。
――かのように見えたが次の瞬間、イシュケル達に狙いを定め巨体を反転させた。
「騎馬四天王を舐めるな! 道連れにしてくれるわ!」
横たわるイシュケル達に、青龍の鋭い牙が向けられる。
――刹那。
「残像魔斬鉄…………。生かしてやった命を粗末にするとは……」
多方向から炸裂したアレイスの残像魔斬鉄の餌食になった青龍は、断末魔を上げることなく屍を晒し海の藻屑と消えた。
圧倒的破壊力を持つ、アレイスの前に敵はいない。
やがて波は穏やかになり、柔らかな風を運んできた。
「ふぅ……こんなところか……」
アレイスは鞘に剣を納めると、イシュケル達のもとに駆け寄った。
「父上……睦月……」
傷付いた二人をヒョイと抱き抱えると、持っていた薬草を塗り込んだ。完治とまではいかないが、これで歩けるくらいにはなるであろう。
そこにミネルヴァも駆け寄る。
「ミネルヴァ……すまなかったな」
「いえ、アレイスのお陰で助かりました。イシュケルと睦月は?」
「今、薬草を塗り込んだところだ。時期に目が覚めるだろう……」
「でも、驚きました。こんなに強くなって帰ってくるなんて……」
「ミネルヴァの方こそ。よく頑張った」
「てへっ」
ミネルヴァは安堵からか、珍しく舌を出して戯けてみせた。
「それより、その赤い髪はどうしたんだ?」
「私にもわかりません。精神を解放したら、赤く染まっていました」
アレイスはふと、マナの言っていたことを思い出した。
“私にも貴方くらいの娘がいます。名前はミネルヴァ”
マナと同じ髪の色になったミネルヴァを見て、一つの疑問が浮上した。
「なぁ、ミネルヴァ。一つ聞いていいか? 答えたくないなら答えなくてもいい……。ミネルヴァの死んだ父さんと母さんは、本当の親か?」
「――っ!」
ミネルヴァは一瞬凍り付いた表情をみせた。だが、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「本当の父と母ではありません……幼い頃、捨てられていた私を本当の子供のように育ててくれました……。だから……父と母は本当の親だと思っています」
「そうか……」
アレイスは“まさか”と思ったが、それ以上何も言わなかった。
「うっ……うっ……」
「目が覚めましたか、父上!」
「ア、アレイスよ。生き返ったのか? すまない……私としたことがこのザマだ」
「イシュケルは私達を庇って傷付いたのです」
「そうでしたか……生きていて何よりです」
「青龍はどうした?」
「俺が倒しました」
「何だと? お前一人でか?」
「ええ……」
イシュケルはこの短期間で、凄まじい進化を遂げた我が子に驚いた。
「う~ん……」
「睦月! 気が付いたか?」
アレイスはそっと睦月を抱き寄せた。
「睦月、すまなかったな。敵は俺が倒した」
「アレイスが“俺”だって? 変なの~。何か逞しくなったね」
「良かった……本当に良かった」
「そんなに強く抱き締めたら、痛いよ……」
「ご、ごめん」
「やっぱり、いつものアレイスだ~。助けてくれたお礼をしなきゃね」
睦月はアレイスの首に手を回し、そっと唇を重ねた。
「睦月……」
長い長いキスの後、二人は見つめ合いもう一度抱き締めあった。死を乗り越えたことで、お互いの気持ちに素直になれたのだろう。
「う、ううん」
ミネルヴァが咳払いをする。
「あの……私もイシュケルもいるんですけど……」
イシュケルは見てみぬふりをして、遠くの海を眺めていた。
その後、アレイスはこれまでの経緯をイシュケル達に話した。
「成る程。それで成長し力をつけたわけか……」
「はい、父上」
イシュケルは、我が子の成長に自分を重ねていた。それと同時に世代交代も視野に入れた。
荒れ狂う海も収まり、これから港街もかつての賑わいを取り戻すであろう。これで船も出港出来るはずだ。
一行は怪我の回復を待ち、大海原へ飛び出す準備を整えた。




