許されぬ恋
ここはキラーナの塔に程近い港街。
黒龍石を求めて大魔王イシュケルは人間界に降り立った。魔力を封印したイシュケルは、普通の人間が見たら魔王には見えないだろう。普通の人間なら……。
「人間界に降り立ったもの、黒龍石はどこにあるのだ?」
イシュケルは慣れない人間界と街並みに途方に暮れていた。
自分が人間だった頃の世界とは、凡そ検討もつかないほど殺風景で、その足を鈍らせていた。
一通り街並みを歩きまわると、イシュケルは一人の漁師に話を聞くことが出来た。
「黒龍石か……昔はその辺にゴロゴロしていたもんだが、最近は見ねぇな。そうだ、街外れの道具屋に行ってみたらどうだ? あそこにならまだあるかも知れねぇ」
イシュケルはその漁師の言葉を頼りに街外れの道具屋へ向かった。足取りは重い。魔力を封印しているだけあり、身体は地面に吸い付く程重いのだ。力が入らず、今のイシュケルは極普通の人間と変わらぬ貧弱ぶりだろう。マデュラの言っていたことも強ち嘘ではないようだ。
「あれか……」
やっと辿り着いた道具屋は粗末な建物で今にも崩れそうだった。軽い木の扉を開けると、独特の匂いが鼻を付く。
「いっらっしゃい、何を差し上げましょう」
髭面の店主は、煙草を吹かしながら言った。とても客商売とは思えない。
イシュケルは不快に思いながらも、黒龍石のことを聞いてみた。
「黒龍石はないか?」
「黒龍石ねぇ。昔は腐る程あったが、最近はウチにも入って来ないなぁ。黒龍山にでも行けば、今でもあるかも知れねぇな」
「黒龍山は何処にあるんだ?」
「この街のずっと北にあるが、やめておけ。あそこは魔王軍に汚染されたモンスターの巣になっている。アンタみたいな奴が行ったら、たちまちモンスターの餌になっちまう。悪いことは言わねぇ、諦めるんだな」
店主はそう述べると、煙草を吸いながら店の奥に引っ込んだ。
「黒龍山か……」
イシュケルは無力な自分を嘆いた。
本来の自分の力を出せるなら、容易いことだが魔力を封印した今はただの人間。例え黒龍山に辿り着いたとしても、味方であるモンスターの餌になるであろう。日が暮れようとしているこの港町で、イシュケルは一人項垂れていた。
「万策尽きたか……」
「お困りですか?」
項垂れるイシュケルに、一人の女性が声を掛けてきた。イシュケルは一瞬背筋が凍る程に、自分の目を疑った。
目の前に立っていた女性こそが、イシュケル達魔王軍の敵、勇者イセリナだったのである。
「お困りですか?」
再度イセリナは優しい眼差しで、イシュケルに話し掛けてきた。
「いや、あの……」
「何でもおっしゃって下さい。力になれることがあるなら、力になりましょう。申し遅れましたが、私は勇者イセリナ。旅の者です。こっちはウッディ。魔法使いですわ」
どうやら、イセリナはイシュケルが魔王だということに気付いていないようだ。もし、気付かれたら命はない。
そんなこと思いながらも、イシュケルはイセリナの美しさに見とれていた。
元を辿ればオンラインゲーム“ドラゴンの牙“で自らが育てた分身。思い入れがないと言えば嘘になる。ただ今は何かの悪戯で、魔王軍に身を寄せているだけのこと。イシュケルは複雑な心境にあった。
「俺の名前は実太。訳あって黒龍石を探しているのだ」
「実太? 変わった名前ね」
「よく言われる……」
「黒龍石といえば、黒龍山にあったはずだ」
物知りなウッディが言う。
「いいわ。手伝いましょう。いいでしょ? ウッディ?」
「はいはい、勇者様」
「宜しく頼む……」
出会ってはいけない二人が出会ってしまった。しかし、心の優しいイセリナは素性もわからない男の手助けをするという。イシュケルはその優しさに触れながら、イセリナの好意に甘えることにした。
◇◇◇◇◇◇
イシュケルは、イセリナ達と黒龍山へ向かっていた。いくらイセリナの好意とは言え、本来ならば敵同士。イシュケルの不安が払拭出来た訳ではない。
いつ何時イセリナに正体がバレようとも限らない。そんなイシュケルの不安をよそに、イセリナは優しく接してくる。
イシュケルは思った。
――その時が来たら、イセリナと戦えるのかと。
何も見返りを求めないその姿は、正に真の勇者そのものだ。イシュケルは自らの運命を呪った。何故ならば、この僅かな間にイセリナに惹かれかけている自分がいたからだ。
しかし、それは叶わぬ恋。愛してはいけない人――。
これから先、これがきっかけで苦悩するとは、イシュケルはまだ知らない。
広い荒野を抜けると、巨大な岩が行く手を遮る。
「離れてくれ、これくらい朝飯前だ」
素早く詠唱したウッディは、雷の魔法を放ち大岩を木っ端微塵に砕いた。
「な? 楽勝~、楽勝」
イセリナはいつものことと言わんばかりに、ウッディの言葉に耳を傾けず言った。
「さぁ、進みましょう」
ウッディは褒めてもらいたかったのか、一瞬不満そうな顔を見せるが黙ってイセリナの後を追った。一歩遅れて二人の背中を追うイシュケルに、イセリナは質問を投げ掛けた。
「実太は何処から来たの?」
旅を続けるに当たって、極当たり前の質問だ。
「俺は……魔、いや、何処から来たかわからない……」
「そう……よくあるモンスターの毒気による記憶喪失かもね」
――モンスターの毒気で、記憶喪失になることがあるのか?
何も知らないイシュケルにとって、思ってもみなかった情報だ。
「質問を変えるわ。何故、実太は黒龍石を必要とするの?」
さすがに、その返答にイシュケルは困った。
「それは……」
「イセリナ、敵だ!」
幸いににも、敵が現れ話は中断された。
「実太、あなたは下がっていて」
イセリナはそう言い添え、現れたモンスターに一目散に走っていった。初めて見るイセリナの美しい剣さばきに、イシュケルは見とれていた。
――あぁ、イセリナよ。君は何て美しいんだ。
イシュケルは、もはや完全なまでにイセリナに心を奪われていた。
ウッディの援護もあり、イセリナはあっという間にモンスターを蹴散らした。
「実太、もう大丈夫よ。怪我はない?」
「あ、あぁ」
吐息を感じれる程に近付くイセリナに、イシュケルは頬を朱に染めた。
「実太、何赤くなってんだよ。まさか、イセリナに惚れたのか?」
「ウッディ! 冗談はやめなさいよ。実太が困ってるじゃない。ごめんなさいね、実太」
「い、いや……」
本当は“好きなんだ”とイシュケルは叫びたかった。しかし、それは許されぬこと。イシュケルは言葉を封印するように、口を固く紡いだ。
黒龍山の山頂へ着くと、ウッディが意図も簡単に黒龍石を見つけ道具袋いっぱいに持たせてくれた。このウッディという男も軽そうには見えるが、実際器の大きい男だった。
ウッディの魔法で、一気に港街に戻ると二人とも優しくイシュケルを見送った。黒龍石をイシュケルに渡したことが、自分達を苦しめるとも知らずに。
イシュケルは見送る二人が見えなくなると、再び魔界のマデュラの待つイシュケル魔城へと戻った。