僕から俺へ
命を落とし異界に来たアレイスは、マナのもと特殊な能力を学んだ。
一つ目は、分身しながらの魔斬鉄、改め“残像魔斬鉄”。そして、二つ目は一点に力を増幅した天地壮烈斬、改め“天地烈波斬”だ。
涼しい顔をして、マナのアレイスに与えた試練は大変過酷なものだった。
王子として裕福な家庭環境に育ち、何不自由のなく生きてきたアレイスにとって、初めての苦難である。
彼曰く、“人生で初めて努力をした”と言うほどだ。
生まれ持った才能と力を兼ね備え、そのお釣りで生きて来た故の発言である。
「よし、今日はこのくらいにしておきましょう……」
「マナ、今日はずいぶん楽なんだな。これだけでは身体が鈍ってしまうぞ」
「もう、貴方に教えることはありません……もうじき、貴方は生き返ることでしょう……」
この異界は時空の歪みがあり、ここでの生活は五年ほど経過していたが、下界では二日ほどしか時間が過ぎていなかったのだ。つまり、十五歳だったアレイスは二十歳になっていたのである。
立派な成人になり、見た目はイシュケルの若い頃に瓜二つになっていた。
剣術以外にも様々なことを学び、魔王としても勇者としても恥じない一人の男に成長したのだ。
「シャワーでも浴びて来るといいわ。髪も伸びたから切りましょう」
「あぁ、そうさせてもらう」
アレイスは気付いていなかった。マナから二つの技を学んだと同時に、己の力の限界を突破していたことを……。
「アレイス……貴方がいなくなると、また私は一人ね……。本当なら、私にも貴方くらいの娘がいたはずなのに……」
シャワーから戻ったアレイスは、意味深なマナの独り言を聞いてしまった。
「マナ……娘とはどういうことだ? 俺にも聞かせてはくれないか?」
この五年で大人びた口調になり、一人称が僕から俺に変わったアレイスはマナに問いただした。
「聞いてしまったのね……わかったわ。全てを話しましょう……あれは異界で言う二十年前の話。私は玉のような子を授かりました。しかし、私はその子を抱くことも出来なかったのです。その頃頻繁に現れた時空の歪みに、その子は吸い込まれてしまいました……今も生きているかどうか……ミネルヴァ……」
その聞き覚えのある名前に、アレイスは一瞬凍り付いた。レインチェリー地方には、似つかわしくない違和感を覚えた“ミネルヴァ”と言う名前に。
「マナ……これは偶然なんだが、俺の知り合いにもミネルヴァという名前の女の子がいるんだ……年は十五歳だ……」
一瞬マナは目を輝かせたが、すぐに溜め息に変わった。何故なら、ミネルヴァが異界で生きていれば二十歳。
下界との時間の流れのギャップに、アレイスは気付いていなかった為の発言だった。その為、アレイスは自分が死んだ当時のミネルヴァの年を言ったのだ。
「ミネルヴァ……生きていれば会いたい……」
マナは最愛の娘ミネルヴァを思い出し、涙を滲ませた。
「……俺には何も言えないが、願えば会える時がくるさ……」
「アレイス……ありがとう。貴方、本当に見違えたわね。五年も経つと変わるものね……」
「五年? あれから、五年も過ぎたと言うのか?」
アレイスはこの時、初めて五年の歳月が過ぎたことを知った。
マナとミネルヴァの結び付きはあるのか、この時誰も知るよしはなかった。
◇◇◇◇◇◇
――一方、ウッディサイド。
アレイスの亡骸を抱えたウッディは、ようやく呪いの鏡の部屋に戻ってきていた。
「ふぅ、何とか戻って来れたようだな……まずは、イセリナや暁にどう説明するかだ……」
ウッディはあれこれ考え、ウロウロしていた。
――コツコツと近付いて来る二つの足音。
「イセちゃん、あの部屋の扉開いてるよ」
「暁、行ってみましょう」
その足音の主は、イセリナと暁だった。
「や、やべぇ。イセリナと暁だ」
やがて、重苦しく扉は開く。
「よ、よう!」
「ウッディ、あんた何処ほっつき歩いてたの? それになんでアレイス抱えてるの? イシュケルは? 睦月は? もう、アレイスの誕生パーティー始まるよ!」
「話せば長くなるんだが……とりあえず……アレだ、え~と…………アレイスは死んだ……」
ウッディは暁に問いただされ、しどろもどろに答えた。
「はぁ? 何冗談言ってんの?」
「いや、本当なんだ……」
「待って、暁。ウッディが嘘を言ってるとは思えないわ。ウッディ、事情を話して」
イセリナと暁がアレイスの死亡を確認すると、ウッディは二人に洗いざらいこれまでの経緯を述べた。
◇◇◇◇◇◇
「…………ということなんだ」
「どうする? イセちゃん……」
「仕方ないわね……私達も一肌脱ぎますか?」
「やった~イセちゃん。また、冒険出来るんだね?」
「おいおい、暁。いい年したオバチャンが、やった~じゃねぇよ。これは遊びじゃねぇんだ。アレイスだって生き返る保証はないし、それにイシュケルや睦月はあっちの世界に残してきたままだ。その辺、よ~く考えるんだな」
「二人共、ケンカしないで。パーティーに来てくれた皆には、私の方から言っておくから。それより、ウッディ。魔導船の手配をお願い……」
「へいへい、行くぞ暁……」
ウッディと暁はアレイスを抱き抱えたまま、魔導船へと向かった。
残されたこの部屋で、一人黄昏るイセリナ……。
――アレイス……必ず。
その後一旦自室に戻り、華やかに飾られたティアラを取り去り、オーダーメイドのドレスを脱ぎ去る。そして、ウォークインクローゼットの片隅に隠されていた武具を身に付けた。
もう二度と着ることはあるまいと思っていたが、皮肉にもまたこうして着る日が来てしまった。
――身の引き締まる思い。
イセリナは涙を見せなかった。何故なら、不思議とアレイスが死んだと思えなかったからだ。
――死を受け入れられなかったのではない。
母親としてのカンなのか、勇者としてのカンなのかはわからなかったが、悲しみはなかった。
「今から私は、王妃ではなく勇者に戻ります」
背中に剣を背負うと、凛としたあの日のイセリナが帰ってきていた。
メイン会場に戻ると皆ざわつき始め、あることないこと噂話をしていた。
「皆さん、聞いて下さい。お察しの通り、緊急事態が発生しました。詳しいことは言えませんが、今日はお引き取り願います」
ざわついていた会場が一気に静寂に変わる。
そして、一匹の魔物が言う。
「王妃様、みずくせ~ぞ。アレイス王子や、魔王様が一大事なんだろ? 俺達にも何か手伝わしてくれよ。なぁ……皆もそう思うだろ?」
「おう。そうだ、そうだ!」
その魔物の意見に、人間も魔物も関係なく賛同した。
「皆さん、ありがとうございます……素直にお言葉に甘えましょう。では、私達が留守の間この魔界をお願いします」
「おぉぉう!」
人々は拳を突き上げ誓いを上げた。
「ありがとう……」
深々と頭を下げた後、イセリナは微笑んだ。
「イセリナ、魔導船の準備が出来たぞ」
「今、行くわ。それじゃ、皆さんお願いね」
再度頭を下げ、イセリナはウッディと共に魔導船に向かった。
――目指すは、サハンのいる空中庭園。
イセリナとウッディは、あの頃を思い出しながら足早に向かった。
 




