現実と過去の狭間
混沌とした空気が流れ込み、辺りは静けさを纏っていた。
「どうやら、何処か違う所へ来てしまったようだな」
「そのようね」
「兎に角、ここが何処だか調べる必要があるな」
そう話すアレイスの横で、睦月は愕然と俯いていた。そんな睦月を見て、アレイスは言う。
「怖いか?」
「大丈夫よ、こう見えても魔法使いと竜騎士の娘だからね」
睦月は気丈に振る舞ってはいたが、身体は心なしか震えていた。睦月の不安を取り除くべく、アレイスは言った。
「僕が、睦月を守るから」
「うん。期待してる」
アレイスの言葉に安心したのか、睦月はにっこりと緑の髪を揺らしながら、微笑んだ。
「さぁ、魔物でも何でも来やがれ」
アレイスは、父イシュケルから譲り受けた嘆きの剣を鞘から抜き取り、辺りを見据えた。訓練では敵なしだったアレイスだが、実戦経験はなかった。
そんな不安を睦月に悟られぬよう茂みを掻き分け、目的地もないまま先を進んだ。
睦月はアレイスの背中を追いながら、剣を構える。睦月も実戦経験はないが、その腕は相当なものだった。
父のウッディから魔法を学び、母の暁から槍、剣、そして弓術までも習得していたのだ。まさに文武両道――。
だが、母の暁と違い、普通の女の子として過ごしたかった睦月は、それらがあまり好きではなかった。そんなこともあり、緑に輝く髪は常に肩まで伸ばし、女の子らしさをアピールしてきた。
「あ~あ、髪が傷んじゃうな」
「し――っ! 睦月、何か聞こえないか?」
草原の切れ間にある林から、ガサガサと物音が聞こえる。アレイスと睦月は、警戒しながらその正体を探るべく近付いた。
――一歩、また一歩……。
思わず剣を持つ手に、力が入る。
「ガハハハ、旨そうな人間だな。久々の獲物にありつけるとは、俺達はついてるぜ。皆で喰っちまおうぜ!」
そこに現れたのは、ゴブリンだった。アレイス達のいた世界では、魔物が襲ってくることはなかった。むしろ、人間達よりも働き者で、心は穏やかだった。
アレイス達は確信した。やはりここは、自分達の住んでいた世界とは異なることを。
一匹だったゴブリンが一匹また一匹増え、気付けば三十匹くらいの群に取り囲まれていた。
「魔物が、人を襲うのか?」
「アレイス、やるしかないみたいよ」
アレイスと睦月は、背中を合わせ剣を構える。
「行くぞ。嘆きの剣よ、その力を見せて見よ!」
――承知。我が主を、破壊の王に導こう。
「期待してるよ」
アレイスは素早く一匹のゴブリンに斬りつけた。ゴブリンは意図も簡単に真っ二つになり、血飛沫を上げながらその場に横たわった。
「睦月! こいつら、大したことないぞ!」
アレイスは自分の力に気付いていなかった。この辺りにのさばるゴブリンは、決して弱くはない。例えるなら、かつてイシュケル達が苦戦した魔シン族程度の実力は備えていたのだ。
「纏めてきやがれ――!」
その言葉にゴブリン達は熱り立ち、束になってアレイスに襲い掛かった。
「おらぁ、おらぁ。弱い、弱いぞ!お前ら。僕を楽しませろよ」
嘆きの剣が振り上げられるたびにゴブリン達の肉片は飛び散り、死体の山を築き上げていく。睦月の出番もなく、アレイスは僅か五分程度で、三十匹いたゴブリンを殲滅した。
「思ったより魔物って大したことないんだな」
――魔王と勇者の血をひく、アレイス。彼は、底知れぬ力の持ち主であった。
「アレイス……見直しちゃった~」
「ざっと、こんなもんだよ。僕の実力は」
アレイスは初めての実戦を終え、肩の荷が降りた。しかし、元の世界に戻れない今、手放しでは喜べないのが実状だった。
◇◇◇◇◇◇
果てしなく続く草原を越えて行くと、村までとはいかないが集落が見えてきた。アレイスと睦月はここが何処なのか、そして、元の世界に戻る足掛かりになればと、ひたすらにそこを目指した。
旅慣れていない二人にには、厳しい道程だった。足は棒のようになり、食料はポケットに入っていたチョコレートが唯一の補給源だった。
アレイスと睦月は、その僅かな食料を二人で分け合いながら歩いた。
辿り着いた集落は、元いた世界とは異なる赴きのある簡素な家々が建ち並んでいた。お世辞にも、裕福とは思えぬ佇まいだ。
「すみません、誰かいませんか?」
空腹を抑えながら、アレイスが声を張り上げる。
するとその声を張り上げた近くの民家から、老婆が二人の前に姿を現した。
「旅の者か? 珍しいのぉ」
「すみません、ここは何処ですか?」
睦月がその老婆に問い掛けると、一瞬不思議そうな顔をして返答した。
「ここは、レインチェリーの村じゃ。尤も、村と言えるほどのものではないが……」
「レインチェリー?」
アレイスと睦月は声を合わせて驚いた。そこは紛れもなく睦月の生まれ育ったレインチェリー。しかも、元いた世界とは異なる時代の。
「過去のレインチェリーに来てしまったのか?」
アレイスが睦月に言う。それを聞いていた老婆は、首を傾げた。
「はて、過去に来てしまったとは、どういうことじゃ?」
アレイスは、ありのままをその老婆に話した。
「成る程。にわかに信じがたい話じゃが、お前さん達の目を見ると嘘をついているとは思えん。長老なら、何か知っているかも知れん……ついて来なされ」
「ありがとうございます」
アレイス達が丁寧にお礼を言うと、老婆は長老の家へと案内してくれた。
長老の家へと行く途中、村人は腫れ物を見るような視線でアレイス達を見た。
「気になさるな」
そのことを察してか、老婆は一言だけそう述べた。
村の外れに、他の民家とは異なる大きな木造の家が見えてきた。恐らくそこが、長老の家なのだろう。
長老の家らしき前には、メイドらしき女性が庭の手入れに汗を流していた。
「サンディ、ご苦労じゃな。長老はいるか?」
「あっ、ベリー様。こんにちは。長老なら、書斎にいらっしゃいますよ。そちらの方々は?」
「旅のお方じゃ。道に迷ったらしい」
「そうですか……それはお気の毒に」
アレイスと睦月は、そのサンディという女性に軽くお辞儀をした。
「こちらに、参られよ」
サンディに挨拶が終わると、ベリーは自分の家のようにズカズカと長老の家に上がり込んだ。
暖炉の火がユラユラと揺れ、自然な温もりがアレイス達の身体を暖めた。
「書斎は、こっちじゃ」
物珍しげに辺りを見回すアレイス達の注意をそらすかのように、ベリーは書斎のある部屋へと急いだ。
そして、ベリーは目の前に現れた力強く木製の扉をコンコンと叩いた。
「誰じゃ?」
「私じゃ。ベリーじゃ」
「うむ。入ってくれ」
建てつけの悪い木の扉は、ギィィと悲鳴を上げながら開いた。
「長老、今日は旅の者をお連れした」
長老は読んでいた本をパタリと閉じ、振り返った。白い立派な髭を蓄えた、威厳のある容姿だ。
「旅の者とは珍しい、その方達……名はなんと申す?」
「アレイスです」
「睦月といいます」
「珍しい名前じゃな」
「実は長老、この者達は……」
ベリーはアレイス達のこれまでの経緯を語った。長老はパイプを口に含み、煙を吐き出した後言い添えた。
「この者達が、救世主かも知れんな。今、この予言書を調べておったんじゃが……」
長老はさっきまで見ていた分厚い本を開き、アレイス達に見せた。
“漆黒の闇を打ち払うのは、未来からの救世主であろう”
「この予言書からすると、お主達の存在は興味深い。この漆黒の闇を打ち払うきっかけになるかもしれぬ」
そう言い終えると、長老はパタリと本を閉じた。長老を含む全員が、この予言書の内容に愕然としていた。
「僕達が、救世主?」
「信じられないけど、そうみたいね」
――ゴブリンだ~! ゴブリンが来たぞ!
「己れ、また村を襲いに来おったか……」
「長老、ここは僕達に任せて下さい」
「お主達に? わかった。お願いしよう。何しろこの村には、ゴブリンと互角に戦える戦士がいないじゃて」
「睦月、行くぞ!」
「うん」
アレイスと睦月は、颯爽と長老の家を飛び出した。
 




