新たな幕開け
◇◇◇◇◇◇
――ここは魔界にひっそりと佇む、イシュケル魔城……。
「イシュケル様、イシュケル様――っ!」
ジュラリスの戦い後から大魔王イシュケルの右腕として大臣になったカイザーが、イシュケルにそう言い放つ。
禍々しい王座から重い腰を上げ、イシュケルが答える。
「何事だ! カイザーよ。騒々しい……」
「イセリナ様が、イセリナ王妃様が……産気づいておられます!」
イシュケルは、持っていたワイングラスを落としながら声を荒げた。
「カイザーよ、まことか? いよいよだな……」
イシュケルは漆黒のマントを羽織り、イセリナのいる部屋へと赴いた。
部屋には何人かの助産婦が、イセリナの対応に追われていた。
「イシュケル様、いよいよですね。今しばらくお待ち下さい」
助産婦のうちの一人が言う。
ベッドに横たわるイセリナは、呼吸を乱しながらもイシュケルの存在に気付き、
「貴方……私頑張るわ……」
と、告げた。
イシュケルは魔王と言えど初めての経験に動揺していた。それを部下たちに悟られぬよう、表情一つ変えず、
「うむ……」
と、だけ言い残し退室した。
「後は任せた……イセリナを頼む」
助産婦一人一人に声を掛け、自らは剣の稽古に勤しんだ。
「イシュケル様、流行る気持ちはわかりますが、どうか落ち着き下さい……」
「カイザーよ、私は至って冷静だ……」
「左様ですか……なら、良いのですが」
イシュケルは振りかざした剣を鞘に納めると、満面の笑みを浮かべた。
「……嬉しいものだな。父親になるということは……」
「ごもっともです」
イシュケルとカイザーは、中庭に出て暫しの間、魔界の景色を堪能した。
以前は、草木も生えない痩せた土地ではあったが、イセリナの心遣いで少しずつではあるが、色とりどりの花が咲き乱れていた。
――オギャー、オギャー!
「イシュケル様!」
「うむ……」
赤ん坊の泣き声が城内に響き渡ると、イシュケルはイセリナのもとへ駆け付けた。
「……イセリナ」
「貴方……」
イシュケルとイセリナは、顔を見合せ目を潤ませた。
「イシュケル様! おめでとうございます。元気な男の赤ん坊でございます」
「うむ……」
その玉のような我が子を見て、イシュケルは目尻を弛ませた。壊れそうなほどに儚く、純粋な瞳はイシュケルに父親としての自覚を与えた。
「イセリナよ……よくやった。ゆっくり休むが良い」
「はい、貴方……」
イシュケルは疲れきったイセリナの頬にキスをすると、王座へと戻っていった。
かくして、魔王と勇者の間にできた子供は、ここイシュケル魔城に産声を高らかに上げる。
名前は“アレイス”と名付けられた。魔族語で“希望“を意味する名だ。
アレイスは人間と魔族に大いに祝福され、すくすくと成長を重ねた。
◇◇◇◇◇◇
時同じくして、ここレインチェリーでも、ウッディと暁の間に女の子が生まれていた。
「やったな、暁~! これで俺も晴れて父親になったわけだ」
――オギャー、オギャー!
「ウッディ、静かにしてよ。赤ちゃんが泣いちゃったじゃない」
「すまん、すまん。ところで暁、名前なんだが”トンヌラ”ってのはどうだ?」
ウッディは、得意気な顔で言った。
その顔は、暁が『いい名前ね』と返してくれるだろうと予想しての笑みだった。
――しかし……。
「トンヌラって……あんたセンスないね……ていうより、トンヌラって男の名前だし……」
「そうなのか?」
「名前はもう決めてあるの。“睦月”(むつき)よね~?」
暁は赤ん坊に語りかけるように、その名を呼んだ。
「睦月か……なんか弱そうじゃないか?」
「女の子だから、強くなくていいんだけど! それに世界は平和になったわけだし……強くなんなくたっていいの!」
完全に尻に敷かれたウッディは、項垂れながら椅子に腰をおろした。それを見た暁は、睦月と名付けられた赤ん坊をあやしながらウッディを宥める。
そこには母親の顔をした暁の姿があった。
◇◇◇◇◇◇
――そして、数年の月日が流れた。
再びイシュケル魔城……。
「カイザーよ、アレイスは何処へ行った?」
「アレイス様なら、学業に励んでおりますが……」
「アレイスの奴、あれほど、学業より剣術の訓練をしろと言ったのに」
イシュケルは気掛かりなことがあった。いくら平和だからとて魔王の子である以上、剣術の一つや二つ習得しなくては民に示しがつかないと。
「アレイス、入るぞ!」
イシュケルは乱暴にアレイスの部屋の扉を開いた。
「父上……」
「あれほど、学業より剣術の訓練をしろと言った筈だ。お前には魔王の子の自覚がないのか?」
「父上、お言葉ですが、僕は魔王の子であり勇者の子でもあります。平和な世の中を渡り歩くには、学業の方が大事かと存じます」
この時アレイスは、若干五歳であった。
その大人びた考え――自分の意見をしっかり持った姿は、王子の鑑であった。
「アレイス、そこまで言うのなら、心行くまで学業に励むがいい。だが、剣術は学んでもらう。良いな?」
「はい、父上」
「いい返事だ」
アレイスは剣術の訓練がイヤだった。別に苦手だったと言う訳ではない。その実力は、既にイシュケルとイセリナを上回っていた。
◇◇◇◇◇◇
そんなアレイスにも、魔王の子として血が騒ぐ出来事が起きた。それは十五歳の誕生日のことだった。
この日は、アレイスの誕生を祝おうと各地から人が集まって来ていた。その中に、レインチェリーから遥々駆け付けたウッディファミリーの姿もあった。
「よぉ、イシュケル。久しぶりだな? 何だ? 髭なんか蓄えやがって」
「余計なお世話だ」
「こんにちは、ウッディさん」
「お、こんにちは。アレイス、随分大きくなったな? イシュケル、ところで、イセリナは?」
「パーティーの準備を手伝ってる」
「そうか」
「それより、暁と睦月はどうした?」
「さっきまで一緒にいたんだが、はぐれちまったみたいだ」
イシュケルとウッディは一通り話すと、アレイスを置いて王座へ向かった。
アレイスはこの華やいだ空気がイヤだった。そこへ佇むアレイスに、呼び掛ける一人の少女が現れた。
――睦月だ。
「な~に、黄昏てんのよ」
「睦月……」
「あまり、楽しそうじゃないね」
「実は、こういう場が苦手なんだ」
「ふ~ん」
少し間を置いて、
「じゃあさ、脱け出さない? ほら、子供の頃に行ったあの部屋に行かない?」
睦月が言うあの部屋とは、二人がまだ幼い頃に偶然見付けた“呪いの鏡の部屋”である。
そこには、神秘的な鏡が立ち並び、不思議な雰囲気を醸し出していた。
「それもいいかもな。行くか?」
「うん」
アレイス達は流行る気持ちを抑え、呪いの鏡の部屋にやって来た。
「見て、アレイス。あの鏡だけ、赤く光ってるわ」
「本当だ。これは、どういうことだ?」
アレイスと睦月は、興味津々でその赤く光る鏡に近付いた。
――刹那。
突然、その鏡は強烈な光を放ち、アレイスと睦月は鏡の中に吸い込まれて行った。
◇◇◇◇◇◇
「ここは、何処だ?」
アレイスと睦月が目覚めた場所は、光の差さない荒れた草原だった。




