魔王と勇者のあるべき姿
イセリナの右手からは、痛々しい程の真紅の血が流れる。薬草を塗り込んだとはいえ、傷が癒えた訳ではない。だが、イシュケルの攻撃に応戦する為、攻撃の手を休めない。攻撃の手を休める――それ即ち、死を意味するからだ。
「あなたの本気は、その程度なの?」
イセリナは精神的にも限界を迎えていた為、あえてイシュケルを挑発した。これ以上長期戦に持ち込むのは、無理があると判断したからだ。
「チィ……まだ余力があると言うのか?」
イシュケルもまた、焦りの表情を見せた。彼もまた限界に近付いていのだ。お互いそれを悟られぬように、駆け引きをしていた。
少しの会話の後、イセリナとイシュケルは間合いを取った。肩で息をしながら、呼吸を整えるイシュケル。
一方のイセリナは右手の痛みを堪えながらも、剣先をイシュケルに向け構える。
暫く、二人に動きは見られない。動かないのではない。動けないないのだ。それだけ、お互い集中力を高め、隙がないということだ。
――次の一手に賭けるしかない。
イセリナはイシュケルのほんの少しの隙も見逃さぬよう、まばたき一つしない。
イセリナとイシュケルの間に、熱風を伴う風が吹き抜ける。
イシュケルの右足に、地面を削るような少しの動きが見えた。
「行くぞ!」
イシュケルがそう言い放つと、イセリナはその時を待っていたかのように、駆け出した。
――この一瞬に、全てを注ぎ込みます。
「これで、終わりよ」
イセリナは盾を放り投げ、剣を両手持ちに切り替えイシュケルを斬り付けた。その僅かコンマ何秒か遅れて、イシュケルもイセリナを斬り付ける。
二人の間の静寂を切り裂くように、マグマの煮えたぎる音だけが周囲に漏れる。
固唾を飲み、見守る暁には相討ちにしか見えなかった。
「イセちゃん……」
暁は願いを込めその名を叫んだ。
「うっ……」
最初に両膝を付いたのは、イセリナだった。
「イセちゃ――んっ!」
暁は更に声のトーンを上げ叫ぶ。
「大丈夫よ……暁。どうやら、伝説の兜が守ってくれたみたい。他の場所なら危なかったかもね……」
イセリナは軽い脳震盪を起こしながらも、気丈に振る舞った。
「かはっ!」
一方のイシュケルは、吐血しながら真紅に染まった胸を押さえていた。
「こ、この俺が……負けただと?」
――これが、勇者の真の力なのか?
イシュケルは激しい痛みの中、恐怖すら覚えた。
「何故だ……」
イシュケルは自分に問い掛けるようにそう言った。
「ぐはっ……」
胸の傷の流血と吐血は止まらない。イシュケルは朦朧とする意識の中、恐怖と一緒に懐かしい光景が目に浮かんだ。
――イシュケル……私……あなたのことが……。
――イセリナ……俺もお前のことが……。
イシュケルは痛みを忘れる程、心地好い気分に晒されていった。
「イセちゃん……僕がアイツに止めを刺すよ……ウッディの仇!」
暁は力を振り絞り、立ち上がりそして槍を手に取った。
「待って、暁……。お願い、待って」
「何を言ってんだよ、イセちゃん。いくら共闘したとは言え、ウッディを……ウッディ殺したんだ。僕は許せないよ!」
「お願い……。私のたった一つの我儘を……」
イセリナは涙を流しながら、暁に訴えかけた。
「暁とやらよ。俺は今……かはっ。何もかも思い出した……かはっ。許してくれとは言わん。せめてこの命で償おう」
イシュケルは、自ら暁の持つ槍を喉元に押し当てた。そして、意を決したかのように目を閉じた。
暁は槍を持つ手の震えを抑えるのがやっとだった。
「さぁ……、殺せ!」
イシュケルは更に暁の持つ槍を引き寄せ、喉元に食い込ませる。
「や、やめて――っ! 殺し合うことで、人の心は豊かにならないわ。もう、見たくないの……大切な人が死ぬ姿を……」
イセリナは胸の奥にしまった思いを、全て吐き出した。
「イセちゃん……僕も同じ気持ちだよ。僕には出来ない……出来るわけがない……」
暁も本音を吐き出すと、槍を持つ手の力をスゥッと抜いた。
「俺を……かはっ。許すと言うのか? 俺を生かしておいても……タメにならんぞ……」
イシュケルは、息も絶え絶えに話した。
「許す訳にはいかない……許す訳にはいかないけど、記憶を取り戻したなら尚更殺せないわ……」
イセリナがそう言うと、暁もそれに同調した。
「こんな……俺を許すと言うのか……」
「許す訳ないじゃない! でも、今は許してあげる。ねぇ、イセちゃん?」
「ええ。次に会った時は、間違いなく敵よ」
イセリナはそう言いながら立ち上がり、伝説の盾を拾い上げた。
「お前達の……仲間を思う気持ち……かはっ……こんな俺でも、許す優しさ……本当の……強さとはこういうことなのか?……かはっ」
イシュケルは呼吸を乱しながらも、必死で言葉を並べた。そう言った後、フラフラと立ち上がりウッディの前に歩き出した。
「イシュケル、何をするつもり?」
イセリナが、イシュケルに問い掛けると、
「悪いようには……せん……」
そう返し、ウッディの額の前に手を翳した。
「これで……生き返った筈だ。完全とはいかない……虫の息だがな……かはっ。……後悔するなよ……では、さらばだ。次に会う時を……楽しみに……しているぞ」
イシュケルは漆黒のマントを翻したと思いきや、煙のように姿を消した。
「イセちゃん……逃がしちゃったね……」
「ごめんなさい。私の我儘で……私の弱さなのかな~」
「そんなことないよ。そこが、イセちゃんの良いとこだよ」
イセリナと暁は傷だらけで、血だらけのお互いを見て笑った。
「ん……痛つつ。……なんだなんだ? 二人とも、騒がしいな~」
「ウッディ? 生き返ったのね? 暁! イシュケルが……」
イセリナがそう言い終わる前に、暁はウッディに抱きついていた。
「おい、おい。暁~、どうしたんだよ。傷口が痛て~よ」
「心配させやがって……心配させやがって……イシュケルに感謝しろよ。ウッディを殺したのも、イシュケルだけど、生き返らせたのもイシュケルだからな」
「そっか……アイツやっと、正気に戻ったんだな? そっか……」
三人は顔を見合わせて笑った。戦いに終止符を打つことは出来なかったが、三人は清々しいまでの笑顔だった。
「ウッディ、立てるか?」
「女に助けてもらうほど、弱くねぇよ。俺は」
「よく言うよ」
「まだ、薬草が残ってたよな? 皆で分けようぜ」
三人は、残り少ない薬草を分け合い傷口に塗り込んだ。
「俺もそろそろ回復魔法覚えないとな……」
「イセちゃん、次の目標決まったよ。ウッディの回復魔法習得~!」
「ウッディ、期待してるわよ」
「任せておけって」
三人は肩を並べて、ガナン火山を後にした。




