第二話「桜花連鎖乱舞」
「……おい、達磨! 返事しろよ、怖いって!」
陽太の震える声。しかし、達磨にはそれに応える余裕はなかった。
彼の視界は、バグったモニターのようにピンク色のノイズが走り、空間そのものが継ぎ接ぎ(パッチ)だらけに見えていた。
屋上のフェンス際、黒い影が膨れ上がる。
それは人の形をしていながら、顔があるべき場所には巨大な「ERROR」の文字が明滅する異形――
『未定義者』。
怪物は、理解不能な電子音を撒き散らしながら、動けない陽太に向かってノイズの触手を振り上げた。
「やめろ……ッ!!」
達磨が叫んだ瞬間、再びあの「無機質な声」が脳内を支配した。
『――警告:周辺領域に「未定義」を確認。デバッグ・シーケンスを開始します』
『現在速度:Normal。これより加速を許可します』
「加速……? 加速ってなんだよ!」
『第一段階……接続』
ドクン、と心臓が爆発したような衝撃。
達磨の足元から、電子の桜が渦を巻いて舞い上がる。
怪物の触手が陽太の鼻先に迫る――その「死」の瞬間が、達磨の目には極限までスローモーションに映った。
「理屈は後だ……。とにかく、その汚ねえ手で陽太に触るんじゃねえ!!」
達磨は地を蹴った。
その踏み込みは、コンクリートを砕き、物理法則を無視した初速を生み出す。
『術式:桜花連鎖乱舞――起動』
『一撃目:命中。連鎖受付時間……残り3.00秒』
「おらぁぁ!!」
「……一速!!」
達磨の右拳が、怪物の顔面に突き刺さる。
電子火花が散り、怪物の体が「バグ」を起こしたように歪んだ。
しかし、達磨は止まらない。いや、止まれない。
脳内の声が、彼に「次のステップ」を強要する。
『残り2.10秒……二撃目を待機中』
(……わかってるよ! ダンスと同じだ。このリズム(三秒)を繋げりゃいいんだろ!)
達磨は空中で体を捻り、さっき練習したばかりの足払いのモーションへ移行する。
一撃を当てるたびに、彼の体はさらに軽く、さらに速くなっていく。
「二速!!」
加速する桜の嵐の中、達磨は自分を縛っていた「常識」という名の計算式を、自らのステップで叩き壊していった。
立方体のノイズとなって霧散した。
屋上に静寂が戻る。舞い散っていたピンク色の電子桜が、ゆっくりと消えていく。
「はぁ……はぁ……。やった、のか……?」
達磨が拳を下ろし、陽太の方へ一歩踏み出そうとした。その時だ。
再び、あの「無機質な声」が脳内をジャックした。
『――デバッグ完了。目標の完全消去を確認』
『警告:連鎖の終了を検知。これより「術式使用後の揺り戻し(バックラッシュ)」が発生します』
「は……? 揺り戻しって……うわ、っ!?」
直後、達磨の全身を、経験したことのない「重圧」が襲った。
まるで全身の筋肉がコンクリートで固められたかのように、指一本動かせない。それどころか、肺の動きさえも制限されるような息苦しさ。
『連鎖終了に伴う物理固定:残り時間 3.00秒』
『2.00……1.00……』
「……動け……ねぇ……。なんだこれ……体が……」
達磨の膝がガクガクと震え、そのまま冷たい屋上の床に崩れ落ちる。
加速した反動は、彼が想像していた以上に過酷だった。
「だ、達磨! 大丈夫かよ!」
腰を抜かしていた陽太が、這いずるようにして駆け寄ってくる。だが、その陽太の背後——。
カツ、カツ、と。
静まり返った屋上に、場違いなほど洗練された靴音が響いた。
暗闇から現れたのは、黒いロングコートに身を包んだ男女数名のグループ。その中央に立つ、無表情で事務的な雰囲気を纏った男が、手元のタブレットに視線を落としながら口を開いた。
「——観測データの通りだ。野良の『未定義者』が、未覚醒の個体によって処理された」
エージェントと呼ばれたその男は、床に這いつくばる達磨を冷徹な目で見下ろす。
「宇津志達磨。君が今体験した身体硬直は、術式の仕様だ。不完全なコンパイルを行った代償だよ。……もっとも、君のような『計算外のイレギュラー』が、インストールを完遂したこと自体が驚きだがね」
「……誰だ、お前ら……。それにさっきの変な奴も分からんし……俺の体も意味不明なことばかりだ。最初に違和感を覚えたのは、あ?!松さんの……、関係あんのか……?」
「松さん? ああ、周辺領域の事象汚染のことか。……安心したまえ。君にはこれから、その『答え』を知る場所へ行ってもらう。……いや、『書き換え』てもらうと言った方が正しいかな」
エージェントが指を鳴らす。
瞬間、陽太の意識がふっと途切れ、その場に倒れ込んだ。
「陽太!! お前、何しやがった!」
「彼は眠らせただけだ。一般人に、この世界の『裏側のコード』を見せるわけにはいかないからね。……さて、宇津志君。君の人生の『追試』を始めようか」
達磨の意識が、深い闇の中に沈んでいく。




