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編術師  作者: Akita
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第一話「日常のバグと、三秒の違和感」

編術師コンパイラー

第一話公開中!



夕暮れ時。宇津志うつし達磨たつまは、蝉の鳴き声がうるさい田舎道を、半分開いた学生鞄を揺らしながら歩いていた。


どこまでも続く田んぼと、オレンジ色に染まった積乱雲。そんな見飽きたはずの風景の中に、その「不自然」は鎮座していた。


「あ、松さん。ちわーす!」


達磨が声をかけたのは、古い平屋の縁側に座っている近所の老婆、松さんだった。いつも達磨が通りかかると、決まってポケットから古臭いハッカ飴を出してくれる。


「……おや、達磨かい。飴ちゃん、食べるかい?」

松さんはいつものように穏やかに微笑み、しわくちゃの手をゆっくりとこちらへ伸ばした。


だが、その瞬間だった。


(……え?)

達磨の足が止まった。

松さんの腕が、目的地である達磨の手元に届く寸前——まるで映像を巻き戻したかのように、唐突に「元の位置」へ戻ったのだ。

それも、ただ引っ込めたのではない。物理的な慣性を無視して、一瞬でコンマ数秒前の座標へ「吸い込まれた」ような不自然な動きだった。


「……飴ちゃん、食べるかい?」

松さんは、先ほどと全く同じ表情、全く同じ声のトーンで、再び手を伸ばす。


達磨が呆然としていると、またしてもその腕が「カクッ」と飛び跳ねるように戻り、三度みたび同じ言葉を繰り返した。


「……飴ちゃん、食べるかい?」


「……あれ? 松さん、電波悪い?」

達磨は首を傾げ、乾いた笑いを浮かべた。

頭では「ボケちゃったのかな」とか「見間違いかな」と考えようとしていた。しかし、彼の身体だけは、その解釈を拒絶していた。


ダンスで培われた達磨の鋭敏なリズム感が、脳に警報を鳴らしている。


松さんの動きには、生物が持つ「ゆらぎ」が一切なかった。メトロノームよりも正確で、レコードの針が飛んだ時よりも無機質な、完璧すぎる三秒間のループ。


鼓動が速くなる。

夕暮れの暑さとは違う、嫌な冷や汗が背中を伝った。

松さんの笑顔が、まるで作画の崩れた静止画のように見えてくる。


「……っ、じゃあな松さん! また明日!」


達磨は逃げるようにその場を去った。

背後からは、まだ一定のリズムで「飴ちゃん、食べるかい?」という声が聞こえてくる。



松さんの家から逃げるように帰宅した達磨は、自室に入るなり学生鞄を放り出した。


心臓のバクバクが止まらない。あのメトロノームのような老婆の動きが、網膜に焼き付いて離れなかった。


「……あーっ、クソ! 気味悪ぃな!」


達磨はスマホを手に取り、YouTubeを開いた。

検索欄には『世界大会 神ムーブ まとめ』。

音量を最大にして、激しいブレイクビーツを部屋に鳴り響かせる。怖い時や不安な時、彼はいつもこうして「リズム」に没頭することで、自分を保ってきた。


画面の中では、海外のプロダンサーが人間離れした動きを見せている。

直立した状態から、一瞬で床と水平になり、風車のように回転するパワームーブ——

「ウィンドミル」。


「よし。これ、今日中に完コピしてやる」

達磨は画面を食い入るように見つめた。

普通の人間なら、筋肉の動きや体重移動を論理的に分析するところだが、達磨は違う。彼はその動きを「音」と「線」で捉える。

立ち上がり、意識を研ぎ澄ませる。


軽く膝を曲げ、重心を低く保つトップロック。両腕を胸の前で交差させたかと思えば、溜めたバネを解き放つように左右に大きく振った。その「捻り」が全身を貫く。

「……ここだ!」

右足を斜め後ろへ、床を薙ぎ払うように振り抜く。

直立という高い位置にあったエネルギーが、横方向の回転へと劇的に変換される。恐怖心はない。あえて自ら重心を崩し、奈落へ落ちるように上半身を床へ倒し込んだ。


視線は床の一点。

左手を支点としてつき、右肘を脇腹の柔らかい部分——スタブへ深く突き刺す。上半身が強固な軸に固定された。

両足を限界までV字に開き、つま先まで神経を尖らせる。


「回れ……ッ!」

右足で床を切り裂き、左足を天井へと蹴り上げる。

水平と垂直の力が噛み合い、達磨の体は猛烈な回転体へと変貌した。

あごを引き、背中を丸めて「亀の甲羅」のように。肩甲骨のあたりで滑らかに床を滑る。


一回転。

二回転。

三回転。


部屋の空気がかき回され、自分の荒い呼吸と床を擦る音だけが世界を満たす。


高速回転の中で、あの松さんの「不自然な三秒」が遠ざかっていく。


達磨にとって、この複雑で激しい回転こそが、生きている実感が持てる「正しいリズム」だった。

「……ふぅーっ!」

ピタリとフリーズを決めて、達磨は大きく息を吐いた。

汗が床に滴り落ちる。

どれだけ高度な身体操作であっても、彼にとっては「答えが合っていればいい」遊びの延長だった。



「……よし。スッキリした。追試の勉強は……まあ、明日でいいや」


スマホに親友からメッセージが届く。

『今日の夜、例の屋上で待ってるぜ。七不思議、マジで試そうぜ』

達磨は不敵に笑い、再び鞄を手に取った。


「よっしゃ、踊り明かしてやるか」


深夜二時。

達磨は、昼間の練習で少し重くなった体を引きずりながら、公立校の裏門を乗り越えた。月明かりに照らされた校舎は、昼間とは全く別の生き物のように不気味に沈黙している。


「おい、達磨! こっちだ!」


暗がりから声をかけてきたのは、幼馴染の陽太だった。彼は手に持った懐中電灯を自分の顔の下から当てて、おどろおどろしい表情を作ってみせる。

「遅いぞ、ビビって寝過ごしたか?」


「バカ言え、今の俺はウィンドミルがキレッキレなんだよ。松さんの家の前を通るときは、さすがにちょっとダッシュしたけどな……」


達磨は軽く笑って陽太の肩を叩いた。陽太は少し真面目な顔になり、手元の古いメモ帳(学校のネット掲示板を書き写したものらしい)を広げた。


「なあ達磨、もう一度おさらいしとこうぜ。この屋上の七不思議——『真夜中のダンスホール』の噂を。ただ踊ればいいってわけじゃないらしいんだ」

陽太は懐中電灯をメモに落とし、声を潜めて読み上げた。


午前二時、誰にも見られずに屋上の中央に立つこと。

特定の曲——『三秒の空白』があるビートに乗せて踊ること。

曲の終わりに、世界と『同期』する完璧なステップを踏むこと。


「書き込みによればさ、これを成功させると、頭の中に『世界のパスワード』が流れ込んでくるんだって。そしたら、成績だろうが運勢だろうが、自分の好きなように書き換え放題できるらしいぜ」


「……書き換え放題、か」


達磨の脳裏に、昼間見た松さんの不自然な「ループ」がよぎった。もしあれも、何かの書き換えミスだったとしたら?


「まあ、ネットの都市伝説だろ。でもよ、陽太。もし本当に願いが叶うなら、俺はとりあえず数学の追試を『全員合格』に書き換えてやるわ」


「ははっ、スケールちいせえな! 俺はクラスの女子全員から告白されるように書き換えるね」

二人は顔を見合わせて笑い、誰もいない階段を静かに、けれど足早に登り始めた。重い鉄扉の向こう側、風が吹き抜ける屋上。そこが、達磨の「日常」というステージの最後になる。


「よっしゃ、やるか達磨。スピーカー、セットしたぜ」

陽太がスマホの再生ボタンに指をかける。

静寂を切り裂くように、重低音のビートが夜の校舎に響き渡った。


屋上のコンクリートに、激しい重低音が叩きつけられる。


陽太がセットした曲は、奇妙なリズムを刻んでいた。一定のビートの間に、時折、心臓が止まるような「空白」が混じる、どこか不気味なトラック。


「いくぜ、達磨! 見てろよ、俺の練習の成果!」

陽太がステップを踏み始める。それは若者らしい、勢いに任せたダイナミックなダンスだ。陽太は必死に達磨に食らいつき、共に夜風を切って笑い合う。この瞬間までは、確かにそれは「ただの遊び」だった。


「……ッ、くるぞ!」

曲が中盤に差し掛かった瞬間、達磨のスイッチが入った。


部屋で何度も繰り返したイメージが、血流となって全身を駆け巡る。

直立した状態から、鋭く床へ。

左手を突き、右肘を脇腹に刺し込む「スタブ」。爆発的な遠心力を生み出し、達磨の体は屋上の中心で猛烈な回転体——ウィンドミルへと変貌した。


「すっげぇ……達磨、お前いつの間に!」

陽太の声すら、回転の風切り音の中に消える。

一回転、二回転。達磨の視界の中で、月と校舎の影が高速で混ざり合い、抽象的な光の線となって流れていく。


その時だった。

曲が最大の盛り上がりを見せ、唐突に「三秒の空白サイレンス」が訪れた。


(今だ——)


達磨は回転の慣性を、全身の筋肉を限界まで硬直させることで強引にねじ伏せた。

床を片手で突き上げ、逆立ちに近い状態でピタリと止まる、極限のフリーズ。

激しい動から、完璧な静へ。

三秒間、達磨は瞬き一つせず、夜の空気と同化した。


その瞬間、世界から色が消えた。


夜の闇がデジタルな砂嵐ノイズに変換され、達磨の脳内に直接、感情の一切こもらない「無機質な声」が流れ込んでくる。


『——適合個体を検知』

『固有ID:UTSUMI_TATSUMA。プロトコル:三秒の空白サイレンスをクリア』

『基幹術式:桜花連鎖乱舞チェイン・ブロッサムのインストールを開始します』


「……え? あ、熱っ……!?」

達磨の心臓が、熱い鉄を流し込まれたように跳ね上がった。

視界に舞い散るのは、本物の桜ではない。それは世界のバグが具現化した、ピンク色の電子ノイズ。


『——インストール完了』


『ようこそ、計算不能な変数エックスよ。世界の編纂コンパイルを開始してください』


「おい、達磨……? どうしたんだよ、急に……!」

陽太の声が、ひどく遠く、歪んで聞こえる。


達磨が顔を上げると、そこにはもう、いつもの平和な屋上はなかった。


空には見たこともない幾何学模様の回路が浮かび、屋上の隅からは、黒い泥のようなノイズを撒き散らす「異形」が這い出し始めていた。


達磨の「アホな日常」が、電子の火花を散らしながら崩壊していく。


それは、彼が「世界を救う答え(正解)」を導き出さなければならない、長い戦いの始まりだった。

第二話以降が早く読みたい!と思える終わり方をしてみました✌

焦らすなよ!と思われた方、すみません。

次回にご期待ください。

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