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愛しい人

作者: 博江多恵子

 ねぇ今ここにあなたがいたらいいのに


 ~私生児のランドリーメイド~

 私はそっとバルコニーの手摺から足の親指をはみ出させた。

 許されない愛、身分の違う貴方に恋をした私、誰も知らない二人だけの場所で重なる体。

 暖かな午後優しい風が頬に触れる。

 貴方が触れてくれた、貴方が口付けをしてくれた私の長い髪、風になびかれて部屋の中で踊ってる。

 大きく膨らんだ私のお腹。

 貴方のお屋敷に務めるメイドの私の母、キッチンメイドだった。私も母と一緒に貴方のお屋敷へ奉公へ、ランドリーメイドの私、顔なんて会わせることなんて無いはずだった。

 お屋敷を抜け出す癖のあるやんちゃな貴方。コッソリと使用人の出入り口を教えたあの日から始まった秘密の関係。

 一緒にお屋敷の外へ行った日、暖かく、大きな手に繋がれた手荒れした私の手。ランドリーメイドとして働く私の為に買ってくれた手荒れの薬。初めて人に優しくしてもらえた。

 異国の屋敷の主人に犯された母、私生児として生まれた私。ボロボロで屋根なんて無い戦で崩れた家に母とひっそり暮らした私の家。人として扱われなかった私の過去、そんな私に笑いかけてくれるこの国の大臣の息子の貴方。読み書きも教えてくれた。私は綺麗なドレスを与えてくれた。お給仕のお暇をもらえた日、綺麗なドレスを着て中流階級の娘のふりをして貴方とこっそり出かけた市場、今も賑やかだろうか?

 町を見下ろせる夕焼けの綺麗な草原の丘。重なった私たちの唇。今でも赤くなった頬の感覚を覚えてる。何度も重なった私たちの体。1つになる喜び、貴方の荒い息、筋肉のついた貴方の腕、ひっかき傷をつけてしまったあなたの肩、貴方の髪から私の頬に落ちた汗。全てをまだ覚えてる。これがきっと走馬灯なのだろうか。

 重ねた逢瀬バレてしまった私たちの秘密の関係。捕らえられた私、貴方の叫び声。

「必ず迎えに行く!必ず助けに行く!待っててくれ!俺のことを待っててくれ!」

 離される私たちの距離、血にに滲む私の指先とお屋敷の床。最後に聞こえた貴方の愛の言葉。私の名前と愛してると叫ぶ貴方の声。



 次の記憶は暗い部屋、高い高い塔に閉じ込められた私、誰も来ない塔を監視する兵隊が2人私を下から睨む。

 泣いた。

 泣いた。

 声を出して泣いた筈だった。声は出たが、言葉が出ない、鏡で見たのは切られた私の舌。もう貴方の名前を呼べない。

 子供の様に泣き喚いて暴れた。

 もう声も出ないくらい泣いた。

 バルコニーに繋がれた滑車で運ばれる食料、下の兵隊が話す声だけがまだ私が生きてると実感できた。

 私の月のものがなくなった。それだけで貴方が私のお腹の中にいると分かった。月日をかけて膨らむ私のお腹、きっと迎えに来る。それだけが私の生きる希望だった。

 なぜ来ないの?道に迷ったの?大臣の息子だ、色欲の罪人の罰は知っているはず、自ら命を絶たないと解放されない地獄、人と触れ合えない塔に閉じ込められる色欲の罪人。

 ここが分からないの?

 貴方がこの国の富豪の娘と結婚したと下の兵隊が言ってた。そりゃめでたいと言っていた。

 昨日上がった花火、教会の鐘の音。あれは貴方の結婚式だったとなんとなく分かってしまった。

 もう戻れない、貴方は来ない、それが分かった。

 この子も私と同じ私生児と罵られて生きるのだろう。

 分かってる。このバルコニーからはみ出させた親指に力を入れればここから落ちて死ぬ。痛いのはきっと一瞬だ。最期に貴方の顔を見たかった。

 愛しの貴方。私の愛しい人。

 貴方の笑顔を胸に抱いて落ちます。

 親指に力を入れると天地が逆さまになった。流れる記憶と私の涙、聞こえる兵士の叫ぶ声。最期に思い出が溢れる。愛しい貴方の笑顔、あぁ幸せだった。

 私生児と罵られた私を愛してくれる人がいたんだ。



 衝撃が私の頭を襲った。痛いのか痛くないのかもう感覚なんてない。

 けどもう最期の私の霞む目にぼんやり移った愛しい人のシルエット。懐かしい貴方の匂い肩に微かに伝わる貴方の体温。私の名前を呼ぶ貴方の声。

 あぁ、泣かないで私の愛しい人。貴方の笑顔が好きだった。最期に貴方の胸に抱かれて死ねるならこんなに幸せなことはない。愛しい人、来てくれたのね。

 私の愛しい人。

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