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09 甘い目覚めと、交わされた約束

硬い床の上での目覚めは、決して快適なものではなかったはずなのに、私の身体は不思議と軽かった。

それはきっと、一晩中、彼の温もりに包まれていたからだろう。


ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに、ゼノヴァルド様の安らかな寝顔が広がっていた。

昨夜、あれほど涙を流したせいか、その表情はまるで無垢な少年のように見える。

私は彼の腕の中で、彼に寄りかかるようにして眠っていたらしい。


(……なんて、恥ずかしい格好)


そろりと身じろぎして離れようとすると、私を抱きしめる彼の腕に、きゅっと力がこもった。


「……ん……フィーリア……行くな……」


寝言で、私の名を呼ぶ声。

その声が、あまりにも甘くて、切なくて、私の心臓は大きく跳ねた。


(ダメだ、これは……。心臓が、もたない……)


彼の腕の中で、私は動けなくなってしまった。

諦めて、彼の胸に顔をうずめる。規則正しい鼓動が、心地よく身体に響いた。

このまま、もう少しだけ。

そう思うことを、神様は許してくださるだろうか。


しばらくして、彼がゆっくりと目を覚ました。

青い瞳が、至近距離で私を捉える。


「……おはよう、フィーリア」


「お、おはようございます……ゼノヴァルド様」


「……なぜ、そんなに顔が赤い?」


「だ、誰のせいだと……!」


私が抗議の声を上げると、彼は楽しそうに喉を鳴らして笑った。

昨夜までの、あの痛々しい影は、もうどこにもない。

そのことが、私には何よりも嬉しかった。


「……身体は、痛くないか? 床で寝かせてしまった」


「だ、大丈夫です。それより、ゼノヴァルド様こそ……もう、お身体は……」


「ああ。……お前のおかげでな」


彼はそう言うと、私の髪にそっと口づけを落とした。


「きゃっ!?」


「昨夜の礼だ。……ありがとう、フィーリア。お前が来てくれて、よかった」


真摯な感謝の言葉と、突然の口づけに、私の頭は完全に処理能力を超えてしまった。


(れ、礼って……! こんなの、礼になってません……!)


私が真っ赤になって固まっていると、彼は満足そうに微笑み、ゆっくりと身体を起こした。


「さあ、朝だ。今日は、いい天気になりそうだ」


窓の外では、雪が止み、久しぶりに太陽の光が差し込んでいた。



その日の朝食は、いつにも増して美味しく感じられた。

それはきっと、私の隣に座るゼノヴァルド様の表情が、今まで見たこともないほど穏やかだったからだろう。


食事をしながら、彼はポツリポツリと、自分のことを話してくれた。

暴走した炎で母親を失って以来、彼は自分の力を深く憎み、他人を、そして世界を拒絶するようになったこと。

氷竜王として、民を守る義務感だけで生きてきたこと。

そして、私と出会って、初めて世界が色づいて見えたこと。


「俺は、お前に救われたんだ。心も、身体も」


彼は、私の手を、テーブルの下でそっと握った。

その手は、温かくて、力強かった。


「だから、今度は俺がお前を守る番だ」


「ゼノヴァルド様……」


「フィーリア。俺は、お前を『所有物』だと言ったな」


「……はい」


「訂正する。……いや、訂正ではないな。もっと、正確に言う」


彼は、椅子から立ち上がると、私の前に跪いた。

そして、握っていた私の手の甲に、(うやうや)しく口づけを落とした。

まるで、騎士が姫に忠誠を誓うように。


「フィーリア。お前は、俺の唯一の希望だ。俺の、運命の(つがい)だ。そして……俺が、生涯をかけて愛し、守り抜くと誓う、ただ一人の女性だ」


「……!」


「だから、どうか。俺の、本当の『所有者』になってはくれないだろうか」


それは、今まで聞いたどんな言葉よりも甘い、愛の告白だった。

氷のように冷たいと噂された竜王様が、今、私の前で、その全てを捧げると誓ってくれている。

嬉しくて、幸せで、涙が溢れて止まらなかった。


「……はい」


私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、力強く頷いた。


「喜んで……。私も、あなたのそばにいます。ずっと、一緒に」


私の答えを聞いて、彼は心の底から幸せそうに微笑んだ。

そして、立ち上がると、私を優しく抱きしめた。

食堂にいたマーサや他の侍女たちが、温かい拍手を送ってくれているのが聞こえる。



その日の午後、私たちは、二人で再生したあの中庭を散歩していた。

すっかり雪解けした庭には、春の花が咲き乱れ、蝶が舞っている。


「ゼノヴァルド様」


「なんだ?」


「私、決めたんです」


「……何をだ?」


私は、彼の隣で足を止めると、真剣な眼差しで彼を見上げた。


「この土地の呪いを、完全に解いてみせます」


今までは、漠然とした目標だった。

けれど、今は違う。私には、守りたいものができたから。

この穏やかな日常を、愛する人を、そして、彼が守ろうとしているこの国の人々を。


私の決意に、ゼノヴァルド様は静かに頷いた。


「……ああ。お前なら、できるだろう」


「でも、私一人ではできません。ゼノヴァルド様の力も、貸してください」


「当然だ。俺の全ては、お前のためにある」


私たちは、しっかりと手を取り合った。


「あの女神様の伝承によれば、呪いをかけたのは、邪悪なる神……。その正体を、突き止めなければなりません」


「うむ。手始めに、もう一度あの書庫で、古代の神々に関する記述を探してみよう。何か、手がかりがあるかもしれん」


彼と二人なら、どんな困難も乗り越えられる。

そんな、確信にも似た気持ちが湧き上がってきた。


ふと、彼が立ち止まり、私の頬に触れた。


「フィーリア」


「はい?」


「……呪いを解いた後で、いい。いや、解く前でも構わんが」


彼は、少しだけ照れたように視線を逸らす。


「その……正式に、お前を俺の妃として、迎えたい。……ダメか?」


その言葉に、私の心は喜びで張り裂けそうになった。

妃。私が、この方の、お妃様に?


「……ダメじゃ、ありません」


私は、精一杯の勇気を出して、彼の首に腕を回し、その頬に、そっと自分の唇を寄せた。


「……むしろ、大歓迎です。私の、竜王様」


私の不意打ちに、今度は彼が顔を真っ赤にする番だった。

慌てふためく彼の姿が、愛おしくてたまらない。


私たちは、どちらからともなく、顔を見合わせて笑い合った。

空には、祝福するように、七色の虹が架かっている。


私たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。

けれど、もう何も怖くはない。

愛する人が、隣にいてくれるのだから。

二人でなら、きっと、この凍てついた大地に、永遠の春を呼び戻すことができる。

そう、固く信じて。

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