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07 竜王様の書庫と、触れられた過去の傷

厨房での大改革は、氷晶城に明るい変化をもたらした。

美味しい食事は人々の心を和ませ、城の中は以前よりもずっと活気に満ちている。侍女や兵士たちも、私を見かけると親しげに挨拶をしてくれるようになった。

よそ者だった私が、少しずつ、この城の一員として受け入れられている。その事実が、私の心を温かくした。


けれど、私は忘れていなかった。

この穏やかな日常は、ゼノヴァルド様の強大な魔力によって、かろうじて保たれているものだということを。

城壁の外に広がる大地は、今も「枯渇の呪い」に蝕まれ続けている。


(私の力で、もっと根本的な解決はできないだろうか……)


庭を再生させ、食材を蘇らせることはできた。でも、それは対症療法に過ぎない。

呪いの根源を断ち切らなければ、本当の意味でこの地を救うことはできない。


その日、私はゼノヴァルド様の執務室を訪れていた。


「ゼノヴァルド様。呪いについて、もっと詳しく知りたいのです。何か、手がかりになるような書物はありませんか?」


私の真剣な申し出に、彼はペンを置くと、静かに私を見つめた。


「……書庫へ行ってみるか。あそこになら、古の伝承や、この地にまつわる記録が残っているかもしれん」


彼に連れられて向かったのは、城の最上階にある、巨大な書庫だった。

高い天井まで届くほどの書架がずらりと並び、膨大な数の書物が収められている。革の匂いと、古い紙の匂いが混じり合った、知性の香りがした。


「すごい……」


「この城の歴史そのものだ。好きに読むといい」


ゼノヴァルド様はそう言うと、自分も一冊の古書を手に取り、窓際の長椅子に腰掛けた。


私は、呪いや魔法に関する書物を片っ端から手に取っていった。

けれど、書かれているのは難解な魔法理論や、抽象的な伝承ばかり。私の『生命の祝福』に直接関係するような記述は、なかなか見つからない。


(やっぱり、私の力は特殊すぎるのかしら……)


諦めかけていた、その時だった。

一冊の、ひときわ古びた革張りの本の隅に、小さな挿絵があるのが目に入った。

それは、一人の女性が大地に手を触れ、そこから光が溢れ出して、草木が芽吹いている、という絵だった。


「これ……!」


私は、夢中でそのページを開いた。

書かれていたのは、遥か昔の、神話の時代の物語だった。


『――世界がまだ若かった頃、大地には生命を司る女神が存在した。女神は、その身に宿す無限の魔力をもって、万物を育み、世界に豊穣をもたらした。人々は、女神のその力を『聖なる祝福』と呼び、崇めたという――』


『聖なる祝福』。

私の力と、どこか似ている。


『――しかし、女神の力を欲した邪悪なる神が、大地に癒えぬ呪いをかけた。女神は自らの魔力のほとんどを使い、呪いを封印したが、その力は大きく損なわれ、やがて女神は永い眠りについた。だが、言い伝えによれば、女神の力は完全には失われていない。数千年の時を経て、その魂を受け継ぐ者が現れる。その者は、枯れた大地を再び緑で満たし、世界に光を取り戻すだろう――』


読み終えた時、私は呆然としていた。


(まさか……。私の力が、この女神様の力のかけら……?)


突拍子もない話だ。けれど、そう考えると、私の力の謎が解けるような気がした。

私がこの力を持って生まれたのも、この呪われた地に導かれたのも、全ては運命だったのかもしれない。


「何か、見つかったか?」


いつの間にか、ゼノヴァルド様が私の隣に立っていた。


「あ、はい。この本に……」


私が彼に本を見せると、彼はその記述に目を通し、深く眉を寄せた。


「……女神の伝承か。馬鹿げたおとぎ話だと思っていたが」


「でも、私の力と、似ています」


「……ああ。確かにな」


彼は、複雑な表情で私を見つめた。


「もし、この伝承が真実だとすれば……お前の力は、この大地にかけられた呪いを解く、唯一の鍵ということになる」


「はい」


「だが、それと同時に、お前の身には女神と同じ危険が迫るということでもある」


彼の言葉に、私は息を呑む。

女神の力を欲した、邪悪なる神。

その存在が、現代にもいるとしたら……?


「だから言っただろう。自分を大切にしろ、と」


ゼノヴァルド様は、私の肩にそっと手を置いた。

その手は、ひどく優しかった。


「お前が力を解放すれば、その存在に気づかれるやもしれん。軽々しく、人前で力を見せるべきではない。分かったな?」


「……はい」


彼の真剣な眼差しに、私はこくりと頷く。

彼は、私の力を利用しようとしているだけではない。心の底から、私の身を案じてくれているのだ。


ふと、彼の手に、傷跡があるのが目に入った。

それは、古く、深い、火傷の痕のようだった。彼の白い肌の上で、痛々しく存在を主張している。


「ゼノヴァルド様……その、お手の傷は……?」


私がそう尋ねた瞬間、彼の身体がびくりと強張った。

そして、彼は慌てたように私から手を離し、傷跡を隠すように袖口を引いた。


「……気にするな。古い傷だ」


そう言って、彼は私から顔を背ける。

その横顔は、いつもの冷徹な表情とは違う、深い哀しみと、そして後悔のような色を浮かべていた。


(触れてはいけない、傷……)


私は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと悟った。


「ご、ごめんなさい! 私、失礼なことを……!」


「……いい」


彼は、静かに首を振った。


「お前が、気にする必要はない」


けれど、その声はどこか遠く、彼の心はここにはないように感じられた。

彼もまた、癒えない傷を抱えて生きているのだ。

孤独な氷竜王。彼が、なぜこれほどまでに心を閉ざしているのか。その理由が、この傷に関係しているのかもしれない。


(知りたい。あなたのことを、もっと)


そう思った。

彼が私を大切に思ってくれるように、私も、彼の力になりたい。

彼の心の傷を、私の力で癒やすことはできないだろうか。


「ゼノヴァルド様」


私が意を決して彼を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを振り返った。

その瞳の奥に、まだ癒えない痛みの色を見て、私の胸は締め付けられた。


「私は、あなたのそばにいます」


「……」


「あなたが、私を必要としてくれる限り、私はずっと、ここにいます。だから……」


私は、彼の傷ついた手に、そっと自分の手を重ねた。


「一人で、苦しまないでください」


私の言葉に、ゼノヴァルド様の瞳が大きく見開かれる。

彼は、信じられないものを見るような目で、私と、重ねられた手とを、交互に見た。

そして、次の瞬間、彼は強い力で私の身体を引き寄せ、その腕の中に閉じ込めた。


「……お前は」


耳元で、彼の掠れた声が聞こえる。


「本当に、ずるい女だな」


その声は、怒っているようでもあり、泣いているようでもあった。

私を抱きしめる彼の腕は、微かに震えていた。


彼の孤独の深さを、私はまだ知らない。

けれど、この腕の震えが、彼の心の叫びなのだとしたら。

私は、ただ黙って、彼の背中を優しく撫でることしかできなかった。


この温もりが、少しでも、彼の凍てついた心を溶かすことができますように。

そう、静かに祈りながら。

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