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06 厨房での大改革と、竜王様のつまみ食い

ゼノヴァルド様の腕の中で目覚める朝は、想像を絶するほど心臓に悪かった。

目の前には、彼の彫刻のように美しい寝顔。閉じられた(まぶた)の下にある、あの冷たい青い瞳を思うと、落ち着かない気持ちになる。

彼の規則正しい寝息が、私の髪を優しく揺らした。


(いつの間に、こんなことに……)


昨夜、温もりをお願いしたはずが、気づけば人型の彼に一晩中抱きしめられていた。

もちろん、彼が何かをしてくることはなかったけれど、この状況はあまりにも刺激が強すぎる。


私が身じろぎすると、彼がうっすらと目を開けた。


「……おはよう、フィーリア」


寝起きで少し掠れた、低い声。その声色に、私の心臓がまた一つ大きく跳ねる。


「お、おはようございます、ゼノヴァルド様……!」


「……近いな」


「そ、それは、ゼノヴァルド様が……!」


私たちが至近距離で見つめ合っていると、不意に、彼の眉間に皺が寄った。

そして、次の瞬間。


ぐううぅぅぅぅ……。


静かな部屋に、間の抜けた音が響き渡った。

音の発生源は、私のお腹だった。


「…………」

「…………」


沈黙が、痛い。

顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。今すぐこの場から消えてしまいたい。

私が毛皮の布団に顔を埋めて悶絶していると、ゼノヴァルド様がくつくつと喉を鳴らして笑う気配がした。


「……腹が減っているのか。いいことだ」


彼はそう言うと、私の頭を優しく撫でた。


「朝食にしよう。今日は、何か特別なものが食べたい気分だ」


「特別なもの、ですか?」


「ああ。お前の作った、あのスープのようなものがな」


彼の言葉に、私ははっと顔を上げた。



朝食の後、私はある決意を胸に、厨房へと向かっていた。

ゼノヴァルド様が、私の力で作った料理を「美味しい」と言ってくれた。それが、たまらなく嬉しかったのだ。


(もっと、美味しいものを食べてもらいたい。この城の人たちにも、元気になってもらいたい)


氷晶城の厨房は、広くて清潔だったけれど、どこか活気がなかった。

そして、食材庫を覗かせてもらうと、その理由が分かった。

並んでいるのは、干し肉や固いパン、塩漬けの野菜など、保存食ばかり。呪いの影響で、新鮮な食材が手に入らないのだ。


『つらい……カチカチだよ……』

『もう一度、太陽の光を浴びたい……』


食材たちから、悲しい声が聞こえてくる。


「私が、皆さんを元気にしますからね」


私は腕まくりをすると、厨房の責任者である料理長に声をかけた。

恰幅(かっぷく)のいい、いかにも頑固そうな初老の男性だ。


「料理長。私に、少しだけ厨房を使わせてもらえませんか?」


「……フィーリア様。ここは、女子供の遊び場ではございません」


案の定、料理長は渋い顔をした。


「分かっています。でも、私には、この食材たちを、もっと美味しくする方法があるんです」


私は、食材庫から塩漬けにされて萎びた野菜をいくつか取り出すと、大きなボウルに入れた。そして、そこに清らかな水を注ぎ、両手をかざして『生命の祝福』の力を注ぎ込んだ。


すると、奇跡が起こった。

萎びていた野菜が、みるみるうちに瑞々しさを取り戻していく。まるで、たった今畑から採ってきたかのように、生き生きとした色艶になったのだ。


「なっ……!?」


その光景を見ていた料理長や他の料理人たちが、息を呑む。

私はにっこりと微笑んだ。


「さあ、料理長。この野菜で、最高のスープを作りましょう!」


私のその一言を皮切りに、厨房はかつてない活気に包まれた。

私が力を注いで蘇らせた食材を、熟練の料理人たちが次々と調理していく。

厨房中に、食欲をそそる良い香りが立ち込める。


私も、エプロンを借りて調理を手伝った。

実家では、私が厨房に入ることは許されなかったけれど、料理の本を読むのが好きで、知識だけはあったのだ。

実際に調理をするのは初めてだったけれど、見よう見まねで野菜を切ったり、スープをかき混ぜたりするのは、とても楽しかった。


お昼時、城の食堂には、今までにない豪華な料理が並んだ。

彩り豊かな野菜のサラダ、具沢山のシチュー、ふっくらと焼きあがったパン。

そして、私が心を込めて作った、特製の野菜スープ。


「すごい……! こんなに美味しいものは、何年ぶりに食べたか……!」


「野菜が、甘い……!」


食堂に集まった侍女や兵士たちは、皆、目を輝かせながら料理を頬張っていた。

その幸せそうな顔を見ているだけで、私の胸は温かくなる。


ふと視線を感じて顔を上げると、食堂の入り口に、ゼノヴァルド様が腕を組んで立っていた。

いつからそこにいたのだろう。彼は、満足そうな、それでいて少しだけ複雑そうな顔で、活気あふれる食堂の様子を眺めていた。


目が合うと、彼は私を手招きした。

私が彼の元へ駆け寄ると、彼は小さな声で言った。


「……少し、いいか」


そう言って、彼は私を厨房の裏手へと連れ出した。


「どうしたんですか、ゼノヴァルド様?」


「いや……その……」


彼は、どこか言い出しにくそうに視線を彷徨わせている。

あの冷酷な氷竜王様が、どうしたというのだろう。


「……味見だ」


「え?」


「味見を、させろ」


彼はそう言うと、私の手から、私が味見用に使っていたスープの小皿をひったくった。

そして、まるで子供のように、こくりとスープを飲み干した。


「……うん。美味い」


満足そうに頷く彼の姿に、私は思わず笑ってしまった。


「ふふっ。ゼノヴァルド様、食堂にもたくさんありますよ?」


「……うるさい。俺は、お前が作ったものが、一番に食べたかっただけだ」


ぶっきらぼうにそう言って、彼はそっぽを向く。

その耳が、ほんのり赤く染まっているのを、私は見逃さなかった。


(可愛い……)


また、不敬なことを考えてしまった。

でも、そう思ってしまうのだから仕方がない。


「フィーリア」


「はい」


「……今日の働き、見事だった。礼を言う」


「いいえ! 私が、やりたかったことですから」


「そうか」


彼は、私の頭に、ぽん、と大きな手を置いた。

その手つきは、不器用だけど、とても優しかった。


「だが、あまり無理はするな。お前の力が、厨房仕事のためだけにあるのではないことを、忘れるなよ」


「はい、分かっています」


彼の言葉は、私への気遣いと、そして、彼が私に寄せている期待の大きさを物語っていた。

私にしか、できないことがある。

この地を、この国を救うという、大きな使命が。


「さあ、戻るぞ。俺も、腹が減った」


ゼノヴァルド様は、私の手を引いて、食堂へと向かう。

彼の大きな背中を見つめながら、私は決意を新たにする。


美味しいご飯は、人を幸せにする。

でも、本当の幸せのためには、この土地にかけられた呪いそのものを解かなければならない。

私の力の、本当の使い道。

それを見つけるのが、私の次の役目だ。


ゼノヴァルド様と一緒に、この冷たい大地に、本当の春を呼び戻すのだ。

そう、強く心に誓った。

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