05 竜王様のお説教と、初めての独占欲
ゼノヴァルド様に腕を掴まれたまま、私はなすすべもなく馬車へと連れ戻された。
街の人々は、恐れ多い氷竜王の登場に、みなが道を空けている。その視線が、痛いほど背中に突き刺さった。
馬車に乗り込むと、重い沈黙が流れた。
向かいの席に座るゼノヴァルド様は、窓の外を眺めたまま一言も口を開かない。その横顔は彫像のように冷たく、感情が読み取れなかった。
けれど、その全身から放たれる「不機嫌」というオーラは、馬車の中の空気を針のように尖らせていた。
(私、何か、してはいけないことをしてしまったのだろうか……)
街の人を助けたことは、悪いことではないはずだ。
でも、彼の許可なく、勝手なことをしたのがいけなかったのかもしれない。
私は、彼にとって「所有物」なのだから。所有物が、主人の意に反する行動を取れば、怒られても仕方がない。
胸が、きゅうっと痛む。
謝らなければ。
「あの、ゼノヴァルド様……」
おそるおそる声をかけると、彼はゆっくりとこちらに視線を向けた。
その青い瞳は、凍てついた湖のように静かで、底が見えない。
「勝手なことをして、申し訳ありませんでした。ご迷惑を、おかけしました」
私が頭を下げると、彼はふいと顔をそむけた。
「……迷惑だとは思っていない」
「え……?」
「だが、感心もしない」
彼の言葉は、相変わらず冷たい。
「お前は、自分の力を軽んじている」
「そんなことは……!」
「軽んじていなければ、あんな無防備に、見ず知らずの者の前で力を使うはずがない」
ゼノヴァルド様は、再び私を真っ直ぐに見据えた。
その瞳には、今まで見たことのない、厳しい光が宿っていた。
「お前の『生命の祝福』は、唯一無二の力だ。その価値を、お前自身が一番理解していない」
彼の言葉に、私はハッとする。
「もし、お前の力を悪用しようと企む者が現れたらどうする? もし、お前を攫おうとする者が現れたら? 護衛がいたとはいえ、街中で力を使えば、噂はすぐに広まる。そうなれば、お前は危険に晒されることになるんだぞ」
それは、私が全く考えていなかったことだった。
ただ、目の前の人を助けたい。その一心だった。
その行動が、どんな結果を招くかなんて、想像もしていなかった。
「……申し訳、ありません……」
自分の浅はかさが恥ずかしくて、顔が上げられない。
「私は、ただ、あの子のお母さんを助けたくて……」
「その気持ちを、否定するつもりはない」
ゼノヴァルド様の声が、少しだけ和らいだ。
「だが、お前の身に何かあれば、誰がこの大地を救う? 誰が、俺を……」
彼は、そこまで言って口をつぐんだ。
(誰が、俺を……?)
その続きが、気になった。
けれど、聞くことはできなかった。
「フィーリア。お前は、もっと自分を大切にしろ」
静かな、けれど有無を言わさぬ命令だった。
「お前は、この地の希望であり……俺の、希望なのだから」
そう言った彼の瞳は、ひどく真剣で、どこか切なそうだった。
その瞳に見つめられると、心臓が大きく音を立てる。
彼は、私のことを、本気で心配してくれていたのだ。
彼の言葉は、お説教というよりも、悲痛な叫びのように聞こえた。
「……はい。これからは、気をつけます」
私がそう答えると、彼はようやく、険しい表情を解いた。
そして、大きな溜息をつくと、ごしごしと自分の眉間を揉んだ。
「……心臓に悪い」
ぽつりと漏らされた言葉は、とても小さくて、私にだけ聞こえるくらいの声だった。
その声が、なんだか彼の本音のように思えて、私の胸は温かいもので満たされていく。
怒られているはずなのに、嬉しいと思ってしまうのは、どうしてだろう。
◇
城に戻ると、ゼノヴァルド様は私を自室まで送ってくれた。
扉の前で、彼は立ち止まる。
「疲れただろう。今日はもう休め」
「はい。あの、ゼノヴァルド様」
「なんだ?」
「……ありがとうございました。心配、してくださって」
私がそう言うと、彼は少し驚いたように目を見開いた後、気まずそうに視線を逸らした。
「……当然だ。お前は、俺の所有物なのだからな」
その言葉は、以前聞いた時とは、少し違う響きに聞こえた。
まるで、照れ隠しのように。
彼が去っていく背中を見送りながら、私は自分の頬が熱くなっていることに気づいた。
所有物、という言葉に、胸がときめいてしまった自分に、戸惑いを隠せない。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。
ゼノヴァルド様の、あの真剣な眼差しが、脳裏に焼き付いて離れない。
(自分を、大切にしろ……)
今まで、誰にもそんなことを言われたことはなかった。
家族でさえ、私を気遣ってくれることなどなかったのに。
彼は、私という存在そのものを、価値あるものとして見てくれている。
それが、くすぐったくて、嬉しくて、そして少しだけ怖かった。
こんなに優しくされて、私はどうしたらいいのだろう。
この気持ちは、なんなのだろう。
ぐるぐると考え事をしていると、不意に、窓の外から微かな音がした。
コン、コン、と。誰かが窓を叩いている。
(……!)
こんな夜更けに、誰だろう。
恐る恐るベッドを抜け出し、バルコニーへと続く窓に近づく。
そこにいたのは、巨大な氷竜の姿だった。
ゼノヴァルド様が、大きな身体を縮こまらせるようにして、バルコニーに佇んでいた。
「ゼノヴァルド様……!? どうなさったのですか?」
私が驚いてガラス戸を開けると、彼は気まずそうに私から視線を逸らした。
『……いや、その……』
脳内に響く声が、歯切れが悪い。
『お前が、眠れているか、気になってな……。昼間、あんなことがあったから』
彼は、まだ私のことを心配してくれていたのだ。
その事実に、胸がきゅんとなる。
「私は、大丈夫ですよ。それより、そんな所で寒くないですか?」
『竜の身体は、寒さには強い』
そうは言うものの、彼の様子はどこか落ち着かない。
私は、ふと、ある考えを思いついた。
それは、私にとって、とても勇気のいる提案だった。
「あの、ゼノヴァルド様」
『なんだ?』
「もし、よろしければ……ですけど……」
私は、ごくりと唾を飲み込む。
「昨日のように……その、……温めて、もらえませんか?」
言ってしまってから、自分の大胆さに顔が真っ赤になる。
なんてことを口走ってしまったんだろう!
きっと、呆れられてしまう。
『…………』
ゼノヴァルド様は、しばらく無言だった。
ああ、やっぱり、嫌われてしまったかもしれない。
私が後悔に打ちひしがれていると、彼の身体が眩い光を放った。
光が収まると、そこには人型のゼノヴァルド様が立っていた。
そして、彼は一言も発しないまま、部屋の中へと入ってくると、私を軽々と横抱きにした。
「きゃっ!?」
「……お前は、本当に」
呆れたような、でもどこか嬉しそうな声で、彼は呟いた。
「俺を煽るのが上手いな」
そのままベッドへと運ばれ、私は彼と一緒に毛皮の布団の中へと潜り込むことになった。
背後から、彼のたくましい腕が、私の身体を優しく抱きしめる。
彼の胸板は硬くて、でも、とても温かかった。心臓の音が、背中越しに伝わってくる。
「……これなら、寒くないだろう」
耳元で囁かれた声に、私の身体はびくりと震えた。
「は、はい……」
近すぎる距離に、頭がどうにかなりそうだった。
でも、不思議と嫌な気はしない。むしろ、彼の腕の中にいると、心が安らぐ。
「フィーリア」
「はい……」
「……もう、俺の前からいなくなるな」
それは、命令のようで、懇願のようでもあった。
彼の腕の力が、少しだけ強くなる。
「はい。どこへも、行きません」
「……そうか」
彼はそれだけ言うと、あとは何も言わなかった。
けれど、私を抱きしめる腕は、決して緩むことはなかった。
彼の温もりと、規則正しい寝息に包まれて、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
冷酷だと噂される氷竜王様が、こんなにも独占欲が強くて、寂しがり屋だなんて、きっと誰も知らないだろう。
その秘密を、私だけが知っている。
その事実が、私の心を甘く満たしていくのだった。