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03 初めての『わがまま』と、もふもふな暖房器具

ゼノヴァルド様の瞳に映る自分を見て、私は不思議な気持ちになっていた。

今まで、誰かの瞳にこんな熱のこもった期待を映されたことなど、一度もなかったから。


彼の大きな手が、私の頬を包んだまま、壊れ物を扱うかのように優しく髪を撫でる。


「疲れただろう。今日はもう休むといい」


「……はい」


「明日、改めてこの城を案内させよう。お前の力が必要な場所が、ここにはたくさんある」


彼の言葉に、私はこくりと頷いた。

必要とされること。それがこんなにも心を温かくするなんて、知らなかった。


ゼノヴァルド様は私の手を取り、ベッドへと促す。


「何か不自由なことがあれば、遠慮なく言え。侍女を呼ぶためのベルはそこだ」


彼が指差した先には、ベッドサイドのテーブルに置かれた小さな銀のベルがあった。


「……ありがとうございます」


私がベッドに入り、あの白銀の毛皮の布団を肩まで引き上げるのを見届けると、ゼノヴァルド様は静かに部屋を出て行った。

一人になると、どっと疲れが押し寄せてくる。怒涛の一日だった。追放され、竜に(さら)われ、そして希望だと言われるなんて。


(これから、どうなるんだろう……)


不安が全くないと言えば嘘になる。

けれど、それ以上に、私の心を満たしていたのは、小さな双葉が芽吹いた時の、あの感動だった。

私にも、できることがある。

そう思うだけで、胸の奥に小さな勇気の炎が灯るようだった。


やがて、私は深い眠りに落ちていった。



翌朝、目を覚ました私は、まず自分の服装に困ってしまった。

着ているのは、追放された時に身につけていた、くたびれた濃紺のドレス一枚だけ。眠っている間にシワだらけになってしまっている。


(どうしよう……。侍女の方を呼ぶべきかしら)


けれど、ベルを鳴らす勇気が出ない。

今まで、人に何かを頼むということをしてこなかった。自分のことは自分で、迷惑をかけないように。そうやって生きてきたのだ。


私がうじうじと悩んでいると、控えめなノックの音と共に扉が開いた。

入ってきたのは、昨日食事を運んできてくれた、初老の侍女だった。柔和な顔立ちの、優しそうな人だ。


「フィーリア様、おはようございます。竜王様より、お召し物をお持ちいたしました」


彼女が差し出した腕には、何着もの美しいドレスが掛けられていた。

淡い水色、若草色、ひまわりのような黄色。どれも上質な生地で作られていて、私が今まで着たことのないような、明るく華やかな色ばかりだ。


「こ、こんなにたくさん……」


「はい。フィーリア様にお似合いになるかと思い、いくつかご用意させていただきました。さあ、どうぞお好きなものをお選びください」


にこやかに微笑む侍女に、私は戸惑ってしまう。


「で、でも、こんな高価なものをいただくわけには……」


「何を仰います。フィーリア様は、この城にお迎えした大切なお客様。竜王様からも、何一つ不自由のないようにと厳命されております。さあ、ご遠慮なさらず」


侍女――名をマーサというらしい――に促され、私はおずおずと一着のドレスに指を伸ばした。

それは、春の木漏れ日のような、優しいクリーム色のワンピースだった。胸元には、ささやかな花の刺繍が施されている。


「……これが、いいです」


「まあ、フィーリア様によくお似合いになりそうですわ。さ、こちらでお着替えを」


マーサに手伝ってもらいながら、新しいドレスに袖を通す。

姿見の前に立つと、そこにいたのは、自分ではない誰かのように見えた。

いつも俯きがちだったせいか、酷く顔色が悪く見えていたのに、明るい色のドレスを着ただけで、血色が良く見えるから不思議だ。


「とても素敵ですわ、フィーリア様」


マーサの手放しの賞賛に、私の頬が熱くなる。


「ありがとうございます……」


身支度を終えると、マーサは私を食堂へと案内してくれた。

そこには、すでにゼノヴァルド様が座って待っていた。


「おはよう、フィーリア。よく眠れたか?」


「はい、おはようございます。ゼノヴァルド様」


私が席に着くと、彼は私の姿を一瞥し、わずかに目を見張った。


「……そのドレス、よく似合っている」


「あ、ありがとうございます……!」


まさか褒められるとは思わず、心臓が跳ねる。

彼の素直な言葉が、くすぐったくて、でもとても嬉しかった。


朝食の席で、ゼノヴァルド様はこの城と領地のことについて、いくつか話してくれた。

この城は「氷晶城」と呼ばれていること。領民たちは城の麓の街で暮らしているが、呪いのせいで皆、困窮していること。そして、城の中にも、呪いの影響で弱ってしまっている場所があること。


「まずは、城の中庭を見てほしい。あそこは、かつて様々な薬草や花が咲き誇る、美しい庭園だった」


彼の声に、寂しげな色が混じる。


「だが、今は見る影もない。もし、お前の力であの庭を蘇らせることができれば……」


「はい! やらせてください!」


私は、思わず身を乗り出していた。

彼の力になりたい。この美しい城の、そして苦しんでいる領民たちの力に。


私の強い意志を感じ取ったのか、ゼノヴァルド様は静かに頷いた。


「……頼む」



朝食の後、私はゼノヴァルド様に連れられて、中庭へと向かった。

そこは、彼の言葉通り、荒れ果てた場所だった。

地面は固くひび割れ、枯れた木々がまるで墓標のように立ち並んでいる。かつての美しさを(しの)ばせる噴水も、今は水を失い、苔むしているだけだ。


『苦しい……水がほしい……』


『もう、光を浴びることもないのね……』


大地から、植物たちの悲痛な声が聞こえてくる。

私は、ぎゅっと拳を握りしめた。


「ひどい……」


「ああ。これが、今のこの地の姿だ」


ゼノヴァルド様が、悔しそうに呟く。


「フィーリア。お前に無理はさせたくない。できる範囲でいい。少しでも、この庭に生命の息吹を取り戻してはくれんだろうか」


「はい、もちろんです!」


私は庭の中央まで進み出ると、深く息を吸い込んだ。

そして、ゆっくりと地面に両手をつく。


目を閉じ、意識を集中させる。

私の力を、この大地へ。隅々まで、行き渡るように。

お願い、元気になって。もう一度、美しい花を咲かせて。


私の身体から、温かな光が溢れ出すのが自分でも分かった。

それは、今まで感じたことのないほど、強く、膨大な力だった。この土地の悲しみに、私の力が共鳴しているかのようだ。


すると、奇跡が起こった。


私の手をついた場所から、柔らかな緑の光が波紋のように広がっていく。

光が通り過ぎた場所から、固かった土がふかふかと柔らかくなり、枯れ木だった木々の枝先に、次々と若葉が芽吹いていく。

乾いていた噴水からは、清らかな水が湧き出し始めた。


そして、足元には、色とりどりの花が、まるで魔法のように咲き乱れていく。

赤、青、黄色、ピンク……。

生命の喜びに満ちた色彩が、灰色の庭園を鮮やかに塗り替えていく。


「……すごい」


呆然と呟いたのは、ゼノヴァルド様だった。

私も、目の前で起こっている光景が信じられなかった。私の力に、こんなことができたなんて。


庭の再生が終わる頃には、私はすっかり力を使い果たし、その場にへなへなと座り込んでしまった。


「フィーリア!」


ゼノヴァルド様が慌てて駆け寄り、私の身体を支えてくれる。


「大丈夫か!? 無茶をしすぎだ!」


「だ、大丈夫です……。ちょっと、疲れただけで……」


彼の腕の中で息を整えていると、私の鼻先を、ふわりと甘い香りが掠めた。

見ると、私たちのすぐそばに、一輪の白薔薇が大輪の花を咲かせていた。気高く、清らかなその姿は、まるで……。


「奇跡の薔薇……」


ゼノヴァルド様が、息を呑む。


「これは、初代氷竜王が愛したという伝説の薔薇だ。呪いと共に枯れたはずだったのに……」


彼が、愛おしそうにその花を見つめている。

その横顔を見て、私はふと思った。


(そうだ。この方に、笑顔になってほしい)


私は、残った力を振り絞って、一つの『わがまま』を口にしてみることにした。

生まれて初めての、自分のための願い。


「あの、ゼノヴァルド様」


「なんだ?」


「その……もし、よろしければ……」


言いかけて、口ごもる。こんなことをお願いして、呆れられないだろうか。

でも、言いたい。


「竜の、お姿を……見せて、いただけませんか?」


私の言葉に、ゼノヴァルド様は驚いたように目を瞬かせた。


「……なぜだ?」


「その、ゼノヴァルド様の竜のお姿は、とても、美しかったから……。もう一度、この美しいお庭で、見てみたいんです」


正直な気持ちを伝えると、彼はしばらく黙り込んだ後、ふっと小さく息を漏らした。


「……分かった。お前が、そう望むなら」


次の瞬間、彼の身体が眩い光に包まれた。

光が収まると、そこには、あの巨大な氷竜の姿があった。

再生した庭園の瑞々しい緑と色とりどりの花々を背景に、彼の白銀の鱗は以前にも増して神々しく輝いて見える。


美しい……。

私は、思わず感嘆の息を漏らした。


氷竜――ゼノヴァルド様は、ゆっくりと私の前に巨体を横たえると、その大きな頭をそっと私の膝に預けてきた。


「……!」


驚いて固まっていると、脳内に直接、彼の声が響いてくる。


『礼を言う、フィーリア。お前のおかげで、この庭は息を吹き返した』


「いえ、そんな……」


『少し、冷えるだろう。これで我慢しろ』


そう言うと、彼は巨大な尻尾で、私の身体を優しくくるりと包み込んだ。

彼の尻尾は、鱗ではなく、ふさふさとした白銀の毛で覆われている。

その毛は、信じられないくらい柔らかくて、温かい。


もふもふ……!


まるで、最高級の毛皮に包まれているみたいだ。

冷え始めていた身体が、じんわりと温められていく。


「……温かいです」


『そうか』


私は、おそるおそる、彼の頭を撫でてみた。

硬い鱗を想像していたけれど、そこも滑らかで、ひんやりとして気持ちがいい。

私が撫でると、ゼノヴァルド様は気持ちよさそうに、ゴロゴロと喉を鳴らした。その振動が、膝から全身に伝わってくる。


なんだか、大きな猫みたいだ。

冷酷だと噂される氷竜王様の、意外な一面。


(可愛い……)


そんな不敬なことを考えていると、彼がむくりと顔を上げた。


『……今、何か不埒なことを考えなかったか?』


「い、いえ! 何も!」


私はぶんぶんと首を横に振る。心を読まれてしまったのかもしれない。

ゼノヴァルド様は、疑わしげに私をじっと見つめていたが、やがて諦めたように再び私の膝に頭を乗せた。


春の日差しのように穏やかな光が降り注ぐ庭園で、私は最上級のもふもふな暖房器具に包まれながら、優しい時間を過ごす。

ほんの二日前まで、出来損ないと蔑まれ、吹雪の中に捨てられたのが嘘のようだ。


この温かさを、この幸せを、失いたくない。

そのためにも、私はもっと頑張らなくては。


私はそっと、ゼノヴァルド様の頭をもう一度撫でた。

彼が私を必要としてくれる限り、私は彼のそばにいよう。そう、心に誓った。

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