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17 最終決戦の幕開けと、世界の終わり

床で無様に気絶している三人の愚者たちに、私たちはもう一瞥もくれなかった。

彼らの存在は、もはや私たちの物語にとって、取るに足らない過去の染みでしかない。

今、私たちが対峙すべきは、彼らのような矮小な悪意ではない。

この世界そのものを、絶望で塗りつぶそうとする、根源的な悪そのものだ。


「ゼノヴァルド様!」


「ああ!」


私たちは書庫のバルコニーから、眼下に広がる絶望的な光景を見据えた。


氷晶城の周囲が、まるで巨大な生き物のように、(うごめ)く闇に包まれている。

空からは、粘つくような暗紫色の雨が降り注ぎ、大地に触れた途端、ジュウッと音を立てて緑を黒く焼き焦がしていく。

そして、城を取り囲むように、大地から何百、何千という黒い触手が突き出し、城壁を、結界を、喰らおうと蠢いていた。


『ククク……ハハハハハ! 見つけたぞ、女神の残滓(ざんし)! そして、竜王の小僧!』


ヴォルデモスの声が、今度は世界全体から響き渡るように、私たちの脳内に直接語りかけてくる。

その声は、もはや封印の綻びから漏れ出す微かなものではない。圧倒的な存在感を伴った、神そのものの声だった。


『我が復活の糧となるがいい! お前たちの生命力、その愛も希望も、全てを喰らい尽くし、我が力としてくれよう!』


声と共に、城の北側の地平線が、裂けた。

空間そのものが裂け、そこから、奈落の闇が溢れ出してくる。

そして、その闇の中心から、ゆっくりと、ヴォルデモスの本体が、その姿を現し始めた。


それは、神話の書物に描かれていた、あの異形の姿。

山のように巨大な、定まった形のない、黒い粘体の(かたまり)

その(かたまり)から、無数の触手と憎悪に満ちた赤い目が無数に生えている。

その姿は、見る者の正気と希望を根こそぎ奪い去る、冒涜的な存在だった。


「あれが……ヴォルデモス……!」


あまりの邪悪な存在感に、私の足が震える。

黒竜王バルバトスでさえ、この邪神の、ほんの小さな駒に過ぎなかったのだ。

私たちが本当に戦わなければならない相手は、これほどの絶望の化身だというのか。


「怯むな、フィーリア!」


隣に立つゼノヴァルド様が、私の手を強く握った。

その手から伝わる温もりが、恐怖に凍りつきそうになる私の心を奮い立たせてくれる。


「あれが神だというのなら、俺は、神を殺す竜となろう。お前と、共に」


「……はい!」


私たちは、顔を見合わせ、力強く頷いた。

ゼノヴァルド様は、その場で氷竜の姿へと変わる。

私も、背中に光の翼を生やし、彼の隣に並び立った。

白銀の竜と、光の翼を持つ聖女。

絶望の闇の中に、二つの輝く光が灯った。


『行くぞ!』

「はい!」


私たちは、城壁を飛び越え、ヴォルデモスへと向かって飛翔した。

城に残る兵士たちが、私たちの姿を見て、(とき)の声を上げる。


「竜王様とフィーリア様が行かれたぞ!」

「我々も、ここで死ぬわけにはいかん! 城を守り抜け!」


兵士たちは、恐怖を勇気に変え、城壁に迫る無数の触手を、剣や魔法で必死に迎え撃つ。

その一人一人の生命の輝きが私の力となり、背中の翼をさらに強く輝かせた。


『小賢しい! まずは、その忌々しい光の翼から、もぎ取ってくれるわ!』


ヴォルデモスの本体から、一際巨大な数本の触手が、凄まじい速度で私たちを薙ぎ払おうと迫ってくる。

一本一本が城の塔ほどの太さを持つ、破壊の化身だ。


『させるか!』


ゼノヴァルド様が、絶対零度のブレスを放つ。

触手は、表面が凍りつき、動きが鈍る。

その隙に、私は、両手から浄化の光を放った。


聖の祝福(ホーリー・ブレス)!』


純白の光が、凍りついた触手を直撃し、その存在を塵へと還していく。

しかし、ヴォルデモスは、即座に新たな触手を再生させた。

きりがない。本体を、直接叩かなければ。


私たちは、無数の触手の攻撃を()(くぐ)りながら、ヴォルデモスの巨大な本体へと肉薄していく。

近づけば近づくほど、その邪悪な気配は強くなり、精神が直接削られていくような感覚に陥る。


『フィーリア、奴の核はどこだ!?』


「分かりません……! 大きすぎて、邪悪すぎて、中心がどこなのか……!」


黒竜のように、分かりやすい核が見当たらない。

本体そのものが核なのだとしたら、あまりにも巨大すぎる。


私たちが攻めあぐねていると、ヴォルデモスが(あざけ)るように笑った。


『無駄だ、無駄だ! 我が肉体は、奈落の闇そのもの! 核などという、脆弱なものは存在せぬわ!』


その言葉と共に、ヴォルデモスの身体に浮かぶ無数の赤い目が、一斉に、赤い光線を放ち始めた。

それは、生命力を直接奪い去る、呪いの光線だった。

空を埋め尽くすほどの光線が、雨のように私たちに降り注ぐ。


『くっ……!』


ゼノヴァルド様は、巨大な氷の壁を作り出し、光線を防ぐ。

しかし、呪いの光線は、氷の壁をじわじわと溶かしていく。

防戦一方だ。このままでは、ジリ貧になってしまう。


(何か、方法はないの……!?)


私が焦りを募らせた、その時だった。

私の脳裏に、直接、別の声が響いてきた。


『――我が愛しき子孫よ』


それは、女性の、どこまでも優しく、そして神々しい声だった。


(この声は……女神様……!?)


『そうです。私は、かつて、この世界に生命を育んだ者。そして、あなたに、この力を託した者です』


『邪神ヴォルデモスの言葉に、惑わされてはなりません。彼にも、核はあります。いえ、彼だからこそ、その存在を維持するための、唯一無二の核があるのです』


「核は、どこにあるのですか!?」


『彼の核は、物質ではありません。彼の力の源……それは、彼が、世界で最初に感じた感情。――『嫉妬』です』


嫉妬?


『遥か昔、私がこの世界に生命の光を灯した時、光の届かぬ奈落の闇で、彼は生まれました。彼は、光を持つ私を、そして、光の下で生きる全ての生命を、ただひたすらに妬んだのです。その純粋な嫉妬心こそが、彼の存在の核』


『その核は、彼の本体の、最も暗く、最も冷たい場所に隠されています』


女神様の言葉が、私に道を示してくれる。

最も暗く、冷たい場所。

私は全神経を集中させ、ヴォルデモスの巨大な身体の、魔力の流れを探った。


邪悪なエネルギーが、嵐のように渦巻いている。

けれど、その嵐の中心に、たった一つだけ、全てのエネルギーが吸い込まれていく、絶対零度の「無」の領域があった。

そこだけが、不自然なほどに、静まり返っている。


(あそこだ……!)


「ゼノヴァルド様!」


私は叫んだ。


「核が分かりました! 本体の中心……エネルギーの渦が、途切れている場所です!」


『なにっ!? よし、分かった!』


ゼノヴァルド様は、私の言葉を信じ、進路を変えた。


「俺が道を作る! お前は、その一点を全力で浄化しろ!」


「はい!」


私たちは、最後の賭けに出た。

ゼノヴァルド様が、咆哮を上げる。

彼は防御を捨て、その身に呪いの光線を何発も浴びながら、一直線にヴォルデモスの本体の中心へと突っ込んでいく。


鱗が焼け(ただ)れ、赤い血が流れる。

けれど、彼は止まらない。

愛する(つがい)に、未来を託すために。


『おおおおおおおおおおっ!!』


最後の力を振り絞り、彼は、巨大な氷の(くさび)となって、ヴォルデモスの本体に、風穴を開けた。

一瞬だけ、核へと続く道が開かれる。


「ゼノヴァルド様っ!」


私は、開かれた道へと、光の矢となって飛び込んだ。


そして、ついに、邪神の核へと、たどり着いた。

そこにあったのは、ただ凍てついた、一人の少年の姿だった。

光を知らず、ただ膝を抱えて泣いている、孤独な少年の幻影。

これが、ヴォルデモスの、最初の姿。『嫉妬』の化身。


『……くるな……。俺の世界に、光を持ち込むな……!』


少年の幻影が、私を拒絶する。

けれど、私は彼に向かって、そっと手を差し伸べた。


「……あなたは、ただ、寂しかったのですね」


私の手から放たれるのは、もはや浄化の光だけではなかった。

彼を哀れむ、慈愛の光。


「光が、欲しかったのですね」


その光に触れた瞬間、少年の幻影――ヴォルデモスの核は、驚愕に目を見開いた。

そして、初めて、その瞳から、黒い涙を一筋、流した。


それが、世界の終わりと、新しい始まりの合図だった。

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