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16 愚者たちの断罪と、氷竜王の逆鱗

客間に満ちる空気は、氷のように冷たく、張り詰めていた。

それは、部屋の主である氷竜王が放つ、絶対零度の怒りの気配そのものだった。

その圧倒的な威圧感の前に、王都からの使者――エリオット王太子、アルフォンス公爵、そしてセレスティアは、自分たちが獲物を前にした哀れな小動物に過ぎないことを、ようやく理解し始めていた。


しかし、愚か者は、自分が崖っぷちに立たされていることに気づかない。

エリオット王太子は、震える膝を必死で叱咤(しった)し、なけなしの虚勢を張って口火を切った。


「ゼノヴァルド……いや、辺境伯。久しいな。王太子である私が、直々に足を運んでやったのだ。その無礼な態度は、いかがなものか」


「……御用件を」


ゼノヴァルド様は、玉座に深く腰掛けたまま、エリオットを一瞥だにしない。その態度は、彼を王太子としてではなく、ただの取るに足らない存在として扱っていることを、雄弁に物語っていた。


エリオットの顔が、屈辱に赤く染まる。

彼は、咳払いを一つすると、本題に入った。


「単刀直入に言おう。そこにいるフィーリアを、王都へ返還してもらいたい。これは、我が国の民の総意であり、国王陛下からの、正式な『王命』である」


その尊大な言葉に、私は思わず目を見開く。

私を捨てたのは、あなた方だというのに。今さら、どの口がそんなことを言うのだろう。


エリオットは、私の反応を見て、勝ち誇ったように続けた。


「フィーリア! お前の持つその奇跡の力、国のために役立てる時が来たのだ! 王都へ戻り、この私と、民のために尽くすことを許す! 光栄に思うがいい!」


彼は、本気で、私がその言葉に感激するとでも思っているのだろうか。

あまりの身勝手さに、怒りを通り越して、もはや憐れみすら感じてしまう。


私が反論しようとするより先に、今度はアルフォンス公爵が、わざとらしく悲痛な表情を浮かべて一歩前に出た。


「フィーリア……我が娘よ! すまなかった! お前を追放したのは、お前の身を案じてのことだったのだ! この父の、苦渋の決断を、どうか分かってほしい!」


「……お父様。私の身を案じる方が、吹雪の荒野に、ドレス一枚で娘を捨てるとは、初めて知りましたわ」


私の冷たい返答に、アルフォンスはぐっと言葉に詰まる。


すると、今度はセレスティアが、目に涙を浮かべて私の前に進み出た。


「フィーリア姉様、お願い! 王都へ戻ってきて! 私、寂しかったのよ……お姉様がいなくなって……。毎日お姉さまのことを想って泣いていたの。昔のように、また姉妹仲良く暮らしましょう? ね?」


その白々しい演技に、私の心は、もう一ミリも揺れ動かなかった。

ああ、この人たちは、本当に何も変わっていない。

自分たちの都合の良いように、嘘と欺瞞(ぎまん)を並べ立て、私を「道具」として利用しようとしているだけだ。


私は、静かに息を吸い込んだ。

そして、かつての「出来損ない」ではない、氷竜王の(つがい)となる女として、毅然と言い放った。


「お断りします」


その一言は、静かだったが、部屋の隅々まで、はっきりと響き渡った。


「私が誰であろうと、どこで誰と生きようと、それは私が決めることです。あなた方に、私の人生を指図する権利は、もはやありません」


「なっ……!」


「お父様。あなたが私を捨てたあの日、私たちは、もう親子ではなくなりました。セレスティア、あなたが私のことを見下し、父や王太子殿下の言葉を肯定したあの日、私たちの姉妹の絆は、切れました」


私は、顔面蒼白になっているエリオット王太子を、真っ直ぐに見据えた。


「そして、エリオット殿下。あなたが私を『無価値』だと罵り、私の心を散々踏みにじったこと、私は決して忘れません。あなたに、私を求める資格など、微塵もありませんわ」


私の、はっきりとした拒絶の言葉。

それは、彼らが今まで信じてきた「自分たちは常に正しい」という傲慢な世界観を、木っ端微塵に打ち砕いた。


「き、貴様ッ! 出来損ないの分際で、この私に逆らうというのか!」


エリオットが、逆上して叫ぶ。


「そうだ! 分かったぞ! 氷竜王、貴様がこの女を(そそのか)したのだろう! 我が国の至宝を誑かし、独占しようなど、万死に値するぞ!」


その、あまりにも愚かな責任転嫁の言葉が、引き金だった。


今まで、沈黙を守っていたゼノヴァルド様が、ゆっくりと立ち上がった。

その瞬間、部屋の温度が、物理的に数度下がった。

壁や窓に、霜が降り始める。


「……黙れ、愚か者」


地獄の底から響くような、低い声。

その声に含まれた殺気だけで、エリオットとアルフォンスは、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。セレスティアも、悲鳴を上げて後ずさる。


「……王太子? 王命? それが、どうした」


ゼノヴァルド様は、ゆっくりと、しかし抗いがたい威圧感を放ちながら、彼らに歩み寄る。


「この俺が、この国の法と秩序を守っているのは、ただ、そうすべきだと判断しているからに過ぎん。王家など、その気になれば、指の一本で潰せるのだということを、忘れたか?」


彼の青い瞳が赤黒い光を宿す。

それは、竜の逆鱗に触れた者だけが見ることを許される、破滅の色。


「お前たちは、根本的な勘違いをしている」


ゼノヴァルド様は、私の腰を優しく抱き寄せると、高らかに宣言した。


「フィーリアは、俺の『所有物』ではない。この俺こそが、彼女に魂を捧げると誓った、彼女だけの『所有物』なのだ」


「な……に……を……」


「つまり、お前たちは、俺の唯一の(あるじ)を、侮辱し、傷つけた。……それが、何を意味するか、その愚かな頭でも、分かるな?」


絶望。

エリオットたちの顔に浮かんだのは、それ以外の何物でもなかった。

自分たちが、決して敵に回してはいけない、この世界の理そのものを、敵に回してしまったのだと、ようやく悟ったのだ。


ゼノヴァルド様が、彼らに向かって、その手を振り上げた。

絶対零度の冷気が、その手に収束していく。

彼らが、自分たちの惨めな死を覚悟した、その時だった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!


城全体が、今までとは比べ物にならないほど、激しく揺れた。

そして、窓の外が、一瞬にして、闇に包まれた。

ヴォルデモスが、彼らの醜い感情――恐怖、後悔、絶望――を糧として、ついに、氷晶城そのものに、直接攻撃を仕掛けてきたのだ。


「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」


「な、なんだ、これは!? 世界が終わるのか!?」


窓の外に広がる、この世のものとは思えない光景――無数の黒い触手が、城を飲み込もうと迫ってくる――を目の当たりにし、エリオットたちは、完全に正気を失った。

自分たちが今まで争っていたことが、いかに矮小で、無意味なことであったか。

そして、フィーリアとゼノヴァルドが、自分たちの知らないところで、どれほど巨大で絶望的な悪と戦っていたのかを、骨の髄まで思い知らされたのだ。


「……チッ。邪魔が入ったか」


ゼノヴァルド様は、忌々しげに舌打ちすると、私に向き直った。


「フィーリア、行くぞ!」


「はい!」


私たちは、もはや床で泡を吹いて気絶している愚者たちを一瞥だにせず、来るべき最終決戦へと、身を翻した。


彼らの断罪は、終わった。

彼らが犯した罪の代償は、これから、自分たちが滅ぼしかけたこの国で、その目で、じっくりと味わうことになるだろう。

一生、後悔と絶望の中で、生き続けるのだ。

死ぬよりも辛い、永遠の罰を受けて。


ざまぁみろ、なんて、生易しい言葉では足りない。

あなた方が味わうのは、本物の、地獄だ。


私は過去を完全に清算し、未来を守るための戦いへと、翼を広げる。

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