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閑話 王都からの使者と、愚者の誤算

北の地で、氷竜王とその(つがい)が、邪神の眷属(けんぞく)である黒竜王と死闘を繰り広げていた、まさにその頃。

王都は、未だかつてないほどの閉塞感と、正体不明の不安に包まれていた。


枯れ続ける大地。日に日に悪化する民の体調。そして、何よりも人々の心を(むしば)んでいたのは、北の地で「奇跡の聖女」フィーリアが氷竜王の寵愛を受けているという、輝かしい噂だった。

かつて、自分たちが見下し、嘲笑していた「出来損ない」が、手の届かない場所で幸せになっている。その事実が、人々の心の(おり)をかき混ぜ、醜い嫉妬の感情を増幅させていた。



「まだか! フィーリアを連れ戻す使者は、まだ出発せんのか!」


エリオット王太子は、玉座の間で苛立たしげに叫んでいた。

彼の足元には、オルタンシア公爵アルフォンスが、青い顔で平伏している。


「も、申し訳ございません、殿下。使者の人選と、氷竜王への献上品を整えるのに、手間取っておりまして……」


「言い訳は聞きたくない! ぐずぐずしている間に、あの女が竜の子供でも(はら)んだらどうするのだ! そうなれば、ますます取り返しがつかなくなるぞ!」


エリオットの思考は、もはや常軌を逸していた。

彼は、フィーリアを「国を救うための道具」としか見ていない。その人権も、感情も、幸福も、彼の頭の中には存在しなかった。


「アルフォンス! 貴様、自分の娘だろう! 父親としてフィーリアを説得しろ! 俺も出向いてやる!」


「は、ははっ! かしこまりました!」


結局、アルフォンス公爵を随行させ、エリオット自身が北の地へ赴くことになった。


アルフォンス公爵は、心のどこかで安堵していた。これで、あのフィーリアを連れ戻し、この凋落しきった状況を立て直せる。そして、再び公爵家の栄光を取り戻せる、と。

彼は、娘に酷い仕打ちをしたことへの罪悪感など、とうの昔に忘れていた。あるのは、自分の保身と、失われた栄華への執着だけだ。


「セレスティア、お前も来い」


「え……? わたくしも、ですか、お父様?」


アルフォンス公爵は、次女であり王太子妃であるセレスティアにも同行を命じた。


「当たり前だ。妹のお前が涙ながらに説得すれば、あの情の深い娘のことだ、きっと王都へ戻る気になるに違いない。姉妹の絆を見せてやれ」


「……はい」


セレスティアはニヤリと小さく笑い、頷いた。

彼女もまた、自分の美貌と才能が色褪せ始め、王太子からも冷たく扱われる現状に、焦りと恐怖を感じていた。

姉のフィーリアが持つという「奇跡の力」。それを、自分のものにできれば……。

彼女の心には醜い嫉妬の影が巣食っていた。


こうして、王太子、公爵、そして聖女という、この国で最も愚かで、最も傲慢な三者は、自分たちの誤算に気づかぬまま、北への旅路についた。

彼らは、本気で信じていたのだ。

自分たちが頭を下げれば、あの「出来損ない」は、喜んで尻尾を振って戻ってくると。

そして、氷竜王も、大国である自分たちの要求を、無下に断ることはできないだろう、と。



数週間の旅を経て、王都からの使節団は、ついに氷晶城の麓の街に到着した。

そして、彼らは、自分たちの目を疑うことになる。


「な……なんだ、この街は……!?」


エリオットが、愕然として声を上げた。

そこに広がっていたのは、彼らが想像していたような、寂れて活気のない辺境の街ではなかった。

道行く人々は皆、血色が良く、その表情は明るい。広場の市場には、瑞々しい野菜や果物が並び、子供たちの元気な笑い声が響いている。

王都よりも、よほど活気に満ちているではないか。


使節団の豪華な馬車は、当然、街の人々の注目を集めた。

しかし、その視線は、以前フィーリアが感じたような、冷たいものではなかった。

むしろ、不審者を見るような、警戒心に満ちた眼差しだ。


「おい、見ろよ。王都の紋章だぜ」


「こんな時に、何のようだ! 俺たちのフィーリア様の邪魔をしに来たのか?」


「今さら、どの面下げて来やがったんだ!」


街の人々の囁き声が、彼らの耳にも届く。

フィーリアが、いかにこの地で愛され、慕われているか。その事実が、彼らのプライドを容赦なく打ちのめした。


アルフォンス公爵は、動揺を隠せないまま、城の門番に使者の来訪を告げた。

やがて、城の中から出てきたのは、侍女頭のマーサだった。


「王都からの使者御一行様ですね。竜王様とフィーリア様は、今、お取り込み中です。客間にて、お待ちください」


マーサの態度は、丁寧ではあったが、どこか事務的で、冷たかった。

王太子が直々に来ているというのに、出迎えにも来ない。その無礼な対応に、エリオットの額に青筋が浮かぶ。


客間に通された後も、彼らは延々と待たされた。

窓の外が夕暮れに染まり始める頃、ようやく、待ち人が現れた。


扉が開き、入ってきたのは、ゼノヴァルドとフィーリアだった。

その瞬間、アルフォンス公爵とセレスティアは、息を呑んだ。


そこにいたフィーリアは、彼らの知る「出来損ない」ではなかった。

上質なドレスを身にまとい、その表情には自信と幸福感が満ち溢れている。くすんでいたはずの髪は艶やかに輝き、その佇まいは、まるで本物の王妃のようだ。

そして、何よりも、彼女の隣に立つ氷竜王が、彼女に向ける眼差し。それは、この世の何よりも大切な宝物を見るような、深く、そして熱烈な愛情に満ちていた。


二人が(かも)し出す、侵しがたいほどの威厳と、幸福のオーラ。

それを見ただけで、アルフォンス公爵たちは、自分たちが、とてつもない過ちを犯したのだということを、ようやく、おぼろげに理解し始めたのだった。


「……さて」


ゼノヴァルドが、氷のように冷たい声で、口火を切った。


「こんな辺境の地まで、王太子殿下が直々に、一体何の御用かな?」


その声には、隠そうともしない敵意と、絶対王者としての圧倒的な威圧感が込められていた。

愚者たちの、後悔と断罪の時が、ついに始まろうとしていた。

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