表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/20

10 呪いの正体と、北の森の異変

ゼノヴァルド様と心を通わせた翌日から、私たちの日常は甘く、そして穏やかなものに変わった。

朝は彼の腕の中で目覚め(これはもう、すっかり習慣になってしまった)、日中は呪いを解くための調査をし、夜は寄り添いながら眠りにつく。

毎日が、夢のように幸せだった。


「フィーリア、口にクリームがついているぞ」


「え、どこですか?」


「……ここだ」


そう言って、ゼノヴァルド様が私の唇の端を、自分の指でそっと拭う。そして、その指をぺろりと舐めた。


「……甘いな」


「〜〜〜っ!!」


食堂での朝食中、彼は平然とそんなことをやってのける。

周囲の侍女たちが「まあ!」と頬を赤らめているのも気にせず、彼は満足そうに微笑むのだ。

冷酷だと噂された氷竜王はどこへやら。今の彼は、私をからかって楽しむ、少し意地悪な恋人そのものだ。


「ゼノヴァルド様! 人前ですよ!」


「構わんだろう。お前は、もうすぐ俺の妃になるのだからな」


「まだ、なってません!」


そんなやり取りも、今では日常茶飯事だ。

彼の独占欲は日に日に強くなっている気がするけれど、その全てが、私に向けられた愛情なのだと思うと、くすぐったくて、嬉しくて、結局は何も言えなくなってしまう。



その日の午後、私たちは再びあの広大な書庫にいた。


「邪悪なる神……。そんなものが、本当に存在するのでしょうか」


「伝承は、何らかの事実を元に作られることが多い。完全に無視はできんだろう」


私たちは、古代の神々に関する書物を手分けして調べていた。

私の力で蘇らせたお陰で、厨房だけでなく、城の皆の表情も明るい。けれど、城壁を一歩出れば、そこはまだ呪われた大地のままだ。根本的な解決を急がなければならない。


何時間も書物をめくっていた、その時だった。

ゼノヴァルド様が、一冊の分厚い本を手に、低い声で言った。


「……フィーリア、これを見ろ」


彼が指差したページには、禍々しい姿をした神の絵が描かれていた。

いくつもの黒い触手を持つ、異形の神。


「『(むしば)む者、ヴォルデモス』……。古代の神話に登場する、嫉妬と渇望を司る邪神だ」


ゼノヴァルド様が、そこに書かれた文章を読み上げる。


「ヴォルデモスは、生命の女神の輝かしい力を妬み、その全てを奪おうとした。彼は、自らの身体から呪いを振りまき、大地を枯らせ、生命の輝きを喰らうことで、その力を増大させる……」


間違いない。この邪神こそが、この地に呪いをかけた諸悪の根源だ。


「この邪神は、どうなったのですか?」


「……女神との戦いの末、その肉体は滅び、魂は世界の最果てにある『奈落』に封印された、とあるな」


封印された、という言葉に、私たちは少しだけ安堵する。

けれど、ゼノヴァルド様の表情はまだ険しいままだった。


「だが、続きがある。『ヴォルデモスの魂は滅びず、その呪いは微かにこの世に残り続けている。もし、世界に満ちる生命の力が弱まれば、封印は綻び、呪いは再び大地を蝕み始めるだろう』……」


つまり、こういうことだ。

何らかの理由で、この北の地の生命力が弱まった。それがきっかけで、ヴォルデモスの呪いが封印の綻びから漏れ出し、この地を蝕み始めたのだ。


「私の力が、この地の生命力を補っているから、今は小康(しょうこう)状態を保てている……。でも、呪いの発生源を断ち切らない限り、いたちごっこになってしまうのですね」


「ああ。そして、お前という強大な生命力の存在を、呪いが感知すれば……いずれ、ヴォルデモス本体がお前を喰らおうと、封印を破って現れるやもしれん」


彼の言葉に、私はごくりと喉を鳴らした。

事態は、私たちが思うよりも、ずっと深刻なのかもしれない。


「呪いの発生源……。封印の綻びは、どこにあるのでしょうか?」


「……心当たりが、一つだけある」


ゼノヴァルド様は、窓の外へと視線を向けた。

その先には、どこまでも続く、広大な針葉樹の森が広がっている。


「城の北に広がる、『静寂の森』だ。かつては、古代の精霊たちが棲む、聖なる森だったと聞く。だが、数十年前に、森の奥深くで大規模な地盤沈下が起こって以来、あの森は急速に生命力を失い、今では誰も寄り付かない不気味な場所と化している」


「……そこが、怪しいと?」


「ああ。呪いがこの地で顕著になった時期と、森の異変が始まった時期が、ほぼ一致する」


彼の言葉に、私は決意を固めた。


「行きましょう。その森へ」


「……危険だぞ」


「分かっています。でも、ここから一番近い、呪いの根源かもしれない場所です。見て見ぬふりはできません」


私の強い眼差しに、ゼノヴァルド様は諦めたように溜息をついた。


「……分かった。だが、決して一人では行かせん。俺も、共に行く」


「はい!」


「準備をしろ。明日の朝、出発する」



翌朝、私たちは完全な旅支度を整え、城の門の前に立っていた。

マーサが、心配そうに私たちを見送りに来てくれた。


「竜王様、フィーリア様、どうかご無理だけはなさいませんように……」


「ああ、任せておけ。必ず、無事に戻る」


ゼノヴァルド様は、頼もしく頷くと、私の方へ向き直った。


「フィーリア。今回は、馬ではなく、俺の背に乗って行け。その方が速いし、安全だ」


彼はそう言うと、その場で眩い光を放ち、巨大な氷竜の姿へと変わった。


私は、彼の背中にしがみつくようにして乗り込む。


「しっかり掴まっていろ!」


脳内に響く声と共に、ゼノヴァルド様は力強く翼を羽ばたかせ、大空へと舞い上がった。


眼下に広がる景色は、息を呑むほどに美しい。

けれど、北へ向かうにつれて、その景色は一変した。

緑豊かだった大地は、次第に色を失い、灰色と黒だけの荒涼とした土地が広がっている。

これが、呪いに深く(むしば)まれた、この国の本当の姿なのだ。


やがて、私たちの眼下に、巨大な森が見えてきた。

けれど、その森は異様だった。

木々は皆、黒く枯れ果て、まるで巨大な骸骨の森のようだ。生命の気配が、一切感じられない。


『……ひどいな。これが、静寂の森のなれの果てか』


ゼノヴァルド様の、苦々しげな声が響く。


森の上空に差し掛かった、その時だった。

私は、肌にピリピリとした、不快な感覚を覚えた。

そして、頭の奥に、直接響いてくる声があった。


『……チカラ……イノチ……ヨコセ……』


粘つくような、邪悪な声。

それは、今まで感じたことのない、純粋な悪意と渇望の塊だった。

ヴォルデモスの呪いの声だろうか。


「……っ!」


あまりの邪気に、私は思わず身を固くする。


『フィーリア、どうした!?』


「……声が、聞こえます。呪いの……声が……」


その瞬間、森の中から数多の黒い影が、一斉に私たちに向かって飛びかかってきた。

それは、翼を持つ魔物だった。

(からす)のような姿をしているが、その目は赤く爛々(らんらん)と輝き、身体からは黒い瘴気(しょうき)を放っている。


『呪いの魔物か! フィーリア、落ちるなよ!』


ゼノヴァルド様は、鋭い咆哮と共に、口から絶対零度の吹雪を吐き出した。

吹雪に触れた魔物たちは、次々と氷漬けになり、地上へと墜落していく。

けれど、魔物の数はあまりにも多い。倒しても、倒しても、森の奥から次々と湧いてくる。


「ゼノヴァルド様、きりがありません! 森の奥へ!」


『ああ!』


彼は、魔物の群れを強引に突き破り、森の中心部へと向かって急降下していく。

森の中心には、巨大なクレーターのような、ぽっかりと口を開けた大穴があった。

大規模な地盤沈下が起こったという場所だ。

そして、その穴の底から、濃密な黒い瘴気(しょうき)が、間欠泉のように噴き出している。


あれが、封印の綻び。呪いの発生源だ。


私たちが穴の底へと降り立った、その時。

穴の底に溜まっていた瘴気(しょうき)が、まるで意思を持ったかのように、一つの巨大な形を取り始めた。


それは、禍々しい、巨大な黒い狼の姿だった。

ヴォルデモスの呪いが、この地の魔物を取り込み、作り出した擬似的な怪物。


グルルルルル……!


呪いの狼は、飢えた赤い瞳で、私を――私の持つ『生命の祝福』の力を、真っ直ぐに見据えていた。

そして、大地を揺るがすほどの、凄まじい咆哮を上げた。


私たちの、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ